第40話 偽りの仮面

 トム・コリンズは目を覚ました。


 ほんの少しの間、微睡みに意識を預ける。


 部屋の中が暗い。いまは夜か。

 どれくらい寝ていたのかはわからない。ダルモア村から帰還し、自室のベッドに倒れ込むなり気絶するように眠りに落ちてしまった。


 それもこれも、ソラのクソ野郎のせいだ。容赦なく『竜の息吹』を射ってきやがった。人のことを殺す気か?


 炎が直撃する寸前、どうにかパレットの背後に避難したおかげで全身が消し炭になるような事態は免れることができた。

 それでもHPを半分以上は失った。ウチの盗賊団にはヒールカテゴリを使える者がいない。自前の薬草で傷を癒しはしたが、全快まで数日は要するかもしれないと考えていた。


 ソラ・シーブリーズが毒を飲んでいなかったのは残念だった。


 ダルモア村の自警団の手強さは知っていた。

 特にソラだ。あの『赤い衣』の息子というだけの強さはあった。

 正々堂々と挑めば分が悪い。パレットは生き残るだろうが、他の味方が壊滅してしまう可能性があった。だから機を見て一網打尽にしようと、あの村の侵略を後回しにし、自分が行商人に扮して村人たちに接近していた。

 

 演技よりもパレットを抑えることの方が苦労した。

 躁鬱が激しく、とても感情的な男だからだ。


 ダルモア村の連中に仕事を邪魔されるたびに、あいつは部下の誰かの指を切り落として怒り狂っていた。

 本当はレッドライガーも温存しておきたかったのだが、しかたがない。

 人的な損失を被るよりはマシだ。


 しかし、わざわざ村人を効率よく全滅させるために『花まつり』の日を待ったというのに、よりにもよってソラがワインを飲まなかったとは。


 ワインの仕込みには日数を要する。


 誰かが先走って毒を口にすることがないように、ローレンスパイスはわざと祭事の前日に納品した。乾燥した種子からすぐに毒素は浸出されない。

 味見の段階ではまだ健全な液体だったはずだ。


 もちろん、全員がワインを飲むとは限らない。症状が出れば誰かが毒を盛られたことに気づくだろう。


 まぁいい。ソラはパレットに殺された。自警団の連中も全滅した。


 不満が残るとすれば、村の女を犯せなかったことくらいか。火傷による激痛で苦しんでいたせいで、生き残りの捜索に参加できなかったためだ。


 とはいえ、若い女は血液量が少ないせいで毒が回りやすい。

 自警団の男たちを嬲り殺すことが目的であったため、致死量に達することがないようローレンスパイスの種子の数は調整はした。だが、女子供の中には耐えきれず死んだ者もいたはずだ。


 フィズ・ソーダは生きていただろうか。あれは美人だった。前々から犯してみたいと思っていた。


 ユウ・ヒミナもいい。愛想はないが、整った顔の少女だった。あの仏頂面が涙と恥辱に歪む姿を見てみたかった。


 まったく残念だ。


「ん……?」


 そこでやっと気づいた。何者かに顔を覗き込まれている。


 少女だ。

 

 美しいと思った。赤い衣を身に纏い、無機質な瞳でこちらを見下ろすその姿は、人形に似た不気味さと精巧さを兼ね揃えていた。

 

 つい見惚れてしまった。

 頬に貼りつく薄墨の髪が、とても綺麗だ。

 氷を研いだかのように鋭く細められた双眸に色気すら感じた。


 名前を聞こうとした。


「あっ……あっ……」


 声が出なかった。


 喉から空気が漏れる。

 刺されている。ナイフが首に突き立てられている。


 柄は少女が握っていた。その顔に見覚えがあった。


「なん、で……ここにっ……!」


 ユウ・ヒミナだ。


 このガキ、どうやって拠点に忍び込みやがった。


 少女の外套は頭から裾までが赤に塗れていた。

 大量の血だ。これは本人の血か?

 いや、待て。そもそも見張りがいたはずだ。今日の担当はロブだったか。あいつはどうなった。まさか、こんなガキに殺されたのか?


 他の連中は? 誰も気づかなかったのか?

 いったい何人分の血を浴びれば、ここまで全身が真っ赤に染まる?


 ユウ・ヒミナは魔法もスキルも使えない、ただの人間ではなかったのか?


「このっ、クソガキ……! てめぇ、……誰に、手を出した、か……わかってんのかっ……!」


 あらん限りの力で叫ぶ。どうにか声は絞り出せた。

 ごぼごぼと、血の泡が飛んだ。

 力が抜けていく。出血量が尋常ではない。天井を向いているのに首から噴き出す鮮血が見える。このままでは死んでしまう。絶対に嫌だ。


「おいっ……! なにか、言え……聞こえて、んのか……っ!」


 ユウ・ヒミナはなにも答えない。表情に温度がない。


 恐怖を感じた。なんなんだ、こいつは。

 以前に会った時と雰囲気がまるで違う。すぐに正体に気づかなかった理由は、外套で顔が隠れていたためではない。


 ユウ・ヒミナが瞳を細める。長い睫毛が揺れる。 

 凍えるような視線だった。たしかに、彫刻であれば美しい。

 だがこいつはいま、村を襲った盗賊団の一人を殺めようとしている。仮にも仇討ちを果たすその瞬間でさえ無感動であることは、人としてなにかが欠落している証拠ではないのか。もはや気味の悪さしか感じない。


 パレットは他人をスライムかなにかだと思っている。

 こいつはそれ以下だ。殺害の対象を、生物としても捉えていない。


 なんなんだ、こいつは。



 ◆



 しぶとい男だ。


 おれはトムの腹に跨ったまま、ナイフを引き抜いた。噴き出た血が壁に飛ぶ。首の右半分を切り裂いてやったはずなのにまだ意識があった。


 カーソルを合わせ、相手のHPの残量を確認する。


《トム・コリンズ》

《LV:20》

《HP:22/248 MP:86/289》

《攻撃力:92 防御力:88》

《魔法力:121 敏捷力:243》


【アクティブスキル】


『ストレイシープ』


【パッシブスキル】


『ラピッドアビリティ』

『センスオブセント』


 トムの顔は屈辱に歪んでいた。こんな小僧なんかに殺されて堪るか、とでも思ってるのか。


 行商人としてダルモア村に顔を出していた男が、なぜ盗賊団と行動を共にしていたのか理由は知らない。知りたくもない。

 もうこいつを無害な一般人だとは思っていない。

 アルゴンキンがパレットに殺された時、トムが腹を抱えて大笑いしている姿をおれは目撃している。悪意に満ちた顔だった。敵だと認定する理由は充分すぎるほどだった。


 それに『レファレンス』が示してくれた。


《ストレイシープ:術者の魔力を魔物に与えることで支配下に置くことができる。使役が及ぶ魔物のLV、効果の継続時間は消費した魔力の量に比例する。対象の数に制限はない》


 レッドライガーを村に仕向けた人物はこいつだ。


 トムのスキルを覗く機会はあった。

 だが、おれが『レファレンス』を使いこなせていなかったせいで、スキルの詳細までは把握できていなかった。

 盗賊団が魔物を飼い慣らしてきることは聞いていた。もし『ストレイシープ』の効果を知っていたのなら、初対面の時点でトムを疑っていたはずだ。


 おれの責任だ。


 首謀はパレットだろう。だがレッドライガーの件にせよ毒入りワインの件にせよ、間違いなくトムが大きく関わっている。


 こいつさえいなければ。


「……」


 人を殺すコツは、命を突き放して見ることだ。

 自分の命も、敵の命も、ボードゲームの駒だと思えばいい。矛盾しているようだが、その方が死を回避できる。


 人間らしさなんてものを抱くから、無駄な情が介入する。隙を作る。


 どうせ死者に言葉は届かない。村人たちが蘇ることは決してない。

 だから、この場においてセンチメントはリスクでしかない。余計な真似はせず、迅速に、そして的確にこいつの息の根を止めるべきだ。


 世話になった人間が死んだからといって、なんだというのだ。


 そんなもの日常でしかない。おれはソラのように幼稚ではないから、冷静に物事を捉えることができる。


「ぐぇっ……!」


 ナイフをトムの顔面に突き刺した。


 おれの攻撃力は7、トムの防御力は88。相手が万全の状態であればダメージを与えることはできない。


《HP:21/248 MP:86/289》


 だが、ナイフの先端は頬の皮膚を貫いていた。 


 浅くしか刺さっていない。

 でもほんのわずかにHPを削ることができた。

 血液を大量に失い、体力が残っていないせいだろう。反撃する様子もない。防御力を維持することで精一杯といったところか。


「ぎ……あっ……あ、……やめっ……やべて……」


 眼球を、鼻を、舌を、喉を。

 何度も何度も何度も何度も滅多刺しにする。


《HP:15/248 MP:86/289》


 ナイフが突き立つたび、トムのHPが1ずつ減っていく。


 放っておいてもそのうち失血死するだろう。

 いや、何人もの盗賊を刺し殺してみて掴んだ感覚ではあるが、やはりHPが高い人間は生命力も高い。これくらいの血を流せば死ぬ、という経験則にすこし誤差が生じている気がする。


 魔法もスキルも使えない成人男性のHPは150前後らしい。ダルモア村の人々を『レファレンス』で覗いて学んだ。その平均値との差分が大きい者ほどなかなか死んでくれなかった。


 だから元々が硬い顔面ではなく、せめて急所を狙うべきだ。

 最後の力を振り絞り、トムに攻撃されるかもしれない。不必要に敵を苦しめている場合ではない。


 早く殺さなければ。


「いたいっ……いた、い……」


《HP:9/248 MP:86/289》


 わかっている。なのに、手が止まらない。


 フィズが死んだ。カフェも、アルゴンキンも。

 他にも多くの人間が死んだ。善良な者ばかりだった。どいつもこいつも、余所者のおれを受け入れてくれた。なんの役にも立たない穀潰しを追い出そうともせず、笑顔で声をかけてくれた。


 殺された。こいつらが殺した。


 こいつが毒をスパイスだと偽ってフィズに渡したせいで、ダルモア村の連中は殺されてしまった。


 こいつせいで、ソラが悲しんだ。


《HP:0/248 MP:86/289》


 トムが動かなくなった。


 音が止む。手が痛い。どうやらナイフを強く握り締めていたせいで掌の皮が剥けたらしい。静寂は空気を読まない『レファレンス』が破った。 


《経験値獲得:246》


《レベルアップ:ユウ・ヒミナ》


《ユウ・ヒミナ》

《LV:3》

《HP:88/91 MP:80/83》

《攻撃力:9 防御力:14》

《魔法力:22 敏捷力:37》


 うるさい。お前は黙っていろ。


 おれは冷静だ。どうでもいい。なにも感じていない。

 その証拠に顔だっていつもの仏頂面のはずだ。眉一つ動いていない。スマートな殺し方はできなかったが、トムの顔が腹立たしかっただけだ。


 何度も自分に言い聞かせる。


 返り血がおれの頬から顎を伝い、滴となって落ちた。『レファレンス』も黙って口を開かない。

 

 どうせ誰も見ていないのだ。一言だけ、自分に無駄を許す。


「あいつらを、返せ……」


 思ったよりも声が震えていた。

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