最終話

 翌日の夕方まで、俺たちはラブホテルにいた。藍凛の痛みがかなり持続したためだ。

「悪かった。俺のせいだな」

「ん……たぶん違う……あたしがちびなせいね、きっと」

 藍凛が食事どころではなかったので、朝昼と食事を抜いた。簡単な食事なら注文できるようだったが。

「もういいわ。そろそろ行きましょう」

「大丈夫なのか?」

「まあ痛いは痛いけど、平気よ。女が男の何倍も痛みに強いって知ってる?」

「なにかで読んだ覚えはあるが……」

 出産の痛みに男は耐えられないとか。

「これ以上ここ一ヶ所にとどまっているのは危険すぎるわ」

「……わかった。行こう」

 料金を精算して、俺たちはラブホテルを出た。

 藍凛の運転で走り出すと、後ろの車がパッシングしてきた。

「なに?」

 藍凛も気がついた。

「パッシングされている。藍凛、今の速度は?」

「六十キロ」

「煽られる速度じゃない。警察に捕まる速度でもない。だが、追手にしてはおかしい」

 それでも俺はサンルーフを開けて、M4をかまえて身を乗り出そうとした。その時、スマートフォンの着信音が鳴った。嫌な予感がした。

 寺島……拓哉。俺は電話に出た。

『よう、岡野。今おまえらのすぐ後ろにいるんだがな。二人で愛の逃避行ってか? 丸一日おまえらをロストしたもんだから、二、三人殺されちまったぜ』

 ……最悪だ。よりによって寺島か。学園島最強の男。なぜエースでないのか不思議なやつ。

「ああ……寺島はよく俺たちを見つけられたな」

『他の連中はてんで見当違いなところを探してるぜ。俺はまあ、おまえらの予想進路の当たりをつけて、そこにあるラブホ街で待ちかまえてただけだ。いくら健全なお付き合いをしてるおまえらでも、いつ死ぬかって時になりゃやるもんやると思ってな。で、ラブホからシルバーのベンツが出てきたってわけだ』

 やはり、盗聴されていたか。

「……あのラブホテル街、そんなに有名だったのか?」

『あのあたりじゃ一番でかいな』

 頭が痛い。しかし、藍凛のせいばかりにするわけにもいかないしな……。

「ところで、そっちも隣に誰かいるようだが?」

『俺の女だよ。少女C。まあお互いがこう言うもんだってことは、昨日教えられたばかりだがな』

 俺はスマートフォンを顔から離して藍凛に言った。

「少年Bと少女Cだ。少年Bはかなり手強い。少女Cは?」

「かなり腕はいいわ。でも、あたしには勝てない」

 藍凛ははっきりと言い切った。

 限界突破による性能劣化などと言う学園長の戯言は、おそらく洗脳プログラムが消えた時点で無効になっている。俺は、藍凛の言葉を信じた。

「……それで、わざわざ電話してくるなんてどう言うつもりだ、寺島」

『まあ、今すぐ車上射撃でやり合ってもいいんだがな。そいつも品がねえし、あとあと面倒だ。この先二十キロほど行ったところを左に曲がると、どん詰まりにペットセメタリーがある。暗くなれば誰もいねえ。そこで片をつけるってのはどうだ?』

「いいだろう」

『よし。看板が左手に見えるはずだ。そいつを見逃すな』

 俺は電話を切った。

「なんですって?」

「二十キロ先を左の路地に入ると、突き当りにペットセメタリーがある。そこで勝負しようと言ってきている」

「袋小路なの? 危険すぎるわ」

「ああ。応じたように答えたのは時間稼ぎだ。だが俺は、この誘いに乗ってもいいと思っている」

「どうして?」

「俺は、少年少女が投入されるなら、全員まとめてだと思っていた。俺たちを確実に抹殺したいなら、そうするはずだ」

「そうね」

「だが、丸一日俺たちを見失い、追手は分散しているそうだ。いま近くにいるのはあの二人だけだ。正直に言う。俺は少年Bに勝てるかどうかわからない。だが、他の少年少女にまで追いつかれたら、確実に殺される。一対一なら、まだ勝機が見出だせる。俺は今、寺島と勝負すべきだと思う」

「……寺島って言うのは、前に言っていた友達のこと?」

「ああ」

「その人のこと、彰は撃てるの?」

「撃つ。ためらったりはしない。藍凛に危害を加えるのなら、誰であろうと殺す」

「……でも、絶対に勝つとは言ってくれないのね」

 藍凛の声は震えていた。嘘をつきたくはない。だが、それ以上に、藍凛を泣かせたくなかった。

「……藍凛。子供の名前、決めているか?」

「え……?」

「藍凛と俺の子供。男の子の名前、決めているか?」

「……ええ」

「教えてくれ」

 藍凛の告げたその名前を聞いて、俺は微笑んだ。

「いい名前だ」

 俺は運転中の藍凛の太腿の上に寝転がった。藍凛のお腹に顔を向けて。車の座席の上ではなかなか難しい姿勢だったが、そんなことなどかまいはしない。

「彰?」

 俺は、藍凛のお腹に向かって子供の名前を呼んだ。

「俺は必ず勝って、おまえとお母さんのところに戻ってくる。約束する」

 俺は起き上がった。藍凛の目に涙が浮かんでいる。ああ……結局俺は、藍凛を泣かせてしまうのか。だが、藍凛は微笑んでいた。

「彰って、パパとしても最高ね」

「そうか?」

「そうよ。……彰。キスして」

 俺は深く、藍凛にキスした。

 スマートフォンが鳴って、俺は藍凛から離れた。電話に出る。

「なんだ、寺島?」

 無粋なやつだ。

『なんだじゃねえ! おまえら今、反対車線に出るだけじゃなくて、そっちの崖から落ちそうになってたんだぞ! いちゃつくのはいいが、ほどほどにしろ!』

 これから殺し合う相手から、自動車事故を心配されると言うのも妙なものだった。

「わかった。自粛する」

『ったく……ああ、ペットセメタリーの入り口までもう少しだ。看板を見逃すなよ』

 電話は切れた。

「なに?」

「あんまりいちゃいちゃするなって言われた。あと、ペットセメタリーまでもうすぐだそうだ」

「あたしたちがいつどこでキスしようが勝手じゃない。ねえ?」

 俺は笑った。そして、ペットセメタリーの看板が見えてきた。

 ペットセメタリーの駐車場に車を停めて、俺たち四人は車から降りた。俺と寺島、藍凛と少女Cが向き合う形で立った。まだ誰も武器を手にしていない。いや、藍凛だけは、俺の大きなナイフを鞘に収めて持っている。

「……変だな。寺島たちは殺戮モードだろう。なぜすぐに俺たちを殺そうとしないんだ?」

「そういやそうだな。まあ、お互い仲間同士だってことが関係してるのかもな」

「また洗脳プログラムのバグか……」

 もしかしたら、俺が藍凛を殺すのをぎりぎりまで引き伸ばせたのは、そのせいかもしれない。

 俺はペットセメタリーを見回した。

「……もっと雰囲気のいい喫茶店かどこかで会いたかった……」

「あん? ……ああ、そうだな。だがままならねえ。結局、これが俺たちのダブルデートだってことだ」

「ねえねえ少女A、あんたって処女?」

 いきなり少女Cが言い出して、俺はそっちを向いた。まだ寺島は撃ってこないだろうと言う、奇妙な確信があった。

「え……ち、違う……」

 藍凛が赤くなっていた。……大丈夫だろうか。

「それってさあ、ゆうべあのラブホで彼氏に捧げたってこと?」

「え、ええ……」

「へえー、よかったねえ。けどさあ。あの島にいた女の子のうち半分が、先公どもに強姦されてたってこと、知ってた?」

「えっ!?」

 藍凛が驚いて声を上げた。俺は寺島の方を見た。

「本当なのか?」

「事実らしい。俺も、ゆうべおまえらを待ちかまえながら聞いたんだがな」

 寺島は眉をひそめていた。

「まあ気づかないよねえ。けど、あたしらやられてた子同士は、すぐにわかった。朝の顔を見るとね。あ、この子ゆうべやられたなって。今夜はあたしの番かなって。そんな風に思いながら、三年間すごしたわけよ。どう? あたしらの気持ち、わかる?」

「……あの……同じ女として、想像するくらいは……としか……」

「ま、そんなとこだよねえ。まあ、簡単にわかるなんて言われてたら、速攻であんたの喉切り裂いてたけどさ」

 少女Cが獰猛な笑みを浮かべたが、すぐにそれを引っ込めた。

「でもさあ。こんなきったないあたしのこと、拓哉は好きだって言ってくれたわけ。中学時代に強姦されたって言ったのにさ。それでもあたしのこと、抱いてくれたんだよね」

「おい! 誰も紀子のりこのことを汚えなんて言ってねえし、誰にも言わせねえぞ!」

 寺島が怒鳴った。紀子と言うのが、少女Cの名前か。

「ありがと、拓哉。大好き」

 紀子は、ものすごく可憐な笑みを浮かべていた。

「……少女C。あなたはきれいだわ。どす黒く汚れているのは、学園島の先生と、学園長」

「ん? そう? 今みたいなセリフ言われたらあたしキレると思ってたんだけど、案外悪くないな。ありがと、少女A」

「いいえ。……でも、少女C。さっきのあなたの話、なんだか遺言みたいに聞こえたけど」

「遺言?」

 紀子が首を傾げた。

「……あー。もしかしたらそうだったのかなあ。まああたしだって負けるつもりはないけど、あたしを殺せるような女ならさ、きっと長生きしそうじゃない? だから、あんたには覚えててほしかったのかもね。学園で管理されてる数字じゃなくて、あたしって女がどんな風に生きてきたのかってことをさ、知っておいてもらいたかったんだね」

「……そう。わかった。約束するわ。あなたのことは絶対に忘れない。そして、必ず学園長を殺すわ」

「……それって、あたしに絶対勝つってこと?」

 紀子がさっきのような獰猛な笑みを浮かべた。

「ええ。どうしてかわかる? あたしのお腹には、彰の子供がいるかもしれないの。この子を道連れにして死ぬなんてこと、絶対にできない」

 紀子がナイフを二本抜き出した。二刀か。藍凛も俺のナイフを鞘から抜き出す。藍凛と紀子はナイフ戦。藍凛の予想したとおりだった。

「いるかどうかもわかんない子供のために、ねえ……。さっきから思ってたんだけど、あんたそのでかいナイフ使えるの?」

「忘れたの? あたしたちは武器を選り好みできるようには作られてないでしょう?」

 二人の戦いはすでに始まっている。俺は寺島に注意を向けた。

「女どもはバチバチ始めてるな。俺たちもやるか」

「ああ。だが最後に一つだけ、言っておきたいことがある」

「なんだ? 遺言か?」

 寺島が笑った。

「いや。寺島、知っていたか? 寺島は、学園島にいた俺たちみんなのヒーローだったんだ」

「ヒーロー? なんだそりゃ」

 寺島は顔をしかめた。

「事実だ。寺島は学園島最強の戦士。みんな寺島の真似をして、あの地獄を切り抜けたんだ。寺島は、俺たちの憧れだった」

 寺島は居心地悪そうにしていた。

「……そんなヒーローだとか言われてもな。俺は自分が生き残るためにそうしてきただけだぞ。ああだこうだ言うのは勝手だが、俺は知らねえ」

「わかっている。だが、みんなが寺島に感謝していた。それだけは、最後に伝えておきたかったんだ」

「……最後ってのは、俺の最後って意味か?」

 寺島の顔に、紀子と同じ獰猛な笑みが浮かんだ。

「ああ。悪いが俺は負けるわけにはいかない」

「ついさっき俺を最強だとか持ち上げておいてか?」

「そうだ。藍凛が言っていたことを聞いていなかったのか? 藍凛と子供のために、俺は死ぬわけにはいかないんだ」

 その時、ナイフの刃と刃がぶつかる硬く澄んだ音が聞こえた。その瞬間、俺と寺島も動いた。

 抜き撃ち。寺島の恐ろしいほどの早さ。駄目だ、勝てない。俺は初弾を諦めて全力で回避する。

 俺は思い切り横っ飛びに飛んだが、寺島の弾丸は俺の肩をかすめた。一発撃ち返して、俺は全速力で走る。ペットセメタリーの外周を囲む林に駆け込むまでに、一マガジン全弾を牽制に撃ち尽くした。

「おいおい、威勢のいいことを言っておいて鬼ごっこか!? エースの名が泣くぞ!」

 俺に言い返す余裕はない。マガジンを交換して、林の中を走る。

 俺は木を盾にして、寺島は丸裸。そのはずが、立場はまるで逆だった。寺島は俺の射撃位置を予測して、俺が撃とうとする時には必ず間に木を挟む場所に移動した。俺がそこから踏み出せば、腕や足を寺島の弾がかすめる。

 俺は林の中を走り続けた。太い幹の木を探す。それ以外に俺が勝てる方法はない。

 見つけた。俺はその木に向かって、死に物狂いで走った。また何発かが俺の体をかすめる。

 太い木にたどり着いて、俺は足を止めて呼吸を整えた。

「鬼ごっこは終わりか? だったら出てこい、けりをつけようぜ!」

 寺島の次の一発。それをかわせなければ、俺は終わりだ。だが、そんなわけにはいかない。俺は生きて藍凛の元に戻る。そのために、俺は俺の憧れを殺す。

 俺は寺島がいるであろう位置に銃口を向けて、横っ飛びに木の影から飛び出した。

 右半身が木から飛び出る。寺島を撃とうとしたが、寺島の方が先に撃ち、俺の右手のM1911が弾き飛ばされた。寺島の顔に余裕の笑み。

 だが、俺の左半身も木の影から出た時、寺島の笑みが凍りついた。俺の左手にはもう一丁のM1911。俺は引金を引いた。寺島はもんどり打って倒れた。

 俺は銃を寺島に向けたまま、近づいた。寺島の銃は、遠く離れていた。

「てめ……二丁拳銃とか、聞いてねえぞ……」

「両利きになるように自分で訓練したんだ。武器を含めて自在に扱えるようになるまで、一年かかったが」

 この奇策を使うために、藍凛に持たせていたM1911を俺が受け取っていた。藍凛は今、銃を持っていない。藍凛は紀子がナイフ戦を仕掛けてくることを予想し、さらに見せつけるように俺の大きなナイフを手に持った。そして、狙いどおり二人はナイフ戦になった。それに、たとえ紀子が撃ってきても、対処できると藍凛は言った。俺はそれを信じた。

 俺の弾丸は、寺島の肺に当たっていた。即死ではないが、致命傷だった。

「我らがエースは努力の人でもあったってか……ったく……」

「俺には奇襲でしか寺島に勝ち目がなかった。騙し討ち同然のやり方をして悪かった」

「そんなこと思っちゃいねえよ……それも強さってもんだろう……」

 寺島が血の混じった咳をした。一呼吸ごとに激痛が走るはずだ。俺は、寺島の心臓に狙いを定めた。

「待て……紀子はどうなった……?」

「藍凛!」

 俺は藍凛が負けるなどとは露ほども思っていなかった。

「なに?」

 平然とした声が返ってきた。

「少女Cはどうした?」

「今倒したわ」

「死んだのか?」

「まだ生きてはいる。でも、長くはないわ」

「悪いが……俺を、連れていってくれ……」

 寺島が、なんとか体を起こそうとしていた。

「藍凛。少女Cにとどめを刺さないでおいてくれ」

「わかった」

 俺は寺島に肩を貸してやった。ボディチェックもせずに近づくなど自殺行為だが、寺島が俺を撃ったりしないことはわかっていた。愛する女の元に行くには、俺の力が必要だ。

 藍凛は駐車場に立っていた。その足元に、紀子が横たわっている。紀子の周りは血の海だった。動脈性出血だ。長くはもたない。

 俺は、紀子のすぐ近くに寺島を下ろした。

「紀子……」

「拓哉……? ごめん、あたしもう目が見えなくて……」

 紀子は、あどけないと言っていいような笑みを浮かべていた。

「拓哉……キスして……」

 寺島が紀子にキスした。長い、長い口づけだった。

「……俺もすぐ逝く」

「うん……待ってる……拓哉……愛して……る……」

 そして、紀子は事切れた。寺島はぐらりと揺れて、仰向けに倒れた。

「何度も悪いが、もう一つ頼みを聞いてくれねえか……」

「ああ」

「紀子と俺の死体は、絶対に学園の連中に見つからねえところに捨ててくれ……」

「わかった。約束する」

 その気持ちはよくわかった。死んでまで実験材料にされたくはない。

「それだけだ……それじゃあ、そろそろ頼むぜ、ダチ公」

 俺は寺島の心臓に二発の弾丸を撃ち込んだ。即死のはずだ。余計な苦しみはなかったはず。

「……じゃあな、親友。いつかまた会おう」

 俺は目尻に浮かんだ涙を拭った。

「さよなら、紀子。あたし、あなたと友達になりたかった」

 藍凛の目にも涙があった。

 俺たちは二人のポケットを探って、忌々しい支給品の携帯電話を取り出した。

「こんなものがあったら、ゆっくり眠ることもできないな」

 俺は携帯電話を放り投げて、左手の銃で撃った。藍凛も放り投げ、俺が同じように撃ち砕いた。

「彰、右手をどうかした?」

「寺島に銃を撃ち飛ばされた時に、人差し指をくじいたみたいだな。放っておけば治る」

「あとで薬局に寄るわ」

 まあ、藍凛には逆らえない。

 俺は寺島を抱き上げた。藍凛が紀子の体を背負った。

「大丈夫か?」

「平気」

 ベンツの後部座席を倒して、二人の遺体を乗せた。すぐに車内に死臭が漂い始めたが、俺たちは気にしなかった。俺たちは、もっとひどい臭いをかいだこともある。

 それから藍凛と話して、二人の武器を使わせてもらうことにした。身ぐるみはぐようで気が引けたが、今の俺たちには必要だった。俺たちが、生き続けるために。

 そして、俺たちのダブルデートは終わった。


 翌日、二人を埋葬したあと、藍凛と相談して行き先を変えた。車を二回替え、三日かけて慎重に接近した。

 俺たちは、学園長室の建物の手前で車を停めた。藍凛がM4を、俺はM1911を左手に握って建物に近づく。建物外を警備している人間は一人もいない。念のために建物の外周を一周したが、やはり誰もいない。

「……本当に、学園長は狂ってるのね」

「洗脳プログラムだけじゃない。なにもかもがでたらめなんだ」

 藍凛が扉を開け、俺が先に待合室に入った。誰もいない。そのまま、学園長室の扉に近づいた。同じように藍凛が扉を開け、俺は室内に入った。

 副学園長が、懐のホルスターから銃を抜こうとしていた。M1911で禿げ頭を二発撃った。その手にあるのは九ミリ拳銃。こいつも自衛隊上がりだったのか? まあ、どうでもいい。

 学園長は落ち着き払った様子で黒い携帯電話を取り出していた。藍凛がM4をかまえて入ってくる。学園長は机の上に置いた携帯電話を、気障ったらしい手つきでボタンを二つ押した。

 俺は頭の中に妙な不快感を感じた。俺と藍凛は目を交わして、示し合わせたように銃を下ろした。

「……ああ、可聴域外の音で俺たちをコントロールしていたんですか」

「そのとおり。これできみたちは通常モードだ。私を殺すことはできないと言うわけだな」

 俺はふっと小さくため息をついた。たとえそうでも、学園長を二度と病院のベッドから起き上がれなくすることはできるわけだが。まあ、今は余裕を持っていてもらった方がいい。

「学園長、質問があります」

「なんだね?」

 学園長は鷹揚な態度で言った。

「少年少女の学園島はどこにあるんですか?」

「そんなことを聞いてどうするのかね?」

 本当に不思議そうに学園長は言った。

「いえ、可愛い後輩たちを労ってこようかと思ったので」

「ほう。まあいい、四国近海の島だ。詳しい位置はコンピューターの中にある」

 学園長が右側の袖机をちらっと見た。そこにあるらしい。後輩のくだりを否定しなかったことから、すでに俺たちの第二世代が育成されているようだ。

「もう一つ質問があります。少年Bが、学園島卒業時の序列で最後だったのはなぜですか? 彼は比類ない戦闘能力を持っていたように思えますが」

「ああ、なるほど」

 学園長は嬉しそうに笑った。今すぐその顔面を銃弾で砕いてやりたくなったが、こらえた。

「単純な話なのだよ。少年Bは、学園島でただの一人も殺さなかったのだ。まあ、優しすぎたと言ってもいいかな」

「どう言うことですか?」

 俺は思わず聞き返した。学園長は気にしなかった。

「少年Bは、学園島での三年間で誰一人として殺していない。私はそれを欠陥と捉え、一時は廃棄処分にしようかとさえ考えた。だが確かに、彼の性能は抜きん出ていた。だから彼に少年Gの名を与え、仕事をさせた。その結果、見事に完遂した。さらに最初の限界突破を果たし、少年Bになったと言うわけだ」

 俺はしばし瞑目した。

 そう言うことだったのか、寺島。あの時、寺島は狙って俺のM1911を撃ち落としたのか。そんなことができるなら、俺の眉間を撃ち抜くことだってできたはず。だが、寺島はそうしたくなかった。あるいはできなかった。殺さずに俺を無力化しようとした。その結果、俺に殺された。

 学園島最強にして最弱の男。優しすぎた俺たちのヒーロー。

「……ああ、そうか。つまり、俺は」

「学園島でもっとも多くを殺害したと言うことだな」

 学園長は誇らしげにうなずいた。

 なるほどな。確かに俺は少年Aの名前にふさわしい。

「学園長。あたしにも質問があります」

 藍凛が一歩進んで聞いた。

「どうぞ」

「女子学園島では少女の半数が強姦されていたと聞きました。事実ですか」

「事実だ」

 学園長がゆったりとうなずいた。藍凛の体が震えた。

「……なぜ、そんな蛮行を許したんですか?」

「実験だったのだ」

「実験ですって?」

 藍凛は声も震えていた。だが、学園長はそんなことに頓着しない。

「少女には、少年の童貞・非童貞とは明らかに異なる処女・非処女の概念がある。まあ、肉体的にも差はあるわけだが。それによる性能差が生じるかどうかを調べる実験だったのだ。結果、生き残った八名の少女のうち、処女・非処女の比率は一対一。つまり有意な差は見られなかったと言うことだな」

 学園長は大仰に手を広げながら笑みを浮かべた。

 俺は。これほど人を殺したいと思ったことはない。

「……彰。あたしもう我慢できない」

「ああ。俺もだ」

 俺たちは揃って銃口を上げて、学園長の顔に向けた。尊大な笑みが凍りついた。

「あんたは本当に狂っているな、学園長。俺は藍凛を殺さずに逃げ、追手を撃退し、寺島と紀子を倒した。そしてついさっき、あんたの目の前で副学園長を殺した。それがなにを意味するのか、本当にわからないのか? ろくでもない洗脳プログラムになにが起こったのか、想像することもできないのか? どうしたら自分だけは殺されないと思えるんだ? 神かなにかにでもなったつもりか?」

 彫像みたいに固まっている学園長の姿はそこそこ笑えたが、もううんざりだ。

「あんたには恨みつらみが山ほどあるが、もういい。さっさと死んで、先に逝った少年少女に詫びてくるんだな」

 学園長が口を開こうとした瞬間、俺と藍凛は引金を引いた。

 藍凛はM4の全弾三十発を、フルオートで一発も外さずに学園長の顔に撃ち込んだ。俺もM1911を撃った。

 藍凛が撃ち尽くし、俺も撃つのをやめた。どう言う具合かわからないが、下顎以外の頭部すべてを消失した学園長の体は、ゆらゆらと揺れながらもまだ立っていた。

「……なんなのこいつ。本当に気持ち悪い」

 心底嫌そうに藍凛は吐き捨てた。

「まったくだ」

 俺はM1911に残っていた一発を学園長の胸めがけて撃った。それで、ようやく学園長の体は倒れた。

 俺たちは学園長の机を調べた。学園長の死体が邪魔だったので、蹴り飛ばした。俺が左の袖机の引き出しを開けて、藍凛が右のを開けた。俺が調べた引き出しは、すべて空だった。

「なにもない」

「こっちは……あった。ノートパソコンがあるわ」

 藍凛がノートパソコンと電源ケーブルを持って机の上に置いた。

「他には、なにもないわね」

「この黒い携帯電話と、パソコンだけか」

「どうしてノートパソコンまで引き出しに入れておいたのか意味がわからないけど」

「机の上にものを置いておくと死ぬとか言う奇病だったんじゃないか」

「ありえるわね。まあもう死んでるけど。……彰、一応学園長の体も調べて」

「ええー……」

 俺はいやいや学園長のポケットをまさぐった。財布が一つあるだけだった。財布の中のカード類を全部抜き出して、机の上に並べた。

「……普通のクレジットカードしかないみたいだな……免許証も保険証も、身元の手がかりになるようなものはなにもない。……ああ、クレジットカードの名義が全部違う。徹底しているな」

「そうなの? こっちはすごく簡単だわ」

「え?」

 俺はノートパソコンの電源を入れていた藍凛に近づいた。

「藍凛はパソコンを使えるのか?」

「ネットショッピングくらいだけど」

「俺よりはるかにましだな。頼む」

 俺はパソコンをほとんど触ったことがない。スマートフォンで用が足りていた。

「ログインパスワードはなし。たぶんこれが学園全体を管理してるアプリケーションだと思うけど……こっちもパスワードがない。これ、学園の資金もなにもかも好きなようにできるわ」

「ここが襲撃されるなんて、夢にも思わなかったんだろう。まあ、学園長が夢を見ていたのかどうかは知らないが」

「ほんと狂ってる……あ、第二世代の少年少女のデータがあるわ」

 俺は液晶画面を覗き込んだ。

「少年は……二十二人が生き残っている。俺たちよりうまく生き延びているらしいな」

「少女の方は……」

 いきなり藍凛が机の上に拳を叩きつけた。そして両手で顔をおおった。泣いている。

「どうした」

「少女の番号が、色分けされてる……これ、強姦する女の子を区別してるんだわ……」

 俺もその忌まわしい数字を見て、藍凛の体を抱きしめた。俺はさっき学園長に感じたものとほとんど同じだけの強い殺意を感じた。そして、学園長亡きあと、この怒りをぶつける相手を見つけた。

「藍凛にこんなことをさせて悪かった。だが、もう少しだけがんばってくれ。学園島の座標と、武器庫の場所を調べてほしい」

「……どうするの?」

 藍凛が涙に濡れた顔で、俺を見上げた。

「学園島に乗り込む。そこにいる先生どもを殺す。そして、少年少女を助けるんだ」

 藍凛がすさまじい笑みを浮かべた。寺島よりも、紀子よりも、さらに恐ろしい笑みを。そして、それは俺の顔にも浮かんでいるはずだった。

「……それだけ?」

「いいや。そのあとは、皆殺しだ。パソコンの中には学園関係者すべてのデータがあるはずだ。学園長のものだけはないかもしれないが、死体のことなんてどうでもいい。この狂った学園に関わった人間は、一人も生かしておかない。雇われだろうとなんだろうと容赦はしない。殺すんだ。この世に学園なんてものが存在したと言う痕跡は、残らず消し去ってやる」

 コンビニの店長と女性店員。結婚したい女性がいると言っていた監視役の二人組。憎めなかったが、もうそんなことは関係ない。誰も彼もが俺たちの復讐の炎にくべられる薪にすぎない。

「彰……」

 俺は藍凛に求められてキスをした。どう言うわけか、血の味がした。

「最高」

 キスのことなのか、他のことなのかはわからなかった。

 俺たちは殺す。殺して殺して殺しまくる。何百人殺せばいいのかは、パソコンが教えてくれる。あるいは千人かもしれない。男も女も、老いも若きも関係なく殺す。

 俺たちは少年Aと少女A。それぞれの学園島でもっとも多くの仲間を殺した者に与えられる名前。仲間以外の人間を殺すのに、なにをためらうことがあると言うのか?

 映画スカーフェイスを思い出す。復讐を成し遂げたあと、一人どこかへ消え去る悲しい男。だが、俺はそうはならない。俺の隣には藍凛がいる。なにもかもが終わったあと、藍凛は俺の子供を産んでくれる。

 藍凛と俺と子供で作る三人の家族。夢の一つの形。それは高望みと言うものだろうか?

「藍凛」

 俺は藍凛に声をかけた。なぜか、言葉に詰まった。藍凛が不思議そうな顔で俺を見ている。

「なに?」

「……産まれてくる子供が女の子だったら、名前、決めているか?」


                                 END

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