お家賃二万、地縛霊付き
引っ越したのは駅から五分の3LDK一軒家。築十年、南向き窓の開放的な間取り、オール電化にWi-Fi完備で女性も安心オートロック付属とまさに申し分なし。しかも事故物件、曰く付きときたもんだ。
茨城の実家から東京に出てきて小さなデザイン事務所に勤務するも、滅茶苦茶なノルマと上司からのパワハラ・セクハラによって心身共に疲弊した私は、わずか一年で退職してしまった。上京する際に父親と大喧嘩したせいで実家には帰れず。現在はフリーターとして細々と食いつないでいる。そんな私にとって、お家賃二万円の当物件は魅力的以外の何物にも映らなかった。
はてさて、段ボール(中)二箱分のささやかな荷物を解いて、段ボールをテーブル代わりに悠々とお茶を飲んでいた時のことだった。
——目の前に、二メートルはありそうな長さの黒髪を垂らした少女が座っていたのは。まん丸の空色をした二つの瞳が私をじぃっと見つめている。
「ふーあーゆー?」
「あいむ地縛霊」
——なるほど、地縛霊かぁ〜。めっちゃ発音良いし。霊も英語できるんだなぁ。
なんて馬鹿な話があってたまるか。まだ前職のダメージを引きずっているみたいだ……。引っ越しの疲れも出ているかもしれない。早く布団に入って横になろう。
私はクッションも敷かずに座っていたフローリングの床から立ち上がる。
「あの——」
「っっっひえええええええええおたすけえええええええええっっっ!!!」
踵が滑って硬い床に背中を打ち付ける。痛みに悶えるのもそこそこに、私は玄関に向けてずるずると仰向けのまま芋虫のように進む。ところが、何かに後頭部が衝突して遮られる。硬いそれに必死に後頭部を打ちつけながら、一向に遠ざかってくれない少女との距離に全身総毛立つ。
「落ち着いてください。死んじゃいますよ。わたしはそれでも良いですけど」
少女の姿をした自称地縛霊はふわりと私の頭上に浮かぶ。黒い髪と赤いワンピースの立体的な裾がなびいている。
「とと、と、飛んでる……っ」
「はい、大丈夫ですよ。落ち着いてください」
少女は、散々叩きつけてずきずき痛む頭に手を添えて、赤ん坊を抱くように身体を起こしてくれる。
「わたしが見える方に出会えるのは初めて。歓迎しますっ」
頭を撫でられる。ぐらぐらした思考が落ち着いてくる。こうして他人に抱きしめられるのはいつ以来だろう。そう思ったのが契機だった。
「あ————」
「はい」
「————う、うわあああああああああ……っっっん! 怖かった、怖かったよおおお、ムカつくよおおお、人生返せ、ハゲ上司いいいいいいっ!!!」
恋人いない歴イコール年齢、仕事と同時に人間関係も失った私は堰を切ったように涙をこぼしながら叫ぶ。大人気ないとか地縛霊の胸の中だとか、考えている余裕はなかった。
滝のように流れ出た涙と鼻水はようやくおさまった。
段ボールの差し向かいに少女が座っている。あどけない少女だった。肌は色素が薄くて、よく見るとちょっと透けていた。落ち着いて観察すると、少女の衣装には見覚えがある。ベロアの深い紅に真っ白なフェイクファー。フードが付いていて、胸元には緑色のリボンが巻かれている。
——サンタクロース?
「クリスマスの夜に死んだもので……」
しげしげと見つめていた私の視線に耐えかねたのか、少女は頬を染めて語る。
それは十歳の頃——頭が入るくらいの大きい靴下を枕元に用意して眠っていたところ、七面鳥を焼いたグリルが不完全燃焼を起こして、一酸化炭素中毒で家族全員帰らぬ人となったそうな。ははん、それでオール電化になったんだな。
「で、あなただけ幽霊になったの?」
「地縛霊です」
「こだわるわね」
「幽霊と地縛霊は違います。地縛霊を名乗って良いのは、地縛霊組合発行のパスを持ってる人だけなんです!」
「わ、分かったから……っ」
少女は熱弁をふるうと、首に下げたパスポートのような手帳を私のおでこにぐいぐい突きつけてくる。——痛い。
「ゆ——地縛霊なのに、触れるんだ」
「気合いで」
「ふぅん——。気合い入れてるときって、他の人にも見えてたりするの?」
こうして幽霊——もとい地縛霊と話すの初めてなので、色々と聞いてみたくなった。さっきまでリビングの扉に後頭部を打ちつけていた奴が何を言ってるのかと思うけれど、少女があまりにも可愛らしいのでどうでも良くなった。頭のネジをどこかに落としたのかもしれない。
「見えません。見えるのと触れるのとは違うんですよ。パスを持ってれば一方的に干渉できますけどね」
「つまりあれか。金縛り的なの」
「ええ。そうですね。おかげで、以前に住んでいた方には出て行かれてしまいましたけど……」
少女は残念そうに目を伏せる。不意に思いつく。
「手繋いだりとか、できるん?」
「——え?」
空色の双眸が見開かれる。
——地縛霊でも驚くことってあるんだなぁ。
「いや、そうしたら寂しくないかなと。私も、あなたも」
「変わった人ですね……」
「嫌ならいいよ」
「まあ、やってみましょうか」
少女が私の手のひらに手を重ねる。気合の入れ方は霊それぞれだそうで、少女の場合は声を出すことだった。
「えいっ」
——おお。
さっき私の頭を支えた時と同じ。それは間違いなく人の手の感触だった。
「触れた。案外あったかいのね。死体くらい冷たいのかと思った」
あまりに真っ白な肌をしているものだから。もちろん死体を触ったことはないけれど。
「いえ、死体じゃないですし。魂の温度ってやつです」
「ほー。身体が冷たい人は心が温かいみたいな感じ?」
「その例えは微妙です。身体ないので」
少女が苦笑する。でも、悪いようには思っていなさそうだ。その口許を手でおさえる仕草も愛らしくて。
「まあ何にせよ」
私の手に触れた少女の手の甲に、優しく口を寄せる。
「よろしく、我がルームメイトよ」
さすがに地縛霊でも引いたかな。こういう王子様的なやつに、ちょっと憧れていたのだ。少女の人形のような愛くるしさも手伝って、思わずやってしまった。
しかし、少女は頬を染めて、私の跡に重ねるように、自らの手の甲に口づけする。
「はい、よろしくお願いします!」
何とも言えないこそばゆさを感じる。お家賃二万、事故物件——地縛霊付き。それはとっても耳寄りな、胸躍る毎日になるような気がした。
「あ。布団、半分使う?」
「地縛霊は寝ないので結構です」
「あっそ……」
それはとっても残念な情報だった。
***おしまい***
ユリ色、ユリ模様、 白湊ユキ @yuki_1117
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