二幕.冥き巌(アンカー)

 666。夢燈寺ぶとうじの参道に敷かれた石の数である。

 9尺きっかりの幅に敷き詰めた黒ずんだ石のひとつひとつが後ろ暗い過去を持つ、忌み嫌われたものばかりだ。

 そのような石を、僧は進んで求めた。

 きたる者への戒め、己が業を忘れんがため。たとえ、仏の教えを請う身となっても、其が過去を赦さんがために。

「スッ、スッ……」

 身体の一部になるまで使い熟した草履の裏から感じるわずかな凹凸と質感の違い。星の数近く踏みしめたからこそ、擦り切れた鼻緒がまるで光ファイバーのように、居場所をリアルタイムで伝える。

 焦茶の法衣を袈裟懸けし、質素ながら一点の汚れもない真白の内衣をまとう僧、玄空には、移動をするため目を使う必要などなかった。夢燈寺ぶとうじは己が檻であり、境内はまた聖域に等しい。双子星のごとく陽を反射する坊主頭に汗の一滴もなく、静謐な面差しは僧が比較的、若いことを示している。

 しかし、武の心がある者ならば、若き僧が放つ気配が尋常ざるものと直感したはずだ。そうでなくとも、身の丈約7尺、2メートルを優に越す筋骨隆々の大男を、優男とはおもわないだろう。

 合掌し、一直線に歩く姿はまさしく高僧の気品すら感じられるが、その実、真逆にある。阿修羅のごとき殺気を、僧は修行によって自身の内に抑え込んでいるが、なおも溢れる闘気とよぶべき荒々しさは、あまねく世界を照らす太陽のように際限がない。

 その玄空をして、心中は穏やかではなかった。

「(これはまさしく業を重ねることに他ならない。友の血縁を手にかけることなど)」

 一歩また一歩と社殿から山門まで歩きながら、玄空は己の決断にいまだ迷いを自覚する。

 鬼宗から一報があったとき以来、葛藤し続けた選択。友と己の責務という天秤が、無数の死地をくぐり抜けた鋼の心をゆすぶり続ける。

「(だがあの男はかならず、事を成し遂げるだろう。そのあかつきには混沌が世を覆う。悪行を看過することは……己にはできない)」

 正門を前に屈強な仏僧は足を止める。

 玄空の精密機器さながらの知覚は3メートル先の門を通り越し、その向こうの気配と影を捉えていた。

「(あれは金棒ラボの新作か……? "人"の気配を完全に消している。人間ベースで歯がたたないならば、"いっそモノらしく"ということか。鬼が考えつきそうなことだ)」

 朱凰の光学迷彩シルバーメタルも、玄空の気配察知には意味をなさない。確かにその輪郭を捉えようとするのは、ブラックホールを直接"見る"ようなものであり不可能に近い。しかし、周囲から明らかに切り離された、その異質さを"感じる"ことは容易い。

 そして傍には、エネルギッシュだが隙だらけの青二才。"稀代の鬼"の後を継ぐ唯一の後継者。

 幼くして母親を無くして以来、龍宗は父親に厳しくしつけられ、一時を玄空の元で過ごした。子どもの扱いなどわからず、飯以外は放置しているうちになぜか懐かれた小僧っ子。

 それを拒絶する気にならなかった己を、けれどいまの玄空は悔いていない。役に立たぬ後悔など、とうの昔に捨て置いた。仏の道を歩む玄空に振り返る選択はない。

 あるのは己が責務を果たすこと。かつて自らの手で流した惨状を、ただ繰り返さないために。

「(ゆるせ龍宗。いまなら間に合う。輪廻へと還れるうちに)」

 狂僧が覚悟を決めた刹那、あらゆる人工センサより優れた勘が、を感知する。

 次の瞬間、なめし革のような足底が石を蹴った。

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