第24話

 最上階の七階から更に上にあるのは、八階ではなく、屋上階である。

 階段の最上段まで登り切ると、一枚の扉が屋上と室内を隔てている。黒猫が外に出ようと、扉を引っ掻き始めた。安全性の問題上、屋上に出ることは出来ない。在校時に足繁く通って、開けようと画策したのを良く覚えている。懐かしむようにドアノブを回す。すると、簡単に開いた。友原が開けて置いたのだろうか。

 扉の隙間から抜け出した黒猫を追って、私も屋上へと出る。紺色に染まった屋上では、直ぐに黒猫を見失ってしまう。走る猫を追いかけて私も走る。屋上の中央に近づいた頃、座る人影が見えた。

 友原も無事にたどり着いたのだと、声をかけようとして、私はそれが友原でないことに気が付いた。

 真っ黒で長い髪を束ねて、くりくりとした目の彼女は、会うまでに多大な勇気を要する、猫田さんであった。彼女は腕にいつかの三毛猫を抱いて、その目で今まさに火がくべられようと言うキャンプファイアを眺めている。

 そこへ黒猫が近づき彼女の足下でみゃあみゃあと鳴いた。いち早く三毛猫が気づき、腕の中から飛び降りる。驚いた猫田さんが足下の猫達を視線を向け、私に気が付いた。

「えっと……久しぶり」

 私が声をかけながら近づく。ここまでは良いのである。ここまでは。

「久しぶり。風邪、大丈夫?」

「おかげさまで。卵酒、ありがとう。美味しかった」

「よかった」

「ごめんね。行けなくて」

「風邪ならしょうがないよ」

 相槌を返し、私は彼女の隣に座った。彼女と並んでキャンプファイアを見つめる。後夜祭には生徒だけでなく来場者の方も参加出来る為、砂漠は人と音で溢れかえっていた。

 一方もこちらは沈黙が苦しい。病床で考えた会話術を思い返すが、何の役にも立たない。大脳会議場に特別顧問として内なる好色漢を呼んでは見ても、結局、私の一部なのだから、議場は混乱を極めた。

 何を話そうか。いや、彼女は興味ないかも知れない。しかし、話し出さなければ、会話が始まらない。彼女から話しかけてくるのを待つか。これでは、友原の言う通り、腰抜けではないか。と、友原の名前が出て、議場は水を打ったように静まりかえった。

「あ」

 実に間抜けな声が漏れた。

「どうしたの?」

「実は友原に頼まれてたことが……」

 刹那、私達の背後で破裂音が鳴った。同時に小さな光の粒が天を目指す。そして、大きな花が儚く咲いた。

 彼女は大きな目を更に開いて花火を見上げる。私も花火を見上げていた。花弁が散った後、我々はいつかのように、同じ表情を向けあった。

『我こそはこの高校に反逆の狼煙を上げし者なり』

 にわかに騒がしさを増す砂漠に、一際、通る声で名乗りを上がった。我々から見て、キャンプファイアの更に向こう側、目立つ姿の友原が何かを掲げて叫んでいる。

『教育の本道から外れた悪鬼達に天誅を下す。伏魔殿と化した校舎をいざ取り戻さん』

 そう言って、友原は手に持っていたものを、群衆へと投げた。


 友原の計画の全容について記す。

 後に聞いた話だと、始めはつまらない文化祭に、一花咲かせてやろうと考えたのが、どうせだったら、火の花にしようとなり、花火を打ち上げることとなった。その為の準備として忍び込もうとして、先生に頼り、先生は後輩に頼った。様々な事情を知る内に、彼にも沸々と過去の怒りが沸いてきたらしく、作戦に教師達の内情の暴露と、経費の再配分を画策。下準備だけでも一人では難しくなり、同じく学校を憎んでいるであろう私に協力を強要した。ついでに、当日の快晴祈願に、我が家の昇り龍こと、泥鰌にお供えものをした、ここまでの動きは明記した通りである。では、私が警備員に追われている間、彼はどのような暗躍をしていたか。手始めに文化部を懐柔すべく、各部室に置き手紙を残し、演劇部に万が一の身代わりを、文芸部に教師達の暴露冊子作りを頼んだ。彼は次に職員室へと進入する。ダート泥棒なんて裏稼業に手を染めるのだ。鍵くらい簡単に開けられる。一括管理されている経費をすり替え、先生経由で手元に入る後輩からの情報より、数段機密度の高い情報を入手すると、彼はそのまま屋上へと上がった。当初の予定では、屋上で花火を上げる予定だったのである。しかしながら、彼は職員室で少し無謀な探索をしていた。その音は職員室の直ぐ下、警備員の仮眠室にも聞こえてしまったらしく、屋上の扉を特殊技術で開けて、打ち上げ台を仕掛けようとしていると、数名の警備員に見つかってしまい、彼は彼で逃走劇を繰り広げ始めた。入ってきた方とは反対の扉から屋上を脱出して、三階まで下り、段々畑の茂みに身を隠すも、警備員の探索はいつまでも続き、再び屋上へは上がれそうにも無いことを悟った彼は、屋上での打ち上げを諦め、段々畑からの打ち上げに計画を変更、花火を仕掛けて、その日はそのまま段々畑を下って脱出した。以降も彼の計画変更は続いた。誰が言ったか知らないが、花火に祭りとくればデートである。だったら、いっそと、彼は私と猫田さんを本格的にくっつけてしまおうと考えた。これには良くやったと言わざるを得ない。風邪にも関わらず無謀にも下見を決行した前回の一件から、彼は私と猫田さんを強制的に出会わせ、人為的に運命を作り出そうとした。猫田さんを見かけても話しかける勇気など私に無いと見抜いている彼は、必然的に彼女を追うことになる計画を練った。それが、猫達である。先生の猫達はかつて小学校で飼っていたらしく、私達にも十分懐いている上、三毛猫に片思い中の黒猫までいるから、これを利用しない手はない。美術部に伝言を残して猫田さんを屋上に誘導し、実行委員に三毛猫を屋上に誘導して貰うはずが、初めから私が三毛猫を捕まえてしまう事故が起き、三毛猫を逃がすついでに私を管理しやすくする意味も含めて、委員長は私を実行委員に引き入れた。ところが、後輩の予想よりも私は幾分か優秀で、問題を悉く解決して始末書を減らしてしまったことで、後輩は私を捕らえ、友原は私とともに脱走した。

 後はご存じの通りである。


 花火の打ち上げが再開され、色とりどりに照らされる中を、友原は走り抜ける。そうして、生徒来場者かまわず、教師の悪行を暴露する文芸部の冊子を投げ続けた。協力者もいるようで、別の場所からも、冊子が宙に放たれる。教師達は実行委員会に止めるよう命じるが、黒Tシャツは総じて動こうとしない。

 それを、私は彼女と並んで見ていた。ただ、それだけである。本当にそれだけ。


 その後、私と猫田さんの関係に何らかの進展があったかと言えば、特にない。強いて上げるなら、約束を果たすべくダーツに赴き、それとなく好意を伝え、やんわりと断られたくらいである。読者は作品が好きなのであって、作者が好きなわけでは無いのだ。家に帰ってから、そっと枕を濡らした。泣鬼に違わぬ涙腺の崩壊であった。翌日、布団を干して、再び凍らせた。


 私は彼女と栄光の為に、独りで走ってきた。

 しかし、独りでもなければ、走ってすらいなかったようである。

 こんな奴に贈る拍手も喝采もありはしない。

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秋の日、独走 阿尾鈴悟 @hideephemera

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