2 ①仏教説話(原理主義)型

収録:

日本霊異記にほんりょういき』中巻の八「かにかえるとの命をあがいきものを放ちて現報を得る縁」

同中巻の十二「かにかえるとの命をあがいきものを放ちて現報にかにに助けらるる縁」

三宝絵詞さんぽうえことば』中巻の十三


日本霊異記にほんりょういき』は平安初期、弘安十三(882)年頃成立、散逸さんいつまぬがれた中で最古の説話集とも。

景戒けいかいという僧の手で書かれているので最初期の仏教説話集とも考えられるわけである。


三宝絵詞さんぽうえことば』は斎宮さいぐうとなった後、最終的に出家した尊子内親王そんしないしんのう向けに作られた、永観二(984)年に成立した仏教入門書。

絵詞えことばと言うが絵の部分は散逸さんいつ(悲しみ)

日本霊異記にほんりょういき』から収録された話も多く、実際ここで取り上げる『日本霊異記にほんりょういき』の中巻の八と『三宝絵詞さんぽうえことば』中巻の十三はほぼ同じ話である。


実際の話の内容は以下の感じ。

※基本『日本霊異記にほんりょういき』中巻の八に準じた上で必要な相違点と注釈だけあとで抜き出す。


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 昔、奈良の都の尼寺にいる法邇ほうにという身分の高い者の娘で置染臣おきそおみの鯛女たいのめという娘がいた。

 この娘は大変仏道に熱心で、身を清くたもち、一日も欠かさずに行基ぎょうきの元に自分でった山菜などを届けているほどだった。

 ある日、山菜をりに山に入ると、丁度蛇が蛙を飲み込もうとしているところにでくわした。

 それを見た鯛女たいのめは蛇に対して、「自分に免じてその蛙を放してくれないか」と頼んだが、蛇は相も変わらず飲み込もうとする、

 そこで鯛女たいのめが「自分がお前の妻になるから、それに免じて蛙を放してくれないか」と言うと、蛇は鯛女たいのめの顔を見てから蛙を吐き出した。

 鯛女たいのめは「七日後に来てくれ」と蛇に告げ、七日後の当日、家の出入り口を固く閉じて、穴をすべてふさいで内にこもっていたが、蛇が尾で壁を叩く音がしていた。

 すっかりおじけづいた鯛女たいのめは翌日、行基ぎょうきの元をたずねて、事の次第を相談した。

 すると行基ぎょうきは「これから逃れる術はないだろう。ただ固く戒を受けなさい」と告げたので、鯛女たいのめ三帰五戒さんきごかいを受けて帰るしかなかった。

 その道中で、鯛女たいのめは大きなかにを持った老人と出会い、その蟹を放生ほうじょうしようと思って「かにを自分に譲ってもらえないか」と言った。

 すると老人は「わしは摂津国せっつのくに兎原郡うはらのこおり畫問邇麻呂えどいのにまろといって、七十八になる。子もなく、どうして暮らせようかと難波なにわに行って偶然このかにを得たのだ。約束した者もいるからお前には渡せん」と答えた。

 そこで鯛女たいのめは自身の衣を脱いで対価にしようとしたが、畫問邇麻呂えどいのにまろはそれでも渡せないと言った。

 なので、鯛女たいのめが身につけていたまで脱いで対価として追加すると、畫問邇麻呂えどいのにまろ流石さすが鯛女たいのめかにを渡した。

 かにを得た鯛女たいのめ行基ぎょうきのところへ戻り、このかに放生ほうじょうした。

 行基ぎょうきはこれを「尊く善いことだ」と感嘆して言った。

 その八日目となる夜。また蛇がやってきて、今度は家の屋根に登って、草を抜いて侵入してきた。

 鯛女たいのめはそれに怯え、震えていたが、寝所の前で何やら跳ね回るような音だけがしていた。

 翌朝確認してみると、なんと大きなかにが大きな蛇をずたずたに切ってしまっていた。

 それを見て鯛女たいのめは大きなかに放生ほうじょうした恩を返しに来たのだと知り、これはかいを受けたことによるものだと考えた。

 そしてその虚実を知るために畫問邇麻呂えどいのにまろを探したが、これに該当する老人は見つからず、畫問邇麻呂えどいのにまろひじりの化身だったのだろうと思われた。不思議なことだ。


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まあ、こんなもん。

この時点ではまだ寺は建てられません=縁起えんぎではありません。

注釈が必要なのはこの辺りかな~?


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行基ぎょうき

 民衆に仏教が広まらないように寺と朝廷が画策してた時期だったのをぶっちぎって怒られてたりしたけど、民衆の支持を得た上に最終的に奈良の大仏造立ぞうりゅう一大プロジェクトの責任者になった日本初の大僧正とかいうとんでもねーお人。

 日本における仏教史を表面上でもなめる時に聖徳太子しょうとくたいし空海くうかい最澄さいちょう間でけては通れない人だとも思うのでネームバリューのほどをお察しください。


かいを受ける

 仏教における戒律を守ることを約束する……的な?

 いや、どの程度の信者であろうとするかで内容も変わるんだけど、かいを受けたら捨てるまでは決められた範囲を守んなきゃいけないっていうやつ。


三帰五戒さんきごかい

 三帰さんき三宝さんぽう(仏・法・僧)に帰依きえすること。

 五戒ごかいは仏教において在家信者(男性なら優婆塞うばそく、女性なら優婆夷うばい)が守るべき五つの戒律。

 不殺生戒ふせっしょうかい(殺生禁止)、不偸盗戒ふちゅうとうかい(窃盗禁止)、不邪淫戒ふじゃいんかい(不倫とかみだりにえっちなの禁止)、不妄語戒ふもうごかい(嘘禁止)、不飲酒戒ふおんじゅかい(飲酒禁止)の五つ。


放生ほうじょう

 五戒ごかい不殺生戒ふせっしょうかいから発生したと思われる宗教儀礼。一応大陸までさかのぼれて、中国とインドの考えが合体した、みたいな?

 生き物を捕らえた者から買い取り、はなしてやることで功徳くどくを積んだ扱いになるが、現代でアメリカザリガニとかブラックバスとかミシシッピアカミミガメでやったらダメなやつ。

 本来は食用の動物が対象だったんじゃないかなと思うのだけど、その内範囲が広がり、放生ほうじょうのためだけに売られる動物も出るようになり、大規模に放生ほうじょうを行うもよおしとかもできた(これが放生会ほうじょうえ)。

 これを知ったのが幼稚園~小学生の頃に読んだ落乱(忍たま原作)だったので常識と化してて、うっかり注釈忘れるとこだったのは秘密。


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さて、『日本霊異記にほんりょういき』中巻の八「かにかえるとの命をあがいきものを放ちて現報を得る縁」準拠で書いたので、同十二「かにかえるとの命をあがいきものを放ちて現報にかにに助けらるる縁」と何が違うかと言うと、


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・舞台は奈良の都近郊

 →舞台は山背国やましろのくに紀伊郡きいのこおり(現京都府京都市伏見区近辺)


置染臣おきそおみの鯛女たいのめ

 →名前未詳の娘


・仏道に熱心で、身を清くたもち、行基の元に通う

 →信心深く、五戒ごかい十善じゅうぜんを受けてたも

 ※十善じゅうぜんは仏教における十の良い事。不殺生ふせっしょうとか不偸盗ふちゅうとうとか十分の四は五戒ごかいかぶ


・蛙を助けた後、蛇が本当に来たのを見て対策しようとして、衣を対価に得たかに放生ほうじょうする

 →蛙を助ける前に里の牛の世話をしている子供からかにを衣で対価に得て放生ほうじょうする


・「自分に免じて蛙を放してくれ」から「自分が嫁になるから蛙を放してくれ」

 →「自分に免じて蛙を放してくれ」から「自分が神としてお前をまつるから蛙を放してくれ」、それから「自分が嫁になるから蛙を放してくれ」


・蛇が来てから自分ひとりで行基ぎょうきに相談したりして対処する

 →蛇が来る前に両親に伝えて、両親がたまたま紀伊郡きいのこおり深長寺ふかおさでら(未詳)にいた行基ぎょうきに相談しに行く


・相談された行基ぎょうきの回答は「これから逃れる術はないだろう。ただ固く戒を受けなさい」

 →相談された行基ぎょうきの回答は「これははかりがたいことだ。ただよく三宝さんぽう帰依きえしなさい」


・大きなかに一匹が蛇をずたずたにしていた

 →八匹のかにが蛇をずたずたにしていた(かに は なかま を よんだ)


・事の決着がつくのが、蛇と約束してから八日目の夜(七日目は家にこもって夜をしのぐ)

 →事の決着がつくのが、蛇と約束してから七日目の夜


・不思議なことだと言いつつ言外に「三帰さんき五戒ごかいによる功徳くどくじゃよ」と「放生ほうじょう功徳くどく、すごい」の主張を匂わせつつ終わる

 →「五戒ごかい十善じゅうぜん放生ほうじょう功徳くどく、すごい」を言外に匂わせつつ、山背国やましろのくにの山川での放生ほうじょうの習慣の起源とする


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なんだろう。

ちょっと紀伊郡きいのこおりにローカライズしたくさいレベルにとどまりつつも、事前に放生ほうじょうしてた事によって、救いの手という権威であると同時に、ご都合主義のかたまりみたいな畫問邇麻呂えどいのにまろ(仮)さんが出ない感じになっている。

つまり、八より十二の方が話運びがめちゃくちゃ自然に感じられるようになってる。


ちなみに、『三宝絵詞さんぽうえことば』中巻の十三で重要なところで違ってるのは、畫問邇麻呂えどいのにまろの名前が「某甲」になってて、正体についてが「変化人」となってるぐらいです。

ちょっとその正体の言い方はどっちにも振れる可能性あるやつなのよなあ。

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