全部ウイルスのせいだ

蛇喰蛇夢

第1話 全部あいつのせいだ

 朝目覚めると、目の前に裸の女が1人いた。

 なるほど、まだ僕は夢現ゆめうつつらしい。昨日の記憶が全く無く、前頭葉ぜんとうようあたりにズキズキとした痛みの稲妻いなずまが走る。


「……ん、もう起きたんですか?」


 どうやらこの夢は明晰夢めいせきむと言われるやつみたいだ。これが夢である事を自分で自覚出来ている。故に、妙に感覚が段々研ぎ澄まさて行くのも、目の前の女にとてもリアリティがあるのも納得できる。明晰夢万歳。


 とりあえず僕はどうすれば良いのだろう。流石さすがに童貞を今まで守り抜いてきた僕が、一糸纏わぬ女を例え夢であろうと長時間直視するのは危うい。心拍数が上がり、生命の危機を感じた僕はとりあえず女からそっぽを向いた。


「もう、今更何恥ずかしがってるんですか?」

「あひぃっ!」


 今まで生きてきた人生の中で一度も経験した事のない感触に脳が危険信号を示して、一瞬体がビクンと痙攣けいれんする。

 なんだこの感触、柔らかい。柔らかいけど、ねっとりと僕の体に吸い付くような……そして生暖かい。ん、生暖かい? というか、これ夢じゃなくね?


「というかなんで僕裸!?」


 思わず声に出してしまったくらい驚愕の新事実が発覚した。僕が裸という事と、女が僕を抱き枕の要領で後ろから抱きしめている事。そして、


「夢じゃないよねこれ……ははは」


 このリアリティのある感触だったり、寝起き特有の喉の渇きだったり、どうやら僕は人生初の朝チュンをしてしまったようだ。

 寝起きの僕の反応が彼女のお気に召さなかったみたいで、僕から離れ、懸念の表情を露骨に顔に出した彼女は、ゆっくりベッドから上半身を起こした。彼女の瞳のかすみ具合は、もはや黒炭こくたんか何かだ。


「え、まさか覚えてないの?」

「はい! 全く心当たりがございません! 誠に申し訳ございません!」

 

 野球部張の威勢いせいの良い返事が寝室一体に響く。そして僕の脳内に、さっき自分が言い放った取り返しのつかない発言が、まるで甲子園開始時のサイレンのように頭にガンガン響渡った。実際甲子園行った事ないからわからないけど。


「え、じゃあ私の顔を見ても皆目検討が付かないって事?」

「はい!」

「じゃあ昨日の事とか全部覚えてないの?」

「はい!」

「ちょっと、それどういう事!?」

「わかりません!」

「真剣に聞いて!」

「……はい」


 確かに彼女が僕を怒りたい気持ちはわかる。自分の「はじめて」を奪った男が、こうも自分の事を忘れていたら、僕だったらぶちのめしたい。そこを彼女はきちんと冷静に対処しているのだ。余程好きになってしまったのだろう。きっとあの時僕の体にいた、第二の僕を。


「……とりあえず、状況を整理したいから服着てくれない?」

「はい……あのー」

「話はそれから。私も一気に疲労感が来たから、コーヒーでも入れてくれない?」

「……了解です」


 慌てて服を着る僕を尻目に、黒い下着をまとった彼女はゆっくりと丁寧にワイシャツのボタンを上から止め、ため息を溢している。

 今更ながら、僕は彼女の事を意識してしまっている。やはりどう足掻いてもあの時の感覚、触覚、甘い蜜のような声がフラッシュバックしてしまう。そしてベッドを境に着替えてる彼女をどうしてもチラ見してしまう。


 黒い髪は短髪で所々癖毛になっていて、西洋人形の如く鮮やかな眼球の中央にきらめく、セレンディバイトの様な黒く奥深い瞳。長い睫毛まつげがシュッとしたアイラインを際立たせ、大人の艶やかさを醸し出している。それに加えて、凛として美しい鼻と、桜の花弁はなびらの様な色の唇。一つ一つの綺麗で繊細なパーツを雪の様な肌が包み込む。正に絶世の美女ではないか。


「あの、こっち見ないでくれる?」

「すいません……」


 僕の視線を直ぐに理解したという事は、やはり他の男にもで見られているのだろう。

 本日、いや昨晩をもって僕の卒業式は終わった。最悪の形で。

 だが、口がけても最悪だとか、そういう事は絶対言ってはいけない。


「あ、私ブラックは飲めないからカフェオレでお願い」


 それはきっと、平然をよそおっている彼女も同じなのだから。


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