第4話
わたくしと貴方が初めて会った時のこと、覚えていらっしゃるかしら。もう二十年近くも前だし、貴方は忘れてしまったかもしれないわね。
どこの国かは忘れたけど、外国からの大使を歓待する宴だった。最上座の席、お父様とお母様の間に座っていたわたくしは少し退屈していた。でも、粗相をしてはならないのだけは理解していたし、真っ白な テーブルクロスの端をこっそりと指先でいじってやり過ごしていたの。
そこへ折良く、貴方がわたくしの前に現れた。お父様とお母様へのご挨拶のために。
お母様は普段と変わらず、おっとりと優しげにお話されていたのに、お父様はとっても煩わしげだった。今なら理由は分かるけども。
貴方はお二人への挨拶を済ませると、わたくしにも恭しく膝をつき、挨拶をして、笑ったの。
あの時、わたくしは物心がようやくついたばかりの幼さだったけど。幼いながらに、本当の王子様とは彼のような方だと感じたわ。だって、貴方が纏う空気だけが燦光のように強く輝いていたから。決して、金に染めた髪や派手な衣装のせいじゃない。
そう、わたくしはあの頃から、貴方に――
(1)
パイプオルガンの音色が、見上げんばかりに高い天井まで響き渡った。
荘厳な演奏に満たされた聖堂の中心、黄金の椅子に
対面に立つ司教が私の髪に聖油を注ぐ。立ち上がった私に法衣を纏わせ、右手に宝剣を、左手に金の王杓を授ける。再び椅子に深く腰掛ければ、金の宝冠を被せられた。
パイプオルガンの音がやむ。黄金の椅子を囲む延臣達の祝辞と拍手の嵐が取って代わる。
この日から、
そして、数年の月日が流れた。
「先日、我が国の海軍艦隊を襲撃したのは×××国の艦隊で間違いないでしょう」
人気のない小会議室。卓の上座に深く腰掛ける
後ろに佇むアッシュグレイの紳士、現在は私の秘書官を務めるヴィンセントの、咎める視線が背中に突き刺さった。
「×××国の海軍は近隣諸国でも一、二の強さを誇る無敵艦隊。襲撃が何度も続けば」
「やはり開戦するしかない――、のね」
巷で流行りの戯曲めいたやり取りに、苦笑を漏らしかける。
笑みを堪える私をどう捉えたのかは知らないけれど、ヴィンセントの視線に厳しさが増す。気をつけないと叱責が飛んできそう。
「枢密院からの情報によると、我が国への襲撃を×××国王に進言したのは――」
「ふふふ、やっと尻尾を出してくれたのね。亡命先が×××国だとは噂されていたけど、まさか本当に敵国へ寝返っていたなんて」
「陛下」
「怒らないで、ヴィンセント。敵国の撃破だけじゃない。同時に私の仇敵まで討ち取る機会なの」
歌うように楽しげに。振り返ってヴィンセントを見上げてみれば、あからさまな渋面。
昔の
「ねぇ、ヴィンセント。どうして、かの国は敵国からの亡命者をあっさりと受け入れ、更には重用しているのかしら。確かに、彼は蝙蝠のように、人に取り入るのが得意だったけど」
「陛下。それは今、ここで話す必要がありますか」
「ないわね」
「でしたら」
「女王としてはないけど、ブランシュ個人としては知りたい」
「知ってどうするというのです」
あえて沈黙し、ただ黙ってヴィンセントの薄灰の瞳をじっと見つめる。
即位してから初めて気づいたけれど、、私の、この深い緑の双眸は人々の心を惹きつけてやまないみたい。
年端もいかない幼い侍女から若手の延臣、老練な宰相までもが、
「……どうやら、前国王ジョージ様の即位戴冠の折、×××国使節団の一人と親密な関係を築いていたとか」
「その方は男性……よね」
「…………」
「沈黙は肯定を意味するってご存知??」
なるほど。ヴィンセントが躊躇した理由も納得ね。
軽い眩暈を覚えたけれど、気を取り直し、立ち上がる。
「ありがとう。答えづらい話をさせて悪かったわ。ブランシュ個人としての質疑応答はおしまい。今からは女王として話します。×××国の艦隊をいつでも迎撃できるよう、開戦準備を始めなさい」
結論から言えば、我が国が勝利した。
×××国には多額の賠償金、植民地の一部譲渡と共に、彼の強制送還を命じた。
彼は今、
ねぇ、
お会いするために、×××国から何としても引きずり出したかったの。
そのために海賊船に他国への略奪行為を公認したわ。勿論、略奪で得た利益の一部を国に還元する前提でね。×××国が最初に攻撃仕掛けてきたのは、かの国の商船への略奪行為が目に余ったから。
「陛下、何を……!」
立ち上がって一歩足を踏み出す。王座の傍らでヴィンセントが叫ぶ。
彼に呼応するかのように、王の間に集まった延臣達も壁際に控える衛兵達も口々に叫ぶ。
「陛下!お戻りください!!」
「陛下!!」
「
駆け寄ってくる複数の衛兵、臣下に向け、右手に握る、数多の宝石を散りばめた金の王杓を突き付け、牽制する。
「し、しかし……」
「陛下。迂闊に、反逆者に近づいてはなりません」
「ヴィンセント、お前の耳は飾り物なの??
王杓を間に、
私が、存外頑固な質だと知り尽くすヴィンセントは、やがて、眉間を指で揉み解しながら、大人しく引き下がってくれた。彼が引き下がった以上、他に私を止め立てる者など誰もいない。
ドレスの裾を大きく翻し、真っ赤な絨毯の上を先程よりも歩調を速めて進む。
遂に、彼の目の前まで来た。地毛の黒髪に白髪が混じっているけど、年齢を経たからこその凄艶さが感じられる。王杓の先端を痩せた顎に当て、ぐいと押し上げる。
「なぜ笑っている。ジェームズ・セドリック」
「…………」
「
「いえ、まさか」
「では、何故……」
「貴女が私の思う通りに、私を奪い返したからですよ。やはり、女王陛下は――、ブランシュ様はいい子ですね。昔とちっともお変わりない」
私にだけ聞こえる声で、ジェームズ様は甘く囁く。
片端を持ち上げた唇、少し斜め気味の上目遣い。
あぁ、貴方もよ。貴方の、ゾクゾクするような笑顔もちっとも変わって――、いない。
「私の負けです。私を処刑するなり幽閉するなり、お好きに――」
「えぇ、言われなくてもそうするつもり。ねぇ、親愛なる
「リバティーン……、はは、これはまた、私にぴったりな」
「残りの人生、
『貴方の命を捧げてくれるなら、秘密裏に貴方を生かしておきましょう』
(2)
いいだろう、そんなにこの俺をご所望とあらば。
薄汚れた魂ごと、全部くれてやろうじゃないか。
なぁ、親愛なる愚かな女王様。
(了)
親愛なる私のリバティーン 青月クロエ @seigetsu_chloe
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