しろい生活

サンド

1

 さざ波が宇宙を掻っ攫ってくれたらいいのにね。今朝つわりがきて、眉を八の字にして笑っていた母と同じ顔の由奈を見つめていた。由奈は馬顔、高身長、低音ボイスの男で、由奈は自称で本名は裕太。でも由奈は美しい。素足をやさしく撫ぜる波よりもずっと美しかった。


 そのうち雪が降らない街にガラスが降ってきたように、由奈から抱えきれないほどの言葉の暴力で傷ついた私は福岡に戻った。でも心内で馬顔ってゆった私が受ける罰としては当然なのかもしれなかった。福岡の電車は車両が少ない。だから結局東京と一緒で満員電車が出来上がってしまう。駅員に知り合いはいないのでもっと電車の本数を増やして労働しろ、と電車で叫んでいたら満員電車が解消されたので、しばらくわたしはこの方法で満員電車を避けていくことになる。無論、それでも電車内は窮屈だ。もっと人を遠ざける方法はないかと模索していたら隣のじじいのスマートフォンに良さげな方法が載っていた。わたしはこれを文章に昇華するにあたって「不謹慎」という言葉がチラついたので言葉狩りをするやつを狩らなければ、と思った。そのためには仕事を続けている時間もないので、今夜は退職届を書くという予定が決まった。良い予定があるってなんだかしあわせ。ニートになったら何をしよう。大学に侵入して、大学生に混ざって講義でも受けてやろうかな。わたしは童顔だから別に問題ないし、というか童顔じゃなくても大学の講義なんて忍び込んでも問題ないでしょう。そのシステムはどうなんだろう。授業料のこととか……いや、難しいことは考えたくなくて、周りの客をくらげと思い込むことにした。車内が海。くらげ大量発生で「ヒト」は来ないし、そう考えたら電車が快適になってきた。でもくらげに刺されると痛いので極力触れていなかったが、大声を出した影響かわたしに触れてくる輩は誰一人としていなかった。それでいいのだ、それで。


 海が好きだ。由奈も海が好きだったけど、同じ海を見ているのかもしれない。いや、日本海と太平洋でそもそも違った。つらいな、由奈とわたし、繋がってないんだ。わたしは競馬が好きだから由奈の隣にいるとご利益がある気がしていたのだ。だから馬顔と呼んでいたのだけれど、由奈はこの先一生馬顔と呼んでいた理由について知り得ないだろう。わたしはもう東京には行かないだろうし。

 電車を終点で終わる時、人生を重ねてみた。終点駅に好きな駅がないので、どこかのタイミングで途中で下車することは決めた。無駄無駄無駄無駄と叫んだ漫画をわたしはみたことがないから、無駄なものなんてこの世にないんだ。自死だって無駄じゃない。そう思わないと隣の幽霊が今すぐにでもわたしを呪って、テキトーな崖から突き落としそうな気がして。それはそうとくらげも汗をかく。なんで海と汗が混ざらないのか腹を立てていたら車内だったんだ。現実を知らせてきた人間は全員抹殺したい。由奈と一緒に抹殺するんだ。それがわたしの夢。その先のしろい生活を待ち望んでいる。

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しろい生活 サンド @sand_

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