散りさくら

浅雪 ささめ

散りさくら

 私がこの病院に来てから丁度五年目の今日。ひらりひらりと散ったシダレザクラが、病室の窓から入り込んできた。掴もうとした私の手を花びらは無慈悲にも、私が掴む前にふわりと風に乗ってすり抜けていく。次こそはと、両手を広げてスタンバイするも、もう花びらは窓から中に入っては来なかった。


 一つ、また一つと散っていく桜を見て、もうすぐ春も終わるんだ。梅雨はじめじめして嫌だな、なんて思っていると、ガラッとドアの開く音がした。

 家族だろうか?

 正直に言えばあまり来てほしくはないんだけれど、折角来てくれたし「帰ってくれ」とも言えないので困ったものである。

 お父さんはあまり来ないが、来たときは私の顔を一目だけ見て、何も言わずに帰っていく。

 お母さんは涙ながら過去を振り返り、長話をしてから帰っていく。

 お父さんは今日は仕事だろうから、恐らくはお母さんだろう。


 しかし私のそんな思惑は外れ、そこにいたのは中学、高校と、同じ部活に入っていた染井そめい先輩だった。今はもう、私は部員ではないけれど。チームを引っ張ってるって感じの人で、後輩からも顧問からも好かれていた。皆の憧れの的という言葉がしっくりくる。


 ここに先輩が来るのは一ヶ月ぶりだろうか。家族以外に来てくれるのは、もう先輩ぐらいである。最初の頃には来てくれていた親友も、最近はめっきり姿を現さなくなった。

「よっ」なんて言葉と共に、キュッと床を鳴らしながら入ってきた先輩は、前に来てくれた時とあまり変わらなかったが、いつもより少し嬉しそうだった。先輩は抑えているつもりだろうけど、少し口元が緩んでいる。

 私の憧れの先輩で、初恋の先輩。もちろん私には告白する勇気なんてなかったけれど、遠くからいつも応援していた。それだけで十分だったから。別に先輩が他の女子と付き合っていたとしても、文句も何も、先輩に対しても、もちろん彼女さんにも私は言えないし、言わないだろう。


 先輩はいつものように、私の頭元に花を添えてくれる。三、四年前くらいまではっぱいだけのイチゴなんかも一緒に持って来てくれていたけれど、今は一輪の花だけ。私の誕生日の時は両手一杯に抱えて「五十本だ、すごいだろ」なんて自慢気に笑っていたんだけどね。

 先輩はしおれた花と引き換えに、水を取り替えて新しい花を花瓶に活けてくれた。

 このお花は私に元気をくれる。気分だけでもこころが安らぐというか、そんな感じがする。


「いつもお花、ありがとうございます」


 私はいつも、そう先輩に微笑みかける。今日だって微笑みかけると、先輩も花を見ながら少し笑って、私の隣に椅子を持ってくる。


咲良さくらちゃん、今日も土産話がたくさんあるんだ。聞いてくれるかい?」


 私はこくんと頷いた。

 先輩は椅子に座り、身振り手振りを交えながら、近況なんかの報告をしてくれる。先輩の話はとても面白く、もっと長く先輩といたいのに、時間はあっという間に流れていった。先輩の趣味の話だったり、私も入っていた部活の様子だったり、最近付き合い始めたという彼女さんの話だったりと、内容は様々。

 彼女さんの名前は一葉かずはさんというらしい。先輩は、はにかみながらも教えてくれた。

 先輩はスマホをこちらに向けてくれる。そこに映っていた笑顔の一葉さんは、少し、ほんの少しだけど、私に似ている気がした。


 まさかね、きっと目の錯覚だ。


 私は相槌を打つことくらいしか出来なかったけど、それでも先輩は楽しそうに話してくれた。笑う口元とは反対に、目からは涙が零れていたけれども。


「また来るよ」


 話し終わると先輩は私の手を握って、いつものように帰って行った。「また」なんて言葉に期待している私がいる。先輩にはもう、彼女さんがいるのだ。いつまでも私に構ってはいられないだろう。

 いつか、先輩が来なくなることはあるのだろうか。それが少し心配でもあり、それでいて少し悲しくもある。

 同時に、もう来ないでほしいと思ってしまうのは何でだろうか。


 先輩が出て行った後、耳を澄ましてみても、なんの音も聞こえない。


 私はひとりぼっちだ。





「ごめんなさい、応えられなくて」




 一日、一日と先輩との歳が離れていく。

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散りさくら 浅雪 ささめ @knife

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