続・公園にいた少年

紫 李鳥

第1話

 


 ――例の件があってから実家に戻っていた美咲は、体調のほうも回復し、以前通りに会社勤めをしていた。


 だが、身近なところでは異変が起きていた。


 あれから間もなくして知り合った、交際を始めたばかりの彼が突如姿を消したのだ。


 例の話をした時、


「悪い夢でも見たんだろ? 俺が癒してやるから、安心して」


 そんな優しい言葉をかけてくれたのに……。


 電話にも出ず、アパートにも居ず、会社も無断欠勤という返事だった。彼の家族は、警察に捜索願を届けたが、一年近くが過ぎた今も尚、彼の行方は不明だった。


 そんな彼のことを諦めていた頃、宅間進士たくましんじという新しい恋人ができた。


 進士との出会いは、帰りのバス停だった。定期券が見つからなかったので、財布から小銭をかき集めていると、


「……あのう、よかったらどうぞ」


 と、遠慮がちの小さな声と共に、100円硬貨を3枚載せた掌を小刻みに震わせていた。


 チラッと見ると、顔を赤くしていた。美咲は、プッと小さく吹き出すと、


「……ありがとうございます」


 と、礼を言って、


「明日、今ぐらいの時間にここでお返ししますので」


 と、付け加えた。


「いつでも構いません。僕もこの時間はここに居ますので」


 2つ、3つ年下だろうか、サラリーマン風の進士は清潔感がある白い歯を覗かせていた。


 この時、ふと、美咲は思った。どこかで会っていると。


「――あのう、どこかで会ってます?」


「えっ? ……さあ」


 進士は首を傾げると、顔を確かめるかのように、じーっと美咲の顔を見つめた。


 美咲は、進士の熱い視線に戸惑うと、目を逸らした。


「……じゃ、私の勘違いね」



 翌日の同じ時間、バス停に行くと、進士が待っていた。美咲がお金を返すと、


「……僕、タクマシンジと言います。よろしくお願いします」


 バス停に他に誰も居ないのをいいことに、進士が自己紹介した。


「うふふ。私はオカベミサキです」


「……あの、……今度、お茶してくれませんか」


「……ええ」


 進士に誠実な印象を受けた美咲は、何のためらいもなく快諾した。


 それからは、バス停で落ち合うのが暗黙の了解のようになり、お茶をしたり、食事をしたりした。


 それは金曜日だった。進士に居酒屋に誘われた美咲は、あまり強くない酒で酔ってしまった。


 気が付くと、進士のアパートのベッドに寝ていた。


 窓辺に佇み街の灯を眺めていた進士は、目を覚ました美咲に気付き、


「あ、大丈夫?」


 と、駆け寄った。


「ええ、大丈夫」


 美咲はベッドから降りると、壁に掛かったスーツの上着を手にした。


「駅まで送ります」


「……ありがとう」


 目が合った美咲は、重ねてきた進士の唇を、自然の流れのように受け止めた。


「明日の土曜、僕の誕生日なんだ。一緒に祝ってほしい」


「ええ、いいわよ」


 進士の耳元に囁いた。



 ――美咲は、花屋でアレンジしてもらった花束を抱えると、進士の部屋のチャイムを押した。


 笑顔で迎えた進士は、美咲の手を握ると、キャンドルで演出したムーディな部屋に導いた。


「お誕生日、おめでとう」


 花束を差し出した。


「ありがとう。――とても綺麗だ」


 そう言って、進士はバラの匂いを嗅いだ。


 テーブルには、バースデーケーキとオードブルがセッティングされていた。そして、進士がシャンパンの栓を抜いた。


 ポン!


 天井に当たったコルクは、淡色のベッドカバーの上に落ちた。コルクの落ちた場所がベッドだったのがなぜかしら恥ずかしくて、目が合った美咲は顔を伏せた。


 進士は手にしたシャンパンを美咲のグラスと自分のグラスに注ぐと、もう一度目を合わせて、グラスを手にした。


「ハッピーバースデー」


 美咲はそう言って、進士のグラスに、カチッとグラスを当てた。


「ありがとう」


 進士はそう言って微笑むと、グラスを傾けた。


 年下なのに、大人の雰囲気を醸す進士に、美咲の気持ちは安らいだ。


 進士はイタリアの映画音楽をBGMにすると、美咲に手を差し伸べて、チークダンスに誘った。


 ソフトに抱擁ほうようする進士の耳元からは、ほのかなコロンが香っていた。


 美咲は演出されたムードに酔いしれると、進士のリードに任せた。



 ――ベッドの中でいつの間にか脱がされたブラやストッキングがフローリングに落とされていた。


 進士の優しい抱き方は、美咲を夢心地にさせていた。


 くちづけはキャンディのように甘く、その指先は壊れ物に触れるかのようにソフトタッチだった。


 朦朧もうろうとする思考で、進士のたくましい肉体に陶酔とうすいしていた。――



 だが、抱かれているうちに美咲は妙なことに気付いた。……一度、抱かれたことがある。……いつ? どこで?






 アッ!






 パッ!



 目を開けると、目の前に、あの時の少年の顔があった。


 ハッ!


 あまりの驚きに目を丸くしたのも束の間。突如まぶたが重くなった。過度の疲労感から声を出すことも、体を動かすこともできなかった。


 全身の毛穴からはシャワーのように勢いよく水分が吹き出し、びっしょりとシーツを濡らしていた。


 やがて、水分を出し切った皮膚が、老婆のようにげっそりと干からびるのを、美咲は薄れゆく意識の中で感じていた。


「――公園で会ったときから好きだった。君のことが忘れられなかった。初めて好きになった人なんだ。……だから、邪魔者を消した。そして、宅間進士という男になりすまして、このマンションに入り込んだんだ。……君が欲しくて大人の男になって現れたんだ。だって、僕、生きてたら22歳だよ。恋だってしたい。ふたりで天国に行って暮らそう。ね?」


 かすに美咲に聞こえていたのは、あの少年の声だった。




(……幽霊に……抱かれたから、……死ぬの?)


 そう思いながら、美咲は深い眠りの底に沈んでいった。――




 後に、廃車のトランクから美咲の元カレと、宅間進士という男の腐乱死体が発見されることなど知らぬままに。――




  完

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