第38話 残響
ずっと生きるために歩き続けてきた。
けれど、その動力は惰性に近かった。ただ淡々と、己という種を保存しようとする本能に従って足だけを前に進めた。
皮肉なことに、死にたくないと怯える者にほど死神は牙を剥く。
自分の命を突き放した方が生存する確率が高いのだと知ってから、より危険や恐怖に対して頓着することはなくなった。
結果的には、おれも死んでしまったのだが。
出生は異なるが、あの時、おれはとある共和国にいた。
貧困に苛まれ、長らく紛争が続いている国だ。
十年ほど前、圧政に不満を抱いた人々が民主化を求め、なんやかんやで自由軍を立ち上げたことが戦いの契機らしい。まぁ、武装蜂起した理由なんてどうでもいい。
おれは忘れてしまっていた。
あの時、爆撃に巻き込まれた。
なんの前触れもなく死の奔流はおれを呑み込んだ。
意識は薄れる間もなく、まるで電源を落とすようにおれの生は途切れた。
ただ、肌を焦がす一瞬の熱だけが記憶に残っている。
そう、おれは死んだ。
この場所が異世界だろうがあの世だろうが、その事実に変わりはない。
元の世界におれの席は残っていない。
死者は決して蘇らない。
かちりと、思考が組み変わっていく。
迷っていた。意味を失っていた。
でも、やっとこの世界でできることを見つけた。
どうせ一度は失った命なのだ。
生に執着する必要なんて、どこにでもないではないか。
◆
足音に気づき、おれは顔を上げた。
「そろそろ体を休めた方がいい。HPもまだ回復していないだろう」
ユウちゃんだ。
おれは村の外、花畑の中に点在する廃屋にいた。
その外壁に背を預け、壊滅した村をぼんやりと眺めている。
まだ火種が残っているらしく、幽鬼のような赤い光がぼんやりと夜陰を押し返す光景はどこか不気味に見えた。
ダルモア村はその昔、いまよりもっとたくさんの住人で賑わっていた。
だが戦争のせいで家主を失った空き家が多く生まれた。
そのため、残された人々は村の中心に移住し、石壁を築き、その外側に花を植え始めた。つまり敷地外に残る廃屋たちは当時の名残りだった。
「村の人は?」
「他の家に避難している。明日の朝、改めて身の振り方を考えるそうだ」
「そっか」
おれは適当に相槌を返した。
頭を冷やすことはできたが、まだ思考の整理は追いついていない。今後について積極的に案じる気分ではなかった。
ぱちぱちと、ユウちゃんが手にした松明が燃える音がやけに大きく聞こえる。
沈黙に心地の悪さを感じ、おれは話題を探す。
「ユウちゃんこそ、疲れたでしょ。早く寝ないと」
「おれはいい。用事ができた」
「用事?」
違和感を感じ、おれは眉をひそめた。
ユウちゃんはまだ外套ですっぽりと頭を覆い、表情を隠している。
ただ、平然と答えた。
「盗賊団の拠点を叩く」
すこしの間、この子がなにを言っているのか理解できなかった。
「え……いや、嘘だよね? ユウちゃんが行ったってなにもできないよ。それに、おれには戦うなって言ったくせに自分は無茶するなんて矛盾してる」
戸惑いながら、おれは反対のための材料を探す。
「あの時のお前は頭に血が上っていただろう。正面から突っ込んで犬死する未来しか見えなかった。だから止めた」
「じ、じゃあせめて、おれの傷が治るまで……」
「ダメだ。日を跨ぐほど敵の行軍の痕跡が消える。後を追えなくなる。それに再び敵襲を受ける可能性だってある。殴り返すならいまだ」
その声に、気負いも威勢も感じない。
強がりか冗談だと一蹴しようにも、自己を顧みようとしないこの子の危うさを知っているからこそ、呑気に笑い飛ばすことはできなかった。
本気で盗賊団の拠点に単身で乗り込むつもりだ。
「ダメはこっちのセリフだ。ユウちゃんはレッサーゴブリン一匹にも勝てないんだよ。相手が何人かわかってる? なにもできずに殺されるに決まってる!」
おれは慌ててユウちゃんに近寄り、松明を握る手首を掴んだ。
「そうだな、おれは魔物には勝てない」
ユウちゃんが、おれを見上げた。
松明の灯りに照らされ、外套の下から顔が覗く。
人形のように冷え切った表情だった。
夜陰を映す深い色の瞳、その右目に赤い紋様が映っている。
吐く息は、どこまでも凍えていた。
「だが、相手はヒトだろう」
ぞっと、氷水を頭から被ったかのようにおれの体温が下がる。
ユウちゃんが怒っている。
動じていないと思っていた。
判断も発言もずっと冷静だったから、おれのように短絡的な激情に駆られたりなどはしていないんだと思い込んでいた。
そんなことはなかった。
視野が狭まったおれが気づけていないだけだった。
この子は、フィズたちが殺されたことに心から怒っている。
「……お前はここにいろ。傷に障る」
ユウちゃんが掴まれた手をそっと振り払う。
おれは言葉に迷い、唇を震わせた。
この子は優しい。
感受性に乏しく、価値だの役割だのドライな思想を口にするくせに、根っこはとても素直で純粋な子だと思っている。
なにも感じていないはずがないのだ。
しかし、説明ができない。
おれはいま、恐怖を感じた。
剣を手にしたこともないであろう、こんなにも小さな子に気圧された。
その瞳の奥に、明確な殺意を感じた。
「きみは、いったい……」
おれは辛うじて、そう問いかけた。
「言っただろう。貧しい国に生まれた」
返す言葉は淡白だった。まるで他人について語るかのように。
「おれの世界には少年兵という制度があってな。食うために手を挙げた。情婦よりはマシだと思ったんだ」
ユウちゃんの大きな瞳がおれを捉えている。
その薄墨色の虹彩に、赤い三角形を四つ組み合わせたような奇怪な紋様が浮かんでいた。
得体の知れない現象だった。
スキルの発現を疑う。
まさか、この子は魔力を知覚しつつあるのか。
「最初は訓練もなしに銃を渡され、何度も死地に送り出されていた。どうやら子供が戦場に立っていると敵軍の戦意を削げるらしいな」
ユウちゃんがなにを言っているのかわからない。
でも、根拠のない胸騒ぎがする。
元よりユウちゃんは、見知らぬ土地に放り出されても決して諦観せず、何度も壁にぶつかりつつも粛々と進もうとする前向きな性質の子だった。
反面、あまり自己愛が感じられないという矛盾もずっと感じていた。
だから見ていて危なかっしいと当初は不安が絶えなかった。
その生に対する刹那的な印象が、いまはより顕著に感じられる。
この子はなにを考えている?
「しょせんはただの弾除けだ。消耗品のままではすぐに死ぬと思った。だが、どれだけ足掻こうが技術も体力も大人に勝てるわけがない。使い潰すには惜しいと思わせるだけの価値を示す必要があった」
離された腕を繋ぎ止めようと、おれは手を伸ばす。
指は空を掻いた。
すでにユウちゃんはおれに背を向け、歩き初めていた。
「幸い、一つだけ得意なことを見つけた」
「ユウちゃん!」
大声を出した瞬間、腹部に激痛が走った。
それでも無理はできた。傷の程度は言い訳にできない。痛みを無視してでも駆け寄って、ユウちゃんを静止すべきだった。
でも、足が動かなかった。
なぜおれは、これほどに戸惑いを抱いている?
おれがこの子を守ってやらないと、と思っていた。
無愛想で口が悪く、ちょっとばかり変わったところはあるが戦うための魔法もスキルも使えない、か弱くて人畜無害な普通の子。そんな偶像が崩れていく。
この子に対して気味の悪さを感じているのだろうか。
あるいは、無力な人間を庇護してやろうという身勝手な高慢な考えを覆され、立ち位置に迷っているのか。
違う。そうじゃない。
きっとおれは、ユウちゃんに突き放されてショックを受けているんだ。
「お前に会えてよかった」
そう言い残して、あの子はおれの目の前から姿を消した。
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