小学生のブルース


「トトロだ」


 あたしがうっかり口にした一言は仲間内から、すぐにクラス中に広まった。今にしてみると、可哀想なことをしたと思う。

 フレームの小さい丸眼鏡越しのつぶらな瞳。ずんぐりとして足の短い体型。それが私に、森の中に昔から住んでいるでかいやつを想像させたのだった。

 見た目通りと言うべきか。性格は温厚でゆっくり喋る。カレーが好きな大食漢。しばらく観察してみたが、意外性の欠片もない人だ。森の奥で寝てばかりいるのがお似合いだと思う。さらに、その人の苗字はミヤザキさんと言った。『宮前』と書いてミヤザキ。

 ここまでくるとあまりに出来過ぎて、冗談のようにしか聞こえないけど、事実なのだから仕方ない。本人には悪いけど、笑えるお話である。


 唯一笑えないのは、今日から姉の名字も『宮前』になるということだ。


 送迎バスの前扉が開く。折り畳まれた扉の向こうを見上げると、運転席には宮前先生が窮屈そうに収まっていた。


「ネコバスだ。トトロがネコバスに乗ってやってきた」


 またしてもあたしが不用意に口にした一言に、クラス中が笑いに包まれた。


「鷹幡、先生は悲しいぞ……」


 宮前先生は丸眼鏡の向こうで小さな瞳をさらに細くする。

 ——何が悲しいよ。自分ばかり幸せそうな顔をして。

 十歳離れた姉は開けっぴろげな性格で、人にも自分にも厳しい。でも、あたしに対してだけは優しくて、いつも抱きしめてくれる温かい人だ。

 小学生じゃなかったら、こんなヤツにやすやすと姉を取られるようなことは許さなかったのに。想ってきた時間も想いの大きさだって、自分の方がずっと上に違いないのに。

 その上、大好きな映画を観るたびにヤツの顔がちらつくんだと思うと、無性に腹が立ってくる。やっぱり可哀想は撤回だ。


 あたしはバスに乗り込み、先生の足を思いっきり踏みつけた。




   ***おしまい***

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