第7話

 二週間後、昼休みに保健室に呼び出されて、学園の女が俺の肩の傷の抜糸をした。俺は礼も言わずに保健室を出た。

 放課後、藍凛と別れたあと、さて今日からアルバイトかと思ったら支給品の携帯電話が鳴った。また勝手に頭の中のスイッチを切り替えられて、腹が立った。どうにもならないことだが。

「少女Aを殺せ」

 ソファーに座ると、いきなり学園長が言った。

「少女A? なんですかそれは?」

 だが、すぐに俺にも見当がついた。そのネーミングセンスからして間違いない。

「基本的にはきみたち少年とまったく同一のものだ。性別が違うと言うだけだ。別の学園島で育成された。女子学園島とでも言うべきかな」

 本当にセンスがないな、この男は。

 少女A、か。今までその存在を想像したこともなかった。俺たち少年は、子供であると言う外見上の特性で、標的やその護衛に警戒心を抱かせないと言うのが利点だった。それが女の子となれば、その利点はさらに大きくなる。

「少女Aと言うからには、相当の技量の持ち主だと思いますが。なぜ殺すんですか?」

「そのとおり。かつて少女Aは、きみをも凌駕する性能の持ち主だった。だが、彼女は限界突破を機にその性能を急激に劣化させた。そして、情緒不安定にもなっている」

「限界突破でそんなことが起こるんですか?」

「起こった。今のところ少女Aが唯一の例だが」

「そう言う場合、なぜそんなことが起こったのかを徹底的に調べるものだと思っていましたが」

 俺は嫌味を言ってみたが、もちろんこの狂人にそんなものは通用しなかった。

「通常ならそのとおりだ。あるいはただ廃棄処分される。しかし少女Aの場合は、非常に貴重な利用法があることがわかったのだ」

「なんですか?」

「少年A。きみが少女Aを殺害することで、さらに飛躍的な性能の向上を遂げるだろうと言うことが判明した。他の誰でもない、きみが殺すことで、その現象は起こる」

 他の誰でもない、この俺だって? どう言う意味だ?

 学園長は副学園長にうなずいた。副学園長が俺の前にいつものA4用紙を置いた。文字は一切なく、左上に顔写真があるだけ。だったら写真を大きく印刷すればいいものを。俺は、顔写真を見た。

「…………」

「質問は不要だろう」

 俺はただ、その写真を見つめ続けた。副学園長が、俺の前からA4用紙を取り上げた。

「期日は設けない。だが、きみがこの仕事を速やかに遂行するものと期待する。以上だ」

 俺は無言で立ち上がった。扉に向かう。扉を開けた時、副学園長がA4用紙をシュレッダーにかけた。

 俺と一緒にいるところを盗撮されたのであろう、微笑んだ藍凛の顔写真は、細切れに裁断された。

 どうやってアパートまで戻ったのかよく覚えていない。俺の殺戮モードは継続されている。誰かに喧嘩を売られでもしたら、俺は相手を殺す。ああ、明日の学校は気をつけないといけない。北条とか言うやつみたいな馬鹿が現れたら、俺はそいつも殺す。

 学校か。明日を最後に、俺は二度と学校に行かないだろう。藍凛のいない学校など、行く価値はない。

 今夜藍凛の家に押し入って、藍凛と殺し合うこともできるが、やめておいた。……ああ、そうか。藍凛の両親の話。あれは偽装だったのか。家に生活感がないわけだ。

 藍凛と俺と子供で作る家族。藍凛が遠い視線の彼方に見ていたもの。俺も一緒に夢見たもの。

 俺は顔をおおった。だが涙は流れない。今の俺は殺戮モード。そんな余計なものは洗脳プログラムが許容しない。

 抜糸も済んだし、明日は藍凛と手をつないで登下校できる。藍凛の手作り弁当を食べることができる。最後の晩餐。まあ昼食だが。

 ああそうだ。包帯も取れたし、藍凛に嫌われないようにちゃんと風呂に入っておこう。

 風呂から上がり、俺はパンツ一枚で暗い部屋のベッドに腰かけていた。

 いつだって、本当にいつだって想うのは藍凛のことだけ。この気持ちだけは、洗脳プログラムにだって消せはしない。俺は限界突破を果たした。性能の向上なんて言う戯言はどうでもいい。俺が限界突破で得たものは、そんなつまらないものじゃない。

 藍凛を愛する心。誰にも邪魔されない、本物の俺の気持ち。

 明日、それを与えてくれた藍凛を殺す。俺を救ってくれた藍凛を殺す。この偽物の人生の中で、たった一つの本物を殺す。

 残された俺の人生は、悲惨極まりないものになるだろう。今度こそ本当に、俺は偽りの生を生きることになる。真実も本物も失って、ただいつの日か仕事に失敗して死ぬことだけを望み続ける。

 おそらく俺は、通常モードでは使いものにならなくなるだろう。普通の人間に紛れて生きることなどできるわけがない。藍凛のいない世界など、無価値だ。

 なんとか藍凛に俺を殺させることはできないか。顔なし仲間のうち二人は、お互いに殺し合うことで自殺した。だが、相撃ちでは駄目だ。銃口を向けあって、わずかでいい。俺の指が引金を引くのを遅らせられれば。

 そんなことはできない。殺戮モードでは、俺は身につけた殺人技術をなんの躊躇もなく行使する。

 いや……学園長はああ言っていたが、もしかすると藍凛の戦闘能力はまだ俺を上回っているかもしれない。そうすれば、あるいは。

 駄目だ。不確定要素が大きすぎる。ただ撃ち合って俺だけ死ねるなんてことに賭けるわけにはいかない。

 俺はまったく眠ることなく、藍凛を救う方法を考え続けた。


 いつもの場所で七時前に、俺は藍凛を待っていた。どんな結末になろうと、もうこうやって藍凛と待ち合わせることはないだろう。

「彰、おはよう」

「おはよう、藍凛」

 俺たちは笑顔で挨拶した。俺はすぐに藍凛と手をつないだ。

「怪我が治ってよかったね、彰」

「ああ。まあ、骨が完全にくっつくまでには一ヶ月かかるらしいが」

 こんな時でも俺の口は滑らかに嘘をつく。だが、今日の放課後までは、いつもどおりでいたかった。

 グラウンドの端に立って朝練を見ていると、塩谷先輩がぴょんぴょん飛び跳ねながら手を振っていた。明らかに俺たちに向かって。

「……行っていいか?」

「いいよ」

 俺たちはグラウンドの奥に進んだ。

「あのね、岡野くんと彼女! あたし、一八〇センチ跳べるようになったんだ!」

「すごいですね」

 以前に見させてもらった練習から、一センチ高く跳べるようになるのがとても大変なことだと言うことは俺にもわかった。

「あと一センチ高く跳べたら、あたし高校女子の歴代十位に入るのよ。もちろん公式戦での記録じゃないと駄目だけどね」

「すごい……」

 藍凛も思わずつぶやいていた。本当にすごい人だったんだな、塩谷先輩。

「今月大会があるんだ。よかったら見にきてね」

「はい」

 おそらく俺が行くことはないだろうなと思いながら、返事をした。

「最近岡野くんが見にきてないって女バレのキャプテンが言ってたよ。見に行ったら?」

「そうですね。そうします」

 藍凛と二人で体育館に向かった。

「……彰」

 二階席への階段を上がりながら、藍凛が声をかけてきた。

「なんだ?」

「塩谷先輩って彰のこと好きだったんだよ」

「ええっ!?」

 俺は階段で転びそうになった。

「危ない! また骨折したらどうするの!」

「藍凛が変なことを言うからだろう!」

「でも本当なの。あと一日あたしが告白するのが遅かったら、彰のこと取られちゃってたかも」

「……いや、それはないんじゃないか」

「どうして?」

「俺は二年でクラスが一緒になってからずっと、藍凛のことが好きだったから」

「でもあたしが告白するまで気づいてなかったみたいだけど?」

「それはまあ……だが、本当に塩谷先輩が俺のことを好きだって言ってたら、その時点で藍凛のことに気づいたと思う」

「そうなの?」

「ああ」

「ふうん」

 藍凛がにっこり笑った。

「じゃあ、女子バレーボール部の練習を見にいこう!」

「押すなよ……」

 体育館は熱気にあふれていた。この練習風景を見られるのも今日で最後か。

 いきなり俺の目の前にボールが飛んできた。俺はとっさにボールをつかんだ。

「あ、すいませーん!」

 女バレの部員が俺たちの下にやってきた。

「……あ、バカップル」

「ん?」

 同じクラスの女子だった。

「また見てたの。好きだねー」

「好きだ」

 俺が言うと女子が少し赤くなった。

「そんなに好きなら試合も見にくればいいのに」

「そうだな。今度から応援に行く」

「うん、そうして。あ、ボール落として」

 俺はボールから手を離した。

「サンキュー」

 女子はコートに戻っていった。

「……まさかあの子も……」

「それはない」

 俺がそんなにもてるわけがない。ああそうだ。俺が死ぬ前に、俺の顔が整形されていることを告白しよう。

 俺は授業中も藍凛の横顔を時々眺めた。今まではそんなことをしたことがない。藍凛と同じくらい、授業も大切だったからだ。だが今は、俺が藍凛に惹かれたその横顔を、しっかり記憶に刻みつけておきたかった。たとえそれが、数時間後に消えてしまうものだとしても。

 昼休みに、俺はゆっくりと藍凛の弁当を食べた。相変わらず、今まで見たことのないおかずばかりだった。

「本当に、藍凛はいつでもお嫁に行けるな」

「貰ってくれるの?」

 藍凛が笑った。

「今すぐさらっていきたいくらいだ」

 藍凛が赤くなった。だが本当に、そうしたかった。絶対に叶うことはないが。

 放課後、俺たちの分かれ道で、俺は言った。

「藍凛。今日は俺のアパートにこないか」

「え……」

 藍凛が驚いていた。限界突破の時以外、俺が藍凛を部屋に呼んだことはない。

「……あの……き、着替えたりしてきていい?」

 顔を赤くして、藍凛が言った。そう言えば今日は金曜日だなと思った。

「ああ。ここで待っている」

「先にアパートに行ってていいよ?」

「いや。ここで待ちたいんだ」

「そう? じゃあ、少し待っててね」

 もう二度とできないと思っていた待ち合わせ。こんな貴重な時間を、逃したくはない。

 けっこう時間がかかった。だがかまわない。藍凛は絶対にきてくれる。俺の人生にある数少ない絶対。それを与えてくれたのも藍凛だ。

「ごめん彰、待たせちゃって」

 藍凛はきた。少し大きめのバッグを持っている。

「それは?」

「秘密」

 藍凛は照れたように笑った。

「そうか。じゃあ、行こうか」

「うん」

 二人で俺のアパートに向かった。

「お邪魔します」

「ああ。座って」

 藍凛はバッグを置いて、座布団に座った。

「少女A」

 藍凛の体がびくっと震えた。

「どうしてすぐに俺を撃ち殺さないんだ? 座布団の下の拳銃には気づいているはずだ」

 昨夜のうちに、俺は座布団の下にM1911一丁を置いておいた。これは洗脳プラグラムに抵触しなかったらしく、なんの苦もなく行えた。

「……そう言うあなたは、誰なの?」

「少年A」

 俺は端的に答えた。

「ああ……そうなんだ、そう言うこと……」

 虚ろな声で、藍凛は言った。

「どうしてってそんなの……あたしは彰の彼女で、彰のことを殺す理由なんてないから」

 俺はベッドの下のジェラルミンケースを引っ張り出した。

「少女A。まだ間に合う。俺はまだ武器を手にしていない。簡単に殺せる」

 だが、俺が銃を手にしなければ藍凛は撃てないだろう。際どい賭けだった。

「お願い。少女Aだなんて呼ばないで。彰からそんな名前で呼ばれるなんて、絶対に嫌」

 俺はジェラルミンケースの鍵を開けた。

「藍凛。今すぐ銃を取れ。藍凛が助かる道はそれしかない」

 俺はジェラルミンケースの蓋を開いた。

「無理なの。あたしは今通常モードだから。銃を突きつけられても反撃できない」

 それでは藍凛は俺を殺すことができない。学園長は俺と藍凛が殺し合う様子を見て楽しむものだと思っていたが、一方的に藍凛を虐殺させるつもりだったのか。先に銃を持たせて俺を殺させるつもりだったが、藍凛にはそれができない。そして俺の体は、今やほとんど自動的に藍凛を殺す準備をする。俺には、藍凛を救うことができない。

 もう一丁のM1911を抜き出す。昨日は課業をしていないが、問題なく作動するだろう。

「通常モードでも、体術で俺の体を壊すことはできるはずだ」

 頼む。誰か俺の体を止めてくれ。殺してくれ。藍凛のいない世界で、俺が生きていられるはずがない。

「それは、あたしがそうしようとした時だけ。彰を傷つけることなんて、あたしは望んでない。殺戮モードみたいに、人殺しを強要されない」

 ついに俺は、藍凛に銃を向けた。今の俺は殺戮モード。今まで藍凛と話していられたのが不思議なくらいだ。

「藍凛」

「彰。あたしを殺して。この血まみれの人生からあたしを開放して。知ってる? あたし、去年一年間に二五人を殺したの。けっこうすごいと思わない?」

 虚ろな笑みで、藍凛は言った。文字どおり俺とは桁違いだった。

「藍凛」

 まだ、標的の名を呼ぶことができた。

 俺は銃口を突き付けたまま標的に近寄った。標的の正面で立膝になる。

「お願い、彰。あたしにキスして。そしてそのまま引金を引いて。ああ……彰に殺してもらえるなら、本当に悪くないな……」

 俺はなにも言わずに標的に向かって引金を引き絞った。キスをすることもなく。だが、その動きは撃鉄が落ちる寸前で止まった。

 標的の目から涙がこぼれ落ちた。

 藍凛の涙を見た瞬間、俺の頭の中が弾けた。

 ――俺は藍凛を二度泣かせた。

 一度目は、通学途中で俺が倒れた時。二時間も昏睡していた俺が目を覚ますのを待ちながら、藍凛は泣いていた。目を覚まし、俺は心に誓った。もう藍凛を泣かせないと。

 だが、そんな誓いはあっさりと破られた。同じ日の夜のうちに。死にかけていた俺を救ってくれた藍凛は、俺が助かると知って泣いてくれた。俺は限界突破を乗り越えた。あの頭痛も胸痛もなくなり、俺はもう倒れたりしない、今度こそ藍凛を二度と泣かせないと、固く誓った。

 それなのに。三度藍凛を泣かせたあげく、この俺の手で、藍凛を殺そうと言うのか――!!

 頭に続いて、体が弾けた。

 俺は藍凛の肩を力いっぱい突き飛ばした。俺も反対側の壁近くまで飛びすさった。

 ほとんど同時に、窓ガラスに穴が空き、床に銃弾がめり込んだ。

「……ちょっと彰。力強すぎよ」

 藍凛は体を起こして涙を拭った。

「悪い」

 藍凛は座布団ごとM1911を引っ張り寄せて手に取った。藍凛は銃を握り、手を動かしてグリップの感覚をつかもうとしているようだった。俺に銃口を向けたりはしない。それで藍凛にも、俺と同じ変化が起こったのを確信した。もっとも、藍凛が俺を即座に射殺していたとしても、俺にはなんの悔いもなかったが。

「オートマチックか……まあ実戦的なんでしょうけど」

「藍凛はリボルバーなのか?」

「ええ。コルト・パイソンの二.五インチバレル。あとはナイフが四本」

「パイソンか……いい思い出がないな」

 俺は顔をしかめながらベッド裏をまさぐって、テープで止めてあるナイフを取った。

「どうして?」

「仕事中に撃たれた」

「ああ、肩の骨折ったってそう言うこと」

 俺はナイフを藍凛に向けて床の上を滑らせた。

「……なに、この大きなナイフ。刀みたいじゃない。もっと小さいのはないの?」

「悪いがそれしか持っていない」

 俺はあらためて窓に空いた穴と床の弾痕を眺めた。

「三栄町交差点の角、保険会社ビルの屋上だな」

「三百ないわ。どれだけ下手なの」

「まあ、いるとわかっているスナイパーの弾に当たる馬鹿はいない。スコープが光を反射していた。少年少女じゃないな。いつもの監視役だろう」

 左肩を負傷した時、俺を車に乗せてくれた二人組。どちらが射手でどちらが観測手か。一人は結婚を考えている女性がいると言っていた。憎めなかったが、今はそんなことを言っていられない。

 俺は射線に入らないようにしてジェラルミンケースを引っ張り寄せた。もう一丁のM1911をズボンの後ろに突っ込み、マガジンをポケットに入れた。

「ねえ、彰」

「なんだ?」

 俺が腕をいっぱいに伸ばして、ベッド下のさらに奥にあるジェラルミンケースを取ろうとしていると、藍凛が言った。

「キスして」

 俺は顔面から床に落ちた。

「……なんで?」

 痛い。

「女に二度も言わせるの? そんなのしてもらいたいからよ」

「……いや……次の瞬間にも、追手がそこのドアを蹴破って俺たちを蜂の巣にするかもしれないんだが……」

「だからよ。あたしは、彰にキスしてもらえずに死にたくない」

「……だがどうするんだ? 迂闊に近づいたらスナイパーに撃ち殺される」

「こうすればいいのよ」

 藍凛が窓際でころんと横になった。頭は窓の真下にあって、スナイパーの死角だ。

「……えっ。上下逆さでキスするのか?」

「そうよ。駄目なの?」

「駄目じゃないが」

 俺は匍匐前進の要領で藍凛に近づいた。ああ、そう言えば学園島でも匍匐前進をやらせられたなあとなぜか思い出した。

 俺は、上下逆さで藍凛の顔に近づいた。

「……変な感じ」

「藍凛がしろって言ったんじゃないか」

「そうだけど。……あ、そうだ。彰に聞かなくちゃいけないことがあるの」

「なんだ?」

「彰、さっきあたしに彰を殺させようとしてたでしょう」

 俺は一瞬言葉に詰まったが、うなずいた。

「ああ」

 藍凛が俺の頬をひっぱたいた。頭がぐらぐらして、鼻血が出るかと思った。

「二度とそんなことしないで。あたし、彰がいなかったら生きていけないのよ。あたしも彰に殺してって言ったけど、お願い。もう絶対にそんなこと考えないで」

「俺も同じだ。藍凛がいなければ生きていけない。二度とあんなことはしない。それに、もう俺たちはお互いを殺させる必要もない」

「ええ。……ごめんなさい、痛かった?」

「いや」

「……もっと強くやればよかったかしら」

 あれで手加減をしていたのか。

「ねえ、もういいから早くキスして」

 俺はもうあれこれ考えずに藍凛にキスをした。そして驚愕した。

 素晴らしかった。素敵だった。気持ちよかった。今まで藍凛と何度もキスをしたが、こんなのは初めてだった。俺は断腸の思いで唇を離した。

「……すごい」

「ああ……」

 藍凛も同じように感じたようだった。

「これって洗脳プログラムが消えたせいかしら?」

「そうかもしれないな」

 俺は伏せたままベッドに戻った。

「彰、もう一回!」

「駄目だ。あとはここを切り抜けてからだ」

「ほんとにけちなんだから。ねえ、早く移動した方がいいんじゃない? もうさっき撃ってきたやつらから学園に連絡がいってるはずよ」

 誰のせいで遅れていると思っているんだ。

「わかっている。少し待ってくれ」

 俺は右腕をいっぱいに伸ばして、M1911よりもさらに奥にある、長いジェラルミンケースを引きずり出した。鍵を取り出して開ける。

「M4カービン銃」

「ああ。フルオート付きのM4A1。日本で使うことはないだろうと思っていたが、こうなると話は別だな」

 俺はマガジンをポケットに突っ込んだが、全部は入り切らない。

「貸して。あたしが持っていく」

 俺はマガジンを藍凛に向かって滑らせた。

「藍凛は使えるか?」

「M4? できるけど、彰ほどじゃないと思う。あたしは接近戦の方が得意だから」

 そっちの方がすごいんだがな。俺は机の上から手探りで鍵をつかんだ。

「じゃあ、藍凛は車を頼む。アパートの道路を挟んだ向かいの駐車場、右列五台目の黒のランクル、サンルーフ付き」

 車の鍵を藍凛に向かって放った。

「あ、いいんだ。あたしなんか軽自動車をあてがわれてたのよ」

「男女差別反対。道路を渡る時、スナイパーの射線に入る。俺が援護するから走ってくれ。藍凛、そのバッグはいいのか?」

「ええ、それは本当にただのお泊りセットなのよ。今は邪魔なだけ」

 こんな時だと言うのに、俺は少し赤面した。

「……そうか。じゃあ、行こう」

 俺たちは素早く玄関に移動した。ドアを開けて、M4を持った俺が先に出る。全周囲に目を走らせて、伏撃がないことを確認する。

「行け」

 藍凛が素早く階段を下りる。下りきったところで止まり、俺と同じく四方八方に目を走らせ、ハンドサインを送ってきた。俺も藍凛のところまで下りる。

「M4で制圧射撃をかけるから、その間に道路を渡れ。ああ、サンルーフを開けておいてくれ」

「わかった」

 俺はアパートの影から飛び出して、保険会社ビル屋上で陽光を反射するレンズに向かってフルオートで撃ちまくった。

「行け!」

 藍凛が素早く飛び出して道路を渡る。

「彰!」

 藍凛が道路を渡り切った。俺はM4を撃ちながら、横に移動した。三〇発の弾丸が尽きるのと同時に、俺は駐車場に飛び込んだ。反撃はなかった。俺はマガジンを交換した。

「彰!」

 藍凛がランクルを出して呼んでいた。俺は助手席に飛び込んだ。

「どうする?」

「駐車場を出て右、大通りを左折」

 俺はM4を持ってサンルーフから身を乗り出した。

「気をつけて!」

「ああ」

 保険会社ビルの屋上を見る。光の反射はない。頭を引っ込めたままなのか、俺の弾がまぐれ当たりしたのか。致命傷でないことを俺は願った。馬鹿げた話だが。

 大通りに出る寸前に、俺は助手席に戻った。M4は股の間に置いた。俺はバックミラーの角度を変えて、後方を警戒した。

「早く車を替えないとね」

「ああ。どうせGPSやらなにやら満載だろうからな。どこで調達するか……」

 レンタカーを借りるなどと言うまともな選択肢は俺たちにはない。痕跡を残すだけだ。

「高級ホテルの地下駐車場」

「え?」

「ああ言うところって、ほとんど人がいないのよ。しかも高級車がたくさん」

「高級車はどうでもいいが……よく知っているな」

「そう言う場所で仕事をしたことがあるのよ」

「ああ、なるほど……ん?」

 俺は振り向いて後続車を見た。

「何台?」

 藍凛がバックミラーを自分側に調整しながら聞いてきた。

「……二台。銃が丸見えだ。M4を持っている」

「学園ってあたしたち以外にまともな人材がいないの?」

「そうかもな」

 俺はまたサンルーフから身を乗り出した。

 もう情け容赦はしない。殺戮モードなどではなく、俺は俺自身の意志で敵を殺す。もっとも、あの二人組にも手加減などしていなかったが。

 M4のセレクターはフルオートのまま。一台目の助手席でM4を持っている男の胸にめがけて、指切り点射で三発撃つ。フロントガラスに穴が空いて、血しぶきが飛び散った。

「防弾じゃない。まあこっちもそうだが」

「学園長は本当に狂ってるわね」

「初めて会った時から気づいていた」

「そうだけど、どんどんひどくなってる気がしない?」

「確かに」

 俺と同じようにサンルーフから上半身を乗り出した射手を、さっきと同じく三発撃った。血しぶきを上げてそいつは車内に転がり落ちていった。もう一人くらい射手がいるかと思ったが、出てこないので俺は運転手を撃った。車は蛇行して、ガードレールにぶつかって止まった。

「後ろ大渋滞じゃない?」

「知るか。二台目がきた」

 二台目の射手はもうこちらに銃を向けつつある。手早く片づけないといけない。俺は先にサンルーフの男の胸を撃った。助手席の男が撃ってきた。だが、車上で左手の片手撃ち。当たるわけがない。そいつの顔面にも三発撃ち込んだ。最後に運転手を撃った。残弾数一二。

「彰、前!」

 俺は車の進行方向に向き直った。やはり二人の射手が、すでに撃ってきている。

 助手席からは片手撃ちでM4のフルオートを撃ちまくっている。はた迷惑なやつだ。そいつは無視して、先にサンルーフの男を撃つ。直後に、運転席側のフロントガラスに穴が空いた。俺は背筋が凍りついた。

「藍凛、大丈夫か!?」

「平気!」

 俺はまぐれ当たり野郎の顔を吹き飛ばした。

「ドライバーは撃たないで! 追い抜くわ!」

 藍凛が猛然とアクセルを踏んで敵の車を抜きにかかった。並走した時、俺はM4を運転手に向けたが、角度が悪い。藍凛が完全に追い越したところで、再度運転手に銃を向けた。恐怖に凍りついた顔が見えた。三発撃った。残弾数三。

 俺は助手席に下りると、マガジンを抜いてダッシュボードに放り投げた。藍凛が予備マガジンを差し出してくれて、それをM4に叩き込んだ。

「藍凛、本当に大丈夫だったのか?」

「全然? フロントガラスからリアガラスに抜けていったわ」

 警告音がうるさいので、俺はシートベルトを締めた。

「これで第一波は終わりかしら?」

「そうだといいが。うろちょろされると車も替えられない」

 俺はまたバックミラーの角度を変えた。

「さっきので九人。高一記録タイだな。いや、仕事で七人殺したから記録更新か」

「……彰。記録とか絶対言わないで」

 怒りに震える声で、藍凛が言った。

「悪かった。二度と言わない」

 俺は内心びびりながら、後方を警戒した。

「……彰」

 信号待ちで停車すると、藍凛が言った。

「ああ」

 実はまだびびっていた。

「キスして」

「……ここを切り抜けてからだと言っただろう」

「切り抜けたじゃない」

「……目の前に横断歩行者が……」

「気にしない」

 俺はシートベルトを外して、藍凛に覆いかぶさるようにしてキスした。やっぱり素晴らしかった。後ろの車がクラクションを鳴らすまで、俺たちはキスしていた。

「……最高」

 藍凛が笑って言った。唇をなめ回すのはやめてほしい。

「……ねえ、彰。あたしたちになにが起こったんだと思う?」

「洗脳プログラムのことか」

 俺は考え込んだ。

「俺は……たぶん、藍凛の涙を見たからじゃないかと思う。俺のせいで藍凛を泣かせることは、ほとんどトラウマだった。それが、藍凛を殺害すると言う命令を放棄させて、洗脳プログラムの消去にもつながったんじゃないか」

「ロマンチックね」

 藍凛が微笑んだ。

「そうか?」

「あたしはもっと単純だったんじゃないかな。彰って言う学園の手で殺されることを、あたしは受け入れてた。でも、そこで学園の他の人間に狙撃されて、なにかが狂った。学園に反抗できないって言う条件と、敵対者は殺せって言う命令。その矛盾が、洗脳プログラムを壊したんじゃないかって」

「バグ。条件の不整合。どんな不具合だってありえるな。あの学園長が作ったプログラムだ」

 通常モードと殺戮モード。今の俺たちはそのどちらでもない。今の俺たちは、誰を殺すのも誰を生かしておくのも、自分自身の判断で行える。それはそれで物騒な話だが。

「それにしても、彰はずいぶん口調が変わったわよね」

「えっ? そうか?」

 俺としては今までどおり話しているつもりなんだが。

「……そこまで違ってて自覚がないって、洗脳プログラムの名残なのかもね」

「嫌な話だな……そう言われてみると、藍凛も少し変わっているような」

「あたしは自覚あるわよ。可愛げがなくなった?」

「いや、そんなことはない」

「じゃあ、可愛いまま?」

「……そのセリフは全然可愛げがないな」

 性格も違っている気がするが……。なにか嫌な予感がする。

「ふん。あーあ、彰はキスしてる時は最高なのになあ」

「つまり俺は黙っていろってことか?」

「つまりあたしを黙らせてみろってことよ」

 バックミラーを一瞥して、俺は藍凛にキスした。

「……ほんと、彰って最高」

「それはよかった」

 俺はカーナビを操作し始めた。

「いい加減車を替えよう。周辺のホテルから検索するか」

 俺はリストアップされたホテルを見たが、どれが高級なのかわからない。藍凛が迷わず一つのホテルをタッチした。

「詳しいのか?」

「たまたま前に仕事をしたところのチェーンホテルがあっただけよ」

 藍凛はカーナビゲーションに従って車を走らせた。

「彰、車を盗むのは得意?」

「いや、あまり手際がいいとは言えないかもしれない」

「あたし得意なのよ」

「じゃあ、また藍凛に任せるか」

 車のことは藍凛に一任だな。なにか、弁当箱を一度も持たせてもらえなかったことを思い出す。あ、藍凛の弁当が食べたい。

 ホテルの地下駐車場に入った。本当に人がいない。俺はサンルーフを開けて体を乗り出した。

「サンルーフ付きを探す」

 助手席に座っていたのでは見えない。

「彰、あれは?」

「どれだ?」

「そこの青いの」

「えっ?」

 付近に青い車は一台しかなかった。

「サンルーフじゃないぞ。しかも二人乗りみたいだが」

「オープンカーなのよ」

「オープンカー?」

 俺は屋根のない車での車上射撃を想像した。

「嫌だ。怖い。それにしばらくは車上生活をするかもしれないんだ。ランクルくらい大きな車がいい」

「彰はわがままなんだから」

 どっちがだ。

「あ、そこのベンツ、サンルーフある?」

「どれだ?」

 ベンツと言われても俺はわからない。

「シルバーのランクルより大きい車」

 あれか。

「付いている」

「じゃあ、それにしましょう」

 藍凛がベンツの手前で停めた。

「あたしがベンツを出したら、彰はランクルをその駐車スペースに入れて」

「わかった」

 藍凛が降りたあと、俺はランクルの運転席に移った。M4を持って、周囲を警戒する。

 藍凛はあっと言う間にドアを開け、エンジンをかけた。ベンツが前に出たので、俺はランクルを駐車した。すぐにベンツまで走ってドアを開けたら、藍凛がハンドルを握っていた。

「彰。逆よ」

 左ハンドル車だった。

 駐車場出口では俺が駐車料金を精算した。そこで、気がついた。

「藍凛、まずい。金がない」

 俺たちの金は学園の口座にあって、当然凍結されているはずだ。

「大丈夫よ。あたし、お金は自分で作った口座に移してたから。え、彰そのままだったの?」

「ああ……使い道も考えつかなかったから……」

 藍凛がにやーっと笑った。

「じゃあ、彰は当分あたしのヒモね」

「ヒモ……」

 少し意味が違う気もするが。

 コンビニで藍凛の金を下ろして、服を買おうと言うことになった。藍凛は私服だったが、長めのスカートだったし、俺は学生ズボンだった。

 試着室に大量のマガジンを持ち込むことは難しそうだったので、ポケットからマガジンを抜き出していたら、とんでもないことに気づいて真っ青になった。

「藍凛! 悪い! 俺、支給品の携帯電話を持ったままだった!」

「……あたしも」

 藍凛も取り出した。肌身離さず身に着ける癖でそのままだった……。

「これ絶対GPS付いてるわよね」

「ああ。盗聴器だってあるかもしれない」

「どうしよう?」

「とにかくここで処分して、すぐ移動する」

 俺は二台の携帯電話を真っ二つにへし折った。

「これで機能停止したかどうかわからないし、すでにGPSでここまでの経路と現在地が知られている」

 俺は車道近くに駆け寄って、雨水用の側溝に目を走らせた。鋼製グレーチングがある。

「あ、お行儀悪い」

「まあ勘弁してもらおう」

 俺はグレーチングの溝から、下に貯まった水の中に携帯電話を落とした。

「あーもーさっきの服屋さん、いい感じに見えたのにー!」

 ベンツを運転しながら、藍凛が文句を言った。

「仕方がない。同じ道を走り続けるのは危険だから、道を変えよう」

「どこに向かうの?」

「北上して首都圏を抜けたい。西に行くと京都大阪だしな。そこまで学園の手が伸びているかどうかはわからないが」

「わかった。高速は?」

「使えないな。学園よりも警察が問題だ。これは盗難車だ。被害届が出されれば、手配される。高速のインターチェンジやNシステムでナンバーを読み取られれば、警察が飛んでくる」

「Nって下道にもあるわよね」

「幹線道路に多いはずだな。しかし支線道路を選ぶにも、土地勘がない」

「彰。道選びはあたしに任せてくれない?」

 俺は藍凛の横顔を見た。どう言うわけか、楽しそうだ。

「頼む。悪いな、運転させっぱなしで」

「いいのよ。あたしドライブが大好きだから」

「ドライブね……」

 あまり楽しそうな道行きではなさそうだが。

「あっ、ユニクロがあったわ……」

 藍凛は沈んだ声でユニクロの駐車場に入った。

「嫌いなのか?」

「うん……彰の前では、もっと可愛い格好をしていたいの」

「……俺、ほとんどユニクロだった……」

「彰はいいのよ。あたしね、彰のこと好きになってから勉強したのよ。ファッション雑誌とか買ってね。でも彰の好みがわからなくて、ずっと悩んでたの」

「いや、女の服の好みとかはないが……藍凛の私服はいつも可愛かったな」

「ありがとう。嬉しい。でも、贅沢は敵よね」

 ここで言う贅沢とは、時間のことだ。

 手早く服を何着か買って、後部座席に放り込んだ。

 俺はユニクロを出る時、追手がいないか注意して見た。

「撒いたかな?」

「おそらく……そろそろ腹が減ったな。ファミレスにでも行くか」

「……あたしファミレスも嫌いなのよね……」

「まあな……俺も藍凛の弁当が食べたい」

「あっ、彰のこと餌付けできてた!?」

 餌付けって。

「藍凛の弁当は、なにを食べてもすごく美味しかったのは事実だ」

「やたっ! これでもう彰はあたしから離れられないわね!」

「……いや、それがなくても離れるつもりはないが」

「あ……彰のその話し方、あたしのツボにきたかも……」

「は?」

 藍凛がなにかうっとりとしていた。

「『それがなくても離れるつもりはないが』だって。素敵」

 素敵……。

「……ああ、ファミレスがあったぞ」

 とりあえず食事にすることにした。

 注文をして、ドリンクバーに行った。俺がコーラ、藍凛がアイスカフェオレだった。

「あの携帯電話のことなんだけど」

「ああ」

 このファミレスは、盗聴の心配をするのが馬鹿らしくなるくらいうるさかった。下手をすると藍凛の声でさえ聞きづらくなる。

「聞かれてまずいこと、どれくらい話したかしら?」

「シルバーのベンツ、サンルーフ付き。それくらいじゃないか? だが、これだけの情報であの車を追跡はできないだろう」

「洗脳プログラムが消えたってことは?」

「……学園長が信じるとは思えないな。あいつは狂っている。バグかなにか程度にしか思っていないだろう。捕まえたらデバッグしようとでも考えているんじゃないか。本当はできやしないくせに。限界突破の時に起こる不具合と同じだな」

「限界突破の不具合? どう言うこと?」

「二週間前に、俺が死にかけただろう。藍凛に命を救ってもらった。だが、藍凛も限界突破したって聞いたが」

「……あたしにはあんなのなかったわ。少し気分が悪くなって、それだけ。それでいきなり限界突破したって言われたのよ」

「男女差なのかもな」

「……じゃあ、彰がずっと苦しんでた頭痛も胸の痛みも、全部学園長のせいなの?」

「言ってみれば最初からすべて学園長のせいだな。まあ、今のは寺島……少年Bの言葉だが」

 藍凛の体は怒りに震えていた。激怒のあまり、言葉も出ないようだった。その間に料理がきた。ウェイトレスは料理を置くと、すっ飛んで逃げた。

「……あたしは絶対許さない。あの学園長を殺すわ」

 俺でさえ怯えるような声で、藍凛は言った。

「ああ。あいつは俺に藍凛を汚そうとさせた。許すわけにはいかない」

 それから俺たちは、料理を一口食べた。そして、二人同時に言った。

「まずい」

 食事のあとは、また藍凛の運転で夜のドライブ。追手の姿は見えない。

「藍凛、そろそろ休まないか? 疲れただろう」

「んー、まだ大丈夫だけど……そうね。今のうちに休もうか。彰、あたし行きたいところがあるんだけど」

「どこだ?」

「あたし、ラブホってところに行ってみたい!」

 俺は助手席からずり落ちた。

「えっ……なんで……」

「宿帳とかもないし、安全じゃない?」

「……ああ、そうなのか。まあそれなら痕跡を残しにくそうだな」

「やたっ! これでやっと、彰に処女をもらってもらえる!」

「待て待て!」

 俺はあわてて言った。

「どうしてそうなるんだ!」

「だってあたし、絶対処女で死にたくないもの」

 夕方にもなにか似たようなことを言っていた気がする……あの時の変なテンションは、もうすでにこのことを考えていたからか……。

「もちろん誰だっていいわけじゃないわ。彰に捧げるの。他の男なんて、絶対嫌」

「それは光栄だが……あの……そう言うことをしている時は、かなり無防備になると思うんだが……」

「当然枕の下には銃を置いておくわよ」

 殺伐とした初体験だな……。

「……まだ約束の三ヶ月には、一ヶ月近くある……」

「えー? もうそんなの鯖読んじゃってよ。状況が全然違うんだから。ねえ、いいでしょう?」

 鯖を読むって……俺はため息をついた。

「……運転手は藍凛だ。好きなところへ行けばいい」

「ありがと、彰! 可愛いラブホあるかな~」

 可愛いって……しかしそんな都合よく見つかるのか?

 だが、藍凛は一発でラブホテル街への道を引き当てた。

 ラブホテルの室内に入る。もちろん初めてだ。通路にはカメラがあるようだったので、M4は車内に隠して、M1911を一丁ずつ隠し持ってきた。

 室内は意外と地味だった。シックとか言うのかもしれない。

「けっこう普通ね」

「そうだな……」

 藍凛は平然としているが、俺はまったく落ち着かなかった。

「ベッドもウォーターベッドじゃないんだ」

 なんだそれは?

「詳しいな……」

「クラスの女の子たちに聞いたのよ」

 誰だそんな余計なことを教えたのは。

「じゃあ、あたしが先にシャワーを浴びていい?」

「ああ」

 俺はソファーに座って、M1911を手にドアを見張った。

 藍凛がシャワーを浴びている音が聞こえてきた。集中力が途切れがちになる。まずい、しっかり警戒しないと。

 藍凛がバスローブを羽織って出てきた。

「それは?」

「中にあるわ。彰も浴びてきて」

「ああ……」

 俺は浴室に入った。俺は立ったまま頭からシャワーを浴びた。壁面に両手をついた。

 藍凛の純潔を俺が奪う? そんなことが許されるのか? 本当に?

 俺は顔を上げた。この浴室は床以外の全面が鏡張りになっている。どう言う意図なのかわからないが。

 そして俺は、また大切なことを藍凛に言い忘れていることに気がついた。

 俺は浴室を出て、ソファーに座っている藍凛の前に立った。

「彰? どうかしたの?」

「話があるんだ」

「なに?」

 俺は、告白した。

「藍凛。俺の顔は本物じゃない。整形されているんだ」

「……」

 藍凛はしばらく無言だった。

「ああ……それで付き合い始めの頃に、あんなに顔のこと気にしてたのね……」

 藍凛はうつむいた。

「なんだ、そんなこと……って言っても、彰の気持ちが安らぐことはないんでしょうね……」

「……」

 残念ながらそのとおりだった。藍凛はこの顔も合わせて俺のことが好きだと言ってくれた。嬉しかった。だがこれは、十三歳で覚醒した時から意図的に与えられたトラウマ。そう簡単に拭い去ることはできない。

「……彰。ごめんなさい。あたしには、本当の意味で彰の苦しみを理解することはできない」

 藍凛がソファーから立ち上がった。

「だから。あたしが、彰の本当の顔を見せてあげる」

「えっ?」

 藍凛は思い切り俺を突き飛ばした。俺は、すぐ後ろのベッドに仰向けに倒れた。

「藍凛、なにを……」

 俺が体を起こそうとするのより早く、藍凛が素早く俺に馬乗りになった。藍凛は真上から俺の顔を見つめた。

「あたしが彰の子供を産んであげるわ。絶対男の子。そうしたら、彰の元の顔にそっくりなハンサムな顔が見られるわよ」

「……すごい醜男の可能性もあるんだが……」

「あたしはどっちでもいいのよ。彰は、本当は醜男だったとしたら知りたくないの?」

「……いや……どんな顔であれ、知ることができるのなら、俺は見たい」

「うん。それにあたしは、たとえ彰の顔がスカーフェイスみたいな傷だらけだったとしても、絶対に彰のことを好きになってたわ」

 藍凛は前に二人で観た映画の主人公の名前を言った。俺の目から、涙が流れ落ちた。

「どうして泣いてるの?」

「……なんで藍凛は、そんなに優しいんだ……?」

「そんなの、彰のことが好きだからに決まってるわ。それだけよ」

 俺は藍凛の体を抱き寄せた。そしてキスをする。今までしたどのキスよりも長く、深く。

「……ほんと……彰のキスって最高」

「俺も藍凛が好きだ。絶対に離さない。藍凛と子供を、必ず守る」

「お願いね、パパ。あの、それで……あたし、は、初めてだから、優しくしてね……?」

「俺も初めてだから力加減とかはわからないが……努力する」

「ん……」

 藍凛からキスしてきた。そして俺たちはバスローブを脱ぎ捨てた。

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