第39話 パッシブスキル

「あぁー、めんどくせぇな……」


 おれは松明を手に、夜の村を歩いていた。


 いまから見張りの時間だ。

 担当を交代するためにロブの姿を探す。

 本当は拠点の周辺を見回らないといけないのだが、今日は冷え込んだことだし、どうせあいつは入り口に置かれた篝火の近くでサボっているだろう。


 まったく、なんのための見張りなんだか。


 どうせ盗賊団の拠点に殴り込みをするバカはいない。

 警戒すべきは周囲の森に生息する魔物くらいだが、それもレッドライガーさえ生きていれば気にする必要もなかった。

 大半の魔物はやつの臭いだけで逃げていくからだ。


 ぜんぶパレットさんのせいだ。

 あの人が感情に任せてレッドライガーをダルモア村に仕向けていなければ、おれがこうして眠たい目をこすりながら見張りに立つこともなかった。


 そういえば、今日の昼に帰ってきたパレットさんは随分と上機嫌だった。


 ダルモア村を壊滅させたらしい。

 ラムを初め、こちらも何人かを失ったようだが、これで目障りな存在はいなくなった。明日からもっと荒稼ぎができる。


「……あれ?」


 篝火の近くで、地面に突っ伏して動かないロブの姿を見つけた。あの野郎、見張りの最中に寝てやがる。隠れて酒でも飲んでいたに違いない。


 近寄って、叩き起こそうとした。


 その時、背中に違和感が生じた。腰の上あたりだ。

 確認しようと手を回した瞬間、誰かがおれの背に飛び乗った。


「かひゅ……っ!」


 誰だ、と叫ぼうとした。

 声が出ない。喉笛を掻き切られている。

 いつの間に?


 遅れて傷口に激痛が走った。

 喉だけではない。腰もだ。刺されていた。


 敵襲だ。

 

 力が抜ける。膝を折る。 

 魔力を練ることができない。

 HPが恐ろしい勢いで下降していく。


 視界が暗転した。



 ◆



 ソラに別れを告げ、おれはすぐに森の中に入った。


 ダルモア村から盗賊団の拠点までちょうど丸一日を要した。ほぼ着の身着のままの状態で出立したが、特に困ることもなかった。


 拠点はすぐに見つかった。

 あの連中はバカだ。足跡どころか食事の痕跡すら消していない。

 集団としての方針や計画の端々にどこか拙さを感じていたが、いよいよ連中は力が強いだけの素人だと確信した。街で群れるチンピラと一緒だ。


 おれは極めて冷静だった。


 フィズたちを不憫だとは思う。ただ、しょせんは短い付き合いだ。

 村人たちが殺されたからといって、ソラのように我を忘れて激昂するほど直情的な性格はしていない。

 とはいえ、恩くらいは返しておこうと思う。

 どうせ価値のない命なのだから。


 これくらいしか、おれにはしてやることはできない。


《LVアップ:ユウ・ヒミナ》


 無機質な声で『レファレンス』が囁いた。 


《ユウ・ヒミナ》

《LV:2》

《HP:70/71 MP:62/63》

《攻撃力:7 防御力:12》

《魔法力:17 敏捷力:27》


 視界に浮かぶウィンドウ内で、おれのステータスが上昇する。


 思えば、スキルとやらに対してずっと違和感を抱いていた。

 おれが所有する『アドオンスキル』の数々、例えば『ハンディングナイフ』にせよ『トラップメーカー』にせよ、技術や知識を向上させるといった文言が『レファレンス』による概要の説明に含まれている。


 しかし、実際の仕上がりに変化を感じたことはない。

 この世界に迷い込む前から備えていた技能に対し、大仰な名前を授かっただけという印象しか持っていなかった。


 だからおれは、まだスキルを習得するという実感を知らない。


 今回もそうだった。


《パッシブスキル習得:センスオブアイ》


《センスオブアイ:視力に補正が発生する》


 元から視力には自信がある。五十フィート先に置かれた雑誌の見出しくらいであれば判読ができた。


 おれは高台から、とある村を展望していた。

 ダルモア村のように壁に覆われておらず、規模もさらに小さい。

 壊れた井戸や荒れた畑が気になった。もしかすると廃村を拠点として利用しているのかもしれない。あるいは自分たちで乗っ取ったか。


 いずれにせよ、見覚えのある顔を発見した。


 ソラとパレットがダルモア村で剣を交えた際、近くにいた男の一人だ。

 あの時、おれはただソラが苦戦する様子を黙って眺めていたわけではない。居合わせた者の顔は残らずじっくりと


 そしてこの男が見張りの真似事をしているということは、この村が盗賊団の拠点だと考えて間違いはないだろう。


《パッシブスキル習得:ナイトビジョン》


《ナイトビジョン:暗所における視力に補正が発生する》


 夜目も効く方だった。


 だから、到着時刻が夜であったことは都合がよかった。

 暗闇に紛れて行動ができる。見たところ、篝火は村の入り口らしき場所に置かれた一つだけだ。そのため光源が乏しいが、人間や建物の視認に大きな苦労はなかった。


 家の数と位置を記憶し、おれは村へ近づいていく。

 どの廃屋からも光が漏れていない。

 ヒトらしき輪郭は一つだけ。つまり篝火のそばに立つあの見張りを除いて、連中は呑気に眠りこけているらしい。


《パッシブスキル習得:センスオブノイズ》


《センスオブノイズ:聴力に補正が発生する》


 静かな夜だ。枝を踏み折る音でさえ遠くに届く。


 見張りの男との距離が狭まると、砂利を踏み締める音が細かく何度も聞こえた。だが音源が移動していない。不動の姿勢を保てていないのだ。

 きっと集中力を欠いている。新兵か、と心の中で呆れた。


《パッシブスキル習得:センスオブタッチ》


《センスオブタッチ:触覚に補正が発生する》


 獲物に接近する際は風下を陣取ることが好ましい。

 今日は無風に近いが、空気の対流を肌で捉えることはできる。おれの匂いが敵に届かないよう位置を調整し、静かに進んでいく。


《パッシブスキル習得:センスオブセント》


《センスオブセント:嗅覚に補正が発生する》


 敵の体臭を感じ取った。臭い。たまには風呂に入れ。


 だが、臭気の中に硫黄化合物のような独特の臭いが含まれていない。

 つまりあの男はリラックス状態にある。慢心か間抜けなだけかは知らないが、敵襲をまったく警戒していない証拠だ。


《パッシブスキル習得:ヒューマンセンサー》


《ヒューマンセンサー:気配を知覚する能力に補正が発生する》 


 気配とは、意識だ。


 誰かに気づかれることなく忍び寄ったり、あるいは見つからないように隠れるためにはこの意識の濃淡や方向を読み取ることが重要だった。


 どれだけ慎重に動こうとも、万全の警戒態勢にある相手への接近は難しい。死角から攻めたとしても高確率で察知される。呼吸や衣擦れの音を完全に遮断することはできないからだ。

 だが、この男のように注意力が散漫だったり、あるいは特定の方向にのみ注がれているのであれば、意識の外から簡単に近づける。


 盗賊団の男は、暇なのか小石を蹴り飛ばしていた。 

 後ろから迫るおれの足音に気づく様子もない。


《パッシブスキル習得:ステルスユニット》


《ステルスユニット:気配を遮断する能力に補正が発生する》


 意識の範囲外であれば知覚されても構わない。


 ヒトは外的要因に対してなんらかの反応を示す際、知覚→認識→判断というプロセスを経由する。つまり、知覚されても認識に至っていないのであれば脊髄による反射運動さえ起こらない。


 この理屈は痛覚も一緒だ。傷口を見るまで痛みを感じなかった例なんて珍しくもなんともない。


 気づかなかれば、ヒトはとても無防備だ。


 だから不意を突けば刺さる。


 危ない、痛い、攻撃された。

 その反射運動よりも先に、ナイフを突き立ててしまえばいい。


 難しい話ではなかった。魔法やスキルというファンタジーが通用しない元の世界であっても、がちがちに緊張した筋肉に上手く刃は通らない。けっきょくは意識の外から仕掛ける必要がある。

 つまるところ、やることはいつもとなんら変わりはなかった。


 たった一つだけ与えられた、得意なこと。


 暗殺の才覚。


 おれにはヒトを殺すことしかできない。


《パッシブスキル習得:アサシネイション》


《アサシネイション:対象に認識されていない攻撃に限り、与えるダメージに大幅なクリティカル補正が発生する》


 男の背後にそっと立つ。


 さく、さく、と肝臓にナイフで穴を空ける。

 肋骨を避け、下から二回。身長差のおかげでとても狙い易い。


 男が違和感を知覚する。


 その背におれは飛びついた。

 ほぼ同時に、首の側面を後ろから前へ裂いてやる。一インチの深さに届けばいい。大事なのは確実性よりも手際だ。


 やっと男が危機を理解する。

 反撃されたらおれは死ぬ。刃物も通用しなくなる。

 コンマ一秒の差で間に合った。

 男が敵意に対し身構える、その寸前、おれはナイフを思いっきり鎖骨の隙間に突き立ててやった。


「ぐぉ……っ!」


 初手からきっかり二秒後。

 恐らく、男が痛みを知覚した。

 体が強張り、傷口が拍動に合わせて鮮紅色の血を吹く。


 ぐらり、と男は背におれを乗っけたまま正面に倒れた。


「お、前……はっ……!」


 男がなにか言ってる。


《ロブ・ロイ》


 カーソルを合わせると『レファレンス』が男の名を告げた。

 ダルモア村でも見た。そういえばこんな名前だったな。


《LV:8》

《HP:9/312 MP:103/112》


 まだ生きてはいるがどうせすぐに死ぬ。 


 ソラみたいな異常にタフな人間がいるせいですこし不安にはなるが、いくら魔法やスキルを扱えようとも体構造はおれの知るヒトと一緒だと思っている。数秒で意識は遮断され、一分も経たないうちに失血死するはずだ。


《HP:0/312 MP:103/112》


 やっぱり死んだ。すこし時間はかかった。


 死体を一瞥し、おれはナイフを鞘に仕舞った。


 残りはあと何人だ。

 おれは周囲を見渡した。誰かに気づかれた様子はない。


 どれほどの年月を拠点として利用してきたのかは知らないが、ろくに手入れがされていない村だった。そこらにゴミが散乱し、雑草も伸び放題だ。

 だからこそヒトの痕跡は余計に目立つ。

 寝床として利用している建物なのかただの空き家なのか、ぱっと見ただけで簡単に判別できた。


 あとは睡眠中のターゲットに気づかれないよう部屋に忍び込み、順にナイフで急所を貫いていけばいい。

 

 なんの感慨も湧かない。


 いつも通り、粛々と殺せばいい。

 余計な感情は己の生存の確率を下げるから、冷静に動くべきだ。

 ソラは悪い手本だ。怒りに支配されてはいけない。


 フィズやアルゴンキンが死んだから、なんだというんだ。


 おれはなにも感じていない。


 絶対に皆殺しにしてやる。

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