カクヨム・コネクション・メイクス・ミー・ハッピー
草薙 健(タケル)
カクヨムから拡散するもう一つの種
「さっさと白状したらどうだ?」
東京某所の警察署、その取調室の中。
私、
「少しは俺の質問に答えろよ!」
目の前に座っている刑事が、バンッと机の上を叩きながらまくし立てる。こんな感じの罵声を、今日もかれこれ五時間以上聞き続けていた。この部屋に入ってきたときにはパリッとしていた彼のスーツは、私を追い詰めるたびにしわが増えており、最早しなびた干し柿のような様相を呈している。
私は答えなかった。いや、答えられなかった。
私は泣いていた。
何故ここにいるんだろう。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。
なんで、私は
ただ私は、カクヨムで小説を書いていただけなのに。
目の前の刑事のように、何回も何回も脳の中で
「もう一度聞くぞ。お前はアメリカの知人に頼まれて、末端価格三千万円相当の大麻の種を密輸した。そうだな?」
私は弱々しく頷いた。
認めたくは無かった。だけど事実だ。
私は、麻薬密輸組織の片棒を担いでしまった。
「大麻の種は、お前がアメリカから持ち帰ったフィギュア人形二体の中に隠されていた」
もう一度頷く。
彼らの手口は巧妙だった。
私を陥れたミシガン州在住のナイジェリア人は、ハーバード大学卒のインテリで日本文化が好きなアメリカ人になりすまし、カクヨムに潜入していた。ターゲットを探し、小説に対するコメントを送り続けて親しくなり、ツイッターで交流し――いつしか恋仲に発展する。
そして、機会をうかがってオフ会と称してアメリカに招待し、麻薬の運び屋をやらせるのだ。
ラブ・コネクション。
恐ろしく時間はかかるが、気付かれにくくリスクが低い。
警察やマスコミ界隈では、このような人の好意を利用した麻薬密輸の手法をこう呼ぶらしい。
「そのことを、お前は知っていたな? ん?」
私は動けなかった。すでにこの刑事がした質問の内容を忘れていたからだ。
それを察したのか、刑事は同じ質問を繰り返す。一言ずつ、丁寧に、はっきりと。
「フィギュア人形二体の中に、大麻の種が隠されたことを、お前は知っていたな?」
私は首を横に振った。
「嘘をつくな! 本当は知ってたんだろ!?」
嘘じゃ無い。
「カクヨムとかいう小説投稿サイトを使って暗号で通信し、ずっとアメリカへ行く機会をうかがってたんだろう!?」
違う。本当に違う。
この刑事がなんでこのように考えているのか、全く理解できない。
私は単に『読み専』の彼と会いたかっただけ。
彼が嘘をついていたなんて知らなかった。
ましてや、アメリカでの別れ際にプレゼントとして受け取った、私の書いた小説の主人公をモデルにしたフィギュア人形の中に、大麻の種が入っているなんて知るよしも無い。
全く気がつかないうちに、麻薬の運び屋に仕立てられていたのだ。
私にも落ち度はあった。ガードが甘かったのだ。
カクヨムやツイッターはほとんど本名でやっていたようなものなので、個人を特定しようと思えばすぐにできただろう。私が大学院生であり、国際会議に出席するために度々海外へ行くことも、私自身から聞き出さずとも分かっていたはずだ。
彼ら麻薬密輸組織からすれば、私は『飛んで火に入る夏の虫』。向こうから招待するまでもなく、自ら海外に来てくれる絶好のカモ。
私は『チョロインなんて非現実』と思っていたが、実際にチョロかったのは私自身の方だった。皮肉などという言葉ではすまされない、残酷な現実。
接見した私の担当弁護士には「自白した方が早く楽になれますよ」と言われたが、ここだけは譲れない。
本当に知らなかったのだ。
それが罪だというのなら、私は甘んじて罰を受けようと思う。だけど、知りもしないことをどうして知っていたと言えるだろうか?
今なら、日本からレバノンへ脱出した元会長の気持ちがよく分かる。
逃げたい。逃げ出したい。何もかも放り出して、この状況から逃れたい。
「学会に参加するなんてただの口実で、本当は麻薬密輸が目的だったんだろう!?」
そんなの馬鹿げてる。
私はただの大学院生。アメリカで開催される学会に行くよう、指導教官に勧められただけ――
まさか。
教授も麻薬組織の一員で、グルだったとか……?
もうダメだ。
誰も信じられないし、信じたくもない。
嗚呼、早く楽になりたい……。
そして私は、嘘をついた。
■
私は検察に送検された。
弁護士にそのことを知らされたとき、私はてっきりどこか別の場所に身柄を移されるものだとばかり思っていたが、相変わらず警察の留置場に置かれたままだ。拘置所に移されるのは実際に起訴された後らしい。
最も、留置場と拘置所の違いが分からないのだけれど。
私に接見しに来た両親は泣き崩れた。
「なんで!? なんであんたはそんなことをやったんよ!」
私が嘘の自白をしたことを知ったのだろう。特に母の取り乱し方が激しく、その様子をアクリル板越しに見たとき、私の罪の意識はより一層深まっていった。
■
数日後、私は突然面会室に連れて行かれた。
聞けば、私と面会したい人が来ているという。家族でも担当弁護士でもないらしい。通常、面会できるのはその人たちだけだと弁護士から聞いていた私は、
こんな私に会いたい人って、一体誰だ?
最早誰も信用しないことに決めていた私は、最大級の警戒心を持って面会室へと入った。アクリル板を挟んだ向こう側にいたのは、四十代くらいの円形ハゲが進行しているおじさんだった。
「こんにちは、種田さん」
朗らかな声……だと思う。今の私には全てがとげとげしく聞こえる。
「……どちら様でしょうか」
「嗚呼、これは失礼。僕は冤罪被害者救済NPOの代表をしております、弁護士の谷崎と申します」
「冤罪?」
「はい、その通りです」
「何かの間違いじゃ無いでしょうか。私は実際に麻薬を運びましたよ」
「はい、その通りです」
このおじさん、私のことをバカにしてるのかな?
「ですが――僕にはどうしてもあなたが自分の意思で麻薬を運んだとは、到底思えないんですよ」
分からない。事情が飲み込めない。
なんでそんなことが言い切れるんだろう。
「おじさんはなんでそう思うんですか」
私は消え入りそうな声でそう尋ねた。
「僕の名前に聞き覚えはありませんか?」
「……何を仰ってるのか、全く分かりません」
「嗚呼! そうでした。失敬失敬」
おじさんは仰々しく頭を下げて謝罪の意思を示す。
ハンカチを取り出し頭にかいた汗を拭き取ると、彼はこう続けた。
「では、こう名乗ることにしましょう。『ざきった』と」
それを聞いた瞬間、私は息をのんだ。
私は知っている。彼の名前を。
「そうです。カクヨムでのペンネーム。小説に度々コメントさせて頂いた、あなたのファンです」
私の目から、涙が溢れ始めた。
「あなたの異世界ファンタジー小説は素晴らしい。悪を許さず、正義感に溢れ、それでいて、どんな女の子達にも優しく接する主人公……。そんな物語を作るあなたが、こんな犯罪を犯せるはずがありません」
『ざきった』さんは、私を騙したナイジェリア人の『アメリカン・スナイパー』と争うように、私の小説にコメントをくれる人だった。そのコメントは温かみに溢れ、何度こちらが癒やされたか分からない。
「あなたのことはカクヨムで大きな話題になっています。今は直接お見せすることが出来ませんが、小説のコメント欄にはあなたを心配する声で溢れてますよ。署名運動すら起きてます」
もう枯れ果てたと思っていた涙が、洪水のような勢いで流れ落ちる。
「あなたが蒔いた小説という種は確実に皆さんに拡散し、花開いてますよ」
私は、カクヨムによって全てを奪われたと思っていた。
だけど。
今は逆に、救われようとしている。
カクヨムで小説を書いていたから。
カクヨムでみんなと繋がっていたから。
カクヨムは、私に希望の光をもたらそうとしている。
「でも……私は罪を犯しました……」
「何を仰る! 全く事情を知らずに密輸に加担した場合は無罪になるんですよ! あなたの弁護士は一体どんな仕事をしてるんでしょうか? 今すぐ解任してください! 全責任を負います。私達があなたを全力で弁護します!!」
■
やがて、裁判員裁判が始まった。
私は、罪状認否で一転して罪状を否認。検察側はさぞ慌てたことだろう。
予想通り、検察は私の自白を盾に徹底抗戦してきた。
しかし、谷崎さんを中心とした弁護団はまさにやり手だった。犯罪を立証するためには、有罪の根拠となる自白以外の明らかな証拠――補強証拠が必要だったのだ。
谷崎さん達は、検察が提出する証拠と称したものを次々と否定し、検察の主張を何から何まで鮮やかに論破していった。
カクヨムのアクセス記録、アメリカ出張の事務手続き、フィギュアの作りから駅前の防犯カメラまで……。
それはまるで法廷ドラマを見ているような光景だった。
もちろん、指導教官が密輸のために私をアメリカに送り込んだなんてことは、単なる妄想だった。教授にはわざわざ裁判所まで来てもらって申し訳なかったと思うと同時に、本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。
そして、私は無罪を勝ち取った。
■
私は、再びカクヨムに向き合っていた。新しい小説を書くために。
タイトルはどうしようかな……。
数分逡巡する。そして、ある映画の存在を思い出した。
原作は、ロビン・ムーアというハーバード大学卒業の作家が書いた小説。フランスで実際に起こった麻薬密輸事件がモデルとなっており、確かアカデミー賞も複数部門を勝ち取っているはずだ。
私は、その映画のタイトルを模して新規小説のタイトル欄にこう打ち込んだ。
『カクヨム・コネクション』
もう二度と、私のような思いをする人が現れないで欲しい。
私はそう思いつつ、おもむろにパソコンのキーボードを叩き始めた。
(了)
カクヨム・コネクション・メイクス・ミー・ハッピー 草薙 健(タケル) @takerukusanagi
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