もふもふ彼氏

鷹角彰来(たかずみ・しょうき)

わんわんお


 あたしは寒さでかじかんだ手に息を吹きかけて、ほんのり温かくさせた。その手で彼の部屋のドアを叩いた。


 彼は耳がいいから、あたしのノック音だと気付いて何も言わずにドアを開けてくれた。


「こんばんは」

「まだ早いよ。ところで、さっきクリームシチューを食っただろう?」


 彼は鼻も利くので、あたしがさっき食べた料理まで当ててくる。


「そうだよ。ケンケンも食べたかった?」

「今日はカツ丼食べたい気分かな」

「だよね。カツ丼はないけど、豚カツは買ってきたから、後で一緒に食べよ」

 

 あたしがレジ袋の中の豚カツを見せると、彼は舌を出して喜んでくれる。


※※※


 あたし達が他愛もない話をしてご飯を食べた後、ついにあの時間がやって来た。


 彼は首筋を掻きむしりながら、低い声でこう言った。


「もうそろそろだな」


 彼は部屋の奥へ行き、カーテンを開けた。マンションと学校の間に満月がぽっかりと浮かんでいた。その満月の妖しい光を浴びた彼は、不思議な変化を遂げた。


 耳と歯は尖り、鼻と口は一体になって伸びて尖った鼻づらになり、瞳孔の外部は白色から金色に変わって輝き、手の爪は鋭く伸びて鉤爪となり、ズボンを破る勢いで丸まった尻尾が飛び出し、全身の体毛は濃くなり白と黒のフワフワした毛並みになった。


 そう。あたしの彼氏・望月 建志(もちづき・けんし)は、満月を見るとシベリアンハスキーの獣人になる特異体質なのだ。


「終わったよ」


 彼は二本足で立ったまま、得意気な顔でそう言った。


「うん。いつも思うけど、変身後はやっぱカッコいいね」


 とは言うものの、初めて彼の変身を見た時は、気持ち悪いと思った。それでも、中身がいつもの快濶で機知に富む彼と変わらないので、逃げることなく、付き合い続けてきた。


「そうか? 大抵の奴は怖い・気持ち悪いと言って逃げていくぜ」


 牙を剥き出して彼が笑うと、ちょっぴり怖い。だけど、鋭い眼差しの中に優しさを感じることが出来るので、直に怖さは消える。


「あたしはそう思わないよ。ハスキーって、何かイケメンのオオカミっぽいからさ」

「だよなぁ。イケメンだよな、俺って」

「自分で言うか」


 あたしは彼を指差してケラケラと笑った。


※※※


 それから、あたし達は大学のくだらない話を続けた。その内、彼は申し訳なさそうに耳と尻尾を垂れながら、こう言ってきた。


「優那(ゆな)を見ていると、どことなく母さんを思い出すなぁ」

「えっ? ケンケンの母さん、あたしに似てるの?」


 あたしは目を丸くして驚いた。自分は童顔の自覚だったが、そんなに老けているのだろうか。


「顔が似ているんじゃなくて雰囲気が、ね。俺の母さんはロシア人で、日本で言う所の犬憑きの名家の出だった。親父と知り合って、俺を産んだんだ」


 ケンケンがロシア人のハーフだということは知っていたけど、名家にゆかりがあることまでは知らなかった。


「お母さんはご存命なの?」

「いや、死んだよ」


 彼は間髪を入れずに、あたしの質問に答えた。あたしの顔を見ると辛いことを思い出してしまうのか、視線を合わそうとしなかった。


「親父のDVが原因だよ。俺が九歳の頃に亡くなってね。親父は俺を捨てて、別の女の所に行ったよ。それ以来、俺は親戚中をたらい回しさ。母の温もりを忘れかけた頃に君と出会った」


 温もり。


 心寒い世の中では中々、手に入らなくなったモノだ。あたしも自分自身の温もりについて彼に話してみた。


「温もりねぇ~。実は、あたしの方も、ケンケンとゆうごを重ね合わせていたよ」

「ゆうごって昔の彼氏? それとも君の兄弟?」

「ううん。昔の飼い犬。それもハスキー」

「犬かよ!?」


 彼はお笑い芸人のようなツッコミの手で、あたしの左肩を軽く叩いた。彼のプニプニした肉球が触れて、少し気持ち良かった。


「まぁ最後まで聞いてよ。うちの家って、いつも母とおばあちゃんがつまらない意地の張り合いでケンカしていたのよ。だからあたし、家にいるのが嫌になって外のゆうごとじゃれ合っていたの。それで心が収まってね。ホント、心の支えだった」


 彼は黙って、あたしの話を聞いてくれていた。


「そのゆうごは高三の終わり頃に死んじゃって。だからあたし、大学進学を機に家を飛び出したのよ。あんな家にゆうご無しでは居続けることが出来なかったしね」

「なるほど。俺は他犬の空似ってワケね」


 彼は舌を出して、ハァハァと息を吐いていた。それを見るとますます、ケンケンがゆうごに見えてきた。


「アハハ。そんなことになるのかなぁ。あたし達って、迷える子羊みたいね」


 大学で習ったことをすぐに使いたくなるのは、あたしの悪い癖だ。


「俺は、はぐれ犬だけどな」


 彼はフンと鼻息を立ててそう言った。あたしは彼の言葉を聞いて満面の笑みを浮かべた。


 そして二人はベッドの中に入った。もう九回目なので彼が仕掛けてくるタイミングも分かっていた。


 彼に抱かれると、ストーブもない凍える部屋の中でも温かくいられる。抱き合っている時、あたしと彼は一つに重なって一匹の新しい動物に生まれ変わる。そこで歓喜と快楽が溢れて、憤怒と悲哀は消えてしまうのだ。


―ケンケン。夜が明けるまでずっと抱き合おうよ。

―良いのか? 明日、フランス語の試験があるんだろ?

―ううん。もう、そんなのどうでも良いの。 

―そうか。


 ハスキーになったケンケンとの不思議な夜は、あと何回訪れるのだろうか?


 あたしは彼の柔らかい毛触りを堪能しながら、だんだんと夢の中へ堕ちていった。

 

※※※


夢の中であたし達は雪原を彷徨っている。どこからが出発点でどこが終着点なのか分からない。


 それでも二人でいられるだけで、何も怖くなかった。ずっと歩み続けていた。たまにあたしが歌うと、彼が遠吠えで相槌を打って楽しかった。凍える冬の空に響く歌声は、二人の愛の「しるし」となった。


※※※


「朝だよ」


 彼の低い声であたしは目覚めた。


「夢の中で、優那がきれいなソプラノで歌っていたよ」


 人間に戻った彼は嬉しそうにそう言った。


「それって雪原の中で?」

「そうだよ。もしかして、優那も同じ夢を見ていたの?」


 型にはまった授業を受けたり、興味とやる気が失せた部活に出たり、無味乾燥なバイトをするよりも、ただあなたの温もりを肌で感じていたい。そして一緒に同じ夢を見ていたい。


 そんな冬の不思議な夜明けだった。(結)

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もふもふ彼氏 鷹角彰来(たかずみ・しょうき) @shtakasugi

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