3 ②仏教説話(お経・観音利益)型

収録:

本朝法華験記ほんちょうほけげんき』巻下 第百廿三 山城国久世郡やましろのくにくせのこおりの女人

『今昔物語集』巻第十六 山城国女人、依観音助遁蛇難語山城国の女人、観音の助けに依りて蛇の難を遁るる語第十六

観音利益集かんのんりやくしゅう』三九 (欠題かつ前後に欠有)

元亨釈書げんこうしゃくしょ』第二十八 寺像志

古今著聞集ここんちょもんじゅう』巻二十 魚蟲禽獣 六八二 山城国久世郡やましろのくにくせのこおりの娘、観音経かんのんきょう功徳くどくかにの報恩とにより、蛇の難をのがれ得たる事

『「説話」大百科 大語園』より「蟹満寺記かにまんじき


説話としては一番多い。


本朝法華験記ほんちょうほけげんき』は鎮源ちんげんという僧の書いた法華経ほけきょうというお経による霊験を集めた仏教説話集。成立は長久年間(1040-1044)。

メインとなる人物の特性ごとに分類されてて、この話は「優婆夷うばい(=女性の在家信者)」の分類に入っている。そのフォーカスポイントのせいか古典大系からは弾かれてて、思想大系から出てるんだよな、翻刻ほんこく


元亨釈書げんこうしゃくしょ』は鎌倉時代に虎関師錬こかんしれんによって書かれた仏教通史。1322(元亨げんこう二)年上程。文学というよりは史料。


観音利益集かんのんりやくしゅう』はこの中で一番マイナー。成立における未詳部分も本文の欠損部分も多いが、一応、唱導のための仏教(特に観音)説話集らしい。

実際この話もクライマックスの一部しかないし、何より、科の合同研究室にあるコピーをためらうぐらいボロボロの文庫本でしか翻刻ほんこく見たことない(コピーはびくびくしながらなんとかした)


『今昔物語集』はhttps://kakuyomu.jp/works/1177354054894714390/episodes/1177354054894717258の最後の方参照。


古今著聞集ここんちょもんじゅう』はhttps://kakuyomu.jp/works/1177354054894714390/episodes/1177354054894714423の最後の方参照。


とりあえず内容は『今昔物語集』準拠で。


――――――――――――――――――――――


 昔、山城国やましろのくに久世郡くせのこおりにいた人の娘で、七歳の頃から法華経ほけきょう観音経かんのんきょうを習って、唱えている者がいた。

 毎月十八日には精進しょうじんして観音に祈っていた。十二歳になった時にはついに法華経ほけきょう丸々一部を習い終わってしまった。

 幼いけれども、慈悲深く、悪しき心はなかった。

 ある時、この娘が家を出て歩いていると、捕まえたかにを縛って持って歩いている人がいた。

 娘がそれを見て、「そのかにはどうするつもりですか」と問うと、その人は「持って帰って食うつもりだ」と答えた。

 娘はそれを聞いて、「そのかにを私にください。代わりに我が家に(死んだ)魚が多くあるから、それを与えましょう」と言って、その通りに娘はかにを得て、その人に魚をあげた。

 娘はこのかにを川に持って行って放してやった。

 その後、この娘の父親が田を作っていると、毒蛇が蛙を飲もうと追って来るのとあった。

 父親は蛙をかわいそうに思って、蛇に向けて、「お前、その蛙を許してやりなさい。わしの言ったことに従うなら、お前を婿むことしてやろう」などと嘘をついてしまった。

 蛇はこれを聞いて、父親の顔を見ると、蛙を追うのをやめて、やぶの中に入ってしまった。

 父親は「つまらぬことを言ってしまった」と思って家に帰り、この事を嘆いて物も喉を通らないありさまだった。

 母親と娘が「どうして物も食べずに嘆いているのか」と問うと、「これこれこういう事があって、思ってもいない事を言ってしまったので、それを嘆いていた」と答えた。

 これを聞いた娘が「早く食べてください。嘆くことはありません」と言ったので、父親はそれにしたがって物を食べて嘆くことをやめた。

 その夜に門をたたく者がいた。

 父親が「これは例の蛇が来たに違いない」と思って娘にそれを告げると、娘は「三日後に来るように言ってください」と言う。

 さて、父親が門を開いてみると五位ごいよそおいをした人がいて、「今朝の約束によって参上した」と言う。

 父親が「今日から三日後にいらっしゃってください」と言うと、この五位ごいよそおいをした人はそれを聞いて帰って行った。

 その後、娘は厚い板で倉代くらしろを作らせると、その周りを固く作らせて、三日目の夕方にはこの倉代くらしろに入って戸を強く閉じた。

 そして、父親には「今夜、あの蛇が来て、門を叩いたら、すぐに戸を開いてください。私はただ観音様の加護を願います」と伝えてこもっていた。

 夜になってすぐ、あの五位ごいよそおいをした人が来て門を叩いたので、すぐに門を開いた。

 五位ごいよそおいをした人は入ってきて娘のこもった倉代くらしろを見ると、怒ってもとの蛇の姿となって、倉代くらしろを囲うように巻ついて、尾でその戸を叩いた。

 娘の両親はこれを聞いて、恐れるしかない。

 夜中になると、この戸を叩く音がやみ、蛇の鳴く声が聞こえたが、その声もやがてやんだ。

 夜が明けて見てみると、大きなかにを始めとして、沢山のかにが集まって来ていて、この蛇を刺し殺していた。かに達はみなどこかへ去って行った。

 娘が倉代くらしろを開いて、父親に語るには「私が夜もすがら、観音経かんのんきょうを唱えていると、端正で美麗なお坊さんが来て、私に『お前は恐れることはない。ただ”蚖蛇及蝮蝎がんじゃきゅうふくかつ気毒煙火燃けどくえんかねん”という文を唱えなさい』と教えてくれました。これは観音様の加護によって難を逃れたということでしょう」とのことだった。

 その後、蛇の苦しみを救済し、かにを罪のむくいから助けるために、この地に蛇の死骸を埋めて、その上に寺を立てて、仏像を作り、写経をして供養した。

 この寺の名を蟹満多寺かにまたでらという。この寺は今もあるが、世の人には紙幡寺かみはたでらと呼ぶ人がいる。このことを知らないせいだろう。

 この話を思うに、この娘はただ者ではないと思われる。観音の霊験は不可思議なものだと、世の人は尊んだと語り伝えられている。


――――――――――――――――――――――


注釈はこんなもんかな。


――――――――――――――――――――――


山城国久世郡やましろのくにくせのこおり

 現京都府城陽市近辺。奈良⇔宇治間の道筋にあり、古くから知られた地。

 郷名としての久世もあり、鷺坂、小笹峯などの歌枕がある。河内の交野とともに知られた狩猟場だった。


観音経かんのんきょう

 法華経ほけきょう第二十五品の普門品ふもんぼんだけを別出したもの。もともと独立したものだったとも。正式名称は観世音菩薩普門品かんぜおんぼさつふもんぼん観世音菩薩かんぜおんぼさつ観音かんのん様の正式名称。

 法華経ほけきょうのうち、独立して唱えられ、観音信仰が盛んになるとともに広く流布した。その内容は観音菩薩の衆生救済(現世利益げんせりやく含む)を説く。


・我が家に(死んだ)魚が〜

 生きてる魚だったらこの子絶対こんなこと言わない。


五位ごい

 位階の五位ごい少納言しょうなごん太宰大弐だざいのだいになどが相当。

 六位蔵人ろくいのくろうどのぞき、この位以上が殿上人てんじょうびと清涼殿せいりょうでんへの昇殿しょうでんを許された者)。衣服は浅い緋。

 秦の始皇帝が雨宿りした松にさずけたり、醍醐天皇が神泉苑しんせんえん御遊の際にさぎさずけたりと、人間以外にさずけられた話があり、五位ごいという言葉だけで、まつ五位鷺ごいさぎどちらもさす。


倉代くらしろ

 仮の倉。今回三日で急ごしらえしたわけだしね。


蚖蛇及蝮蝎がんじゃきゅうふくかつ気毒煙火燃けどくえんかねん

 観音経かんのんきょうの一節。ちなみに観音経かんのんきょうは大河ドラマ(直虎)で歌のように使われてたはずです。

 読み下しは「蚖蛇がんじゃおよ蝮蠍ふくかつ気毒けどく煙火えんかのごとくゆるも(トカゲ、蛇、マムシ、サソリが烈火のごとく怒っても)」

 この後に「観音かんのんの力を念ずれば、声にいでおのずからかえり去らん(観音様の力を頼れば、その声を聴いて自分から帰ってくよ)」と続く。


・蛇の苦しみを救済し、かにを罪の報いから助ける~

 蛇身じゃしんというのは仏教、特に今回ベースにした『今昔物語集』では苦しみに満ちた生として語られる。

 かにを罪の報いから助けるについては、娘が助かるかわりにかにに不殺生戒を破らせてしまったことになるため。


――――――――――――――――――――――


そしたら違いをクリティカルな部分だけ違ってるやつだけ上げてくか。

書いてなかったら『今昔物語集』と同じです。


――――――――――――――――――――――


・山城国久世郡

 『観音利益集かんのんりやくしゅう』 欠損

 「蟹満寺記」 京都相楽郡そうらくぐん棚倉村たなくらむら綺田かばた(旧国名、旧地名では山城国やましろのくに相楽郡さがらかのこおり蟹幡かむはた


・初日、五位ごいよそおいで来訪する蛇

 『観音利益集かんのんりやくしゅう』 欠損

 『元亨釈書げんこうしゃくしょ』 衣冠人衣冠の人

 「蟹満寺記」 衣冠束帯


・「三日後来てください」と父親が告げる

 『観音利益集かんのんりやくしゅう』 欠損

 『古今著聞集ここんちょもんじゅう』 「二、三日後来てください」と父親が告げる

 「蟹満寺記」 「三日後来てください」と娘が告げる


・「肝があぐらでもかいてるのか」レベルで基本冷静に対処する娘

 『本朝法華験記ほんちょうほけげんき』 冷静だけどクライマックスで顔面蒼白

 『観音利益集かんのんりやくしゅう』 欠損のため不明

 『古今著聞集ここんちょもんじゅう』 恐れ、隠れる(ある意味順当)


・死んだ蛇の様子

 『観音利益集かんのんりやくしゅう』 蛇は死んでいた。

 『元亨釈書げんこうしゃくしょ』 蛇は百あまりの傷を負っていた。

 『古今著聞集ここんちょもんじゅう』 さんざんにはさみきられていた。

 「蟹満寺記かにまんじき」 蛇もまた重症を受けて死んでいた


・端正で美麗なお坊さん

 『本朝法華験記ほんちょうほけげんき』 一尺計いっしゃくばかりの観音

 『観音利益集かんのんりやくしゅう』 一尺計いっしゃくばかりの観音

 『元亨釈書げんこうしゃくしょ』 一菩薩がいた(いや、原文が「有一菩薩」なんだけど)

 『古今著聞集ここんちょもんじゅう』 一尺計いっしゃくばかりの観音

 「蟹満寺記かにまんじき」 一人の菩薩

 ※つまり『今昔物語集』がマイナー路線


・↑で現れた者が教えてくれること

 『元亨釈書げんこうしゃくしょ』 恐れることはない。私が君を守ろう

 『古今著聞集ここんちょもんじゅう』 恐れることはない(言い切り)

 「蟹満寺記かにまんじき」 恐れることはない(言い切り)


・娘が積んだ功徳(七歳で観音経かんのんきょう唱える、十二歳で法華経ほけきょう全部、五戒十善、月一精進しょうじんかにの放生、倉代くらしろでの一晩中観音経かんのんきょう

 『観音利益集かんのんりやくしゅう』 一晩中の観音経かんのんきょう(欠損により他不明)

 『元亨釈書げんこうしゃくしょ』 七歳で観音経かんのんきょう唱える、かにの放生、一晩中の観音経かんのんきょう

 「蟹満寺記かにまんじき」 法華経ほけきょう暗記、かにの放生、一晩中の観音経かんのんきょう


・最終的な帰結(蟹満多寺かにまたじ縁起、観音利益の偉大さ)

 『本朝法華験記ほんちょうほけげんき』 蟹満多寺かにまたじ縁起のみ

 『観音利益集かんのんりやくしゅう』 欠損

 『元亨釈書げんこうしゃくしょ』 蟹満多寺かにまたじ縁起のみ

 『古今著聞集ここんちょもんじゅう』 仏法の力の偉大さ

 「蟹満寺記かにまんじき」 蟹満多寺かにまたじ縁起のみ


――――――――――――――――――――――


よくスラスラ書けるとか思った? レジュメ作成で表作ったからそこからの転記だよ。

まあ、ぶっちゃけ、この話の中の差異で異色なのは、唯一寺の縁起として終わらない『古今著聞集ここんちょもんじゅう』である。


これが実はとんでもねー大問題だったりするので、重箱の隅つつきタイムはじめたいんだけど、あとに回すね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る