悪食の箱庭

きざしよしと

悪食の箱庭

「ねぇ聞いた? カリバンたら私たちに黙って海に出たのよ!」

 水底の岩場に腰かけた白い鱗の人魚たちは、甲高い声でひそひそと囁きあった。

 カリバンは人魚たちと棲みかを同じくする、蛸の頭を持つ魚人である。陽気に歌を唄う気さくな男で、人魚たちは彼の事が大好きだった。


「そんなひどいわ!」

 声をあげたのは赤い巻き毛の人魚、ケリルだ。星の形の珊瑚で髪を飾ったこの人魚は、一等カリバンの事を気に入っていた。

「海に出る時は一緒に行こうねって言ってたのに!」

 さめざめと泣くケリルを周りの人魚たちは可愛そうに思った。何せ2人は見ているこちらが恥ずかしくなって来るほどに仲の良い恋人同士だったのだ。

話の発端である金髪の人魚、アンジェリカが脇腹を小突かれて気まずそうな顔をする。てっきりケリルは知っているものだと思っていたのにと。


「今なら~追いつけるんじゃないかしら~?」

 おっとりとした声で提案力したのはこの中で1番年嵩の人魚ミーシャだ。赤と青が溶けあったような不思議な色の髪を真珠で束ねている。

「そうね。それがいいわ」

「早く追いかけましょう、ケリル」

 ミーシャは年嵩というだけあって人魚の中でも1番発言力がある。周囲にいた人魚たちは元々の性根がお気楽調子な事も助けてすぐにその案を支持した。


「でも、3角岩のあたりには意地悪なサメが出るのよ」

 不安気にケリルは言った。

 海に繋がるらしい細い海流に乗るためには3角岩の傍を通らなければならなかった。その辺りを縄張りにしている赤いサメの一団は、何故だかほかの生物が3角岩に近寄ると攻撃してくるのだ。そのせいでケリル達か弱い人魚は海に出る事ができないし、海に出た者達も帰って来る事だ出来ないのだと言われていた。


「何、あたしに任せなよ」

 自信たっぷりにアンジェリカが言った。彼女の泳ぐスピードは人魚たちの中で1番早い。

「あたしがサメ共の気を引いてやるからさ」

 だからさっきの事は許してよ、と眉を下げて片目をつぶるアンジェリカにケリルはおもわず「ありがとう」と抱き着いた。アンジェリカは噂好きで口が軽い所があるが、快活で情に厚い人魚だった。

「1人より、2人。2人より皆よ~」

 にこにことほほ笑むミーシャに釣られるようにして人魚たちは甲高い雄たけびを上げた。


   ■


 3角岩のある辺りはごつごつとした岩の点在する岩場になっていた。1番背の高い岩が綺麗な3角形をしているので、人魚たちはここを3角岩と呼んでいる。3角岩を超えた所にある小さな隙間には強い海流が流れており、そこを通り抜けた先は海に繋がっていると言われていた。


「やっぱり、そこかしこにいるな」

 3角岩の周辺に赤い巨躯の影を見つけてアンジェリカが舌を打った。「はしたないわよ~」とおっとりとした苦言を呈するのはミーシャだ。着いて来た他の人魚たちも、やはりサメが恐ろしいのかソワソワと落ち着きがない。


「よーし! あたし達が派手に陽動してやるから、ケリルは全速力で海を目指すんだよ!」

「う、うん!」

 怯えながらもぐっと拳を握るケリルの手をミーシャが握った。冷たくて柔らかな手に包まれてケリルの肩が跳ねる。長いまつ毛に縁どられた黒曜石に見つめられてどぎまぎした。

「サメたちは嘘をついて私たちを惑わせようとするわ。何を言われても絶対に泳ぐのをやめてはだめよ?」

「……わかった! 私、カリバンに会えるよう頑張るわ!」

「よっしゃ! 行くよ皆!」

 威勢のいいアンジェリカの声を号令に、人魚たちは一斉に散開した。


「む。また来よったな!」

 飛び出してきた人魚たちにいち早く気が付いたサメが唸った。興奮したようにぐるぐると旋回して泳ぐ彼に呼応するようにして、他のサメたちも散らばって突撃してくる人魚たちに気が付く。

「懲りない奴らめ!」

「馬鹿もの共めが!」

 岩の隙間に潜んでいたサメたちも顔を出して人魚たちを罵った。その数の多さにアンジェリカは眉間の皺を深くする。岩が多くてごちゃごちゃしているということは確かに隠れやすい事は確かなのだが、それは相手も同じだ。

「さあ、間抜けなサメ共! このアンジェリカ様を捕まえてみな!」

 不安をかき消すような大声で鼓舞して、アンジェリカはサメたちの前に躍り出た。


「ああ、アンジェリカ。無茶はしていないかしら……」

 喧騒から少し離れた場所を選んで、静かに、それでいて素早くケリルは進んでいた。岩場の影に白い身体を隠すようにして地道に進む。しかしあまり悠長にしていられないのだ。もたもたしていると仲間が傷つく可能性が高くなるからだ。


 4回程岩場を移ってやっとケリルは目的の隙間を見つけた。直径がケリルの身体よりも大きい円形の洞窟。遠目で見ても強い海流の流れを感じた。

 きょろきょろりと左右を確認していち・に・さんで飛び出す。サメに気が付かれる前にあの洞窟に飛びこむのだ。

「こんの馬鹿人魚め!」

「ひえぇっ」

 低い声が後ろから迫って来た。悲鳴をあげながら背後を確認すると、瞼に傷のあるひときわ大きなサメが迫って来るところだった。

「嫌ぁっ!」

 悲鳴を上げながら必死で泳ぐ。もう少し、もう少しで辿り着く。


「その先には何もないのだ!」

 叫んだサメの声にケリルは「えっ」と思わず泳ぎを止めてしまった。振り返った時にはもう遅い。迫り来るサメの形相に、ケリルは震えあがった。

「何をしているの!」

 青と赤の混ざり合った不思議な色が、ケリルに背を向けて割り込んだ。

「ミーシャ!」

「早く行きなさい!」

「ああ、ミーシャ。皆、ありがとう」

 いつもとは様子の違う凛とした声に後押しされて、ほろほろと涙を流しながらケリルは洞窟の中へ飛び込んだ。

「おのれ!」

 悔し気なサメの声が遠ざかっていく。


 洞窟に流れる海流は早く、人魚であるケリルでも息が苦しいと感じる程であった。しかしそれもあっという間のことで、数秒もしない内にケリルは真っ暗な洞窟から解放された。

 ざぱり、と水から飛び出す。

「きゃあ!」

 ぼちゃん、と重たい音を立てて落ちた先は小さな、深い水たまりだった。ケリルが1人入っただけで狭いと感じるほどに狭い。銀色の冷たくて固い物で縁どられた海にケリルは首を傾げた。


「ここが、海?」

 不思議そうにするケリルの小さな体を、肌色の棒に5本の小枝が付いた姿の柔らかな生き物が無遠慮にわし掴んだ。

「ひゃっ」

「おっ、人魚だ~! お客さん運がいいねぇ!」

 空から大きな声が降って来る。空気を大きく揺らす振動が恐ろしくて、ケリルは甲高い悲鳴をあげた。

「一体なに!? 何が起きているの!?」

 キィキィとした悲鳴に応える事無く、肌色の巨大な生き物はケリルをわし掴んだまま移動し、固くて冷たい木の板の上にケリルを放り出した。

「ぎゃあっ」

 悲鳴をあげるケリルの両腕を摘まんで抑える。

 ケリルの真っ白い腹の上に薄い銀色の板のようなものがあてがわれた。

 その鋭利な冷たさの怖ろしい事といったら!

「い、いや……やめ」

 ケリルのぽってりとした唇から、キィキィと悲鳴が零れる。ざらりとした余韻の声はひどく耳障りだったが、肌色の化け物に動じた様子はない。

「活きがいいねぇ」


 すとん、と切り落とされて静かになった。


  ■


「はい! シェフの気まぐれ海魔丼です。お待ちどうさま~」

「わ~!」

 優し気な目をした金髪の店主が差し出す大きなどんぶりを見て、ザカライアは嬉しそうな歓声をあげた。隣にいたエルドレッドがその中身をのぞき込んで青い顔で「人魚の生造り……」と呻く。


 ザカライアの抱える器には、この国ではまずお目にかかれない白いライスの上に、細かく刻んだ(時折うごめく)海苔と細く刻んだ薄焼き卵を散らして、ひと口台に捌かれた人魚が盛りつけられていた。仕上げとばかりに降りかけられた白い鱗のふりかけに紛れて、小さな目玉がぎょろりとこちらを向いている。


「さあ、召し上がれ!」

「いただきま~す!」

 恍惚とした表情で進める店主と、嬉々とした様子でそれを平らげていく自身の弟を信じられないものを見る目で見つめながらエルドレッドはため息をつく。


「人魚の新種が見られるって聞いて来たのに……」

「新種は新種ですよぉ! 煮ても焼いても食えない海魔を美味しく改良したんですから、立派な発明でしょう? 小型化で養殖もしやすくなりましたし!」

「この店以外で出せないじゃないか……」

「専売って奴ですね!」

 熱に浮かされたような店主に押されるあまり弟に助けを求めようとするが、こちらを向いた弟はちょうど人魚の頭を咥えた所だった。

 こいつ顔見知りじゃなかったら人間でも食べそうだよな、と思いながら目を逸らす。エルドレッドは弟の事は目に入れても痛くない程に可愛いが、可愛いからこそ直視したくないものもある。

「常連さんにはかなーり好評をいただいでおりますよぅ?」

「だろうなぁ」

 溜息をつくエルドレッドは水を口に含もうとして、少し考えてやめた。


 ここは悪食御用達の店”悪食の箱庭グラトニー・ガーデン”。

 老若男女の紳士淑女がゲテモノを嗜むために、勤勉な店主が研究と調理技術の研磨に努める世界中探しても他に例を見ない、怪物喰らい達のための店。


 もし、興味があればお立ちよりを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪食の箱庭 きざしよしと @ha2kizashi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ