白い箱庭の中

九十九

白い箱庭の中

 四方が白い壁で覆われた小さな部屋の中、少女は箱を抱えるようにして座っていた。周囲には幼子が飽きないように玩具や絵本の類いが散らばっているが、少女は一向に興味を示さない。

 少女は、その幼い腕の中に収まる程の正方形の箱だけを、唯、大事そうに抱えて覗きこんでいた。



「気味が悪いのよね」

 情熱的な赤い口紅が印象的な女が、少女が座す部屋の中を覗き込みながら、そう言った。

 少女の部屋を覆う白い壁は、外側からは硝子を通したように透明で、中の様子が良く見えた。

「ただずぅっと空っぽの箱なんか覗いて、静かに笑ってるのよ。観察って言ったって、あんなの四六時中見てたら気が滅入るわ」

 女は透明な壁の一辺に寄りかかり、壁越しに少女を突く。

 周りの玩具の事なんか気にも留めずに、箱を覗いては年齢不相応に静かに笑む少女の姿に、女は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「まあまあ。大事なお父様の箱だからだろう? とっくに壊れてるんだよあれは」

 コーヒーと紅茶を手に持って女の元へ訪れた男は穏やかに笑い、カップを女へと差し出した。

「大事なお父様の箱ねえ……。何も入っていないのに何が良いのかしら?」

 男からコーヒーを受け取った女は嘲るように笑う。箱を見詰めたまま部屋の中心から動かない少女を、綺麗に整えられた爪先で引っ掻くと、女はコーヒーを口に含んだ。

「目の前で殺されてるんだ。そりゃあ贈り物一つに固執したりもするさ。それが唯のガラクタの箱だとしても」

 男は紅茶に口を付けながら、片頬を吊り上げる。

「可哀想にね」

「ちっともそんな事思っていない癖に」

「貴方もじゃない」

 女と男は互いに嗤いながら部屋の中の少女を一瞥すると、研究室へと入って来た研究員に指示を出すために各自、指示書を取り出すためにその場を離れた。


「ねえ、それで、何時あの被検体を実験に使うの?」

 指示書や研究資料を片付けて一段落した頃、女は男へと尋ねた。

 被検体とは少女の事。小さな投薬実験こそすれ、未だに大きな、それこそ身体を根本から作り変えるような実験の被検体には少女は使われていない。

「あれは特別な被検体だから、特別惨い事に使うさ」

「ご聡明でお優しい、偉大な前所長の、大事な忘れ形見だから?」

「ああ、そうさ」

 言葉に含みを持たせた女の言葉に、男は笑うと、壁越しに少女の首を横切るように爪を立てながら指を引いた。

「俺の考えが分からぬほどご聡明で、犠牲の上に立つ名誉の大切さも分らなぬほどお優しい、くそったれの前所長が生かす事を懇願した忘れ形見だからな。丁重に扱わないと」

 歪んだ男の顔を愉快そうに女は眺め、そうね、と同意を示す。

「折角、奪ったんだもの。残ったものは骨の髄までしゃぶり尽さないと損よね。あれも何だかんだで丈夫だし、磨り潰しに磨り潰して、使い潰した方が前所長も嬉しいでしょ。その間はちゃんと生きているんだから」

「少なくとも前所長と同じ様に、直ぐになんて真似はしないさ。そうだな。切り刻まれても回復する兵隊用の薬の被検体にでもしようか。最初の実験の被検体だから、結果的に肉片として生き続けるかもしれないけれど」

「父親の願い通りじゃない。『この子だけはどうか助けてくれ。どうか生かしてくれ』って」 

 女は真っ赤な三日月を口元に携えながら、堪えられないと言う様にくすくすと息を漏らす。

「まあ、問題は研究があれに投与する前の段階だって所だがな」

「直ぐに出来るわ。もっと惨いのが出来るかも」

「それは良い。それまではこの小さな箱庭で、大事な箱を眺めていて貰おうじゃないか」

「観賞用には気味が悪いけどね」

 男と女は少女を見詰めながら、来たる未来に目を細めた。



 少女は白い壁の覆う部屋の中、父に貰った白く小さな箱を大事そうに抱えて、覗いていた。「箱庭」として父がくれた美しく丈夫な白い小箱の中には、少女しか知らない世界が広がっている。

 白い部屋を監視していた前所長の元助手の男女は、少女が覗く箱の中に何が広がっているのかを知らない。

 少女が時折、小さな箱を見詰めるだけでは無く手を差し入れていた事も、そうして生きるために小さな箱の中の世界を少しずつ動かしていた事も、来たる加虐の未来に目を細めていた男女はずっと見落としていた。親が死に、壊れた不気味な少女だと笑っていた彼等は何も知らない。


 白い部屋の中、その日も少女は何時ものように箱を覗き込んでいた。

 少女の視線の先、白い小箱の中では、人間達の小さな地獄が出来ている。箱の中の人間達は身に纏った白衣を翻し、叫びながら逃げ惑い、出来の悪いホラー映画のように次々に呆気なく事切れていった。

 普段と変わらぬ研究員たちの日常風景があったのは、その日の明け方まで。

 少女が箱の中に手を差し入れて、液体の入った小瓶を拾い上げ、箱の中の世界に溢してから箱の中の世界はみるみるうちに姿を変えた。

 少女がそっと目を伏せる。

「なんでこんな! どうして薬が研究所内に広がっているの!」

「薬はあれに使うために保管してあった筈だ! どこで漏れた!」

 情熱的な口紅に嘲笑を乗せていた女が、未来を描いて嗤っていた男が叫ぶ。叫んで、そうして悲鳴に変わった果てに事切れた。こつり、と白い壁の向こう側から音が聞こえたような気がした。


『生きるために使いなさい』

 懐かしい声が聞こえた気がして少女は目を開く。

 箱の中へと再び手を差しいれた少女は新しい小瓶を拾い、明け方と同じ様に箱の中の世界へと溢す。そうして、暫く待ってから、全ての被検体の鍵を解除した。

 四方を塞いでいた白い壁の一部が切り抜かれ、ずれて行く様子を見詰めながら、少女は大事な白い小箱をしっかりと抱える。

 少女は、しん、と静まり返った研究室へと歩き出した。

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白い箱庭の中 九十九 @chimaira

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