月の陰
@ns_ky_20151225
月の陰
二人は向かい合って正座している。下座の若者と上座の老人の間には一本の矢が置かれていた。
「わしは隠居する。いや、なにも言うな。これほどのものが作れるようになったのだ。家中皆異存はない」
「しかしながら、殿は?」
「それも心配無用。城への根回しは済んでおる」
満月が座敷にまで入り込んできて矢を撫でていた。
「わしはな、嬉しゅうてならぬ。この矢を作り出したのみならず、その技を息子に継承出来た」
若者は軽く頭を下げた。しかし、父親はその顔の陰を見逃さなかった。
「まだこだわっておるのか」
「はい。矢は矢。優れていようといまいと武器は武器。目的は人殺しです。故に人の道に適わぬのではと考えます」
「まだあの僧共と付き合っておるのか。教養のためと思うておったが大概にせい」
「お言葉ですが、父上からは良い矢は人の道に適っていると教わりました。しかし、そもそも戦がなければ矢そのものが不要にござりませぬか」
老父は顎を撫で、穏やかな声で話す。
「確かにそれはその通り間違いない。戦がなければ武器もいらず、その分で鍬や鎌を作れば民百姓はどれほど助かるか。それが僧共の言い分であろう? だが、それは画餅であるとお前も分かっているはずだ」
灯りが揺れた。さらに言葉が続く。
「わしもお前くらいの頃に悩んだ。戦がなぜ起こるのか。問題を解決するのに力でねじ伏せるような方法しかないのか。背中に刃を隠さなければ話し合いも出来ぬのか、とな」
矢を手に取り、出来を確かめるように親指の腹を這わせた。
「答えは分からぬ。今でも分からぬ。が、戦は止められずともそのむごさを少しでも和らげられぬかと思った。そのためには優れた武器を作ればいい。わしの場合はお前が受け継いだこれだ。この矢だ」
灯心を掻き立て、矢筈から鏃まで舐めるように確かめる。
「見事だ。これなら急所に当たれば即死、怪我なら後々まで引きずりはしない。死ぬるにしても無用の苦しみを与えず、治るのであればきれいに治る。技の極意を会得したな」
若者は灯りから目を背け、満月が降り立っている庭を見た。池は鏡だった。
「人が人を殺める。それが人の道でしょうか。そして我らは人殺しの道具が良く出来たと喜んでおります。それは百姓が豊作を喜ぶのとは全く異なった、おぞましい喜びではありますまいか」
「よく悟ったな。お前は技だけの職人ではない。心も家督を受け継ぐにふさわしい」
父は息子の目を見た。月と灯りがあった。
「歯を食いしばれ。耐えよ。この世のありとあらゆる理不尽がこの矢に凝縮されておる。お前は一本仕上げるたびに戦場のむごさをごくわずか和らげた喜びと、戦そのものは無くせぬ無力さに引き裂かれるであろう」
「耐えるのみでしょうか。何か出来ぬのですか」
「我らにはその方面の力はない。分かっておるはずだ。家を少し修理するだけでも城への届け出がいるくらいだぞ。お前が有り難がる僧共すら理屈をこねるばかりで行動は出来ぬではないか。した瞬間焼き尽くされるからな」
「救いは?」
「ない。もっと人々が苦しみ、心の底からもうこのような矢は作りとうないと思えば救われるかもしれぬが、今はない」
若者は深く頭を下げた。
「父上のお苦しみ、よく分かりました。そして、これからは私がそれを継ぎまする。より一層刻苦勉励し、我が家名に恥じぬ矢を作ると天地神明に誓いまする故、これからも変わらずご指導、ご鞭撻をお願いいたしまする」
言葉の殊勝さとは裏腹に絞り出すような声だった。父は息子の上げた顔を見て答える。
「月は闇夜を照らすだけではない。月光には陰も含まれておる」
二人の目の中にはそれぞれ異なった月が浮かんでいた。
了
月の陰 @ns_ky_20151225 @ns_ky_20151225
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