5-2 再起
『Y』の拠点、放棄されたという町の範囲は相当に広かった。
かつての化学兵器『X』により大半の住人が死滅し、残りの住人も集落を成すため人口密集地に住処を移した抜け殻。国内、そして世界中に数多ある放棄区域の一つをそのまま間借りしただけの拠点。ゆえに、M.Aのような『壁』で区切られているわけではなく、拠点とその外の境界線も曖昧だ。
つまり、その中で人を探すのはとにかく難しい。手掛かりもなく闇雲に探し回ったところで、到底碧を見つけ出す事はできないだろう。
「……何してんの、お前達」
ただし、今回は幸いというか何というか、思いっきりわかりやすく手掛かりがあった。
「見ればわかるだろう、闘争だ」
俺の問いに答えを返したのは両腕を長大な刃へと変えた少女、セン。
そして、その向かいには背から一対の翼を生やした少女、碧がいた。
この状況に至るまでの顛末は、『Y』の拠点とその外の間の境界、そこに配備された監視員から聞き出した情報がそのほとんどを説明してくれていた。
曰く、翼を生やした何者かが拠点の上空を飛んでいた。そして、同じく翼を生やした何者かにより撃墜された。
前者が碧、後者がセン。おそらく、『Y』を脱出しようとした碧をセンが止めたというような構図だろう。
「なんで?」
「愚問だ」
「まぁ、そうか」
センは闘争を手段ではなく目的としている。だから、それ以前の理由は必要ない。ただ戦うため、センは去ろうとする碧を地上に引きずり落としたに過ぎない。
「あー……困ったな」
いずれ、こういった事態になる事は予想できていた。
センは最初から、最初に出会った時から一貫して戦う事だけを目的としていた。そして、センはすでに碧を戦いたい相手と判断した。そんな二人を傍に置いておけば、こうなるのは必然だ。
センにとっての闘争、その代わりになる欲求はない。少なくとも、俺はまだ見つけ出せていない。戦いたいと思ったセンを止めるには、それこそ殺すくらいしか方法はないのだ。
「碧、殺していいぞ」
だから、俺はそう口にした。
「でも――」
「やっぱり、殺せるんだな」
センの両腕の刃を翼で弾きながら口籠る碧の様子に、推測が確信に変わる。
「センもわかってるだろ。今のまま続ければ、お前が死ぬか、碧の方が手を抜いたまま死ぬかの二択だ。せめて後にした方がいい」
真琴との戦いで、センは少しばかり消耗しすぎた。膨大な変異部位による質量攻撃は影を潜め、単純に体術だけ取ってみても動きが鈍い。今のセンは、おそらく碧はおろか俺でも殺す事ができるだろう。
「はっ……今を逃せば、次に会う事なくその女はここを去っている」
「それよりは、手負いで戦って死ぬ方がいいって?」
「それを決めるのは私だ。お前の指図は受けない」
口ではそう言ってはいるものの、センも本来は完治してから碧と戦いたかったはずだ。その予定を無理に繰り上げたのは、碧が『Y』を飛び去ろうとしたからに他ならない。
「なら、死ね」
センは俺の指図を受けない。だから、自ら判断させる。
対峙するセンと碧の左、側面から前傾姿勢で距離を詰める。
碧は自ら攻める事はなく防戦一方、つまりセンにとって差し迫った脅威は俺の方。身体の向きを変え、俺と碧の両方を視界に捉えたセンへと、そのまま突っ込む。
彼我の距離は二歩、だが武器のない俺の一撃よりも、センの両腕、長大な刃と化したそれが迎撃に振るわれる方が早い。
センの両腕、その振られた先は頭上と左、どちらも俺の方向とは全く違う。先に届いていたのは碧の翼、それを防御するために手数を割いたセンには致命的な隙が生まれる。
隙を埋めたのは脇腹から生えた棘、だが変異部位の大半を消耗した今のセンの発生させるそれは小さく、数も少なすぎる。斜めに跳び、身体をずらすと、それだけで棘を避けセンの元へと辿り着いてしまう。
「だから、言ったのに」
俺の振った右手が向かう先は首、唯一の弱点を守るべく腕の付け根で庇うセンの死角から、硬化させた左手で左脚、そして右脚までを切り落とす。
「悠――」
「大丈夫、センはこれくらいじゃ死なない。それどころか多分、時間が経てば元通りに治るはずだ」
硬化する前の両脚を切り落とされたセンは、だがすぐに断面を変異させ傷を塞ぎ、左脚に至ってはすでに切り離した脚と繋ぎ直してしまっていた。おそらく、俺が咄嗟に蹴り飛ばしていなければ、右脚も同じく繋がれ、一連の攻防はまったくの無意味になっていた。
「はっ、ははっ……虚仮にされたものだ」
センの乾いた笑いは、俺に自らの脚を弄ばれた事に対してではなく、あえて殺さず生かされた事に対してのものだろう。
先程のタイミングからして、俺はセンの脚ではなく首を落とす事もできていた。セン自身にも、それがわかってしまったのだ。
「偶然だけど、あの時とは逆の立場になったな」
「……あの時?」
「『宵月の民』で、俺がお前に見逃された時だよ」
俺とセンの関係、そう呼ぶには一方的過ぎた俺の執念は、俺がセンに殺す価値もないと見捨てられた時に始まった。
それが、今は俺がセンを見逃す。そこまでの過程は煩雑に過ぎたが、それでも結果として生じたその構図に、俺の中の何かが解消されたような気がした。
「……わかった、ここは引こう」
何度繰り返したところで、今のセンでは俺と碧の二人を相手取る事はできない。
いずれ痺れを切らして殺されるか、あるいは手加減を間違えた俺達が死ぬか。先程の俺の忠告通りの結果にしかならない事を確信したセンにとって、ここで戦いを選ぶ意味は失われていた。
「どうして、俺を助けた?」
切り落とされた右脚の代わりを生成しきれず、不格好に去っていくセンの背に、どうしても気になっていた事を問いかける。
一時的に共闘じみた形になったとはいえ、センから俺への感情は今も見ての通りだ。それに、碧と戦いたいのであれば、まさに今のように俺がその障害になる事くらいはセンにもわかっていたはずだ。
「……形はどうあれ、借りを作っておくのが気持ち悪かっただけだ」
センの返答は、そんな律儀なものだった。
真琴とM.Aの部隊、それに操作された碧を相手取ったあの時、俺が碧を解放して戦況を変えていなければ、おそらくセンも殺されていた。だからといって、その事にセンが恩を感じていたというのは予想外ではあったが。
「またな、セン」
「…………」
挨拶に返事はなく、センはそのまま緩やかな速度で離れ、やがて消えていった。
「悠……ああ、悠……」
残されたのは俺、そして碧の二人だけ。
「なんだ、そんなに俺に会えたのが嬉しいのか?」
「違……う、というわけではない、けど。でも……ああ、うぅ」
目を見開いて俺を見る碧の口からは、言葉にならない音だけが溢れてくる。何かを言いたいのは間違いないだろうが、何を言うべきか自分でもわかっていないのかもしれない。
「……ボクは、キミを殺しかけた」
やがて言葉になったのは、絞り出したような声だった。
「だから?」
「だ、だから……その、えっと……」
だが、一言聞き返すだけで、碧は再び言葉に詰まってしまう。
「……その、怒って、ないのかい?」
「ぷっ……」
次に出てきたのは、普段の碧からは想像もできないくらいあまりに幼稚な言葉で、思わず吹き出してしまう。
「違っ、今のは! 違う、そうじゃなくて……」
「怒ってるわけないだろ。碧は使われてただけだし」
「で、でも……」
「でも、碧が自分から俺を殺しに来てたなら、話は変わるか」
「そんなわけがない!」
「なら、その話は終わり」
結局のところ、碧が今俺に抱いている感情は負い目でしかなく、だが碧に責任はない。少なくとも俺は気にしていないわけで、つまり話はここで終わるしかない。
「……悠は、優しいね」
「うん」
「…………」
褒め言葉に肯定だけを返してみると、碧は無言で、だが口元に小さく笑みを浮かべた。
「だけど、キミが許してくれたとしても、やっぱりボクはここを去る事にするよ。ここにいれば、またいずれ彼女と揉め事になるのは避けられないだろう」
碧の言葉を、今度は俺も否定できない。
俺への負い目から『Y』を離れようとしていた碧には、だがその最中でセンに襲われた事により、それとは別の理由でも『Y』を去る必要が生まれていた。
「そうだな、じゃあ俺を抱えて飛んでくれ」
だから、碧を『Y』に置いておく事ができない以上、俺はそう言うしかなかった。
「な、なんで!? キミがここを離れる必要はないだろう!?」
「へー、随分と自信があるんだな」
「何が!?」
「だってそうだろ。俺は碧に死んでほしくない、それでも俺が付いていく必要がないって事は、碧は一人でも死なない自信があるって事だ」
「そ、それは……」
M.Aとの争いで、俺は碧とセン、そして七香と俺の内、誰も死なない事を目指した。その争いが終わったからと言って、後は誰が死んでもいいという事になるはずがない。
「M.Aを敵に回した状態で、碧が一人で生きていくのはまず無理だ。だったら、俺が付いていくしかないだろ」
「でも、それなら悠だって同じ事だろう?」
「そうでもない。俺にはいくつか当てがある」
センを探すため『Y』について調べていた間、俺は多少の変異者集団についての情報を得ていた。そのどれかに身を置く事ができればよし、そうでなかったとしても、碧を一人で放浪させておくよりはマシだろう。
「……でも、その……ええと……」
またも、碧は言葉を詰まらせる。反論が思い浮かばない、というわけではないだろう。
「……悠は、あの人が、センが好きなんじゃないのかい?」
そして、少しの間を置いて出てきた言葉は、俺の予想外のものだった。
「えっ、そんな事言ったっけ?」
「言った。告白する、って」
「……言ったかも」
たしかに、M.A日本支部の中で、俺は碧を撤退させるためにそんな事を言っていた。
「だけど、あれは言葉の綾、というかただ碧を下がらせるための口実だよ」
「だとしても、悠は彼女に何らかの感情、好意を抱いているはずだ。そうでなければ、キミは彼女を殺していただろう?」
碧は俺とセンの関係を全て知っているわけではない。それでも、俺がセンに対して、その場の流れでの共闘相手以上の感情を抱いている事は流石にわかっていた。
「まぁ、俺はセンの事は好きだよ」
始まりはともかく、今の俺はセンに死んでほしくはない。つまり、ある程度以上には好意を抱いているのだろう。
「だったら――」
「だけど、それを言うなら碧も好きだし、七香も好きだ」
とは言え、それは碧、そして七香に対しても同じ事だ。
「それで、碧に付いていくのは、碧が一番死にそうだから。センはあれだし、七香も『Y』にいる分には、すぐには死なないだろ」
今の俺の優先事項は三人の生存、俺の考えうる中で、そのための最善の手段は碧に付いていく事だった。
「……つまり、キミはボクを選んだわけではないと?」
「選ぶ必要ないだろ。別に、今は誰かを切り捨てる必要もない」
「そういう事では……いや、まぁ、キミがいいなら、それでいいんだろうけれど……」
口籠った碧の言いたい事は、俺にもわかっていた。
結局のところ、今の俺は優柔不断だ。七香とセン、そして碧の中で優先順位を付ける事ができていない。だからこそ、M.Aから逃れるために賭けに出るしかなかった。結果としてはそれで上手く行きはしたものの、今だってそれが原因で『Y』を離れる羽目になっていると言っても過言ではない。
センを殺す、あるいは碧を一人で逃がす。本当に誰か一人を守りたいのであれば、そういった選択をするべきなのだろう。
ただ、結局のところ、俺は誰かを選べない。何が自分の中で最優先なのかがわからない。
それが今の俺。唯一の目的であった『センに出会う』という事を果たした今の俺は、行動指針を失い感情に振り回される雛に過ぎない。
「いいんだよ、それで」
それでも、きっとそれでいいのだろうと思えた。
本来、人間に確固たる指針なんてものはない。今そこにある感情が、きっとそのまま俺の目的であり指針なのだから。
「飛んでくれ、碧」
「……ああ、わかったよ」
碧の背から、一対の暗褐色の翼が生える。
俺を抱えて飛び上がった碧の、その表情を見て、自分の選択は正しかったのだと感じた。
M.A.R 白瀬曜 @sigld
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