私は貴女を

佐藤令都

私は貴女を

 年後の妹が大好きだった。いつだって私の後ろを追いかけて、何をするにも二人一緒だった。年の差が一個だったから双子も同然、むしろ友達の様な関係のままで十五年過ごした。

 喧嘩をする事も時々あった。おもちゃの取り合い、おやつの大小の違い、悪口をどちらが先に言ったか、手を出したのはどっち……。原因は小さなものだ。幼いうちはさぞ両親も手を焼いたことだと思う。母はよく私達を諌めてくれた。妹の言い分を先に聞き、次に私の言い分を聞いてくれた。でも、公平に物事を測ってくれていた訳ではないと気付いたのはいつだろう。


「お姉ちゃんでしょ、日和に優しくして」


「お姉ちゃんでしょ、我儘言ったらだめよ」


「お姉ちゃんでしょ、我慢して」


「お姉ちゃんでしょ、妹に譲りなさい」


「お姉ちゃんでしょ、いい子にしてて」


「お姉ちゃんでしょ、これくらい一人でやって」


「お姉ちゃんでしょ、日和のお手本になりなさい」


「お姉ちゃんでしょ、もっとちゃんとして」



 どれだけ自分がいい子にしようと振舞っても、自分の意志を殺してまで優しくしようと心掛けても、結局は「お姉ちゃんでしょ」の一言で片付けられてしまう。妹の責任は姉である私の責任。

 私が幾ら努力して、我慢して、両親の望む「お姉ちゃん」を演じようとも、一年

後には彼女が全て上書き保存をしてしまう。


「日和は偉いな、それに比べて満月は……」


「満月は…だったのに、日和は優しいな」


「日和は賢いよ、満月は…なのに」


「満月にない…を日和は持っているなんて」



 学校のテストでも、大会の結果であっても、体育の成績、教師からの評判、友達からの慕われよう……。なんでもかんでも私よりもよく出来た子だった。それが私には誇らしかった。「私は日和のお姉ちゃんなんだ」って。自分が胸を張って言えることがそれしか無いから。周りから「日和の姉」として比較の対象にされていても、彼女は私の「妹」だった。彼女よりも一年前を歩けるから。来年になれば自分の全てを超えて行ってしまうことが解っていても。


「日和の届かない場所に行こう」と去年の私は努力した。

 進学校に行けば絶対周りの目が変わると思ったから。

「満月ちゃんも頭が良いんだね」って言われたかった。

「お姉ちゃんは私よりも凄いんだよ」って言わせたかった。

「満月、頑張ったな」って認めて欲しかった。

 日和、日和って私なんて見向きもしない両親に、教師に「私」を見て欲しかった。「私」は「私」。「日和」の肩書きが無くても「満月」を認めて欲しかった。

 あの時の私の全てだったんだ。毎週見てたテレビも漫画も、友達と遊ぶ約束、楽しい放課後の寄り道、睡眠時間……。全てを捨てた。片想い相手と話す切っ掛けも、親友との付き合いも、全部、全部! できるはずだった有意義な思い出の可能性も全て! 全て!! 私は勉学に注ぎ込んだ。勉強していないと落ち着かない、寝てる時間も食事の時間も無駄だと思える程に身も心も削った。学校や塾の教師に「これなら大丈夫」と言って貰えるほどペンを離さない生活を続けた。心身がぼろぼろだった。「日和に負けたくない」と思う事が唯一の支えだった。

 県内一の進学校を受験した。初めてこんなに周りから期待されている感覚だった。嬉しかった。努力は必ず報われるとあの時ばかりはその言葉にすがっていた。


 結果は不合格だった。

 周りからの視線? 知ったことか! 志望校の校門を出る前に膝を着いて声を上げて泣いた。嗚咽が零れても、涙で顔がぐしゃぐしゃになっても泣き叫んだ。合格者の哀れみの声なんてどうでも良かった。聞こえた所で結果は変わらないのだから。私の全てをかけて尚、神様に「あなたは日和に勝てない」と言われた気分だった。運命を恨んだ。


 あの日、あの時捨てた全てを返して欲しかった。認めて欲しかった! 私の十五年の人生をかけた全てを!!「運が無かったんだよ」の一言で片付けられたくなかったんだ!!


 日和は私を見て言った。

「来年はお姉ちゃんの敵を討つから、見ててよ」

 自分でなし得なかった事を託すのは悔しかったが、この思いを無駄にしないでくれるという提案はそれ以上に嬉しかった。同時に彼女は私が「日和の先を行く事」を目標にしていた事を知らない。それがとても不憫に思えた。彼女は善意で言ってくれているとわかっていたが、それはとても空虚な、欺瞞とも感じられる偽善者の戯言に聞こえた。

 彼女は「お姉ちゃんの仇を討つんだ」と家族にも教師にも触れて回った。「お姉ちゃん、私頑張るから」と笑顔で宣言してくれた。胸の奥が苦しく、息が詰まった。彼女が合格したら、それこそ自分を否定される気がして、真っ直ぐに彼女を見ることもままならなかった。


 翌年、彼女は私の志望校に合格した。報せを聞いて私は去年よりも泣いた。

「なんで、アンタが合格してるんだよ!! 私だって頑張った! アンタの比じゃないくらい、寝る間も惜しんで勉強した! 日和と違って孤独を選んで!! なんで中途半端な努力しかしていないアンタが選ばれるんだよ!! 日和が選ばれて、私が落ちた理由は何処にあるんだよ!! 私の可能性を返してよ! 私の願った未来を頂戴よ!!」

 胸ぐらを掴んで昔みたいに怒鳴り散らせたならばどんなに楽だろう。彼女が本当の天才で、机に向かっている姿を私が見ていなければ諦めはついたかもしれない。悔しい、悲しい、誇らしい、恨めしい、羨ましい!! ずっと貴女が!! 私が折角敷いたレールを何故、貴女は! 我が物顔で! のうのうと! 歩くのですか!! 人の苦労を知らずに! 否!! 知ろうとさえせずに!! 自分も頑張ってるんですよ、ちゃんとお姉ちゃんよりも頑張ってるんですよって……。

 笑わせないでよ! お話にならないわ!

 貴女は知らないでしょう? 何も無いまっさらな所から道を開く気力も、苦労も、努力も、時間でさえも!

 知る由は無いでしょう? 何でこんな子に育ったんでしょうって、言われる気持ちも。貴女が真っ当な道を歩める様に実験台になる覚悟も。努力を踏みにじられる苦しさも。


 ――日和、貴女は知らないでしょう?


 羨ましいよ。貴女が、日和。ずっと前から羨ましかった。真面目ぶってる訳じゃないのに良い子にできて。知らぬ間に周りからの信頼を得て。不器用な私と違って直ぐになんでもできて。愛らしい見た目を驕りもせずに、ちゃんと優しくて。意識せずにいつも笑顔で……。なんでこんなにも世界を純粋に信じているのでしょう!不思議で不思議で仕方がないわ! 貴女と違って誰が私を信じるの? 私しかいないんだよ! そんな自分でさえも「私」を信じているとは思えない。


 ――日和、貴女はこの孤独を知らないでしょう?



 私が通う滑り止めの学校が楽しければ、彼女の事なんてどうでもよかったかもしれない。同級生は私と同様に来るはずじゃないこの学校に通っている。「所詮ウチの学校は自称進学校」だからと、入学してから何度聞いた事だろう。志望校に行けなかった「落ちこぼれ」のレッテルは今更どうしようと消える訳じゃない事は共通認識だ。これからがこれまでを変える、だとか、未来は自分で変えられる、だとか偉ぶる教師共は知っているのだろうか? 未来を変えたところで過去は無かった事に出来ないと。どんな大学に行こうと、どんな会社に就こうと、一番じゃない高校にいたことは変わらないんだ。その事実がどれだけ自分を鎖で縛っているか……。過去に戻れるなら戻りたいさ。代償が何であったとしても! そのくらいの覚悟はあるけれど、誰も私の願いは叶えてくれない。

 事実から目を背けたい。貴女は私にしてみればとても眩しく、綺麗だ。日向に生きる貴女は、日陰に生きる私とは違うなんてずっと前から知っていた!

 苦しいんだ。貴女の前を歩くことが。自分より優れた人間を先導するにあたって、一年ぽっきりの期限付きでも、相手よりも優れた人間でありたいと思ってしまうから。もっと楽で簡単な道なんていくらでもあると思う。両親に見放されるくらいダメな子になってみようか。努力する事を放棄しようか。選択する自由くらいあるんだ。その一歩をどうしても踏み込めない私をどうか嗤ってくれ!


 五分に一回死にたいと思った。

「飛び降りてみれば?」

 帰り道に廃ビルの屋上を訪れた。フェンスを乗り越えた。人気のない道、アスファルトが夕日色に染まっていた。数秒後には赤く、赤く私の血液で濡らしてしまうと考えると、覗き込んだ数メートル下の地面に雫が一粒こぼれ落ちた。ローファーから宙に身を投げる覚悟はなかった。


「薬、やってみれば?」

 致死量の睡眠薬を飲んでみようと思った。薬局でカラフルな箱の並ぶ棚の前に立った。一番安い箱を手に取った。レジに持って行く勇気はなかった。


「リスカすれば?」

 カッターを左手首にあて、思いきり引いた。赤々とした血液がドクドクと流れ出る。自分は生きているんだと感じた。多くの人が語るリストカットの快楽を私は理解出来なかった。ティッシュで手首を押さえ、傷口に絆創膏を貼った。腕に残る血痕をまじまじと見た。

 ……私は一体何がやりたいんだろう?ただ楽になりたくて、自殺未遂にも満たない自傷行為を繰り返して、日和から、現実から目を逸らす日々に助けを求めた。苦しいのなら、もうペンを離せばいいのに、今更離すことなんて出来なかった。十五年の歳月によって染み付いた「お姉ちゃん」の足枷は、簡単に離れてくれない様だ。彼女の事を憎んで、嫌いだと思ってしまえば、この鎖は緩んでくれるのかもしれない。

 ……もう、遅いんだ。既に私は日和を愛してしまっている。彼女の存在全てが愛おしいと思ってしまっているから。自分の不運を彼女に押し付けることは、もう、出来ないんだ。


 そう、全て「私」が悪いんだ。

「お姉ちゃんでしょ、良い子にして」いつ言われた言葉だったか思い出せないが、現実から目を背け続ける私は「悪い子」なんだ。血に染ったカッターの刃をカチカチと出す。なんて心地よい音でしょう! 錆び付いた鉄の香りが鼻腔をくすぐる。嗚呼、胸の内を満たされる歓喜! 歓喜! 歓喜! これで私は、やっと私は! 首筋に金属の冷たさが伝わる。

「日和、こんなお姉ちゃんでごめんね。こうでもしないと私は貴女を……。」

 刃渡り数センチのカッターは朒を血管を断った。

 さようなら、私の愛した世界。

 貴女は私の……。


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