第3話 全部占いのせいだ

全部占いのせいだ




「寝てたのか……」


 体がとても重い。疲労やストレスが蓄積ちくせきされ、僕を押し潰してくる。

 ゆっくりと上体を起こし、裸足のまま足を床につけると、ワックスの冷んやりとした感触が足の裏を通して脳まで伝ってきた。冷たい床の上を歩くと、昨日の小豆あずきさんの凍るような視線を思い出した。


「思い出すって事は、やっぱ夢じゃない……よね……」


 あんな絵に描いたような美少女の裸を直視して、さらに告白までされた。本来なら夢見心地ゆめみごこちな気分なはずだが、そうはいかない。

 なぜなら、彼女の好意は正確には僕ではなくあいつに注がれていて、今こうしてキッチンに向かう、なんか眼中がんちゅうに無いからだった。喜んでいいのか複雑すぎる。


「とりあえず、食料は大丈夫っぽいな」


 起きて直ぐに戸棚と冷蔵庫の中身が荒れてないか確認するのは、1か月前からの日課だ。

 もしあいつが僕の寝ている間に勝手に暴れていたら困る。大体そんな時は、朝起きると身体中に痛みが走る。最悪血だらけになっていた時もあった。一体全体何をしているんだあいつは。


 とりあえず僕は目覚めの一杯を入れようと、戸棚からインスタントのコーヒーを取り出す。


「あーそっか、僕もう飲んじゃダメなんだっけ……」


 コーヒーを飲むと記憶が飛び、別人格に入れ替わる。1ヶ月前からこの症状に悩まされているわけだが、月日が経ったからってそう簡単に割り切れるわけではない。

 いつか治ると信じて、戸棚の奥底にインスタントコーヒーをしまっていた訳だが、かすかな希望に縋るのはもう止めにしよう。そう思い、すみに置いてあるゴミ箱に視線を送る。


 僕は別に生粋きっすいのコーヒーマニアという訳ではない。別に飲まなくても生活に支障はないとさえ思っている。

 ただ、やはりもう飲めないと思うと、心寂しく思う。あの僕を包み込んで心を落ち着かせてくれてくれるような、安心させてくれる香りも、深みのある苦味も、もう一生味わえないと思うと少し胸の奥底から込み上げて来るものがある。

 そして、あのインスタントコーヒーの瓶に至っては思い入れもあった。


 ゴミ箱のペダルを踏み、ふたが空いたと同時にインスタントコーヒーの瓶を投げ込む。

 底に沈んでいるカップ麺の容器や、コンビニ弁当の容器がクッションになって、瓶が浮く。僕はそれを直視しないようにペダルを離して蓋を閉めた。


 気を取り直し、もう一度戸棚を開け、そこから取ったコーンフレークの袋をキッチンのワークトップに置き、食器棚から取り出した中くらいのサラダボウルの中に袋の中身を放り込む。残りが駄目にならないように、袋の先をゴムで縛って適当に放置。冷蔵庫から牛乳を取り出して、その2つをテーブルに置き、椅子に座る。

 静けさを紛らわす為に、僕は適当にテレビをつけた。


「今日の誕生月占い! 7位から11位は──」

「マジか、もうこんな時間」


 この朝の情報番組の終盤に行われる誕生月占いは、大体9時になる2、3分前にやっている。今日はいつもより約3時間近く寝坊したみたいだ。


「さぁ、残るは1位と最下位! まだある月は7月と9月。最下位になるのはー?」


 最近人気のアナウンサーのお姉さんが声高らかに口にした誕生月には、僕の誕生月である9月が含まれていた。思わず牛乳をコーンフレークに掛けながら観てしまう。


「残念! 9月のあなたです! 今日は会いたくない人に会ってしまう日です。外出するならそれなりの覚悟は持っておいたほうが良いかも。ラッキーアイテムは緑のハンカチ」


 まさかの情報番組に覚悟を迫られる日が来るとは思わなかった。なんだろう、高校の同級生にでも会うのだろうか。僕が漫画を返す前に転校して行った、三田みたくんには会いたくないものだ。


 テレビ番組のキャスト全員による盛大ないってらっしゃいを聞き流し、食べ終わった器に残った牛乳を見つめる。すると、ふとテーブルの反対側に置いてあった小さな紙切れに目が行った。


「あれは……」


 確か昨日、小豆さんが叩きつけるようにメモを置いていったような……多分あれか。

 恐る恐る紙を取って、中を確認する。そこには小豆さんの電話番号とメルアドらしき物が書かれていた。

 ボウルの中の牛乳を全て飲み干し、自分のスマホをポケットから取り出して、連絡帳にメルアドと電話番号を書き込む。と、いきなり画面が変わってスマホが振動し始めた。誰かから電話がかかってきたようだ。相手は……やはりあいつか。


「……もしもし?」

「よぉ、湊人みなと! 元気してるか?」


 電話越しから発せられたウザいくらい元気な声は、僕の数少ない友達の甲斐俊樹かいとしきだった。あの時僕にコーヒーを勧め、勇気つけてくれた人であり、1番最初のの被害者でもある。


「まぁ、相変わらずいつも通りかな」

「くはは! そうかそうか! なら結構。あ、それでさ」

「なに?」

「商店街に最近新しく出来たカレー屋に一緒に行って欲しいんだが……」

「……今度は誰だよ」


 俊樹が僕をご飯に誘う時は、大体そこの店の店員に惚れた時だ。1人だと声がかけられないという、変な所でチキンなのだ。俊樹という奴は。


「まぁ来ればわかるって。案外お前の趣味かもしれねぇぞ? あの女」

「あーそうかい。切っていい?」

「まてまて! なんかおごるからさ。な? 一生のお願い!」

「何回一生のお願いすれば気が済むんだ……わかったよ。何時集合?」

 

 安易あんいに外に出ないほうが良いとは思ってるが、正直昼飯代も浮くし、もし何かあっても俊樹がいるから大丈夫だろう。そう思い、僕は集合時間と場所を聞き、電話を切った。

 スマホの画面が連絡帳に戻り、そういえば小豆さんの連絡先を登録してた事に気がついた。名前を深谷小豆しんたにあずきにして登録し、そそくさとメールを打つ。

 

 こんにちは。神田湊人かんだみなとです。昨日は本当にすいませんでした。また機会がありましたらよろしくお願いします。


 とまぁ、簡潔かんけつな文章を送り、まだ俊樹との約束までだいぶ時間はあるが、外用の服に着替える事にした。


 ◆◆◆◆◆


 街を歩いて感じたのは、もう季節が春という事と、約3ヶ月前に起きたあのウイルス騒動が無かったかのように、平然と人や物が動いている事。

 季節の移り変わりを感じつつ、未だ過去に囚われてるのは僕だけだと実感し、感傷的に浸っていると約束の場所に着いた。


「ボンバーカレーって……もっと良いネーミング無かったのかよ」

「俺もそう思う」

「うわぁ! いつからそこにいたのお前!?」


 僕の肩に触れ、ずっといましたよ?みたいな雰囲気ふんいきただわせてきた俊樹に、思わず頓狂とんきょうな声を出してしまった。


「うっす湊人! あれ?なんかお前痩せた?」

「ずっと家にいたし、あんま食べてなかったから……」

「なるほどなー。ま、あんな事起きたばっかだし、しゃーないか。よし、とりあえず入ろうぜ」


 いつの間にか会話と場の主導権を握っていた俊樹が扉を開けると、さっきまでただよっていたスパイスの香りが更に強くなった。

 昼時ひるどきという事もあり、店はそれなりに繁盛していた。厨房にいる店長らしき人物の、威勢のいい声で発せられた「いらっしゃいませ」が店内に響く。内装を見渡す僕の横で、俊樹は券売機に千円札を入れていた。どうやらここの店は食券注文の店らしい。ラーメン屋以外でこのスタイルは珍しい部類なのではないだろうか。


「なぁ、奢ってくれるんだろ? 僕この地獄煮込みカレー食べてみたい」

「え、奢る? なにそれ。そんな事言ったか俺?」


 正直ここで俊樹が裏切るのは想定内だった。というかいつもそうなので、いい加減慣れた。


「おい、僕帰るぞ?」

「わ、わかったよ、ちょっと待て。ったく図々ずうずうしいな湊人は……」

「いやそういう約束だったじゃん! だから来たんじゃん僕!」


 必死に抗議する僕を無視して、俊樹は再び券売機に千円を入れる。


「後、お前辛いの苦手なら『地獄煮込みカレー』は諦めたほうがいい。多分死ぬ」

「えぇ……じ、じゃあこの隣にある『三途の川カレー』……は飛ばして、『天使カレー』は?」

「それクソ甘いらしいけど、それで良ければ」


 よかねーよ。てかカレーに甘いって概念あるのか? なんだ天使カレーって。もっと普通のカレーが食べたい。


「じ、じゃあこの『牛一頭丸ごと100時間煮込みカレー』で頼む」

 

 まさか牛一頭丸々出てくるわけじゃないだろうし、多分妥当な選択だ。


「おけ。トッピングは?」

「無しで」

「りょーかい」


 精算し、券売機からジャラジャラ出てくる小銭を財布にしまった俊樹は、厨房にいる店長らしき人に食券二枚を渡し、入り口から見て左隣のテーブル席に座った。多分カウンター席が苦手な僕の事を配慮はいりょしてくれたのだろう。


「しっかし、お前も運が無いよな。3年も付き合ってた彼女と別れるなんて」

「まぁ……遠距離で3年間一度も合わなかったわけだし、相手も僕もずっと互いに別の人がいないか不安だったからね……」

「やっと会えると思ったら、のせいで外出禁止命令出たしな。正直同情する」


 僕がと別れた理由は、探せば探すほどいくらでも溢れ出て来るが、一番の原因は約3ヶ月前に流行したメリアウイルスのせいで、国が緊急きんきゅうで自宅待機命令を出してしまったのが大きい。そのせいであの人と会うきっかけが無くなり、以前から少しずつひびが入りつつあった僕らの関係は、ついに崩壊してしまった。

 そしてその一週間後、ついに蔓延まんえんが縮小化し、メリア対抗ワクチンも開発されたので、待機命令は解除された。僕らが互いの連絡先を完全削除して4日後の出来事だ。


「まー切り替えて行こうぜって言うのも無理な話か……お前スゲー惚れてたもんな」

「今はだいぶ思い出して感傷的かんしょうてきになる事は無くなったよ。それよりも大きな問題が出てきたしね」

「それなんだけどよ……その……こんな事言うのもアレだけど、大丈夫なのか?」

「だんだんひどくなってる。正直大丈夫じゃないかも」

「まーなんかあったら俺を頼ってくれ。いつでもけつけてやる」

「クソ、性格も外見イケメンとか理不尽すぎないか……神は何処どこへやら」

「くはは、褒め言葉として受け取っとくわ。あ、来たぞ。あの店員が俺の言ってた


 正直、それに関して微塵みじんも興味が無かった僕は、ヒソヒソと小さな声で僕に向かって言う俊樹を尻目にお冷を飲み、一気に全部噴き出した。


「お、おい! 湊人どうした!?」

「な……なんでここに……」


 僕らのカレーを運んで来た、俊樹一押しの店員の顔をもう一度よく見る。あのくせのあるショートヘアーと、美しく整った顔つきに、あの目線。


「なんでここに小豆さんがいるの……?」


 おどおどする俊樹と、一瞬僕に驚いたが、すぐ冷静になった小豆さんを見ながら、僕は今日の占いを思い出す。確か、会いたくない人に会ってしまう日とかなんとか。ちなみに僕は緑のハンカチなど生憎あいにく持ち合わせていない。

 

 なるほど。確かに覚悟を持っておくべきだったな。畜生、こんな事なら誘いを断るべきだった。


……まぁ、こればかりは誰のせいでもなく、強いて言うなら占いのせいだ。

 



 

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全部ウイルスのせいだ 蛇喰蛇夢 @kagetu6910

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