怪異チーズ男

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第1話 怪異チーズ男

 地下五十メートルに沈められた研究所である。噴火と地震を防ぐための研究をしていると表向きには説明される地下施設の中では、世界中の不自然現象の情報を集め対処するという重要業務が行われている。


 出勤時間を目前に控え、用意したコーヒーを楽しんでいたベーコン博士のもとに一つの報告書が届けられた。


 通知が届いたことを知らせるベルの音に反応して、ベーコン博士が手元のキーを叩く。すると壁に設置されているモニターに送信者や題名が表示された。


送信者:警察庁対策室 重栖

題名:事件調査及び解決願(C区分)


 見慣れた名前と題名に頬をかいて、ベーコン博士は内容をざっと読みこんだ。そして、コーヒーを楽しんだ後に同僚たちに短いメッセージを送る。




 壁がすべてモニター張りになっている以外はさして特徴のない六畳ほどのミーティングルームに、三人の博士が集まっている。ベーコン博士は軽く頭を下げて説明を始めた。


「集まってくれてありがとう。本日届いた依頼を解決しようと思ってね。C区分だけど、今は他に優先する依頼もないから、この依頼をメインに進めていこうか」


 ベーコン博士が依頼の内容をモニターに表示させる。


「依頼は事件の調査と解決。問題とされたのは、ベンチに座っている男性。接触を試みた怪異対策会社が失敗したためこちらに話がやって来たらしい。失敗した会社に泣きつかれた対策室の方でも同定ができなかったため私たちに話が回ってきたようだ」


 ベーコン博士の言葉に年若のトマト博士が疑問を向ける。


「ベーコン博士。同定ができないって話ですけど。ウルーは使いました?」


「まあ、ウルーに解析はさせたんだが…。とりあえず報告書が届いているので、起こった現象について見ていこうか」


『………

 (位置情報省略)のベンチに座っている人物。カメラを設置し映像を解析したところ、四六時中同じ場所にとどまっているが、数日おきに別の人物に交代していることが判明した。交代は瞬時に行われており、人物Aが映るコマの次のコマでは人物Bが映っており、どのような現象が起こったかは確認できていない。現在確認されているのは七名(うち四名は添付資料に画像あり)で全員二十代から五十代の男性と見られる。皆こぶし二つ分ぐらいから頭部ほどのサイズのチーズを所持しており、ときおりナイフで削って食べている。それ以外の摂食行為は確認されていない。

 5/10に一級怪異試験者二名が当該男性に接触を試みた(詳細は添付資料)。その過程で試験者一名が消失』


 ここまで読んだトマト博士がうめき声を漏らす。


「う~む。これは……、測定データは添付の方ですかね。報告書内で分析ぐらいしてほしかったな。あっちにも人工知能あるのに。これウルーに分析させたら終わってた話なんじゃ」


 それまで黙っていたレタス博士が、身に着けたカートリッジ式のマスクごしにくぐもった声でトマト博士をいさめる。


「そういうなトマトくん、とりあえず資料を最後まで確認しようじゃないか。それでは先生、添付資料の方をお願いします」


『………

各種波長調査、大気組成調査、重力値調査で異常は見られなかったこと、近隣住民に対象と会話を行った人物が存在することを受けて対話を試みることが決定された。ウィルソンテンプレートのパターンDが使用された。試験者二名は各種警報装置を身に着け、現場作業人員の制服を着用していた。一人は記録装置を操作して物陰で待機し、一人が対象に会話を試みた。調査時点で対象は手にしたナイフでチーズに無数の切れ目を入れていた。外見については添付資料参照。以下会話音声記録を文字に起こし、注釈を加えたもの。


(01:48)


「失礼、お兄さん。ここらの人ですか?私ちょっとここらの調査に来てまして…」


「はぁ、遠くからいらしたんですか?」


「そうですそうです。どうにもね、ここらの海で汚染物質が見つかったみたいで、ちょっと海岸のあたりを見て回ってましてね」


「それは大変ですね」


「ええ、ええ。ここらで変わったことはありませんか?匂いがするとか、色がおかしいとか。この近くに限らずお住まいや途中の道でもいいのですが、少しでも変わったことはありませんでしたか?」


「う~ん……すいません。これといって特には……私もこの海を見て長いです…が」


「ああ!ご近所の方でしたか。……近隣住民の方が特にないとなると……お住まいもここら辺ですか?」


「…ええそうです。相浜は私の庭って感じですね。本当にいい場所でうるさい工場なんかもなくて」

(注釈:相浜という地名は全国に少なくとも二十八か所の候補がありますが、もっとも近い場所でも二百キロメートルは離れています。また、この地点から五キロ南西に工業地域があります)


「なるほど!ご協力感謝します」


「はい。そうなんですよ」

(注釈:ベンチに座っていた対象と二メートル程度離れて立っていた試験者が消失。位置情報など全ての発信が途絶える。一瞬鳴り響いた音は試験者が身に着けていた検知器の警告音と思われる)』




「さて、報告書のめぼしい情報はこんなところだろう。トマトくんも言っていたが、ウルーには既に解析してもらった。……保留と追加調査以来の提案が帰って来たよ。ふむ、確かに追加調査が必要だろうが、私たちはどうするべきかな?」


 ベーコン博士が二人の方を見ると、レタス博士は端末を覗き込んで何やら操作している。ベーコン博士は満足げにうなずいて、トマト博士の方を見た。


「トマトくんはどう考えている?」


「……資料をあさっても計器で異常値は出てないんですよね……。人一人消えたことがやっぱり気になります。検知器の音もありましたし、ウルーに任せて研究員に念入りにデータを取ってきてもらうべきだと思います」


 レタス博士が顔をあげた。


「検知器の警告音だけど、これは日取の波長計みたい。映像には検知器が映っていないのでどの波長域かまではわからないけど」


「おお、さすが!波長異常か……体がほどけたか、熱で消し飛んだか、透明人間になったとか……透明になるぐらいなら一級怪試持ちならどうにでもなるか」


「それと、音を解析してみて音量とタイミングがずれているみたい。途切れたか……曲がったか」


 レタス博士はそう言いながら、端末を操作する手をはやめた。トマト博士が顎に手を当てる。


「ずれる……なるほど。あの、レタス博士……それデジタルだからじゃ…」


「また、何年も前の話を、今回は大丈夫。しっかりアナログになっているわ」


 その言葉を受けて、トマト博士がチラチラとベーコン博士を見ながら考えを進める。


「そうなると波が途切れるか曲がる。姿を消す……可視光偽装の落とし穴かなんかか?確かに聞いたことないようなタイプだ。そうだとすると、ドローン三・四体で走査させればいいかな?」


 ベーコン博士がうなずいたので、トマト博士は安心して息を吐いた。二人のやり取りを見て黙っていたベーコン博士が満を持して口を開いた。


「ふむふむ。話はまとまって来たみたいだね。それではウルーに調査させようか。近くの待機所からドローンを出すとして、また夜中に連絡を入れるから集まろう」




 夜、日付の変わるころである。ミーティングルームには三博士が集結し、ドローンが暗視モードで撮影した映像をチェックしている。


 ドローンの映像には、ベンチに座った中年男性が手にしたチーズを繰り返し投げてはキャッチを繰り返している様子が映し出されている。ドローンの映像ならともかく、現場は完全に暗闇に沈んでいるはずだが、男が何かを気にしたようなそぶりはない。手元も見えていないはずだが、チーズを一メートルほど放り投げては問題なく手に収めている。その動きはあまりにも画一で、同じ映像を繰り返しているようにも見える。男がドローンに気付いた兆候はない。


 ドローンを移動させていたトマト博士が大きく息を吐く。ドローンは現在三角形に男性を取り囲むように上空で静止している。


「う~む。こうなると認めざるをえませんね。この結果は、三点法で光曲げを発見するときの典型的なパターンだ。教科書にも出てくるレベル。あとは男性の正体がわかりませんが……別の怪異と考えるべきでしょうか?」


 トマト博士が見つめるモニターにはドローンが撮影した地形画像が映っている。三台のドローンが別々の地点から撮影した画像、そしてそこから割り出した地形データを重ね合わせようとすると地形が微妙にずれてしまっている。


 他の二人に問いかけ、視線を向けても反応がなかったため、目をつぶり眉間をもみ始めたトマト博士にベーコン博士が声をかける。


「お疲れのところ悪いのだが、もう少しドローンを動かしてくれるかな。そう、その二台だけ、まっすぐだ。平行に動かしてくれ」


 待機している一台の位置情報を基準に、残り二台のドローンが平行に移動していく……がある地点を通過したドローンがそこから曲がって進み、二台が互いにだんだん近づいているように見えた。異常な光景に脳が混乱してきたトマト博士とレタス博士がモニターから視線を外す。一方モニターをじっくり確認したベーコン博士は口を開いた。


「これは間違いないね」


「先生、これは?」


「カメレオンだろうね」


 カメレオン。周囲の波、主に可視光を変化させ獲物を捕食する獣のような怪異は、体色を変化させる爬虫類と同じ名前で呼ばれている。カメレオンは主に洞窟の天井や深い茂みの根元など奥まったところに潜み、地形を誤認させた動物を誘い込んで捕食する。人間を捕食するような大型の個体はそこまでいないため危険度は低いとされたが、鉄道や道路の敷設に際し、空間を誤認させる特性が非常に問題視されたため、数十年前までに大規模な掃討が繰り返された。それにより今では見かけることが非常に少なくなっている。


「カメレオンですか。私は初めて見ますが記録は何件か確認したことがあります。……どんな対処をすべきか、う~む悩みますね。ここはやはりオーソドックスに記録と同じ対処方法で行くべきでしょうか。レーザーで焼きましょうよ。レーザー」


「ふむ、そうしようか。ベストだと思うよ。最近改良されたシステムの出力や速度のデータもとれる」


 半分冗談で提案したものがベーコン博士に肯定され通りそうになったので、トマト博士は少し焦った。いつものベーコン博士は知見の蓄積を重視しており、怪異の破壊を好まず、むしろ長く弄……実験しようとする。


「いいんですか?捕獲とかデータとか」


「あくまでカメレオンだからね。風景だけでなく、動物……人の擬態ははじめてだったからウルーが戸惑ってしまったけど、あくまでそれだけだよ。今更知りたいこともない。それよりもカメレオンは今まで絶滅扱いだったから、保護派がでしゃばると困る。それじゃあレタス博士。レーザーの準備を進めてくれるかな?」


「準備はすぐにできますが、承認は?」


「ああ、それは大丈夫。心配ないよ。あらかじめウルー経由で申請していたからね。……ほら、破壊許可がもう届いている。早く処理しようか」


「起動しました」


「!」

はやすぎ!


 モニターの映像がブラックアウトする。


「!」

暗すぎ!


「発光が強すぎてウルーのフィルタリングが働いたかな?まあ待ってみようじゃあないかトマトくん」


「なるほど……あっ、画面にウルーのメッセージが出ましたね。処分完了を確認か……いつになく拍子抜けですね」


 トマト博士がモニターを操作して、現場の状況を確かめる。カメレオンが存在したと思式場所はベンチともども消し飛んでいる。木々には破壊の跡が残り、一部の地面がガラス化している。空中には、レーザー照射によって残った重力のヒビのような線条痕がはじけていた。


 あまりの光景にトマト博士は苦笑いを浮かべた。他の二人は撤収作業を始めている。それを見てトマト博士は

「お二人は先に上がってください。後は私が、依頼元に報告出すところまでやっときますよ」


「……すまないね。任せたよ」


「私も失礼する。……お疲れ様、無理はしないように。何かあったら連絡して」


 一人ミーティングルームに残ったトマト博士は書類作成を始めた。




 午前二時をまわって、報告を送信したトマト博士は部屋の機械設備の電源を落とした。そして、二人に連絡を入れておけばよかったと気が付く。


「ああ、やってえしまったか。……ウルー博士」


「はい。ここに」


 何も存在していないはずの部屋の隅からメタリックなボディの人型ロボットが姿を現した。わかっていてもビックリしてしまったトマト博士は誤魔化すように頬をかいた。


「二人、レタス博士とベーコン博士に依頼の報告が終わった旨をメッセージで送っておいてくれないか。通知音はなしのサイレントで」


 ロボット、ウルー博士は頭を下げた。


「かしこまりました」


「お願いしますね。……もう夜も遅い。お互いはやく休みましょう」


「はい。明日、いえ本日の勤務時間は二時間遅らせておきます。お疲れ様でございました。ゆっくり体をお休めください」


「ありがとう」


 トマト博士が部屋を出て、自分の居住スペースへ帰っていく。足元にだけライトが付いた暗い廊下、無機質な建材も他に誰もいないことも孤独を強く感じさせる。そしてトマト博士は、ある意味常に一緒に居るともいえるウルー博士を思い出した。


「人工知能ウルーか……冷静に考えれば素晴らしい性能なんだよな。ベーコン博士がカメレオンに興味を抱かないことに違和感があったが、……確かにウルー相手だとカメレオンなんて比べる対象にもできないか……」


 トマト博士のつぶやきは誰の耳に届くでもなく冷たい床と壁に染み込んで、そのつぶやきをウルーだけは聞いていた。


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