縮みそうで縮まらない、君と私のキョリ

多摩川多摩

Chapter.1 出会い

 梅雨。

 じめじめとした湿気を含んだ空気に、さらに輪をかけて、今日は小雨が降っていた。

 気温はそんなに高くないけれど、肌から服から、何から何までしっとりしていて、夏服の下からも汗が湧いて出てきそうだった。


 そんな不快指数高めの雨の中、紺色のシックな傘を差して、美少女が歩いている。

 容姿端麗――そんな言葉を当てはめるには適切な人間はその人しかいないだろう。

 道を歩く姿は、雨の中に咲く一輪の花のよう。

 さらさらとした長く美しい髪を三つ編みに束ね、長く細い脚を折りながら、堂々とした立ち振る舞いで道を歩いていた。

 それがこの私、川崎かわさき宮子みやこだった。


 うるせえ、悪いかよ、自分のことだよ。

 容姿端麗も当社比だよ。自己絶対評価だよ。

 でも、私のおばあちゃんは、私の顔を見て、いつも言っていた。

『宮子はいつもかわいいねえ』

『宮子は多分将来有望だねえ』

『宮子はかわいいからきっといい旦那さんができるよ』

 そう、おばあちゃん印の将来有望な私は、美少女に育っているに違いないのだ。


 当時の私がそれに「絶対?」と聞き返すと、おばあちゃんは突如として耳が遠くなる傾向にあったけれど、まあそれはいい。


 しかし、そんな下校の雨の道、美少女(に決まってんだろ!)の私より目立っている人間が一人いた。

 というか、下校中の周りの生徒は誰一人私のことなんて見ていなかった。

 みんなの視線を集めるただ一人の人間、それは私より10mほど前を歩いている少年だった。

 私からは角度が斜めで、その少年の横顔が見えた。


 低身長ながら、脚の長いすらりとした体躯。まだ日に焼けたことがないような白い肌に写る顔立ちは、整っていて、かつどこか小動物的な可愛らしさを持ち合わせている。一見するとショートカットの少女のような出で立ち。しかし彼は間違いなく学生服の男性用ズボンを穿いていた。

 しかし、ただ美少年だからといって百発百中で周囲の視線を集めるのは不可能だ。

 彼が視線を集めているのは、この雨の中傘も差さず、かといって雨中を疾駆するのでもなく、右肩にかけたカバンを盾に歩くわけでもなく、ひたすらに濡れながら小さな歩みを続けているからであった。

 小雨とは言えど、傘は必要なぐらいの雨だ。受け続けていればその不快指数を含め、溜まったものではないだろう。しかし、彼は顔をしかめることすらせず、歩を進めていた。

 濡れた髪からは雨が滴っている。そんな姿ですら映えている。


「ほほう」

 私は彼の姿を見て、思わず声を漏らした。

 雨も滴るいい少年。そんな趣だった。


先輩パイセン、そのけーキメーっすよ」

「キモい言うな」

 私の卓越した感嘆ワードセンスを毀損した人間、それは私の隣で歩く後輩ハイコーだった。名を実取みとり沙和さわという。極めて自由(つーか適当?)な言葉遣いをする少女であった。通称サワち。

 明らかに染めていそうなショートカットの茶髪(自称地毛)に、学校の生徒では見たことのないぐらい折られた短いスカート。1年を示す赤いリボンは、かなり雑に結ばれている。ちなみに私は2年。青色。

 「ほほう」と思わず口に出してしまう育ちのよい私とは、明らかに住む世界の違う少女だが、この娘との共通点は部活動と通学路にあった。映画研究会。それが私の所属する部活である。

 そうだ、この言葉遣いこそ自由だが、同時に実直な少女に、私と彼の美貌を比べてもらおう。ついでに、私のとある持ち物を賭けに出そうと思った。

「サワちくん、君に一つ質問しようじゃないか」

「はー。なんすか」

 私は太平洋のように心が広い人間なので、後輩にタメ口を言われたり、失礼な態度を取られたりしても怒ることはないのだ。

 私は傘を差した右手ではなく、傘を持った左手で彼のことを示した。

「私とあの彼、どちらの方が美しいかな」

 答えは解かり切っている。

「ゼロヒャク」

 彼女の言葉は、理解しがたいことが多々ある。

「ふっ、私がヒャクであの子がゼロか」

「や、逆」

 それが当たり前のことのように彼女は述べた。

「なんだとぅ!」

 近所にある川ぐらい心の狭い私は、怒りのあまりサワちのお腹の肉を掴もうと、彼女のカッターシャツへと手を伸ばした。

 素早い動きで掴み、ぐぎりと引きちぎるように指で捻じったが、しかし、捻じれたのは彼女のシャツだけだった。こ、こいつ、くびれてやがる! 私ですら肉あるのに! 許せねえ!

 「なんすか」っつってサワちは目を見開いていた。私の意図には気づかれていないようだ。ラッキー。


「は、ははは、まあ、好みは千差万別ダカラネー」

 私は動揺を隠し通して声を漏らした。隠せてるヨー。

「ま、誰に聞いてけーても同じ答えこてーっすけどね」

「ソンナコトハナイヨ。ナイナイ」

「ボー読みっすね。実は結論見えめーてたんじゃねっすか」

「ソンナコトハナイヨ。ナイナイ」

「つかカタコトか」


「さて、サワち」

「突然仕切り直したな」

 思わずサワちも普通の言葉遣いをしてしまうぐらいだった。

「私は賭けに負けたので」私は言った。

「いつ賭けた」サワちは言った。

「ちょっと行ってくる」私は言った・行った。

「ちょ! 先輩パイセン!」

 どこいくんすか! そんな言葉を背に、私は彼と距離を詰めようと雨中を駆けた。


「あ……」

 声が上手く出なかった。彼は振り返らなかった。

「あの」

 声を捻り出した。しかし小さかったせいか、彼は振り返らない。

「あの!」

 私は叫ぶように、吐き出すように、声を出した。思わず頭が落ちる。自分が思っていたよりも10倍声が出た。

 頭をあげると、周囲の全ての視線が彼ではなく私に集まっている。

 そして少年の視線も……私へと向いていた。距離は3メートル。顔は正面。ただの道化師の私も、逃げられない距離。

 正面から見た彼は、想像通り容姿端麗だった。

 彼は雨に濡れて目に垂れた、長い前髪をサイドに流した。

 澄き通った眼が、私を射抜く。

「はい」

 彼は声を出した。色のない、透明な声だった。

 透き通ったようなのに、なぜか後に残る不思議な声。


 はっ、と少し冷静になると、私の目にはすぐに少年の赤色のネクタイが目に映った。

 この子、後輩こうはいだ!

 ああ、もういい! なるようになる!


「あ、あの、これ、使ってください!」

 私は声を絞り出して、傘を前に出した。右手の差した傘ではなく、左手に持っていた傘。世間では置き傘と呼ばれるものだった。

「あの……いいのでしょうか」

 彼はわずかに眉をひそめた。表情の変化が乏しい子のようだ。

「いいんです! 使ってやってください!」

「……ありがとうございます」

 彼はそう言うと、私の差し出した水色の傘を受け取った。

 少年はすぐにそれを開いて、逃げるように行ってしまった。

 私がはっと辺りに意識を戻すと、周囲の人間はみんな立ち止まっていた。その視線は、端的に言うと痛かった。

 私がぶんぶんと首を振って顔を動かすと、彼らは何もなかったように立ち去っていく。

 そして背後から近づいてくる、一人の人間。

「あーし、今、先輩パイセン後輩ハイコー見えめーるっす」

 サワちは唖然とした顔で呟いた。そして付け足す。

「つか初恋の少女かよ……」

 それは一目惚れだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

縮みそうで縮まらない、君と私のキョリ 多摩川多摩 @Tama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ