武史君と紅型

増田朋美

武史君と紅型

武史君と紅型

その日は、春が間近のとても暖かい日だったが、午後になって、冷たい風が吹くようになった。日本中が発疹熱の流行で沈んでいる中、子どもたちはのんびりと遊んだり、宿題などをしているのだった。

そんな中、日本中の学校が休校になることが決まった。小学校ばかりではなく、中学、高校、大学まで、ありとあらゆる学校が、休校になった。そういう訳で日本全国様々な場所で、若者がたむろするという光景がみられるようになった。そうなると、評論家の人たちは、若い人に居場所を与えなければだめだと口をそろえて言った。

ある日、苑子さんとお箏のお稽古を終えて、さあ、帰ろうかと思った浜島咲は、何気なくスマートフォンを鞄から出したところ、メールが一件入っていることに気が付く。見て見ると、送り主は田沼ジャックさんであった。

「あの、時間がありましたら、今日僕のうちへ来てください。相談したいことがあります。」

咲は声に出して読んだ。という事は、また何かトラブルが起きたのだろうか?それとも、流行りの発疹熱の不安とか、そういう事かな。とりあえず咲は、特に何も用事もなかったから、いつもと違うバスに乗り、ジャックさんの家にいった。

インターフォンを押すと、どちら様ですか、と、可愛い声が聞こえてきたので、咲は浜島ですといった。すると、いきなりがちゃんと戸が開いて、ジャックさんと武史君が出迎えた。

「ああ、いらしてくださったんですね、有難うございます。なんでも最近は、日本中が、まるで戦争状態だとテレビで言っていますよね。何でも県によっては、外出禁止時間を設けているとか。これではまるで、第二次世界大戦中のヨーロッパと、そっくりだ。中には、本当に、贅沢は敵だと口をそろえて言う人もいて、僕も、ちょっと困ってしまったくらいですよ。」

そう言って、ジャックさんは、あーあとため息をついた。そういうところから、かなり不安なんだろうなという事がわかる。それはそうだろう。外国人というだけで、今はいじめの対象になってしまうと咲もテレビのニュースで聞いたことがあった。理由はよく知らないけれど、最近いじめが横行している。咲のお箏教室に通ってくる人達も良くいうのであるが、自分が所属している合唱団とか、サークルで、マスクをしていないと差別的に扱うとか、弱い立場の人をいじめておいだすとか、そういういじめが流行しているという事を言っていた。みんな、外出禁止時間のせいで、どこかへ行くことができないから、はけ口がななく、他人をいじめているのだと、テレビで指摘されている。それが乗じて戦争などが起こらなければいいのだが、暴動が起きる可能性を示唆するメディアもある。

「で、ご相談というのは何のことなんですか?」

と、咲はジャックさんに聞いた。

「ええ、実はですね。武史の学校が休校になったので、退屈で可哀そうかなと思って、近所にあった書道教室へ入門させたんです。何でも、集団授業ではなく、完全個別指導の教室で、一つの部屋に一人の生徒さんを入れて習わせるタイプの教室であると聞いたもんですから、感染のリスクは低いかなと思ったんですよ。」

なるほど。さすがジャックさんだ。そういうところに通わせようだなんて、やっぱり西洋人である。

「まあ、いい趣味じゃないですか。書道は、背筋がシャキッとして、姿勢が良くなると聞いたことがありますよ。」

とりあえず咲はそういって誉めてあげた。

「ええ、まあそうなんですけどね。時々、ほかの生徒さんと顔合わせするときがあって、それで皆さん、和服姿で習いに来ることが多いんですね。武史が、僕も着たいと言い出したもんですから、丁度たまたま見つけた物産展で、着物が売っていたので、それを一枚買って、着せてやったんですよ。それでお稽古に行きましたら、琉球紅型の着物で来るなんて、なんて行儀悪い子だと叱られてしまいまして。」

ジャックさんは、そういうことを言った。

「でも、僕が書物で詠んだところ、琉球紅型は沖縄の礼装と書いてあったんです。だからこっちでも格が高いとおもったのに、違うんですかね。僕は外国人なので、そのあたりがうまく理解できないんですよ。どうでしょう、浜島さんなら、どう解釈されますかね?」

ジャックさんは、そう聞くのであるが、咲はどうしても答えがでなかった。第一、琉球紅型何て見たこともない。沖縄の着物という事は確かなんだろうが、それがどのくらい効力があるか何て聞いたこともない。

「そうだ。カールさんのところに行って、聞いてみましょうか!」

咲はそういうことを言った。

「あたしじゃ、うまく説明できないし、ちゃんと詳しい人に教えてもらった方がいいでしょう。それなら、着物を販売しているカールさんに聞くのが一番よ。」

「わかりました。じゃあ、お願いします。」

ジャックさんは、そういって、出かける支度を始めた。武史君も、小さな子供ながらに、鞄を用意して、ちゃんと支度をしている。三人は、咲が用意したタクシーで、カールさんの経営している、増田呉服店に向かったのであった。

カールさんの店、つまり、増田呉服店は、客は誰もいなかったが、とにかくいろんな種類の着物が、所せましと置かれていた。なんで着物屋って、こんなに在庫があるんだろう、と思われるほど、着物が大量に売られていた。どれも、千円とか、二千円程度で買える安いものばかりで、もはや着物がだめになるのではないか、と思われるほどの値段で売られていた。

「こんにちは。」

咲は、何の迷いもなしに、店の中に入る。ジャックさんと武史君も、彼女に続いて中に入った。

「いらっしゃいませ。」

「今日はちょっと聞きたいことがあるの。あのね、一寸教えてほしいんだけど、琉球紅型の着物って、あるかしら?」

咲がそう聞くと、カールさんは、はい、ありますよ、これなど如何でしょうかと言って、一枚の黄色い着物を出してきた。

「はい、琉球紅型ですね。こちらなんかその典型的な礼装ですよ。沖縄で最高峰の色は黄色ですからね。」

「ちょっと待って。今、礼装と言ったわよね。」

咲は、カールさんの言葉にすぐに反応した。

「はい、言いましたけど?」

とカールさんもいう。

「だったら、琉球紅型をお教室に着用するのは、悪いことなのかしら?」

咲は、単当直入に聞いた。

「いいえ、そんな事ありません。紅型は沖縄では立派な礼装です。ですから、お稽古事に使っても全く問題はありません。」

と、カールさんは、答えを出した。

「そもそも、琉球紅型と言いますのは、沖縄の王や、それに準ずる貴族の人が来ていた着物です。ですから、礼装として、つかって全く問題ありませんよ。どうしたんでしょうか?誰かに嫌がらせでもされたのでしょうか?」

「嫌がらせというか、この武史君が、何でも書道教室の先生に、琉球紅型を着てはいけないと言われたそうです。それで、あたしたちは、どう返したらいいのかわからなくて、専門的な知識を持っている人に聞いたほうがいいなという事で、ここに来させてもらいました。」

「ああ、そうですか。ならこういえばいいんですよ。沖縄では、有名な礼装なので、何も気にしないで着用し続ければいいのです。もし、先生がおかしいというのなら、沖縄の人たちを差別するのはやめろ、と言えばいいのです。沖縄は、日本に復帰して、50年ちかく経っていますよ。それに、明治時代から、ずっと、沖縄は日本の領土何ですから、沖縄は外国でもなんでもありません。確かに、江戸時代までは琉球王国となっていましたが、当の昔に日本と交流を結んでいますからね。ですから、書道の先生が、変なことを言っても、気にしないでください。」

咲がそういうと、カールさんは、にこやかに笑って言った。

「沖縄かあ。不思議な歴史を持っていますなあ。確かに、沖縄は昔独立国家だったとしても、今は沖縄の人だって、一応日本人ですものねエ。」

ジャックさんは、一人何か考えていたようだ。

「そうなると、沖縄の人たちを差別してはなりませんなあ。沖縄の人だって、日本人の一部と考えると、日本は、単一民族ではなさそうですね。」

「そうですよ。ジャックさん。日本は、決して、単一民族国家ではありません。遠く離れた北海道では、アイヌ族という人たちがいましたし、大和朝廷が統一する前は、いろんな民族がいて、それがまじりあってできているのが日本人という事ですよ。」

と、カールさんは、しみじみと答えた。

聞いて、咲はちょっと変だなと思いつく。アイヌ族は、アイヌ族としてちゃんと認められているし、沖縄の人たちの琉球紅型だって、沖縄の人を差別しないように、と、いう標語がちゃんとついている。

それでは、水穂さんのような人はどうなるのだろう。沖縄の人も、アイヌの人も、ちゃんと認めらているはずなのに、水穂さんのような人は、差別的に扱われたまま、そのままになっている。

「ねえ、パパ。これ、おじさんと同じ着物だよ。」

不意に武史君が、そういうことを言った。小さな目は、近くにぶら下がっている、銘仙の着物を見つめている。

「おじさんって誰の事?」

カールさんが聞くと、咲は、水穂さんとそっといった。なるほど、と、カールさんは納得してくれたようだ。

「其れはね、銘仙と言って、立場的に弱かった人たちが着ていた着物だよ。」

「立場?」

カールさんの言葉に、武史君はそう聞き返した。

「そうだよ、むかしの日本では、身分というものがあってね。一番は、武士、二番はお百姓さん、三番は、職人さん、そして、次は商売人という順位があったんだ。」

カールさんは説明を始める。ジャックさんは、そんな説明をしてもわかってくれるのだろうか、と、心配そうな顔をしていたが、武史君は、シッカリと聞き入っていた。

「その順位の中で、さらに低い人がいてね。そういう人を、立ち入りしにくい場所に閉じ込めて、隔離のようなことをしていた時代があったんだよ。そういうところに住んでいた人が、着ていた着物を、銘仙というんだよ。」

と、カールさんは、説明した。

「そういう人たちが、いたんだよ。日本の歴史の中で、解決しなきゃいけない問題だけど、解決できないんだ。」

「じゃあ、あのおじさんもそうだったってこと?」

と、武史君は、そう言った。

「そうだよ。あのおじさんは、そういう身分だった。それは、変えることのできない事実だよ。」

カールさんは、そういって、にこやかに武史君の頭をなでてやった。

「そうなんだね。」

と、武史君は、にこやかに笑った。

「でも、おじさんは、おじさんだよ。どんなに低い立場であろうと、身分であろうと、僕にライオンとネズミの本を読んでくれる優しいおじさんだよ。だから、おじさんは、おじさんだよ。誰にも代えられない、おじさんだよ。」

その言葉を、もし、録音機械でもあったら、聞かせてやりたいなと咲は思った。今のセリフを聞かせてやったら、水穂さんはどんなに喜ぶだろうか。

「今の言葉、水穂さんに聞かせてあげてもいいかしら。」

と、咲は聞いた。すると武史君は、

「ダメだよ。咲おばさん。」

という。

「なんで?」

と、咲が聞くと、

「だって、そういう事が、本当におじさんにいけないことしていることになっちゃうの。」

と、武史君は、にこやかに笑った。

「なるほどねえ、、、。武史も大人になったな。」

ジャックさんは、そういうことを言っている。

「だから、おじさんには言わないで置くことにしたんだ。」

と、彼は、一人納得しているようだった。

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武史君と紅型 増田朋美 @masubuchi4996

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