終章

 早暁そうぎょうの鐘の音が、遠くの山々にこだました。

 昇る朝日が、一面に揺れるすすきの穂を鮮やかに照らし出す。頬を過ぎる風が、微かに残る草の香りを静かに運んできた。

 朝露に濡れる衣の冷たさに、慈雲はふっと目を覚ました。

 御堂に差し込む日の光に照らされ、同じく露に濡れた床がきらびやかに輝いている。


 「夢・・・・・・か」

 微かな呟きが、吹き渡る秋の風にさらわれ、静かに消えて行った。

 

 ふところから新たな草鞋わらじを取り出すと、慈雲は御堂の外に降り立ちもう一度境内を見渡した。

 苔むした参道から少し離れた所に、古き塚が立てられている。

 ふと目をやると、そこには一輪の野菊が供えられていた。その隣には、空になった水桶みずおけが一つ。

 「げに、不思議なることよ」

 慈雲はもう一度その塚に向かい経を唱えると、手にした笠を目深に被り、無住の寺をあとにした。

 


 「さて。さぞかし弟子どもが、首を長くして待っていよう―――」

 いつしか日は中天に差し掛かり、麓に広がる山村からは、そこに住する人々の明るい声が遠く響き渡っていた。



                                   【了】





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能楽物語 その壱【井筒】 浮世坊主 @kuyabou

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