エドワールはお兄ちゃんである-1

「フェレメレン嬢、よろしく頼む」

「司書官として、必ずやお伝えいたします」


 礼をして顔を上げると、第五王子イヴォン・ラクール・フェリエール殿下は微笑まれた。

 彼から本を受け取り、エドワール王太子殿下とディラン、そしてジネットと共に彼の寝室を出る。


 イヴォン殿下は建国祭後、ジネットの魔法により目を覚ますことができた。長年眠っていた為、今はまだ1人で歩くことができずゆっくりとリハビリしているところだ。


 幼い頃から眠ったままだったのにも関わらず、大人と変わりない口調で話すイヴォン殿下。

 もとからそのようにお話されていたのか、それとも目覚めてから必死で年齢に合わせて口調を変えたのかはわからないが、年齢以上の風格を持つその御姿を見ると王族としての威厳を感じる。


 彼からの依頼は、私たちがこれから向かうダレイラク辺境伯領に居るセドリック様に本を渡すこと。

 渡されたのは冒険小説家ジュスト・ベルリオーズの著書『果てなき旅路』で、私もセドリック様も彼の大ファンだ。

 図書塔に配属になる前は、本を借りに来たロッシュ様もといセドリック様とよくベルリオーズの作品について話していたものだ。


 今となっては懐かしい思い出。

 その当時はジネットのことで悩んでいたから、彼と本の話をすることで気分転換になり救われていた。


 セドリック様は今、騒動を起こした責任を取って王室を離れて王室派の辺境伯の下で補佐をしている。今は平民となられた。

 彼を国外追放することも検討されていたが、同じく事件を起こし国外追放された主犯格の貴族たちとまた結託することがないように監視するという名目で、ご自分たちの目が届く場所に置くことにしたのだ。

 

 本当のところ、王太子殿下はセドリック様から王室の身分を奪いたくなかった。腹違いのセドリック様との唯一の繋がりが無くなってしまうからだ。

 しかし、未遂とはいえ王室を脅かした彼の罪をここではっきりさせないと国民たちに示しがつかない。そのため身分を剥奪せざるを得なかった。


 兄弟全員が仲良く暮らせることを夢見る次期国王は落ち込んでいた。

 また、セドリック様の孤独になす術もなく事件が起きてしまったことに責任を感じているのだ。

 そこで、彼はダレイラク辺境伯領に行ってセドリック様の様子を見に行くことにした。それが王太子殿下なりの償いのようだ。


 今回私たちが一緒に行くのは、そこの領主であるダレイラク辺境伯がとある蔵書を見て欲しいとエドワール王太子殿下に話したことがきっかけだ。

 まだ世に出ていない本を見つけたらしく、解析と同時にどのような過去があった本なのか見て欲しくて私が指名された。


 女神の愛し子として初めて王族から受ける依頼である。


 公では言えることではないので、私たちは休暇を取って地方領に旅行するということになっている。


 ジネットは光属性の魔法で周辺の森の浄化をするために呼び出された。しかしそれはエドワール王太子殿下の口実である。

 殿下のアタックも虚しく、ジネットがなかなか振り向いてくれないようでこの遠出をきっかけに近づきたいようだ。

 殿下はやきもきしているけど、たぶんジネットは殿下といる時が気安くてそれなりに好意はあるからいつか実るのではないかと思っている。


 彼女が初めの人生で相手に選んだのはエドワール王太子殿下のようだし……。



「嫌よ!シエナたんと同じ馬車に乗るわ!あの変態筋肉が密室であんなことやこんなことをしようと考えていたら大変じゃない!」

「まあまあ、聖女を保護するのが王室の役目なんだから一緒に乗ってくれ」



 馬車に乗る時になって、ジネットは王太子殿下と一緒の馬車ではなく私たちと一緒に乗りたいと言い始めた。

 今は俺様王子が彼女を宥めているところだ。


 私としてはジネットと久しぶりに話したいところだが、殿下のお気持ちを察すると彼の馬車に送り出すしかない。


「変態筋肉野郎!シエナたんに不埒な真似をしたら浄化してやる!」

「生憎だが、エルランジェ嬢が光属性の魔法を使ったところで私は回復するだけだ」


 売り言葉に買い言葉。

 ジネットは恨み言をお見舞いしつつも私とエドワール王太子殿下に馬車に乗せられた。ディランとジネットの言い合いは相変わらずである。 


 ハワード家の大きな馬車なのに、ディランは乗り込むなりちゃっかり隣に座ってくる。

 向かいの席はすっからかんだ。

 しかもなんだかぼんやりとした顔でじっとこちらを見つめている。間近でそんなことをされるとさすがに頬に熱が宿るので正面を向いて欲しい。


 馬車に揺られる中、彼はずっとその調子で上の空なので、どうかしたのか話を聞いてみた。

 どうやらこのところ旅行のために夜遅くまで実家の仕事を片付けていたらしい。なるほど、眠気と闘っているのか。


「今のうちに少し眠ったらどうなんですか?」

「馬車の中じゃ落ち着いて寝られない」

「じゃあ、膝枕しましょうか?」


 出来心で冗談を言ってみたのだが、その時、彼は言の葉には変え難い表情をしていた。

 しいて言うなら、豆鉄砲を食らった顔だ。珍しい反応に思わず笑ってしまった。


 このことは間違えても国王陛下と王太子殿下には言わないでおこう。彼らが知れば何が起こるかわからない。


 ガタゴトと揺れながら馬車は進んでゆく。


 窓の外を過ぎてゆく景色を眺めるとワクワクする。私はこれまで、領地内でしか旅行に行ったことがない。お兄様が私のことを心配して出したがらなかったのだ。


 当時はお兄様の異常なまでの心配症に不満があったが、事実私は死にやすい運命にあった身だったので今では感謝している。


 そんなこんなで、今回が初めての遠出だから楽しみで仕方がなかったのだ。


「”世俗のしがらみから解き放たれたく私は戸を開けた。真新しい朝は私を何者でもないただ1人の人間として迎え入れてくれた。どこまでも広がってゆく世界。その先にある真の自由を求めて一歩前に踏み出した”」


 思わず口にすると、ディランはすぐに反応した。どうやら彼も読んだことがあるらしい。


「”幌馬車に飛び乗り流れゆく景色を眺めれば、過去も易く洗い流されてくれたように思える。私は心の安らぎを覚えた”。ジュスト・ベルリオーズの冒険小説の一節だな」

「はい、王国内各地を巡って書いていたんですよね。最後にダレイラク辺境伯領のお話を書く前に亡くなったとか……」


 冒険小説『果てなき旅路』は、主人公ジェラルド・ワトーがフェリエール王国各地を巡る物語シリーズ。


 作者のジュスト・ベルリオーズは謎の多い作家だ。

 彼自身が居を構えずに各地を旅をしており旅先での逸話は数多く残されているのだが、その出自は謎に包まれている。

 実はフェリエール王国出身ではないという説もある。


「”暮時の穏やかな湖畔に彼女は佇んでいた。今でも私の心を支配する、慈悲深くも残酷な微笑み。無垢な彼女はその罪を知らない”」


 ディランが1節を口にして私の髪をゆっくりと梳く。

 その1節はフェレメレン領が書かれた章の冒頭部分だ。領地を舞台に書かれているのが嬉しくて、昔は何度も読み返した章だ。


「”あの時、目が合ったその刹那、彼女は私の言の葉を全て奪った。かたちの定まらぬ想いが体中を駆け巡り枷のように私を捕える”」


 私も覚えているので、続きの文を諳んじて返してみせた。


「ジェラルドは、フェレメレン領ミュスカルデにある湖のほとりで出会った水色の髪の美しい少女、シエナを一目見て恋に落ちる」

「ええ、お父様はベルリオーズの作品が好きなので私の名前をシエナにしたんです」

「なるほど。ジェラルドとシエナか……妬けるな」

「ほ?」


 本の中の主人公にやきもちを??


 なんだか拗ねているような声だ。このお方、すっかり恋愛脳になってしまったのだろうか。

 シナリオから解放されてから逆に乙女ゲームの登場人物らしくなっているような気がする。


「セドリック殿はジェラルドとしてシエナに会っていたのだろう?」


 ジェラルド・ロッシュ。

 セドリック様がその偽名を使われていた。

 妬いているのって……セドリック様に?


 確かに、初めてお名前をお伺いしたときはどきっとしたが、それは言わないでおこう。

 今目の前にいる裏ボスは珍しく不安そうな顔をしているから。


×××


 やがて今日の宿泊地に到着して宿に行くと、なんと私とディランは同じ部屋に案内されるではないか。

 エドワール王太子殿下が俺に任せろと言っていたけど、よもやこんなことになるとは予想していなかった。


 やりやがったな、あの時期国王陛下。


 なにかしでかしてくるとは思っていたがこんなことを企んでいたとは。

 いくら婚約者とはいえ、結婚前の男女を同室させるなんて……。


 あまりの事態に震えているが、隣に居るディランはちっとも動揺していな……いや、固まっている。


「エドワール、これはどういうことだ?!」

「この時期は観光客が多いらしいから宿の人に配慮して部屋数を絞ったんだよぉ~。ディランだってこの方が嬉しいだろ?」

「お前……私がお義兄様と交わした盟約を知っていてこの仕打ちか」

 

 実は私のあずかり知らないところで、ディランとお兄様は血の盟約を交わしたのである。

 結婚するまでは私に手を出さないという約束で。


 血の盟約とは心臓と血と魔法を使って行われる絶対的な拘束力を持つ契約。

 約束を破れば魔法が発動して殺されてしまう。


 お兄様から持ち出してきた話のようなのだが、そんな悪魔の魔法をどこで見つけてきたのだろうか。

 ディランもそんなことしなくても良かったのに。


 そんな得体の知れない魔法で命を張る理由がわからない。


「ディランはベッドで寝てください。私はソファで充分ですので」

「そんな場所では休まらないだろう。私がソファで寝る」

「仕事を終わらせるために遅くまで起きてたあなたに無理はさせれません!」


 堂々巡りが続く。

 ディランは頑として譲らない。しかし馬車の中での彼を見ていると休んでもらいたいところだ。

 ついには2人ともベッドを使おうと提案してきたのだが、もちろん否と答えた。


 すると彼はいきなり意地の悪い笑みを浮かべた。まるで挑発するような顔。

 私はあなたのことを心配しているというのになんて顔をしているんだ。


「そんなに寝相が悪いのを誤魔化したいのか?」

「とんでもないです!ディランのことが心配なんですよ!じゃあ折衷案といこうではありませんか!枕で境界線を作って2人でベッドを使いましょう!」

 

 言ってしまってはたと気づいた。

 これは確実に、安眠を犠牲にすることになる。……いや、でも寝相が悪いだなんて決めつけられたくないし。

 かと言ってディランをソファに寝かせるわけにもいかないし……なんだかディランは意地の悪い微笑みのままだし……はめられてしまった気がする。


 この提案は撤回されることもなく、私たちはベッドの上に枕で境界線を作って一緒に寝ることになった。


 ベッドに入り目を閉じてみるが、自分や彼の息が妙に気になって寝つけない。夜の静寂が包む世界の時間が、異様なほどゆっくりと過ぎているような錯覚を覚える。

 もぞりと動くと彼を起こしてしまったようで、掠れた声で名前を呼ばれた。


「眠れないのか?」

「大丈夫です。ちょっと時計の音が気になってしまったみたいで」


 あなたが隣に居るから緊張して寝れないです、なんて言えない。適当に思いついた返答で誤魔化した。


 すると、布ずれの音と共に彼が近づいてくる。伸びてきた手が身体の上に重ねられ、心臓が跳ねる。

 脈打つ音が耳にまで届き、彼の手に伝わってしまいそうだ。


 なっ、なにを……何を考えてるの?


 彼に限ってそんなことはしてこないとたかを括っていただけに困惑する。お兄様と交わした盟約の事だってあるし。

 胸元が寛いだ服を着た彼はいつもとは違う雰囲気で、顔を覗き込まれるとえも言われぬ複雑な感情が芽生えてくる。


 どうしよう。

 何か言わなきゃ。

 でも言葉が出てこない。

 どうして。

 なんで。

 なんで私は動けないんだ。


 身体の上で彼の手が動く。その感覚に、頭の中で考えがまとまらなくなってしまった。

 熱に浮かされた時のようにぼんやりとしてしまった頭のまま、彼を見る。

 切れ長の目に、整った鼻梁に薄く形の良い唇。月明かりに照らされたその顔を見ると、この人、やっぱり綺麗な顔しているなと現実逃避ながらに思ってしまった。


 ただ手を乗せられているだけなのに、いつも繋いでいる手なのに、困惑する。が、そんな私の気も知れずに彼がとった行動に、唖然としてしまった。


 なんと幼子を寝かしつけるように私のお腹を規則的なリズムで叩き始めたのだ。

 それはもう、ポンポンポンといった具合に。


「昔は両親が留守の時にこうやってアルフォンスを寝かしつけることもあったな」

「い、意外です……」

「ちゃんと子守歌を歌っていたんだぞ」


 彼はふっと笑うと、聞き覚えのあるメロディーを鼻歌で歌い始めた。


 マジか……。

 これ、私がよく歌ってるアニソンではないか……。


 羞恥のあまりで消滅したくなる。

 本気で布団から逃げ出したい。

 どうして子守歌にこれを選んだ?


「お、覚えていらしたのですね……」

「塔に居た頃からよく聞いていたからな」

「あの、もう寝れます。大丈夫です」


 だから、もう止めてください。


 低音の美声で囁くようにアニソンを歌われるこの心境を察して欲しい。しかも婚約者とはいえ職場の上司にされているこの状況。

 鼻歌なら誰にも不審に思わないだろうと歌っていた自分の迂闊さを呪いたくなる。まさか彼が覚えてしまうなんて、そして歌うなんて思ってもみなかったんだもの。


 これはきっと、昼間の仕返しだ。


 見上げれば、頬杖を突いてこちらを覗き込む水色の双眸が愉しそうに細められている。


 どれだけ必死で止めても、私の反応に面白がった彼は鼻歌を続ける。逃げるように目を閉じていると、いつの間にか眠ってしまっていた。


 

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うろ覚えの転生令嬢は勘違いで上司の恋を応援する 柳葉うら @nihoncha

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