四幕.後・修行の日々(アフター・トレーニングデイズ)

 ーーー1カ月後。

 寺の朝は早い。陽の出とともに住まう者は動き出す。

 暦のうえでは晩夏でも樹海に囲まれた山寺は、空が明るくなる前から蝉の合唱が続く。

 そういう環境で耳に頼りすぎるのは命取りだ。

「コケーココッ……コォッ?!」

 まさに一番鶏になろうとしていた、境内の裏庭で放し飼いされた軍鶏の遺した不審な鳴き声。あたかも、"首をつかまれて喉を封じられ"、裏返った声もたちまち、蝉の合唱や続くまな板と包丁の音に紛れ、気づく者はいない。

「……ふむ。ディナーは久々の焼き鳥になりそうですねぇ。これが命をいただく、ということ。ワタシにもわかってきました」

 ただ一体、裏庭の表、つまり本堂の板間で、正座した銀の人影が消えゆく命の声を聞き遂げていた。「南無」とうつむくその手は片合掌。隻腕の肩には薄茶色の生地が掛けられ、ヒューマノイドの静謐なたたずまいと相まって高僧のような雰囲気を醸し出す。

 しかしよく見れば、メタリックボディはくすんであちこちに凹みや穴が空き、ところどころ、神経叢らしき紺色の細い線が覗く。すっと立てた左手も、手首が小刻みに振動して時々、小さな火花を散らした。

「それにひきかえボッチャマは、まだ朝に慣れませんか」

 ヒューマノイドが見下ろす先、床では龍宗がスウスウと寝息を立てている。風通しが良いからか、古びた布団に包まって実に気持ちよさげだ。寺に滞在し始めてから、整える余裕もなかったモヒカンがただのロングヘアになって顔に貼りついている。可愛い、とまではいかないが、無防備な寝顔は意外とあどけない。

「おや?」

 ヒューマノイドの〈鳶の目センサ〉が"投擲物"を察知。シグナルを受け取ると同時に、朱凰が片腕を振りかぶる。

 瞬間、茶色の歪な球体が龍宗の頭めがけ、弾丸並みの速度で飛来。

「カキーンッ……ガシャーン!!」

「わわっ?! なんだ?! また板が外れたのか?!……いてっ」

 瓦の割れる音に飛び起きた龍宗。その頭頂部を屋根の穴から落下した瓦の欠片が直撃する。

「ホームラン目覚まし、といったところでしょうか。眠気は飛んだようですね」

 おはようございますボッチャマ、と頭をさげる朱凰。涙目で睨みつける龍宗を華麗にスルーし、飛来物を打ち返した自身の手首に目を落とす。熊を一撃で屠った手だが、手首の大部分からフィードバックが途絶えていた。機功に耐えられるのは、もってあと一回だろう。

「うっす、空坊くうぼう

 龍宗の声に顔をあげると、巨体が歩いてきていた。体躯に似合わない軽い足音で滑るように向かってきている。脇に抱えた木魚が真新しい。

「おはようございます、ご住職。ピッチャーの才覚はご健在ですね。それとバッターも」

空坊くうぼうって野球部だったのか?」

 畳み終えた龍宗が布団を抱え、驚いた顔で問い返した。

「……否。拙僧は学校というものに縁がなくてな。投げることに関して多少、腕に覚えはあるが」

 合掌し、龍宗と朱凰へそれぞれ頭を下げた玄空が首を横にふる。箸を持つように親指には木魚を叩く棒、バイを挟んでいる。バイは半分に折れ、折れたところが鋭くなっている。

「そうなのか。で、きょうは屋根修理?」

 頭大の丸い穴が空いた天井を指す龍宗。青空から降る陽がスポットライトよろしく玄空を照らし、神々しさを与えている。

「それは拙僧が。いつも通り、本寺の清掃をたのみたい。終わればここで座禅を。そのあとは朝食だ」

「わかりました」

 うなずくなり、朱凰が布団を後ろ蹴り。バランスを崩し倒れる龍宗の放り上げた布団へ、ドスドスと折れたバイが突き刺さり、そのまま貫通して本尊近くの梁に刺さった。

「ゴラァッ! 朝っぱらからなに蹴ってやがるっ?!」

 顔を真っ赤にして拳を振り上げる龍宗の肩をポンポンと朱凰が叩き、「修行修行ですボッチャマ」となだめる。「ボッチャマいうな!」と盛大にツッコむ龍宗をよそ目に、ヒューマノイドは器用に片腕で布団を抱え上げると玄空に向き直った。

「ご住職、なにか縫うものをいただけますか」

「……拙僧が修繕しよう」

「いえ、それにはおよびません。針でも投げられてはかないませんので」

 布団を奪い合う朱凰と玄空。怪訝な目を向ける龍宗はわけがわからない。龍宗には"投擲"の瞬間が見えていないのだ。だが、これまでの経験から口を挟まないほうが身のためだと察して押し黙る。

 最終的に玄空から布団を奪い返した朱凰が「ボッチャマいきますよ。掃除しているあいだにワタシは裁縫しなければなりませんから」と先を歩きだした。

空坊くうぼう……」

 目を閉じた玄空に声をかける龍宗。寺の住職は微動だにせず「いけ」と一言だけ告げた。

「わかったよ」

 朱凰の後を追い、本堂からひとりと一体の気配が離れていく。

「未熟者は拙僧のほうか」

 袖口に片手を入れ、取り出した手を裏返す。

 錆びたマチ針が暗殺者の厚い掌で鈍い光沢を放っていた。

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 トンッ、トンッ、トンッ、と踵が小気味よく縁側の板を打つ。雑巾がスーっと光沢のラインを描き、水分はあっという間に引いていく。

 夢燈寺ぶとうじは比較的あたらしい寺だが、その本堂を囲む四辺の浜縁はまえんは数百年の歴史をおもわす深い黒檀色をしている。"焼き討ちに遭った"とか、"住職の鍛錬に耐えられる木材を使った"などと理由がうわさされていたのは龍宗も聞いていた。

 どれも所詮、シンジケート内のうわさ。信憑性があったものではないが、良い木材であることだけは、雑巾掛けする龍宗にもわかる。鬼宗きしゅうの屋敷の床がこれによく似ていた。

「三周め、っと」

 一辺が10メートル近くある縁側を端まで駆けきり、龍宗が腰を下ろした。伸びた髪は適当にくくって後ろへ垂らし、マゲのようになっている。額の汗を拭いながら龍宗は自分の仕事を満足げに見返した。

 もともと、浜縁はまえんはそれほど汚れていない。龍宗が毎日、拭いているからということもあるが、上質な木材は磨くほど良いつやが出る。夏の終わりの日光を浴びてほのかに輝く板閒は、見ていて気持ちがよかった。

「片づけたらメシだな。あ、座禅がさきか。慣れねぇな~あの静けさ」

 歴史を感じさせる水が満杯の金ダライをよっ、と抱えあげ、スタスタ歩いていく。来たばかりのころは引きずっていたタライも、いまは簡単に持ち上がる。日々の修行が、なよなよしかったツッパリ小僧の身も心も、たくましくさせていた。

「でもここは落ちつく。いろいろ考える時間もできるし、けっこうおれに合っ……」

「隙ありすぎですっ!!」

 縁側の角を曲がったとたん、脛に強烈な衝撃を感じ、龍宗の身体がふわりと浮いた。放った金ダライがまるでスローモーションのように前方へ飛んでいく。こぼれる水をきれいだ、と半ば悟ったようにおもえるくらい、この手のに慣れてきた龍宗ではある。

「ガーンッ!」

 タライは見事、足払いを仕掛けてきた朱凰の顔面を直撃し、銅鑼のような音を立てて転がった。盛大にぶちまけた水が拭きたての縁側を濡らし、朱凰の手にあった布団を水浸しにする。

「ボッチャマ、寝具がビチョビチョではありませんか。これくらいの急襲、しのいでもらわないと」

「朱凰……てめぇ……」

 同じく水浸しの龍宗が呪詛を吐いて立ち上がる。このヒューマノイドには手も足も出ないと散々、身にしみた龍宗だが、ひょうひょうと布団を絞る姿に煽られている気がしてならなかった。

 握った拳を振りあげ、ふと布団のツギハギに龍宗の目が止まる。

 卵大の、古い袈裟とおぼしき布切れが布団のほぼ中央に"目"を形作っている。

「……おまえ、ホントに裁縫してたのか。てか、できたのか針仕事」

 パタンッ、と布団を振ってシワを伸ばす朱凰が金属のまぶたをパチクリさせる。ショートしたようにぎこちない動きを近ごろ見なかったな、と龍宗は懐古した。

「夜は冷えこんできましたからねぇ。ワタシは機械マシーンです。いちど経験すれば学習ラーニングは早いんですよボッチャマ。それに、破れた布団をお使いと御上がお知りになったら、ワタシの首が飛びます」

 そう言って頭部を360度回し始める朱凰。頭の付け根がバチバチと軋んでいまにも取れてしまいそうである。

「おいおい、火花とんでっぞ? マジで首とれたらシャレにならんって。ここじゃ修理できねぇんだからよ」

「ほぅ、ワタシを心配してくれるのですかボッチャマ。ご心配なく。少なくとも、ボッチャマが決心するまでは持ちこたえます」

 サムズアップのヒューマノイドに龍宗はツッコむ気にもならない。

「んで……ジジィが帰ってこいって?」

 朱凰に尋ねながら床を拭き始める龍宗。幸い、雑巾を絞った水は汚れていない。

「御上はなにもおっしゃってきませんよ。ワタシがSOSを送るまでは。ただ……そろそろな気がしています」

「おれもそんな気はしてた。あのジジィがおれを放っておくわけがねぇ」

「ということは、ボッチャマ。もう心は?」

「いんや。まだだ。まだだが正直……おれはジジィの後なんて継ぎたくねぇよ」

 手際よく濡れた縁側の床を拭きとっていく龍宗の背中を見下ろし、ヒューマノイドがわずかに目をひらく。夢燈寺に来るまでこだわっていた龍宗のファッションはすっかり、鳴りをひそめ、このごろはずっとタンクトップだ。最初の戦闘で破れた学ランを返すときは訪れないかもしれない、とヒューマノイドは予測する。

 白い背中へ、朱凰が確認を重ねる。

「御上の力は絶対です。あの御方が地下組織を平定したおかげで、秩序が保たれている。近ごろ御身が心配ではありますが……ボッチャマがいらっしゃれば御上も安心というもの。そのボッチャマが後継者を放棄するということがなにを意味するか、おわかりですか」

「ああ、そんぐらいはわかってる」

 床を拭き終えた龍宗が背を伸ばした。朱凰と並ぶと頭半分、高くなる。ひと月あまりでが十センチ近く背が伸びたことに、龍宗は気づいていない。タライを拾うその身の熟しが向上したことも自覚していないのだろう。

「ジジィがすげぇやつなのはわかるよ。まちがいなく化けもんだ。地下の連中をぶっ倒しながら、おふくろが逝ってからはおれの面倒をみてたしな。まぁ、あのやり方にゃ文句は言いてぇがよ」

 コンッ、とタライを叩いて龍宗が庭に目を向けた。夢燈寺を囲う塀のむこうに樹海の緑が覗く。

「おれは、"鬼"の後は継がねぇ。必要悪だろうと、ああいうどんな手でもつかう連中とおなじになるつもりはねぇし、率いるなんてまっぴらだ」

 いつしか見あげる位置になった吊り目が朱凰に問う。

「おまえはどうなんだよ? 悟りってやつは開けそうか?」

「ウソに決まってるではありませんかボッチャマ」

「ウソって……おまえ、空坊くうぼうに言ってたじゃ……いてぇっ!」

 カンッ、と朱凰の手刀が龍宗の脳天を打つ。

「悟りとは、そのように得ようとして会得するものではありませんよ。涅槃ねはんを売り物のように言わないでくださいボッチャマ。頭の悪さが露呈しますよ」

 朱凰は自分のにも龍宗が身を守れるよう、護身術代わりにとちょっかいを出し続けた。そして際限なく奇襲を仕掛ける夢燈寺の住職のおかげで、龍宗の勘も鋭くなってきている。

 すべてを偶然とよぶには奇跡的すぎる積み重ねだが、結果的に龍宗は成長した。

 雇い主の、龍宗によく似た、したり顔がSPの思考をよぎる。

「……じゃあなんだよ? おまえがそんなんなってまで、ここにいるわけはよ?」

 頭を抱えた龍宗が朱凰の手をアゴでしゃくる。つられて見下ろした朱凰は残った左手が断線し、いまにも取れそうになっていることに気づく。

「ボッチャマ、ワタシは貴方をお護りするため……おやっ?!」

 刹那、〈鳶の目カイト・アイ〉が間近に迫る巨大な人影を警告。センサ類の消耗が進んだせいで検知が遅れた。すぐさま布団を広げ、対応をシミュレートする。

 布団を投げれば目くらましになるかもしれない。朱凰の期待を尻目に、草履が板を静かに踏んだ。

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「先刻の決意は真意か……タキ?」

 ぬっと、正面に現れた夢燈寺の住職、玄空。仁王立ちする岩の手には警策が握られている。垂直に立つ日光を反射したその"板"が、ただの仏具ではないことをサイドに刻まれたが示していた。

「おうよ、空坊くうぼう。また物騒なもん持ってんじゃねぇか。あと、幼名でよぶのはやめろよな」

 平然と笑う龍宗。その清々しい顔に、朱凰がLCDいっぱいに目を見開く。

「……ボッチャマ刺客に気づいていたのですか?!」

「おまえもボッチャマいうなって。寺にゃ三人しかいねぇんだぜ? こんだけいろいろやられりゃ、おれでも気づくって」

「ならばなぜ逃げぬタキ? この者がおれば、不可能ではなかろう?」

 黒曜石のような目に射すくめられ、朱凰は布団を広げたまま「恐縮、至極」と会釈した。

「うれしいんかい、おめぇは……まぁ、にげようとはしたぜ? あんたが『新型の量子クォンタムユニットを買ってくる』ってお山を降りた日な。でもよお、こいつに引っ捕まっちまってな」

 と朱凰を目で指す龍宗。汗の雫が灼けた顔を流れていく。

「そりゃもうこっぴどく絞られたぜ。ジジィか!っておもうくらいにな。『自分が"本当はどうしたいのか"、はっきりしないならいっそ死んでください』だとさ」

「貴殿がそのようなことを……?」

 玄空の開いた口がふさがらない。夢燈寺ぶとうじに来てからというもの、龍宗は相変わらずの隙だらけで優柔不断だった。SPたる朱凰がいなければ一刻たりとも下手人の手を逃れられない、巨大地下組織シンジケートの次期後継者にはおおよそふさわしくないヤワな若者。

 それならばと、葛藤の末に玄空が手を下す決意をした甥同然の子。

 一度も見せたことがない住職の表情に、ヒューマノイドが胸を仰け反らす。

「仏門を学ぶかたわらのアルバイトのようなものです。ですがご住職、ワタシにはあと一歩、ようです」

 鉄のまぶたが動く。開いたヒューマノイドの目に刹那、僧は在りし日の友の目を見た。守護者のものではない、その鬼のような黒眼。これに捉えられた者はけっして、逃れることができない。

 ならば、に自由など、あるはずもない。

「……そう、だな。貴殿にはひときわ遠大な"煩悩"があると見うける」

 静かに目を閉じ、僧は深く息を吸いこんだ。晩夏の空気の匂いと古い木材の匂い。蝉の歌う森は聖域のごとく寺をつつむ。

 僧の決断は、築き上げたものすべてをことだった。

 だがいま、僧は己の決意を新たにする。ゼロからことを。

「であるなら、拙僧が落として進ぜるのみッ!!」

 玄空が踏みこみ、警策の刃を一閃。軋むことさえなく、摩擦で床板を焦がす突進を守護者ヒューマノイドは片腕のみで受け止める。

 一秒にも満たない交錯のなか、刺客はたしかにうなずく朱眼を見た。それは煉獄のごとき烈火であり、迷いのいっさいを持たない鋼鉄の意志。他人ブラックではない己を示すスカーレット

 鮮やかなる目はされど、あたかも安寧に達した達者のような微笑みをたたえていた。

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 迫る草履を、とっさに構えた金ダライで一応、遮る。

「うごっ……?!」

 それでも弾丸のように弾かれていく身体。予備動作のない蹴りには慣れたつもりの龍宗だが、今回は本気の度合いが違うらしい。

「いってっつつ……」

 大穴の開いたタライを脇に投げ、ついさっきまで立っていたほうへ龍宗が目をやった。

「なんでだよあいつら!!」

 本堂の外で繰り広げられる戦闘に、龍宗は拳を握り締めるほかない。

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「〈狂鬼バーサーク〉モード、開放」

 つばぜり合いから距離を取った朱凰が、落武者のようにゆらりと、ボディの力を抜く。もはや役に立たない左手を、アゴと肩で挟んで自ら引きちぎった。

「それが貴殿の……"覚悟"、か」

 膨れ上がったの殺気に玄空は警策を上段に構え、全神経を集中させる。オッドアイとなった幽鬼からはもう、一瞬たりとも気を逸らせない。わずかなミスが命取りになると玄空の直感が最大級の警告を発している。

 引きちぎった自分の手を無造作に放り、瞬間、銀のボディが消える。

「ぬぐっ?!」

 背後の風のような気配。ほぼ勘のみによって警策を背へ回し、不可視の一撃を寸でで防いだ。たった一撃。その一撃で玄空の腕は戦車砲を受けたように痺れていた。

 ガラ空きの脇と腹。必ず来る次の一撃を凌ぐため、玄空は警策を放棄。代わりに、いつかヒューマノイドが龍宗にした後ろ蹴りを見舞う。

 だが、玄空の草履は空を切った。軸足だけで立った玄空の視界からまたも朱凰の姿がかき消える。

 間近に迫るシルバーメタリックの頭。その双眸は赤みがかった黒。

「ドゴーンッ!!」

 狂鬼バーサーカーの頭突きが僧もろとも本堂を瓦礫の山にした。

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 刺客は護衛対象に

 それをトリガーに、ヒューマノイドは殺戮機械キル・マシンへと変わる。

 プログラムされたスイッチは、絶対服従の命令アドミニストレータオーダー

 目標はただひとつ。護衛対象デーモンズサクセッサーに害為す者を滅すること。

 そこに、ヒューマノイドの意思が違おうとも、創造者アドミニストレータは意に介さない。

 背後から止めるボッチャマにヒューマノイドは従えない。

 なぜなら、彼はまだアドミニストレータではないのだから。

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空坊くうぼうぉっ!?」

 身体の痛みを脇に押しやり、龍宗が本堂へ駆けよっていく。年季は入っていたが、堂々とした造りの社寺は見る影もなく廃材が散らばる。立ち込める煙に動く影はない。

「まて朱凰……っ。もういいだろっ! 止まれって!」

 屍のように足を引きずって廃材の山へ向かう壊れかけたヒューマノイドを、龍宗は羽交い締めにして引き留めようとする。が、ふだんから朱凰には手も足も出ない龍宗だ。狂鬼バーサーカーと化したヒューマノイドはしがみつく龍宗を払いのけもせず、切れたホースのような人工筋肉や歪んだCC骨格を覗かせた脚でひたすら前に進む。

 ふっと、色のない風が一体と一人のあいだを吹き抜けていった。

「もう秋ですね……タキムネボッチャマ」

 瓦礫の煙が風で晴れた瞬間、太い梁が射出。

 それが袈裟の破れた玄空であると龍宗が気づいたのは、擦れ違いざまにあとだった。

「す……おう……?!」

 額が大きく凹んだメタリックの頭。玄空がわしづかみにしているその首から流れ出るものはなく、まるでただ頭部パーツが外れたような鋭利な切り口をしている。刃こぼれした警策を投げ捨て、玄空は目を瞑る。

「朱凰っ!!」

 テコでも動かなかったシルバーのボディが糸が切れたように崩れ落ちた。支えようとした龍宗が重みにうめく。

「こ、こっちでしょ、う、ボッ、チャマ」

 聞きなれた人を小馬鹿にしたような声にボディを放って駆けよった龍宗。朱凰は狂ったようにまばたきを繰り返す。

「失礼」と片合掌し玄空が暴走するまぶたを押さえた。

「たす、かります、ごご、じゅうしょく」

「なんでだっ空坊くうぼうっ?! あんたのねらいはおれだろうがっ!」

 ボッチャマ、と口を開こうとした朱凰を遮り、玄空が睨めつける龍宗を見下ろす。

「タキ、いまになっておぬし、この者の死を悼むか。それを願っておったのは、ほかならぬ、おぬしであると拙僧は思慮していたが」

「……ああ、そうだよ。こいつが死んだら、おれは山を下りられる。とっとと壊れりゃいいっておもってた」

「さ、さすが、ボッチャマ。一応、まだ死んでは、いません、が」ヒューマノイドが笑おうとするが音がうまく出ない。

「お見通しだった、ってわけか銀ピカ……でもおまえのおかげで、おれは決心がついたぜ?」

 さっと、龍宗が玄空を睨む。

「玄空! おれはあんたを許さねぇ。こんなひっでぇことを……いまのおれには無理だが、ぜってぇ仇をとってやる」

 見上げる親譲りの黒の双眸。"鬼の子"として育てられたその目は、たしかに人ならざる威迫の欠片が宿っている。

「(まだ間に合うかもしれぬな)」

 龍宗の目の大部分は、怒りだ。黒眼に映る手負いの僧のかつてのように、湧き出る憤怒。まだ本当の復讐を知らぬ純粋な激情。

 それなら、僧に心得はある。

「若僧よ……修行をつづけるか?」

 朱凰の首を差しだし、

「この者には通信機がついておる。破損率が一定値を超えれば、連絡がいくのだろう……おそらく鬼にな」

 と推測する玄空の言葉を裏付けるように、朱凰の目が消失。

 次にヒューマノイドが発した声は、聞く者をゾッとさせる氷のようなしゃがれ声だった。

「『……わしの技能複製アビリティクローンを全壊さすか、玄空よ』」

「ジジィ……」

 漏れそうになった龍宗の口を塞ぎ、玄空が静かに答える。

「ひさしいな鬼。貴様のコピーはたしかに上等であった。オリジナル以上にな」

「『戯け。それで、わしの継嗣けいしはどうだ。鍛錬をつづけるというなら代わりを送るが』」

「死んだ、鬼。貴様の世はおわりだ」

「『ばかなっ?! 玄空、キサマだなッ!! ゆるさん、ゆるさんぞっ!! わしの手で』……おっと通信がき、切れたようです」

 鬼の声がブツッと途切れ、ヒューマノイドの目に色が戻る。その色は薄い。

「ご、ご住職……ボッチャマをたのみ……ました」

「心得た。貴殿にとこしえの平穏が訪れんことを」

「まだ逝くな! おまえ、悟りをって」

 ヒューマノイドの目に一瞬、輝きが宿る。朱眼はどこをも見ておらず、鉄の口元がただニヤリとした。

「ボッチャマ……まだ修行が……たりません……よ」

「朱凰?!」

 朱い目がすーっと色を失い、かすかにしていたモーター音も消えていく。

 武骨な指でシルバーのまぶたを閉じ、肩を震わす青年に僧が語りかける。

「拙僧がここで弔おう。タキ、おぬしは山を下りるがよい。セーフハウスを目指せ」

「……いや」

 ゴシゴシと目を拭う龍宗。玄空を見あげた目は赤い。どこかの守護者ヒューマノイドに似ていた。

「おれは逃げねぇよ。あんたをるのはおれだ。ジジィにも手だしさせねぇ。だから……あんたも来るんだ」

 決意に満ちた目。泣き腫らした眼はそれでも黒い。だが迷いの色はない。

「朱凰はおいていく。くやしいが、おれたちは追われるからな。こいつならそう言いそうだし」

「首は拙僧がもつ。鬼宗に情報は渡したくないのでな」

 事切れたヒューマノイドの頭部を脇に抱え、僧が歩き出す。一度だけ本堂を振りかえり、龍宗がすぐさま後を追った。

「なあ。あんたの拳法はなんだ? あんなの見たことねぇぞ……いてっ」

 朱凰の首で龍宗の頭をコツンとやる玄空。

「おぬしも僧になるなら言葉づかいに気をつけることだ」

 あんたみたいな坊さんはいねぇよ、と横で頭を抱える龍宗。

 死闘を繰り広げた好敵手ヒューマノイドを見下ろし、ふと僧が閃く。

「拙僧のこれは……機功拳きこうけん、という」



(完)

 ☆ゲンロンSF創作講座 発表作品

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機功大師 玄空 ウツユリン @lin_utsuyu1992

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