第2話 肛門
目が醒めると、全く見覚えの無い景色が見えた―――
外の風景―――
相変わらず人々は俺なんかには目もくれず、キャリーバッグを引きずりながら右に左にと通り去っていく。
俺には過ぎ去っていく人々の足元しか見えず、その表情をうかがうことは出来なかった。
(………。)
徐々にはっきりとしてきた頭で思い返し、俺はやっと今の状況を把握した。
俺は今―――
そうだ…あの後俺は大勢の人に取り押さえられて、袋叩きにあったんだ・・・。
いろんな人を突き飛ばしたからか。それとも税関を許可なく突破したからか、あるいはその両方か…
今、自分のいる場所が台湾であることが判明し、呆然と立ち尽くしたところに人々が襲い掛かってきて、俺はひとしきり袋叩きにされたのだった。
(それにしても…)
自分の部屋で寝ていたはずが、気が付いたら台湾に転生されていた―――
信じられない話だが、もしそうだとすると今のこの状況の全てに説明がつく。
人々の話す言葉―――
あれはおそらく中国語だろう。
巻き戻っている時間―――
たしか台湾の時間は日本よりも1時間遅いと聞いたことがある。
そして、物理的にあり得ない移動距離―――
いくら何でも、移動途中で気づかないはずがない。恐らくは何らかの原因で日本から台湾に瞬間移動、いや、転移したのだとしか考えられない。
何とか今のこの状況をやや無理やり理解して呑み込み、次に自分自身の状態についても改めて確認してみた。
(あちこちが…痛い。)
俺の現在の姿―――
パンツ一丁
俺の現在の恰好―――
お尻を天高く突き出した状態でうつ伏せ―――例えるならイモムシが前に進む際に身体を縮めるような態勢―――
で倒れていた。
身体中は軋むように痛く、口の中にも生臭い鉄の味が広がっていた。
そしてそれらの痛みをかき消すほどのさらに強烈な痛みが…
(……ッ!!尻の穴が…痛い!?)
お尻の穴の方からずっしりと感じる鈍く激しい痛みに思わず顔が歪む。
(ッ痛!!)
顔を歪めた拍子に、塞がりかけていた唇の傷が裂け、また新たな痛みに見舞われた。
もはや踏んだり蹴ったりな状態でようやく、自らのお尻を確認してみると…
なぜか俺のお尻からは―――
モップの柄が、生えていた。
それはまるで、尻尾のように。
木の棒はもはやアンテナのように天高く伸びている。
俺はとっさにモップの柄を掴み、引き抜こうとするものの…
(…~~~ッッ!!!ッぐ!!ッガァ!!)
あまりの激痛に、声にならない声を上げ、引き抜くのを断念した。
しかし…
棒がお尻にぶっ刺さっているせいで、俺はパンツをややずらされた状態、つまりは半ケツのようになっていた。さすがにこの状態で外をウロウロする事など出来ぬだろう。
俺はもう一度お尻の棒を掴むと、歯を食いしばり、ありったけの力を込めてそのまま一気に…
(~~~ッ!!~~ッンアアアァ!!!)
引き抜くと同時に黒い飛沫、恐らくは血の飛沫(と思われる)が引き抜かれる棒と同時にまるで噴水のように吹き出した。
(ッオフ!!おっふ!!)
飛沫が噴き出す感触に、なぜか俺は顔を赤らめ、何とも情けない声を出してしまった。
プシャーという、飛沫が噴き出す音もしばらくすると次第に小さくなり、俺はお尻にあまり負担を掛けない様に起き上がった。
「・・・・?」
ふと周りを見ると、そこにはなぜか・・・
台湾ドルが散らばっていた。
赤いお札や、やや重みのありそうなコイン。
俺が訝しげに思っていると、通りすがりの人が小銭をチャリンと落していき…
その人は心なしか、俺を憐れむような、いや、嘲笑しているような、そんな表情をしているかの様にも見えて…
理由は分からない。
パンツ一枚で袋叩きにされた後、ノビている俺に同情して、通りすがりの人々がせめてもの恵みを与えたのかも…
いや、そんな事より―――
(……そうや!……そんなことより!早く日本に帰らなッ!!)
あまりに信じられない事が起こりすぎたがために、状況を把握する事に精一杯で、つい大事な事を忘れていたようだ。
幸いここは空港であり、すぐに飛行機に乗って帰ることができる。
まずは日本に帰ってから…その後のことはその後に考えればいいだろう。
俺は痛むお尻を強く締め上げながら不自然な歩き方でインフォメーションセンターに駆け寄った。
カウンターに立つ美人な受け付けのお姉さんは俺が駆け寄ってくると、よほど俺の今の恰好が酷いものだったのか、一瞬顔を強張らせ、それでも引き攣った笑顔で「い、いかが致しましたでしょうか?」と日本語で尋ねてきた。
日本語が通じる事にホッとした俺は、今までの事情を全て話した。
が・・・
「ええ、ええ…。ふと気が付いたら、台湾に…転移していた・・・と。
そうなんですか……。えー、大変申し訳ないのですが…パスポートなどは、お持ちになっておりますでしょうか?」
受付のお姉さんの笑顔に、より一層怪訝の色が混じる。
パスポートなら・・・ある。
どうやら今回、俺は布団ごと転移されたようだ。
つまり枕元に乱雑に放置された財布と携帯とパスポートも一緒に転移された訳だ。
今回ばかりは俺の普段のだらしなさが救いとなったようだ。
俺がパンツの中に両手を突っ込むと、パンツの前部分がぐにょぐにょと蠢く。
しばらくしてそこから出てきたのは・・・
パスポート―――
すごく暖かくなってた。
受付のお姉さんは、まずはパンツの中からパスポートが出てきた事に少し目を見開いたが、すぐに落ち着いた表情を取り戻すと…
「なら大丈夫ですね。
一応・・・空港でも飛行機のチケットを買うことはできます。」
俺はほっと胸を撫で下ろし、チケットの買い方を聞こうと口を開いたとき―――
「ただ・・・・お客様の先ほどの話が“もしも本当であれば”、パスポートには台湾への渡航記録はないということですよね?
それって・・・・不法入国になるんですけど。」
お姉さんの顔には、すでに笑顔はなく―――ただ怪訝な表情だけを浮かべていた。
彼女は俺を警察に突き出すどころか、そもそも俺の話を全く信じていないようだった。
「い、いや―――ちょっと待て!
不法入国なんて言われても俺はただ勝手に転移してしまっただけで・・・!」
「あの・・・すみません。ほかのお客様も待っていますので。
・・・・もう、いいですか?」
彼女はひどくうんざりしたように息を吸い込むと、俺の話を遮った。
いや、そうはいかない。
俺は帰らなきゃいけないんだ―――
(僕は一体どうすればいいんですかッ!?)
「僕は一体どうすれば…」
思うと同時に発した言葉だったが、突然後ろからの声に遮られ―――
声につられて後ろを振り返ると、そこには、恐らくずっと順番待ちをしていたであろう他の旅行客達が…
「 欸! 快點!! 你到底讓我等多久!?」
「為什麼你裸著! 你這是變態!! 你要從我眼前消失!!」
恐らくやり取りが長すぎたのだろう。
我慢を切らせた旅行客たちが俺に怒声を浴びせてきた。
このお姉さんも・・・
もう俺の言うことには耳を傾ける気もないみたいだ。
俺はトボトボとカウンターを後にする・・・
しかし―――
「あの!ちょっと待ってください!」
受付のお姉さんに呼び止められた。
―――やはり、俺の話をちゃんと聞いてくれるのか!?
俺が目に光を取り戻して振り返ると―――
「あの…パスポート、お忘れですが…」
受付のお姉さんは俺のパスポートを、
人差し指と親指の指の爪で―――
つまむ様にして持っていた。
「・・・・・・・。」
俺はまだ生暖かいパスポートを受け取ると、再びパンツの中に仕舞い、ふらふらとだだっ広いエントランスを歩いていく・・・・。
歩いてどこに行くのか?………分からない。
俺にはもうどうすればいいのかさえ、分からなかった。
気がつけばほぼ全裸で台湾に居て、
誰も俺の言うことなんて信じてくれなくて、
言葉も何も通じないこの国で、
俺は…
素っ裸の俺は…
この国で生きていく事を余儀なくされたのだった。
転生したら台湾だった件 そーた @sugahara3590
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