エピローグ 『数日後』

「ふんふん~ふん……あれっ?」

 机を拭いていた大杏が首をかしげた。特徴的なイヤリングがそんな彼女の頭の動きにあわせてゆれる。普段、消えているはずのディスプレイが突然点き、作業中らしきウィンドウがいくつもひしめきあっていた。

 鼻唄まじりの大杏はきょう、特に機嫌がいい。

 養子むすこが退院してくるのだ。いつも以上に豪勢な料理を用意し、家の隅々まで掃除した。

「コンピュータのなかも整理整頓よー礎風」

 頬を膨らませる大杏の言葉とは裏腹に、顔はどこか楽しげだ。

 どこか触ったからしら、と疑問におもいながらも、大杏が部屋をこっそり見回す。壁には個性的なオブジェのイラストと、昔の写真が飾られている。写真のほとんどは、プロフォトグラファーだった大杏がかつて撮った風景ものだ。それがまた大杏にはたまらなく嬉しい。

 部屋の一面を占めるのは〈ヴェール〉の窓。

 いま、〈ヴェール〉越しには芝生と青空がみえる。

「だれもいないっか」

 好奇心に負けた大杏は、えいっ、と唐突に点いたディスプレイへ顔を近づけた。

「なになにー……『素晴らしい出来。サンプルからは予想だにしなかった仕上がり。〈リトル・ガウディ〉に感謝』? だれだろう? それにしても〈リトル・ガウディ〉って、ぷぷっ。痛い名前だなー」

 口元に手をあてて笑いをこらえる大杏。ディスプレイから顔を離し、部屋の掃除を続ける。

「ここに置いてっと」

 甲冑のような篭手を、手のひらを上にして机にそっと並べた。磨きあげられた篭手プロジェクタに土はおろか、一点の曇りもない。

「ダイアンさま、ミースさまとソフさまがお戻りになりました」

 VAヴァーチャルアシスタントの落ち着いた声とともに、玄関のほうが騒がしくなる。

「おっ、帰ってきた帰ってきた!……きゃっ」

 焦った大杏の足がもつれる。咄嗟に机のなにかをつかんだおかげで、転ばずには済んだ。実伊須おっとが見ていれば、「おっちょこちょいだなぁ」とニヤニヤしたことだろう。

「礎風ー! おかえりぃ!」

 風のようにあわただしく部屋を後にする大杏。

 だれもいなくなった部屋で、ふいに篭手プロジェクタの結晶が輝きを増した。大杏がつかんだときに電源が入ったらしい。

 宙にうかんだホログラフィは、透明なあぶくが光の反射を受け、まるで水中のように泡の膜が波打っている。

 バブルの中には、萼同士を融合させた二輪の大きな薔薇がうかんでいた。



(完)

 ☆ゲンロンSF創作講座 発表作品

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Eternal Rose ウツユリン @lin_utsuyu1992

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