三幕.冥朱(メイス)

 砂漠を歩き続けたような這々の体で煤けた寺の戸へ手を伸ばす龍宗。寺門の上には扁額に書かれた『夢燈寺ぶとうじ』の筆がもはや、達筆を通り越し、ほとんど読むことがかなわない領域から見下ろしている。

「井戸あったよなー。さっさと涼ませてもらお……」

 ようやくたどり着いたオアシスに、だが龍宗の手は届かなかった。

「それはおあずけですっ!!」

 シルバーの右手が龍宗の肩をつかみ、テーブルクロスでも引くように軽々と後方へ引き倒す。つかまれた本人が意識する頃には天地がひっくり返り、痛みと回る目で、龍宗は平衡感覚をうしなっていた。

「てっめぇっ……」

 入れ替えるように前に立った朱凰。

 龍宗が銀色の背中へ一発を食らわせようとした矢先、閉ざしていた門戸の片方が

「ガンッ!」

 残像の残る速度で迫る重厚な戸を、朱凰は高速で突き出した掌底で受け止める。その衝撃は長い年月を耐え抜いた戸の蝶番を一瞬でくず鉄にし、数百キロはあるであろう天然楢の木戸が地響きを立てて地面に着く。

「うっ……!」

 巻きあがった風が後ろの龍宗を襲い、土ぼこりにおもわず目を覆った。

「ボッチャマ、伏せ」

 至極平坦な声で犬へ命じるように龍宗に指示した朱凰の目は、を向いている。門を飛び越える影が朱凰には見えていた。ということは門はさしずめ陽動、と人間よりはるかに速い計算能力でヒューマノイドが判断する。

「いててっ……」

 朱凰の指示が聞こえなかった龍宗が立ちあがろうとする。

SPセキュリティプロテクターも楽じゃない」

 やれやれとでもいうように肩をすくめる代わり、朱凰は、地面に落ちたかつての戸の下部を足蹴。自身のほうへ倒れこんだ巨大な木板を、ひょいっと肩で受け止め、そのままトタン板でも投げるような身軽さで放った。

「うぇぃ?!」

 まっすぐ突っ込んでくる戸の片割れに、目を拭ったばかりの龍宗がかろうじて身を屈める。反応できたのは、火事場の馬鹿力というやつのおかげである。

 おびえた幼子よろしく頭を両手で抱え込む龍宗。そこへ豪速で飛ぶ分厚い木の板。

 だが、学ランに触れることはなかった。

「ガッシャンッ!!」

 木材の砕ける音が盛大にし、文字通り、木っ端となった夢燈寺ぶとうじの戸の破片が降り注ぐ。

「カンッ!」

 直後、間近で聞こえた金属音に龍宗がおそるおそる目をあける。振り仰ぎ、言葉につまる。

「くう、ぼう……?」

 龍宗の身長の倍近くはある坊主の大男が、鎌のように腕を振り下ろした状態で止まっていた。薄手の内着に岩のようなたくましい体が凹凸をつけている。閉じた目の僧は無表情だが、なぜか苦しんでいるように龍宗は見えた。

「お初にお目にかかります……ご住職」

 大男の手刀を挟んでいた朱凰が金属製の瞼をパチクリとさせ、会釈でもしそうな物腰で挨拶する。龍宗が触れて火傷しかけた朱凰のメタリックボディに挟まれた僧の手からは湯気のような煙があがっていた。

「……ひさしいな、

 ゆっくりと目をあけた僧の声は、清流のように澄みわたっていた。

 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 玄空の特技は一撃必殺の暗殺拳である。

 体格に恵まれた玄空は、その身体に似合わぬしなやかさと正確無比な目を磨き、相手ターゲットが気づくまえに屠る。

 幾多の"実地経験"によって研ぎ澄まされた玄空の拳法は独学であり、他のあらゆる拳法、技法から役に立ちそうな要素を織り込んだオリジナルだ。ゆえに名前もなければ、玄空自身、名付けようと考えたこともない。

 結果的にそれでよかった。これまで玄空が狙い、生き残った者はいないのだから。

「……ご住職」

 丁寧にもそう呼びかけてきたヒューマノイドの脅威度を、玄空は迷わず引き上げる。白刃取りされた手はまるで熱した鉄板に挟まれたように煙をあげている。火傷など、玄空には傷のひとつにも入らないし、痛みは仕掛けるまえに知覚から追いやっている。

 問題は、。そして相手ターゲットに自分の姿を見られたこと。

「(これもまた業というわけか)」

 もはや、龍宗の暗殺は不可能になった。状況を素早く把握した玄空は作戦を切り替える。成長した甥に顔を向けた。

「……ひさしいな、

 さっと、龍宗の顔が曇る。その呼び名は龍宗にとって宿命であり、縛りつける呪いだ。玄空があえて蔑称で呼んだのも、己を嫌ってほしかったから。龍宗が恨んでくれれば、玄空の心もすこしは安らぐというもの。

 しかし、苦言を呈したのは玄空の手刀を挟んだままのヒューマノイドだった。

「僭越ながらご住職、ボッチャマをそうよぶのはお控えを」

 銀色の握力は強くない。玄空の力ならば容易に振りほどける。だが、玄空の勘は警鐘は鳴り止まない。

 あたかも、かつての好敵手ライバルと拳を交わしたときのように。

「……貴様は"鬼の手"か。いや、むしろとよぶべきかな」

「ワタシはただのしがないヒューマノイドですよ、ご住職」

 言うやいなや、そのヒューマノイドは片脚を後ろを蹴り抜いた。

「ぐおっ……?!」

 太陽光を反射した杭のような足が見事、朱凰の背後に突っ立っていた龍宗の鳩尾を直撃。無抵抗な学ランが矢のように5メートル以上吹っ飛び、禿げた大地に黒い塊を作った。見るも無惨にひしゃげて転がった巨大水筒が衝撃を物語る。

「ぬっ!?」

 その龍宗に気をとられた一瞬の隙。

 謀られた、と気づくと同時に、龍宗を蹴飛ばした銀の足が鞭のようにしなって玄空を襲う。

「ふむ。丈夫な身体をお持ちですねご住職。そのうえ速い」

 咄嗟に腕を交差させて防いだ玄空の足が土煙をあげて1メートルほど滑る。鉄棒で殴打されたところで意にも介さない玄空の顔がゆがむ。そろりとめくれた袖。色も形状も棍棒としか表現できない極太の腕には、斜めの赤い跡がくっきりついている。

 ヒューマノイドは追撃せず立っている。見取って、玄空が腕を下ろした。その顔は穏やかさが戻っているが、眉間のシワがやや深い。

 冗談とも本気とも取れないひょうひょうとした機械マシーンに、初めて玄空は目をあわせる。

 LCDの目はただの表示で眼球はなく、やや大きめのパッチリした目に描かれた瞳孔は焔をおもわす朱色。当然、人のように"目を読む"こともできない仮初めの双眸は、けれどまっすぐ玄空を見すえている。

 それは、退くことを微塵たりとも考えてはいない者の目。玄空が目的を果たすにもっとも妨げとなる"意思"の現れ。人ならざる者だろうと、意思の有無は押しかくせない。

「(そうか。護りきれぬという思考さえもないのだな)」

 すぅ、と玄空は息を深く吸い、瞼を閉じる。己の内にたぎる血が熱い。心地よいとさえ感じることに己の未熟さを恥じるが、そうでもしなければ、目の前の"守護者"を討ち果たすことなど不可能であると直感が告げている。

「ならば……」

 草履が地面を抉り、身体の重心を下げる。腕を下ろしたままの"構え"こそ、玄空の真髄。見取った〈鳶の目カイト・アイ〉が肉体のあらゆるバイタル値の上昇を報せ、ヒューマノイドが二度、まばたきした。

「いざ尋常にッ!!」

 僧の姿が、人間の視覚から消えた。

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「……いっつつつっ!!」

 気を失ったほうがマシだと、激痛の走る腹を押さえて龍宗はうめく。実際、意識が一瞬飛んだ気がしたが、直後の内臓が破裂するような痛みに叩き起こされた。

 奇跡的だったのは、これほどの痛みがありながら傷は腕と顔の掠り傷のみ。贓物はおろか、骨すら折れていない。龍宗の身体が人間離れして丈夫だからなのか、朱凰の蹴りが芸術的だからかは定かではないが、痛みさえガマンすれば立ち上がれそうだった。

 立て続けに鳴り響く砲撃音に顔を向け、龍宗はつかの間、痛みを忘れる。

「なんじゃ……ありゃ……?!」

 荒野に近い平地に舞う旋風。その風すら追いつけない先手をゆく銀と茶の。交錯する二色はだが、決して交じり合うことはない。

空坊くうぼう、だよな……?」

 手刀を振り下ろしていた岩石の身体の坊主は、間違いなく龍宗の知る空坊くうぼうこと、玄空だった。月日が流れても老いる素振りを見せない僧に龍宗は驚かない。

 かつて幼い龍宗が夢燈寺ぶとうじに滞在したとき、物音に気づき、目を覚ました龍宗が寺の外で見たのは、大人の胴体ほどもある樹木を素手で"間伐"する玄空の姿だった。龍宗の気配を察し、「修行の一環だ」と少し照れたように振りかえった月明かりの姿を、龍宗はいまも覚えている。その玄空が風より速く動けても不思議ではない。

「てことはあっちは、銀ピカロイドか」

 茶の影が縦横無尽に駆け、ヒットアンドアウェーを繰り返す。対する銀は、玄空の攻撃を確実に受け止めるが、深追いせずに留まる。まるでシルバーの滝だ、と龍宗は目を見張った。

 玄空が全方位から常人離れした"突き"を繰り出しても、朱凰は必ず、受けきる。ヒューマノイドの足元は地面が削れ、三日月状の跡がついていた。驚くことにそのラインを、玄空は一歩も超えられていない。

「……すっげぇあいつ。空坊くうぼうとまともにやりあってやがる」

 龍宗のつぶやきが風に乗っていく。その先で激闘を繰り広げる影の元へ。

 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 鋼鉄すら貫く拳を目前のヒューマノイドは

 それも一度や二度ではない。玄空が数えるに百を超す打ち合いを仕掛けている。どれもが一撃必殺の威力を誇る。

 にもかかわらず、玄空に対峙するこのヒューマノイドは斃れない。

「(背後を庇いながらこの動きかッ)」

 玄空の狙いはあくまでも龍宗の始末。強者つわものと拳をぶつけ合う歓喜は拭えないが、悦びに己の目的を見失うほど玄空は若くなかった。ゆえに、ヒューマノイドの正面撃破を謀りつつ、隙あらば、護られている自覚もないまま呆けている学ランを玄空は狙った。

「ガシンッ!!」

 だがヒューマノイドはそれを許さない。玄空がどの角度から踏みこんでも、必ず、朱凰はそこに立ちふさがった。気がつけば、三日月を描くが如く。拳は毎回、流れるシルバーの防護壁に阻まれ、足は深くなっていく弧状の土の線を越えられない。

「(これは……〈護鬼の型デビルズ・ガード〉)」

 まるで、すべての動きが読まれているかのような虚無感。

 生涯、一度たりとも打ち負かすことができなかった"鬼"のカゲロウを、玄空はメタリックボディに見る。

「(それがわからぬか、タキ!)」

 ゆえに玄空は憤っていた。攻めるよりも護るほうが圧倒的に不利だ。そんなこともわからないわけでもないだろうに、ただの的でしかない未熟すぎる若者。そこに留まることが、護る側にとって計り知れないビハインドを負わせると、龍宗は夢にもおもっていない。

「(その愚直さが、己のみならず滅びをまねくのだ)」

 昔から、龍宗は腕っぷしが強いわりに、融通が利く子ではなかった。普通の家に生まれた子ならば、それでもよかった。しかし直線的な物の考え方や行動は、アンダーグラウンド屈指の組織シンジケートを率いていく身に壊滅的である。

 龍宗は、鋳紅堂会を継ぐ器ではない。それ以上に、ケンカ以上の本物の"荒事"に向いていない。

「(タキ、おまえは誠に鬼の跡を継ぐというのか?)」

「ガツッ!!」

 人の身体とは異なる音がし、初めて、防護壁に綻びができる。ことごとく阻まれた玄空の拳が、ついにシルバーの腕にめり込み、内部構造を圧し、押しつぶしたのだ。衝撃でヒューマノイドの右腕は肩から亀裂が走り、刹那、スパークとともに弾け飛ぶ。

 その手応えはあまりに人のものと似ていた。

「んぬっ!」

 ヒューマノイドの腕を断ち切ったとは反対の手で、玄空がその首をつかむ。ツルッとした細首にわずかに浮く継ぎ目。人型の機械なら必ず持つ弱点。体勢を崩したシルバーの足を払い、ヒューマノイドを背から地面に叩きつけた。

 熱された金属にジュゥ、と掌が灼けるが、ものともせず玄空が握力を高めていく。ヒューマノイドは窒息しない。だから玄空が狙うは絞殺ではなく、

 ヒューマノイドに暴れられば、さすがの玄空も押さえ続けてはいられない。玄空にとっても賭けだった。相手が人であれば、賭けに勝っていただろう。

 だが、玄空は手に渾身の力を込める寸前、ヒューマノイドと目があった。

 苦しも驚きも恐れさえ、読み取れない液晶パネルの偽りの緋眼は、ただ静かだった。

「……ご住職」

 湖面のような穏やかな声に玄空は手を止める。いつでもその首を取れるよう、力は緩めず、次の言葉を待つ。陽が僧の背を灼き、反射したヒューマノイドの肌が目に痛い。それでも玄空は、視線を外さなかった。

「なにかな? 守護者よ」

「御寺は人、限定ですか」

 ヒューマノイドの言葉にしばし、玄空は絶句する。時間稼ぎの類いなら即座に切って捨てるところだが、朱い双眸は真剣であると玄空の直感がつげる。

「……拙僧は修行の身。徒弟は求めておらん」

 意味の解釈に時間を取られたが、ヒューマノイドが目を伏せたところを見るに"弟子入りしたい"という意味で正しかったらしい。

「そうですか。ワタシも仏の教えを請いたいのですが、方法がわからず。ご住職ならば、とおもい至ったのです」

「理由をたずねても?」

「ええ、もちろん。ヒューマノイドにも悟りが開けるか……ワタシは知りたいのです」

「はっ……?!」

 僧とヒューマノイドの目がいっせいに声の出どころへ向く。

「……なんじゃそりゃっ?!」

 身を焦がす太陽を浴び、汗だくの学ランが口をあんぐりさせていた。

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