第41話 騎士は姫君を助ける
おれは物言わぬ肉塊と化したトムの腹から下りた。
「……」
大きく息を吐く。感情をリセットする。
時間を食ってしまった。急がなければいけない。
盗賊団の誰かに発見されれば終わりだ。正面から立ち向かえば殺される。不意打ちでしか勝ち目がない。
具体的に、攻撃力と防御力にどれだけの差が生じればダメージが通らなくなるのかは知らない。ただ、この数値の相関は防御面だけでなく攻撃面にも適用されると考えている。
つまり、盗賊団の連中の攻撃をまともに食らえば、おれの防御力とHPではきっと即死する。
トムはわずかに声を出していた。誰かに聞かれた可能性もある。
おれは家の外の気配を探り、息を潜めた。まだパレットが残っている。せめて本命を見つけるまでは発覚して欲しくなかった。
そっと壁に耳をくっつける。
《アクティブスキル発動:ショッククラフトLV5『雷の槍』》
おれは反射的に床に伏せた。
一度、フィズの家で見ていたおかげで反応できた。壁の外から放たれた雷の奔流はおれの頭を掠め、反対側の壁を貫通し、爆散とともに家屋の上半分を吹き飛ばした。
戦塵が舞い起こる。おれは咳込みながら、来襲者の姿を探した。
「どういうことだ、こりゃあ……」
真っ白な外套で身を包んだ男が立っていた。寝起きなのか、気怠そうに黄色い髪を掻いている。
パレットだ。
大本命に気づかれてしまった。
この男は盗賊団の中で一番ステータスが高い。他の連中と桁が違うため、具体的な硬さや強さがイメージできなかったほどだ。
対峙した状態で手に終える相手ではない。早々にこいつの寝床を特定しておくべきだったのだが、他に時間をかけすぎた。とはいえ、寝込みを襲っても殺せるかどうか自信はなかったが。
「お前、誰だ?」
パレットの視線がじろりとおれを捉える。
「お前がカフェ・ガリアーノの言っていたユウ・ヒミナか?」
カフェの名前が出た。やはり盗賊団との関係性はあったようだ。
「どういうことだ? ユウ・ヒミナは魔法もスキルも使えないガキだと聞いていたが……わずかだが魔力を感じるぞ」
パレットはトムの死体を一瞥し、改めてこちらを視線を向けた。
返り血で真っ赤に染まったおれの外套と、握り締めたままだった血塗れのナイフを訝しげに見比べている。
「いま、おれの『雷の槍』を躱しやがったな? どうやった? お前の服についている血は誰のものだ? まさか、お前がトムを殺ったのか?」
パレットがじりじりとこちらに歩み寄る。剣は抜かれていた。
意外にも、冷静におれの力量を測っているようだった。残念ながら警戒されるほどの力は持っていないのだが。
《HP:67/91 MP:79/83》
自分のステータスを確認する。先ほどの衝撃でHPが20も減った。
雷が弾けた際の余波だけでこのダメージだ。
まったく嫌になる。人体の急所を何ヶ所か損傷させても盗賊団の連中はなかなか死んでくれなかったというのに、一方のおれはこんなおまけみたいな攻撃で床にうずくまったまま動けなくなっている。
たしかに、いまのをあと三回も繰り返されれば死ぬ気はするのだが。全身をなかなかの激痛が襲っていた。
パレットの爪先がおれの鼻先に置かれる。
「その血、一人分じゃないな。何人殺した?」
たしか十四人だ。いや、トムを入れて十五か。
「覚えてないな」
おれは適当に答えた。
パレットが周囲を見渡している。
派手に家屋が倒壊したにも関わらず、誰一人として顔を出さない。盗賊団の正確な数は把握していなかったのだが、まさか部下は十五人で全員だったのか。
つまり、とんだ大当たりをおれは最後に残していたわけだ。
「っ……!」
パレットに頬を蹴り上げられる。
口の中に血の味が広がった。痛い。
「どうやって殺した。他に仲間が隠れてるだろ? どこだ」
仰向けにひっくり返ったおれの喉元に、剣の鋒が添えらえた。
「なぜ仲間がいると思う」
「盗賊の集団だぞ。ガキ一人になにができるんだ」
「ガキ一人に殺される無能の集団を、この世界では盗賊と呼ぶのか」
ぴき、とパレットの目が細められた。
挑発したつもりはない。本音だった。
恐らくこの世界では医療や科学の水準が低いだけでなく、闘争に関わる軍事的な知識も洗練されていない。だから練度が低く、立ち回りも杜撰だ。
元の世界のスラムでよく見かけた小規模な窃盗団の方が何倍も手強い。兵役を経た人間が混ざっていたりするからだ。
そのため、ソラが警告したように無謀なカミカゼ特攻のつもりはなかった。最低でも十人くらいは殺すつもりで盗賊団の拠点に乗り込んだ。
もちろん覚悟はしていた。
パレット以外を全滅できたことは僥倖だった。さすがにどこかで潜入が発覚すると思っていた。ただし、一番の難所はまだ残っている。
「お前に盗賊ってやつを教えてやる」
パレットに外套の襟を掴まれた。おれの体が宙に浮く。
同じ大きさのぬいぐるみを持ち上げるかのように軽々とした動作だった。
「拷問と陵辱、どっちが好みだ?」
おれの鼻先で、パレットが歯を剥いて唸った。
瞳の奥に憤激が見え隠れしている。すこし刺激してやれば爆発するであろうことが簡単に想像できた。
距離が縮まったせいで嫌な臭いが香った。なんの臭いだ?
体臭ではない。薄汚れた格好の部下とは異なり、この男はとても清潔な服に身を包んでいる。髪もきちんと洗髪されていた。
薄いが、青臭い植物性の香り。わずかに甘い。しかし不快だ。
パレットの恐嚇が続く。
「お前、痛みなんて平気だって顔をしているな。じゃあ、陵辱か。痛いからやめてくださいって泣いて詫びるまで、顔を殴りながら犯してやろうか? 顔のパーツを順番に切り落として、最後は腹を裂いてから精子を塗りたくった子宮を取り出してやろうか?」
できるものならやってみろ。おれに子宮はない。
たしかにパレットは難敵だ。正面からでは絶対に敵わない。だからといって大人しく死んでやるつもりはなかった。
この男は気に食わない。
非戦闘員が口にするワインに毒を仕込ませたりと、いくら交戦のためだとはいえ手法が最低限の倫理から逸脱しすぎている。
だからおれも道徳や体裁なんてものは気にしない。
卑怯だと罵られようとも敵は背後から襲うし、例え追い詰められたとしても手が尽きるまで惨めったらしく抵抗してやる。
たしか、こんな言葉があった。おれの生まれた国の諺だ。
不用意にネコがネズミに近づけば噛みつき返される。
「獲物を前にべらべらと……。お前は本当に、力が強いだけのチンピラだな。鳥ほどの脳しか持っていないから、パレットという名なのだろう」
首が締まっていたが、どうにか声は出た。
「なんだと?」
「敵の両手が見えない距離まで接近するなと言ったんだ、このオウム頭が」
どす、と肉を突き刺す音がした。
「……あ?」
パレットの脇腹にナイフを突き立ててやった。
油断していたため簡単に腹筋は貫けた。本当は肝臓を狙いたかったのだが、手が届かない。胃で妥協してやる。
ナイフを引き抜く。真っ白な服に血が滲む。
「こ、のっ……」
致命傷ではない。だが、無視できるダメージでもない。
パレットは反射的に腹を庇い、その拍子におれは解放された。
尻から着地する。痛い。
よろめき、パレットがおれを睨む。
爛々と血走った目が殺意に染まっている。
用意に想像できた。いまからこの男の理性は破裂する。
ダルモア村でソラに向けて激昂した時のように、怒りと憎しみが混濁したどす黒い感情の噴出が起こる。
パレットの体から紫電が迸った。
「ガキいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!」
怒号とともに剣が振り上げられた。
これでいい。
さすがに一人で犯罪者の集団を全滅させるなんて都合がよすぎた。最後に一矢報いることもできたし、むしろ上出来だ。
今後、パレットは部下を頼ることができなくなる。人員を募って再建するにしても時間がかかるだろう。
その隙に、生き残ったダルモア村の連中は身を隠すべきだ。
生存者がいることはバレない方がいい。特にソラはダメだ。あいつがもっとも盗賊団に損害を与えている。殺し損ねたことが判明すれば、パレットの矛先が向いてきっと収集がつかなくなる。
だからソラを置いて、おれは一人で敵の拠点に乗り込んだ。
おれを殺せば、パレットも自分の矜持に言い訳ができる。
伏兵を疑っているみたいだが、ダルモア村の跡地までのこのこと一人で様子を窺いに行くほど暇でもないだろう。
おれが死ねば、ソラを危険から遠ざけることができる。
価値のない穀潰しの命の使い道としては最適解ではないだろうか。
最後に人の役に立てることができてよかった。
ソラも喜んでくれると嬉しい。
これでいい。
本当に、これでいいと思っていたのに。
《アクティブスキル発動:ヒートクラフトLV5『炎の槍』》
突然、パレットの上半身が爆炎に包まれた。おれにはそう見えた。
ただ『レファレンス』の声のおかげで、辛うじて魔法による奇襲だと判別できた。遥か後方から伸びた炎の束が、おれを斬り殺そうとしていたパレットに命中し、爆散したのだと。
あいつの魔法だ。
振り向く。こちらに駆け寄る姿が見えた。
怒りに満ちた顔で、ソラが吠えた。
「『竜の息吹』!」
《アクティブスキル発動:ヒートクラフトLV6『竜の息吹』》
熱に怯んだパレットの眼前に、ソラが左手をかざす。
指向性を持ったどす黒い爆炎が掌から放たれた。ナパーム弾が人体に直撃したような光景だった。
夜陰に包まれた盗賊団の拠点が、一気に明るくなった。
尻餅をついていたおれは、参上したソラに片腕で抱き抱えられた。乱暴な動作だった。舌を噛むかと思った。
「お前、なんでっ……!」
文句を言おうとして、おれは口を噤んだ。
ソラが怒っている。村でアルゴンキンが殺された時に見せた表情と一緒だ。
おれの肩を抱く力が強い。パレットに向けた鋒が震えている。猛り狂う激情の渦を隠そうともせず、燃えるような殺意を放っている。
「この子になにしてるんだ……」
ソラが呟く。火の粉が舞う。
ばふ、とおれとソラの周囲で炎が踊った。
その姿は、とても姫君を助けに馳せ参じた騎士には見えなかった。
「パレットオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
まるで龍のような怒りだった。
少女(?)転生 白井あひる @siroiahiru
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