機功大師 玄空

ウツユリン

一幕.白銀(しろがね)の守護者(ガーディアン)

 深山、という言葉がある。

 地図にない日本列島のどこかに聳える覇山はさんは、幽谷もなければ標高も高くないが、紛うことなき深山だ。

 その覇山の、GPSさえも遮る樹海を奇跡といっていい確率で抜けた先に、ひっそりと夢燈寺ぶとうじ《ぶとうじ》の山門は建つ。黒茶色の寺門は焼き討ちにでもあったかのように朽ちかかり、一帯だけ、合戦跡のような異様な雰囲気を醸し出している。

 古寺まで、残り50メートルほどの地点から突如と木々が途切れ、凍原のように折れた幹が乾いた土から突き出ている。

「あづいー」

 剣山よろしく、切り株が散らばるを歩きながら、夏の陽差しをモロに吸収しそうな黒いモヒカン頭の龍宗たきむねが肩を落としていた。ニキビ面を玉のような汗が流れ、ガタイの良い肩からは砲弾並みの巨大水筒がぶら下がっているが、中はすでに空だ。最後に清流で給水してから約3時間、道案内に導かれるまま歩いてきた目つきの悪い青年の顔に、生気は最早ない。

「なんで木ぃ切ったんだぁ、空坊くうぼう《そらぼう》」

 刻々と近づく寺門を睨めつけ、モヒカンが袖で汗を拭いた。ふだんはやかましいだけの声量も、応援なのか野次なのかわからない後方の蝉の合唱で、愚痴は青天に消えていく。

 空坊くうぼう《そらぼう》、とは夢燈寺ぶとうじの住職・玄空げんくうに龍宗が付けたあだ名だ。かつての名を海空かいくうと言い、お坊となったことで戒名を得たいまも、龍宗は玄空の呼び方を変えない。

 龍宗の父・鬼宗きしゅうは、玄空の旧知であり、幼い頃の龍宗と何度も顔を合わせている。龍宗の記憶では、その頃まだ山門の近くまで森林があったはずだが、いまやかなり後退している。10年といわず玄空には会っていないのだから仕方ないだろう、と暑さでぼんやりする頭で龍宗はおもう。

「おい、銀ピカ。ボディーガードなら木なんか見てねぇで、水とってこいよ」

 煤けた枯れ木を、シルバーの指先でツンツンと突くのは、龍宗についてきた全身が銀一色のヒューマノイドだ。軽いステップで切り株から切り株のあいだを駆けながら、龍宗をガン無視してもの珍しそうに頷いている。

「ほぅほぅ。ほり代わりのバッファゾーンですか。しかもこの幹、シールドヴェールコーティングされている。さしずめ、切り株の杭ボラードといったところ。う~ん、じつに用心深い……ところで、ボッチャマ」

 2メートルほど先にいたはずのメタリックな姿が一瞬で龍宗の横に詰める。

「ボッチャマいうなてめぇ。だれがボッチャマだ」

 登山のあいだで瞬間移動のようなヒューマノイドの動きに慣れたはずの龍宗だが、身体が勝手に距離を取った。相手は夢燈寺ぶとうじまでの道中、熊を一撃でしずめた戦闘マシーンである。かつて龍宗の父も成し遂げたという人間離れしたワザをやってみせた機械を、おいそれとは信用できない。

 そのヒューマノイドがヌッと、テカった顔でにじり寄る。

「口がべらぼうに破滅的な貴方さまですよ、龍宗ボッチャマ」

「やかましいわっ! てめぇは、ジジィが寄越したただのボディガードだろが。人間でもねぇ……って近いわっ!」

 至近距離のヒューマノイドを押しのける龍宗。だが、高校生である龍宗より痩身のボディーガードはびくともしない。灼けたシルバーメタルの大胸筋に触れた龍宗の手がジュゥ、と音を立てる。

「あっつっ!」

 飛び退く龍宗の背には不自然に日光を反射する切り株。

「おっと……」

 ボラードに当たる寸前、バレエダンサー顔負けのステップでヒューマノイドが龍宗の腕をつかんだ。背中をのけ反らせたままピタリと止まる龍宗は、まるでパートナーに支えられた乙女である。

「あぶないですよボッチャマ。そのボラードは鉄をも切り裂く、対軍仕様。下手にふれれば真っ二つです」

「な、なんでそんなもんが……?」

 龍宗の腕をぐいっと引き、意味もなくターンをさせてからヒューマノイドがボラードから引き離す。

「御上を警戒して、でしょう。ご住職の華麗な経歴を鑑みれば、至極、自然な自衛策です」

「お上って……ジジィのことか?」

 腕をさすりながら怪訝な顔をする龍宗。謎の仕様の杭よりも、ヒューマノイドの発した人名に露骨な嫌悪感を抱いている様子だ。

 バチッバチッと瞼を金属音で鳴らし、ヒューマノイドが啓示を受けたように天を仰ぐ。

「ええ、そうです。泣く子も黙る……いやっ! 大悪人さえも御上をまえに涙は枯れ、ただ断罪のときを待つほかないのです。そう、アンダーグラウンドの王にして鋳紅堂会いくどうかい組長、火瞳鬼宗かどうきしゅうさまの御前ではっ! そしてワタシは、スーパーウルトラファンタスティックなセキュリティプロテクターヒューマノイドであり、御上がボッチャマをお守りするようにと……」

「はぁー。めんどうなもん、寄越しやがって……クソジジィめ」

 顔を手で覆い、深いため息を漏らす龍宗。飛んだり跳ねたりしている銀一色のヒューマノイドを見ていると、余計に頭がクラクラしそうだった。

 龍宗の護衛として鬼宗がつけたのが、このヒューマノイドSPセキュリティプロテクターである。その名を朱凰すおうという。鋳紅堂会先端技術開発部門、通称〈鬼の金棒製作所〉が鬼宗の勅令によってコネとカネとヒトを総動員して作り上げた。鬼宗の戦闘技能をプログラミングした、正規軍の戦闘ロイドをも凌ぐ特別な一体だ。

 だが、暑さが苦手とわかっていながら真夏の山寺へ修行に送り込んだ父親からの代物というだけで、龍宗の、"名前を呼んで堪るか"意地を盛大に刺激し、引き合わされて以来、龍宗は朱凰を"ジジィ代わり"と心に決めて目の敵にしている。

「どうせ、バッテリー切れか熱ですぐぶっ壊れるだろうし」

 龍宗が朱凰を敵視する理由はもう一つ。

 鬼宗が龍宗に命じた修行は3ヶ月だ。例外として、朱凰が自身を稼働不可と判断した場合のみ、鬼宗へ信号が送られ、迎えがやってくる。もちろん、龍宗は錆びた山寺でネジの飛んだヒューマノイドと3ヶ月も過ごす気など、さらさらなかった。

「なんだったらおれが……ブッ潰す」

 両の拳を突き合わせた龍宗は策を頭の中で復習する。

 強さの次元が違う鬼宗や旧友の玄空はともかく、見た目からして戦闘には不向きな朱凰に、後れを取ることがあるはずもない。これでも鋳紅堂会の跡取りだ。ケンカの経験には事欠かない。

 だがこのとき、龍宗は大きな見落としをしていた。

 朱凰は熊を指一本で撃退している。そして朱凰は鬼宗の動きをインストールされている。

 つまり朱凰は、のヒューマノイドであるということである。

「……ということですから、ボッチャマ。ワタシを倒して山を下りようなどと考えないことです」

「うぉっ?! いつからいたおまえっ?!」

 ワタシをいやらしい目つきでボッチャマが見ていたときからです、と朱凰は身体を抱える仕草をする。あいにく、昼にさしかかる時間帯の炎天下でメタリックなロボットにジト目をされても、龍宗は嬉しくもなんともない。

「わけわかんねぇよ。……人間でもねぇくせに」

 相手が人間なら、龍宗はわざと肩をぶつけていくところだ。ヒューマノイドにはそれが通じない。

 吐き捨て、傍を通り過ぎていく護衛対象の青年に、朱凰は考え込むようにシルバーメタルの目を細める。

「ふむ。人間ではないのは自明のこととおもっていましたが……おや?」

 朱凰は唯心論に思考を飛ばしかけ、ふと、〈鳶の目カイト・アイ〉が捉えたものに注意を向けた。〈鳶の目カイト・アイ〉は人工衛星に搭載される超高解像度カメラをはじめ、赤外線、X線など各種視覚入力装置サイトセンサの総称である。朱凰の"目"は、夢燈寺ぶとうじの朽ちかけてなお重厚な、高さ12メートル、横幅3メートルほどの楢の正門を透かし、本堂から裏庭まで、数羽の軍鶏しゃもが闊歩するほかは無人であると、樹海を抜けた先刻まで告げていた。

 しかしいま、エックス線越しにはマダラ模様に見える石畳の参道を、"熱源"がこちらへ向かって歩いている。朱凰より、ふたまわりもがっしりした体躯を支える足は、草で編んだ履物を纏っていた。草履は、まるで薄皮のように磨り減り、足底をつつむ。"熱源"の歩調は極めて一定で、わずかなゆらぎもない。

 己の一部となるまで使い込まれた道具。

 風雨によって削られた石を鼓動ひとつ変えずに進む半ば裸の足。

 それが意味するものを、ヒューマノイドは思考に深く刻まれていた。

 ゆえにSPセキュリティプロテクターは備える。

 先をゆく無警戒な学ランの背を護るために、己が取るべき行動を。

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