第2話 全部ボクのせいだ
「……もう一度尋くけど、本当に君は私の事覚えていないの?」
「本当に申し訳ないけど、はい。そうです……」
僕が
「君が私の事を覚えて無いのは、お酒に酔ったせい?」
「いやいやいや、そんな事ないです! 僕本当お酒苦手で──」
「ならよかったわ。もし酔った勢いと言ったなら今頃君を3分の1殺ししてたから」
3分の1殺しって何だ……心の中で畏怖と戸惑いがブレンドされた、新しいマイナスの感情が渦を巻く。
というか、彼女のキャラが本当に読めない。僕が乙女心を傷つけたから、わざと刃物の様な態度で接してるのだろうか。それとも、これが本当の彼女で、起床した時に接してた彼女は偽りの彼女だったのだろうか。どちらにせよ、怒ってる事は確かだ。
柱時計のカチ、カチ、という秒針を刻む音が部屋全体に響く。
胸に手を当てなくても心臓の鼓動が聞こえ、首筋に変な汗が流れる。
普段は何気なく動いてる心臓の音がこうも自分を不安にさせてくれるとは思わなかった。
2人とも無言の状態が2分くらい続いた時、もうそろそろ自分の胃が限界を迎えそうだったので、こちらから話を割る事にした。
「あの、すいません。昨日の事なんですけど」
「誰が話して良いと言いましたか?」
まずい。そろそろ内臓が2、3個爆発しそう。けど、黙ってれば黙る分だけ事態はきっと良からぬ方向に進んでしまう。腎臓1個犠牲にする覚悟で、僕はもう一度口を開いた。
「すいません、昨日の僕は僕じゃないんです」
「……は?」
そのドスの効いた声が彼女から発せられた物だと僕は思えなかった。
「僕、
僕から発せられた言葉を聞き、唖然としてる彼女に向けて一枚の紙を差し出す。
テーブルかからその紙を取った彼女は、一語一句見逃さないよう、目に焼き付けるように何度も文字を追った。
「え、えーと、すみませんなんとお呼びしたら……」
「
「あ、わかりました。え、と。僕の名前は」
「わかってるわ。
「そ、そうですか。では深谷さん」
彼女の氷の様に冷ややかな目線が僕に注がれた。お気に召さなかったらしい。
「あ、小豆……さん」
「まぁ、よし」
良かったみたいだ。いや良かったのだろうか、初対面の女の人を下の名前で呼んで。
「小豆さんは、解離性同一性障害、多重人格ってご存知ですか?」
「まぁ、一般教養くらいなら」
「僕の場合、厳密に言うと多重人格では無いのですが、病名はそう名付けられました」
「……と言うと?」
「僕、3年間遠距離恋愛していた彼女と、1ヶ月前に別れたんです。もうそこから殆ど何も食べられないほど鬱になっちゃって。友達に勧められて気晴らしにコーヒーを飲んだら、気づいたら意識失っちゃって……」
僕がそう言うと、小豆さんは僕のティーカップに視線を送った。紅茶が入った僕のティーカップを。
「それの何処に多重人格の要素があると言うの?」
「意識が戻った時、僕ソファで横になってたんです。そしたら僕と一緒にいた友達が真剣な顔で『お前精神科で診て貰った方がいい』って言ってきたんです。あまりに突拍子も無い事を言われたんで、何が起きたか尋いてみたら、どうやら別人格の僕がしっちゃかめっちゃかしちゃってたみたいで。友達の家にあったお酒のボトルとかが殆どからっぽ……」
「……確かに、納得は出来ないけど否定も出来ないわね。私が会った昨晩の『ミナト』くんと、今の『湊人』くん。外見は同じだけど性格が全然違う。役者でもここまで演じれる人はいないってくらい」
小豆さんが理解してくれてホッとした僕は、震える手でカップを掴み、紅茶を
「それは大丈夫なの?」
僕の顔をじっと見つめている小豆さんの目線は、冷ややかな物では無く、なんだか新しい物質を見つけた科学者のようだった。
「あ、はい。主治医によると、大事なのは成分ではなく、自分がそれをコーヒーと認識してるかどうからしいです。だから、味は違くても今小豆さんが飲んでるカフェオレは、僕にとってコーヒーみたいなものなので飲めないんです」
「へぇ、要は湊人くんのニュアンス次第なんだ……じゃあ、昨日はコーヒー飲んだの?」
「……いえ」
実は、今ふと話に出てきた内容が、僕が最近一番困っている出来事だ。
「実は、最近トリガーがわからないんです。というか、いつ別の僕が出てくるかわからない」
「……」
きっと主治医もこれを聞いたら小豆さんと同じような顔をするだろう。困惑と同情が合わさったようななんとも言えない表情を。
「まぁ、大体わかった。じゃあ、また来るね」
「……え?」
「確かに今の状況はとても苛々するし、納得したくない。けど、私は昨日ミナトくんに恋をしちゃったの。確かに君には関係ないかも知れないけど、一応あれも自分なんでしょ?ならしっかり責任取って貰わないと……ほら、あんな事になっちゃったわけだし」
「ま、まぁそうだけど……でも」
「じゃ、次回来る時は前もって連絡したいから、これ渡しとくね。さよなら」
小さな紙切れに何かメモをした小豆さんは、テーブルの上に叩きつけるように置いて、椅子に掛けてたコートとバッグを持ってそそくさと出て行った。
「あ、せめてお見送りくらい! って……行っちゃったか」
声をかけようとした時には、既にドアが閉まる音がした。これはまた面倒な事になったな。そう思いながら、僕は寝室に戻り、倒れるようにベッドに飛び込んだ。
ベッドのシーツにはまだ甘い蜜のような香りが漂っていた。一旦仰向けになり、全身の空気を抜くように深く息を吐く。
あれもこれも今の惨状も、結局はあの人のせいだ。そう思うと同時に、あの時なぜ僕があの人にフラれたか、その原因を思い出してしまった。忘れたいくらい苦い思い出。
コーヒーのような深みも無く、セメントのようにべったり張り付いた嫌な苦さ。
「結局は、ボクのせいなんだよな」
ぽつりと呟いた僕の小さな独り言は、誰にも認知される事もなく、空気となって部屋中に俟った。
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