3 今昔物語集の狐

まず事前に、本朝の話かつ狐が人を化かすタイプの話に限ることを断っておく(多すぎるため)


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巻十四 本朝

第五 野干やかんの死にたるを救わんが為に法花をうつせる人のこと


※古今著聞集 第二十 魚蟲禽獣

 「或男あるおとこ朱雀大路にして女狐の化したる美女にひてちぎる事」とほぼ同じため相違点のみ列挙


後朝きぬぎぬに女が「私が身代わりに死ぬことは間違いないので、写経して弔ってくれ」と言うが、男は「男女が通ずることは世の常なのだから、必ずしもそうではないだろう。だが、本当にあなたが死んだなら法華経を写経しよう」と信じずに侮って答えた。女は「事の真偽を確認したければ、武徳殿に来ればいい。その代わり、証として」と言って男の扇をもらい受ける。

・男が武徳殿に向かうと、一人の老婆が現れ、男と相対して泣き出した。男が「どうして泣いているのか」と問うと、老婆は「私はお前が朱雀大路で会って契った狐の母だ。あの子はそこで死んでいる。それを告げるためにここにいる」と答えた。男が怪しんで寄ってみると、女に渡した扇で顔を覆った狐が死んでいた。


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巻十六 本朝

第十二 備中國賀陽びっちゅうのくにかや良藤よしふぢ、狐の夫と為りて観音の助けを得る語


 昔、備中国の賀陽郡かやのこおり葦守あしもりの郷に良藤よしふぢという者がいた。

 商売をして、裕福な家だったが、良藤自身は生まれついての好色家だった。

 寛平八年の秋頃に自身の妻が京に出かけていた間、一人で家にいたときに、夕暮れ時に外を少し歩いていると、年若い見慣れぬ美しい女がいるのを見つけたので触れようとした。

 女が逃げようとしなかったので、良藤は近付いて女をつかまえると、「何者だ」と問うた。

 女が「誰でもない」と答える様は品があり、良藤が「俺の家へこないか」と言うと、女は「いやだ」と言って離れようとする。

 そこで良藤が「お前のところに連れて行ってくれ」と言うと、女は「あそこに」と言って良藤につかまえられたまま、ごく近くの美しい家へと向かった。

 良藤が「こんな家があったのか」と思っていると、女の前に多くの人が出てきて「帰って来た」と騒いでいたので、「この女はこの家の娘か」と良藤はうれしく思い、その夜にこの家で女と契った。

 翌朝、家の主と思われる人が出てきて、良藤に「なるべくしてなったのでしょう、今はここで過ごしてください」と言って、もてなしたので、良藤の心はこの女に移り、この家で寝起きしている内に、元の家や子どものことを忘れてしまった。

 一方元の家では、夕暮れから良藤の姿が見つからないので、「どこに隠れたか」と思っていたが、夜になっても見つからなかったので「どこに行ったのか探せ」と口々に夜中を過ぎても探したが近くには見当たらなかった。

 「遠くに出かけたのかとも思ったが、旅装束はすべてそろっている。普段着で出かけたのか」と騒いでいると夜が明けたので、行きそうな場所に当たってもみたが見つからない。

 「若く心の不安定な者であれば、出家したり身を投げたりはするが、おかしなことだ」と家の者が騒いでいたその頃、良藤のいるところでは年月が経って女が懐妊し、子供を産み、ますます愛情深く過ごしている間に年月がたちまちに過ぎ去っていくように良藤は思っていた。

 元の家では良藤を探し回ったが見つからず、良藤の兄弟や吉備津彦神宮の禰宜ねぎや子など、みなが嘆き悲しみ、「せめてその遺体だけでも」と願いを起こして良藤の身長と同じ丈の十一面観音像を造り、良藤の後世を弔った。

 その頃、良藤の許には突如として一人の杖を突いた人がやってきて、家の人々は主を始めとして、この人を怖がり逃げ出した。

 この人は杖を使い、良藤の背を突いて、どこか狭いところから押し出してしまった。

 良藤が行方不明となってから十三日の夕暮れに、みなが良藤を偲んで悲しんでいると、目の前の蔵の下から真っ黒な猿のようなものが這い出して出てきたので、「なんだこれは」と見てみるとそれは行方不明の良藤だった。

 良藤が「一人でいる間に、女が恋しくなった時、ちょうど美しい女の婿になって長年暮らす間に一人の男の子が生まれた。美しく、朝夕と自分が手を放すこともなかった。その母親を重んじて、これを跡継ぎとしようと思う」と言ったので、良藤の子供が「その子はどこにいる」と尋ねると、「あそこにいる」と蔵を指さした。

 人々が驚いて良藤をよくよく見ると、病にかかったようにやせ細り、着物は行方不明になった時のものと同じだった。

 そして、蔵の下を見てみれば、多くの狐がいて散り散りに走って逃げて行った。

 そこには良藤が寝ていたと思しき箇所もあり、みな「良藤は狐に化かされて、その夫となって正気をなくしているのだ」と気づき、すぐに高僧や陰陽師を呼んで祓いをさせ、何度か沐浴させているとその内良藤は正気に戻った。

 良藤が行方不明で蔵の下にいたのは十三日間だったが、良藤は十三年と感じていたという。また、蔵の下はわずか四、五寸しかなかったが、良藤は高く広い大きな屋敷だと思っていたという。

 これらはすべて狐の技によるもので、杖を突いて現れた人は、人々が作った十一面観音が変じた姿だと言う。

 良藤はその後つつがなく十余年ほど生きて、六十一歳で亡くなったという。


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巻二十七 本朝

第三十七 狐、大なるすぎの木に変じて射殺さるる語

 昔、春日社の宮司の甥の中大夫という者の馬が草を食みながら行方不明になったので、それを探して従者を一人連れて山に入って、二、三十町も行ったところ、日が暮れて夜になってしまった。

 馬が草を食んでいったと思しき後をつけていくと、大きなすぎの木の二十丈ほどもの長さのあるものがあった。

 そのまま進んでしばらく行くと、また同じすぎの木を見つけた。

 中大夫が従者を呼んで、「これは見間違いか、それとも何かに化かされて思いがけぬ方に進んだのか。このすぎの木をお前はどう見る」と問うと、従者も「これはさっき見たすぎの木だと思う」と答えた。

 中大夫が「そうであれば、私の見間違いではなく、迷わし神のせいで思いがけずにここまで来たということだ。この国でこれほどのすぎの木はどこで見た」と従者に問うと、従者は「これほどの木は見たことがない。そこいらにすぎの木が一本あるとしても、それは小さいものだ」と答えた。

 中大夫は「ならば、我々は迷わされているぞ。どうしろというのか。きわめて恐ろしいから帰ろう」と言ったが、従者が「このまま理由なく帰るのは無下のこと。このすぎの木に矢を射って夜が明けてから、確認してみましょう」と言ったので、中大夫も賛同し、二人ですぎの木を射ることになった。

 二人で一度に射ると、矢が当たった手ごたえがすると同時に、すぎの木は消えてしまった。「それならば、なにか物の怪に会ったのだろう。恐ろしいから帰ろう」と逃げるようにして帰った。

 翌朝、中大夫が従者を呼んで、例のすぎの木の所へ行くと、すぎの枝を一つ加えた年老いた狐が腹に矢が二本突き立った状態で死んでいた。

 これを見て、「昨晩迷ったのはこいつが迷わしたからだ」と言って矢を抜いて帰ったという。


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巻二十七 本朝

第三十八 狐、女の形に変じて播磨安高に値ふ語

 昔、播磨安高はりまやすたかという法建院の御随身でもある近衛舎人このえのとねりがいた。

 この安高が若いころ、主が内裏にいる際に、従者がいないので、自分の西の京の家へただ一人で向かっている際に、九月半ばの頃であれば月も明るく、夜も更けた頃、宴の松原の当たりに濃いあこめに紫苑色の《あこめ》を重ねた女が前を歩いていた。

 その女のさまは美しく、安高が並んで歩いてみると、絵を描いた扇で顔を隠していたのでよく見えなかったが、その額や頬に髪がかかった様などもまた美しかった。

 安高が近寄ると焚き染めた香が香り、「こんな夜更けにどういった方がどこへ行くのか」と問うと、「西の京で人が呼んでいるから」と答えた。

 安高が「人の所へ行くのであれば、私のところに来ないか」と言うと、女が笑った気配がして「誰と知っていっているのかしら」と愛らしく答えた。

 こうして道行くほどに、近衛御門に入ったところで安高は「豊楽院には人をだます狐があると聞く。もしかしてこの女は狐ではないか。少し試してやろう。少しも顔を見せぬのが怪しいのだから」と思い、女の袖を引いて、「少し待ってほしい。言うべきことがあるので」と言うと、女は扇を顔の前に持ったまま立ち止まった。

 安高は「私は追いはぎだ。衣を剥いでやろう」と言うまま、八寸ほどの刀を抜いて、女に向け、「その服を寄越せ、喉を掻き切ってやる」と言ってその髪をつかんで柱に押し当て、首に刀を当てようとした時に、女は臭い尿をまき散らして、逃げようとした。

 安高が驚いて手を放すと、あっという間に女は狐になって門から走り出て逃げて行った。

 これを見た安高は「人だと思ったから殺さなかったのだが、知っていれば、必ず殺したというのに」と悔しがったという。


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巻二十七 本朝

第三十九 狐、人の妻の形に変じて家に来たる語


 昔、京の雑色ぞうしきの男の妻が、夕暮れ方に用事があって大路に出て行ったが、なかなか帰って来なかった。

 夫が「遅すぎやしないか」と怪しんでいると妻が帰って来た。しかし、それから少しして、また寸分たがわぬ妻が帰って来た。

 夫はこれを見て驚き、「片方は狐が化けているのだろう」と思ったが、どっちが偽物かわからず、「後に入ってきた方が偽物だろう」と刀を抜いて走って切りかかれば、後から入ってきた妻は「私が本物だ」と言い、最初に入ってきた妻に切りかかるとこちらも本物だと泣いて訴えた。

 こうして騒いでいる間に、最初に入ってきた妻が怪しく思えてきたので、それを捕らえると、臭い尿をまき散らし、夫がその匂いに思わず手を離したすきに、すぐさま狐になって開いていた戸から大路に走り出て逃げて行った。


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巻二十七 本朝

第四十 狐、人にき、取られし玉を乞い返して恩に報いる語


 昔、物の怪の病にかかった者がいた。この物の怪が霊媒に憑いて「私は狐だ。祟るために来たわけではなく、こういうところには食べ物がたくさんあると思って来たところ、こうして閉じ込められてしまった」と言って、懐から白い小柑子しょうこうじほどの玉を取り出して、お手玉のように遊んでいた。

 見物人は「おかしい玉だ。この霊媒の女が元から懐に入れて人をだまそうとしているのだろう」と思っていたが、ある若い侍の男がこの霊媒の女の玉をかすめ取って懐に入れてしまった。

 すると、この霊媒に憑いた狐は「なんてことをするんだ、その玉を返してくれ」と切に訴えたが、侍はこれを聞かなかった。

 狐は泣きながら「その玉を取ってもあなたに使い方はわからないのだから、何の益もないでしょう。私はその玉を取られると困るんだ。その玉を返してくれないなら、私はあなたを祟ってやる。でも返してくれるなら、私は神のようにあなたについて守ろう」と言うので、この侍が「必ず私の守り神となるんだな」と問うと、狐は「なるとも。必ずあなたの守り神になろう。私たちのようなものはうそをつかず、恩知らずと言うこともない」と答えた。

 侍が「本当に、今お前を捕らえている護法神にも誓えるか」と問うと、狐は「護法神もお聞きください。玉を返してくれたらば、確かに守り神となりましょう」と言ったので、侍は懐から玉を出して、霊媒の女に渡した。

 狐は繰り返し喜び、その後、験者に追われて去っていった。

 その後、人々が霊媒の女をつかまえて、その懐を探ったが、あの玉はなかった。

 そのため、あの玉は本当に憑いていた狐の持ち物だったのだと、みなが知った。

 その後、例の侍が太秦うずまさに参って帰る際に、夜の応天門の辺りを過ぎようとしたところで、突如として怖く思えたので、どうしたことかと怪しく思っていると、守り神となった狐の事を思い出して、暗い中一人で「狐、狐」と呼びかけると、こうこうと鳴きながら狐が現れた。

 侍は狐が嘘をつかなかったことに感心した後、「ここを通ろうと思うのだが、とても恐ろしく感じるのだ。私を送ってほしい」と言うと、狐はそれを理解した顔つきで、振り返り振り返り、侍を先導して歩き出した。

 いつもとは違う道を行く中で、狐が一度立ち止まり、背をかがめて歩いてから振り向くところがあったので、侍も同じようにして振り向くと、人の気配がした。

 そこには武装したものたちがいて、垣根越しに耳をそばだてれば、盗賊たちが盗みの算段を立てていた。

 盗賊たちは普通の道にいたが、侍と狐は通常とは異なる道にいたので、これをやり過ごすことができた。

 侍は「狐はこれを知っていたから盗賊とは異なる道を行かせたのだ」と知り、この道から出ると狐は消えており、侍は無事に家に帰りついた。

 狐はこれだけではなく、このように常に侍の男のそばにいて助けることが多かったという。


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巻二十七 本朝

第四十一 高陽川狐、女と變じて馬の尻に乘る語

 昔、高陽川という川があり、その川には夕暮れになると若く美しい少女が現れて立っていた。

 この少女は馬に乗って京の方へ向かう人を見かけると、「その馬の尻に乗せてください。京へいきたいのです」と言うので、馬に乗っている人が了承して乗せて行くと、四、五町ほどで馬の尻から落ちて逃げて行った。

 これを馬に乗っていた人が追いかけると、狐になって走り去っていくという。

 そういうことが度々起こっているという話を滝口の武士たちがしていると、一人の若いたけだけしい武士が「必ずその少女を捕らえてみせよう」と言った。

 これを聞いた同僚たちが、「お前でも無理だ」と言うと、この武士は「明日の夜に必ず捕らえよう」と言い、同僚たちは「絶対に無理だ」と言い争って、その翌日の夜、この武士は一人で賢い馬に乗って高陽川に向かった。

 高陽川を渡ったところ、少女の姿は見えず、すぐに京に取って返そうとすると、そこに少女が立っていた。

 武士が過ぎるのを見て、少女が「その馬の尻に乗せてください」とほほ笑んで、悪意なく言う様は愛らしく、武士が「早く乗るがいい、どこに行くのか」と問うと、「京へ行きたいが、日が暮れるのであなたの馬の尻に乗せてもらおうと思う」と少女は答えた。

 少女を乗せると、武士は準備してきていたので、少女の腰を縄で蔵に結びつけてしまった。

 少女は「どうしてこんなことをするのか」と言ったが、武士は「今夜はお前を抱いて寝るつもりだ。逃げられたら困る」と言ってそのまま進んでいくと、暗くなってしまった。

 一条大路を東に行き、西の大宮を過ぎたところで東から多くの火をともしながら、牛車が先払いをしながらやって来たので、「何か高貴な人が通るのだろう」と武士は西の大宮を下って二条大路から東へ、東の大宮から土御門まで向かった。従者を土御門の門に待たせていたからである。

 土御門の門で「従者はいるか」と問うと「みなございます」と十人ほどが出てきた。

 そこで、少女を捕らえた縄を解いて馬から引き落とすと、そのふくらはぎを掴んで門から入り、滝口の詰め所まで連れて行った。

 滝口の武士たちはこの音を聞いて「なんだ」と口々に言ったので、「ここに狐を捕らえてきたぞ」と武士は答えた。

 少女は泣いて、「今回は許してください」と詫びたが、許さずにつれて行くと、滝口の武士たちは回りを囲んで火をともし、「ここに放て」と言った。

 武士は「逃げることもあるだろうから、放さない」と言ったが、滝口の武士たちは「放て、逃げようとしたら腰を射てやろう。これだけいれば矢を外すこともあるまい」と矢をつがえて備えていたので、そうであれば、と武士は少女を放した。

 すると少女は狐となって鳴いて逃げて行き、滝口の武士たちもともしていた火も共に掻き失せてしまい、まっくらになってしまった。

 この武士は手探りで従者たちを呼んだが、従者は一人もおらず、見渡せば、どことも知れぬ野のただなかであり、おじけづいてしまい、怖いこと限りない。

 生きる心地もしないが、よくよく辺りを見渡してみれば鳥辺野であった。土御門で馬から降りたと思ったが、その馬もいない。

 「西の大宮から回り道をしたと思って、ここに来た。一条大路の車に会ったところから狐に化かされていたに違いない」と思って、何とか歩いて家に帰りついたが、翌日は気分が悪く、死んだように寝ていた。

 滝口の武士たちは、その夜待っていたのに、武士が来なかったので、「高陽川の狐をつかまえると言ったのはなんだったのか」と口々に笑って、使いを寄越して呼んだところ、三日後の夕方、病に臥せった者の様子で武士は詰め所に現れ、狐はどうしたと尋ねられれば、「あの夜は急病で行かなかった。今晩は言ってみようと思う」と言ったので、「今度は二匹捕らえて来るんだな」と揶揄された。

 けれどもこの武士は言葉すくなに詰め所を後にし、「最初だましたのだから、今晩は狐は出るまい。もし出てきたら夜もすがら放してなどやるものか。もし出てこなければ、しばらく詰め所に出ずに引きこもろう」と思って、今回は強い従者たちを連れて、「しょうもないことで身を滅ぼそうとしているなあ」とも思いながら、言い出したことなので、高陽川へと向かった。

 高陽川を渡った後にとって返そうとすると、再び少女が現れた。

 その少女は前の少女とは違う顔だったが、前のように「馬の尻に乗せてほしい」と言ったので、乗せた。

 武士は前と同じように、縄で少女を結びつけ、京の一条大路を行くほどに暗くなってきたので、従者に言いつけて火をともさせたり、先払いをさせたりして進んでいくと、一人にも会うことはなかった。

 土御門で馬から降りて、泣いて嫌がる少女の髪を掴んで詰め所に行けば、滝口の武士たちは「なんだなんだ」と言ったので、「ここにつかまえてきた」と言って、今回は強く縛り上げたまま引き出すと、しばらくは人の姿でいたが、いためつければ、ついに狐の姿になった。

 この狐をたいまつの火で毛がなくなる程度に焼いて、度々射て、「狐よ、これ以降はこんなことをするなよ」と言って、殺さずに放した。

 狐はしばらく歩くこともままならなかったが、やがて逃げて行った。

 それから武士は前回の鳥野辺に連れていかれたことを詳しく語って聞かせた。

 その後、十日と少しばかりたった後に、この武士がまた試そうと、高陽川に行くと、以前の少女が病気のような顔色で川辺に立っていた。

 武士が前のように「この馬の尻に乗るがいい」と言うと、少女は「乗りたくはあるが焼かれるのは嫌だ」と言って、消えてしまった。


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ながい。

訳すのってだんだんマラソンみたいな気持ちになってくる。

原文読んだそのままで理解しているのを現代語に置き直すのがつらい。


という余談はさておき。


『今昔物語集』は、平安後期成立と言われている日本最大級の説話集である。

前九年の役(1051~1062年)・後三年の役(1083~1087年)の説話を収録(内容丸々欠があるからあるいはその予定)している一方、その後の保元の乱(1156年)をはじめとする源平がらみの合戦はタイトルすら挙げられていないことから、後三年の役以降から保元の乱までの間の成立が有力視されている。

ただし、他文献への記載状況から、一定期間死蔵状態であったことがうかがえる。

また、その収録話の大半が仏教説話であり、他仏教説話集(『日本霊異記』や『本朝法華験記』等)を典拠とする話が収録されているため、少なくとも作者は仏教に対して何かしらの志を抱いていたと推測されている説話集でもある。

具体的には全三十一巻、内欠三巻。

内容は以下の通り

 一~五:天竺。内四は仏後、五は仏前とされ、一~三は特に区分なし。

 六、七:震旦=中国の仏法

 八:欠。ただし、前後の巻が震旦=中国のためこれも震旦の説話と推定できる。

 九:震旦=中国の孝養

 十:震旦=中国の国史

 十一~二十:本朝=日本の仏法。内十八が欠だが、前後から本朝の仏法と推定。

 二十一:欠巻。一応本朝=日本の世俗部扱い。

 二十二、二十三:本朝=日本 特に区分なし。

 二十四、二十五:本朝=日本の世俗。

 二十六:本朝=日本の宿報

 二十七:本朝=日本の霊鬼

 二十八:本朝=日本の世俗

 二十九:本朝=日本の悪行

 三十、三十一:本朝=日本の雑事


仏教色がかーなーり、強い。

世俗部であっても、その教訓を語るような部分では仏教色が強い。


収録されている狐の説話については、他説話集と同じく、基本的にいたずらを仕掛けはするが、致命的なものはない。

また、直接的に狐が登場するわけではないが、巻二十三の十七「尾張の國の女、美濃狐を伏する語」に登場する女盗賊である美濃狐は狐を妻とした男の四代目の孫との記述がある。

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