わたしと彼女のどっちを信じるの?

戸松秋茄子

childhood friend

 ふうん、そうなんだ。


 もうわたしを家にあげる気はないんだね。


 わかった。じゃあわたし帰るね。タオル貸してくれてありがと。


 理由? そんなの知りたくない。


 拗ねるなって言われても、わざわざ来たのに追い返されておもしろいわけがないでしょ。わたしの家、学校からはこっちと逆方向なんだから。車に水だって引っかけられたし、本当ならシャワーくらい浴びたかったよ。


 謝らないでよ。急に来たわたしが悪いんだから。それはもちろん、あらかじめ教えてほしかったよ。引っ越すとき「いつでも来いよ」って言ってくれたのに、何の前触れもなく「ごめん」だなんて、あんまりと言えばあんまりだよ。


 でも、いいよ。わたし帰るから。そんな風に言う人の家にあがってもしょうがないし。


 じゃあね、さよなら。学校でももう話さない方がいいよね。


 なんで彼女さんの名前が出てくるの?


 ちょっと待って。何を吹き込まれたか知らないけど、変な誤解してない?


 いつも言ってるじゃない。


 お兄ちゃんのことなんか全然好きじゃないって。


 

 ちょっと、なんでまた出しっぱなしにしてるの。読んだら片付けなよ。それに、なんで急にシオドア・スタージョンなんて読み返してるの? この前まではウィリアム・ギブスンにはまってたのに。まったく、こんな部屋によく彼女さんを通せたね。


 ああ、あの次の日だったんだ。わたしが掃除した直後だから片付いてたんだね。でもまた本が増えたでしょ。ほら、あれ。通販の段ボール置きっぱなしじゃない。まためぼしい数冊のために、誰かが断捨離した古本セットを落札したんじゃないよね。


 ん? お兄ちゃんと彼女さんが何を話したのかはだいたいわかったよ。


 別に言いたいことなんてない。お兄ちゃんが影響を受けやすいのはいつものことだし。


 要は彼女さんに浮気を疑われたんでしょ。最終的にわたしのことを話して、やましいところはないってわかってもらえたけど、彼女さんはわたしがお兄ちゃんに好意を向けてると誤解しちゃったんだ。


 誤解じゃなくてなんなの? 鵜呑みにするお兄ちゃんもどうかしてるよ。わたしのタイプは神木隆之介だっていつも言ってるのに。


 え? だから、それは彼女さんがおかしいんだって。お兄ちゃんなんかと全然似てないから。今度それ言ったら本気で怒るよ。勝手に本売っちゃうから。そうだよ、サンリオ文庫。こういうときのために何冊か目をつけてること忘れないでよ。


 だいたい、浮気がどうのなんてただの方便かもしれないのに。


 どういうことも何も、お兄ちゃん、そのとき彼女さんを部屋にあげたんでしょ。それが彼女さんの狙いだったかもってだけの話。


 わたしがこの家に出入りしてるって噂は知ってても、最初はほとんど疑ってもいなかったんでしょ? だから、どっちかっていうと部屋にあがるためにデリケートな話題を持ち出したのかなって。


 何それ。なんでわたしに言い訳するの? お兄ちゃんが彼女さんと何をしようと気にしないよ。だいたい、お兄ちゃんたち、キスもまだでしょ。いきなり部屋にあがったところでベッドでどうこうなるなんて思ってない。


 いやだよ。ここはわたしの特等席だもん。ベッドからは絶対降りないから。


 いいよ、その日、具体的に何があったかなんて聞きたくない。わたしが言ったのはあくまで可能性の話だし。彼女さんの行動がちょっとおかしいと思っただけだよ。


 ううん、そうじゃなくて。噂を知ってしばらく何もしなかったのが変だなって。せめてお兄ちゃんの身の周りを調べるくらいのことはするでしょ。そしたらすぐに同じ学校に親戚の女の子がいることくらいわかったはずなのにって。


 彼女さんはけっきょく知らないままなんでしょ?


 お兄ちゃんとわたしの関係。


 

 お兄ちゃん。


 このマドレーヌちょっと形が不細工じゃない? 別に気にしないけど。どうせ、彼女さんに作ったのの残りなんでしょ。ならしょうがないよ。


 うん、それもわかってる。お兄ちゃん、わたしのことただ幼馴染みとしか言わなかったんでしょ。ただの幼馴染みが家に出入りしてるって話しちゃったんだ。


 それは誤解されるよ。


 漫画やアニメじゃないんだから、家に頻繁に出入りするほど仲がいい男女の幼馴染みなんてそういないよ。


 彼女さんの言うことを鵜呑みにしちゃったお兄ちゃんもどうかと思うけど。


 でしょ? お兄ちゃんは彼女さんの勢いに押されてちょっと混乱しちゃっただけ。冷静に考えれば、わたしがお兄ちゃんにそんな感情を向けるわけがないってわかるじゃない。


 そうだよ。やっとわかってきた?


 だいたいわたしがお兄ちゃんのこと好きなら、恋愛相談なんかに乗らないし彼女さんと仲を応援したりしないよ。



 お兄ちゃん、やっぱりわたしもう我慢できないよ。


 これ片付けたいんだけどどこに置けばいい? 本棚はもうどれもいっぱいだよね。そろそろ断捨離すべきだと思うよ。というか電子書籍にすればいいのに。


 それはもうわかってる。でも、電子化されてない本ばかりでもないでしょ。


 え、話の続き?


 えっと、なんだっけ。ああ、お兄ちゃんがわたしに恋愛相談してたって話か。


 お兄ちゃん、それを彼女さんには逆に言っちゃったんだよね。


 わたしに好きな人がいて、お兄ちゃんに相談してたって。


 別に。お兄ちゃんも嘘は言ってないでしょ。嘘だったら彼女さんにすぐばれてる。話の流れで、わたしの方からもお兄ちゃんに相談してたのは事実だし。


 そうだね。誤解の種にはなったと思うよ。でも、照れ臭かったんでしょ。彼女さんの話だもんね。お兄ちゃんもわたしにはけっこうあけすけに話してたし、本人に知られたくないと思うのは当然だよ。


 彼女さんもまさかわたしが二人の愛のキューピットなんて知らないだろうな。


 そうだよ。その晩、彼女さんに振る舞ったボルシチだって元はわたしが教えたものだもんね。

 

 別に謝らなくてもいいよ。それは、わたしだって協力してたし、そういうなし崩し的な形になったのはちょっと残念だけど。


 でも、お兄ちゃんのことだし、ほっといたら遠からず料理してるってばれてたと思うよ。お兄ちゃんは完璧になるまで練習したいっていつも言ってたけど、それまで隠しきるのはむずかしかったんじゃないかな。


 でしょ? お兄ちゃんの腕ならもう十分満足してもらえるよ。そうそう、サプライズで料理を振る舞うならもっと早くすべきだったね。

 

 お兄ちゃんも料理でこれだけできるんだから、他のことももっとできるようになりなよ。


 そしたら、わたしだって必要なくなるでしょ?


 気にするよ。わたしだって、おばさんたちに頼まれてる以上、お兄ちゃんの生活には多少は責任があるんだから。



 お兄ちゃんのことはなんでも知ってるつもりだけど、たまに驚かされるんだよね。


 わたしが知らないとこでわたしが知らないものに影響されてくる。でも話を聞けばちゃんとわかるんだ。お兄ちゃんはお兄ちゃんだって。


 今度のことだってそう。家の前で拒まれたときはびっくりしたけど、彼女さんとの間にあったことを知れば不思議なことなんて何もない。


 家に誰もいないから、生活のお手伝いをしてあげてる。そのついでに恋バナをして帰っていく。ただそれだけの話なんだよ。

 

 それを幼馴染みなんて簡単な言葉で説明しようとするから誤解される。


 わたしたちは親戚同士で、兄妹みたいなもの。そうでしょ。


 いまさら何言ってるの。はとこだって立派な親戚だし、同級生でも誕生日が一年近く離れてるんだから兄妹みたいなものでしょ。



 整理するよ。


 お兄ちゃんはわたしとの関係を「幼馴染み」とだけ説明しちゃった。


 わたしがお兄ちゃんに恋愛相談してることは話したけど、二人の愛のキューピッドってことは話さなかった。


 ついでになぜかわたしがお兄ちゃんに「あんたのことなんか全然好きじゃないんだからね」って言ったことになっちゃった。


 ねえ、何。「あんた」って。わたし、そんな風に呼んだことないよね。


 そうだよね。お兄ちゃんがちゃんと説明しないせいだよ。そうやって、口ごもるから相手が勝手に補って言ってもいないことを言ったことにしちゃうの。


 そんなの決まってるでしょ。お兄ちゃんが彼女さんにすべきはちゃんとした説明。やましいことなんてないって、改めて話さないとダメだよ。家政婦が出入りしてるのと変わらないって。


 何それ。お兄ちゃんはまだ何か引っかかってるの?


 わたしが好きな人の名前?


 やっぱりお兄ちゃんまだ疑ってるでしょ。だからそんなことを訊くんだ。やだよ、お兄ちゃんに話したらすぐばれて噂になる。


 お兄ちゃんじゃないよ。もしそうなら最初から話さない。


 そうだよ、お兄ちゃんなんかよりずっと素敵な人なんだから。神木隆之介には似てないかもしれないけど、意外と頼りになって誠実な人なんだから。彼女がいるのだって当然だよ。


 ううん、どうこうなろうなんて思ってないよ。その人が幸せならそれでいい。それに胸が苦しくなったときは、お兄ちゃんが話を聞いてくれるでしょ?


 わたしたちは親戚で幼馴染み、それに兄妹みたいなもの。


 だからこうして二人きりになっても何も起こらないし、一緒に料理したり、恋バナに花を咲かせたって何もおかしくないんだよ。


 そうだよ。


 お兄ちゃんのことなんか全然好きじゃないんだから。

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