彗星ヒッチハイカー

もげ

彗星ヒッチハイカー

 ぬるま湯のような闇が包む夜、香弥子はそっと窓を開けて縁側に出た。薄い毛布を一枚肩からかけて、縁側のふちに座る。

 少し小高い丘に建っているこの家からは、庭の低木越しにやや遠く黒い海が見える。香弥子は海から少し上側、星が散らばる夜空の一点に目を凝らした。

「あっ……」

 すぐにそれは見つかった。長く尾を引くほうき星。流れ星と違って、それは一瞬のまたたきではなくそこにはっきりと存在していた。

「すごい」

 思わず声に出てしまうほど、それは幻想的な光景だった。

 流れ星に似てるけど、彗星もお願いごとを聞いてくれるのだろうか。すぐに消えてしまわない分、なんだかありがたみがないけれど。

 それでもなんだかお願いをしてみたい気持ちになった。特にこれと言って叶えてほしい望みも無いのだけれど。

「いいことがありますように」

 一応、目を閉じ両手の指を組み合わせてお願いをしてみる。あまりにも願いが漠然としてるかな。

 それでもなんだか得をした気持ちになって、一人でこっそり笑う。夢見がちな乙女って感じ。

 実際には、香弥子は自分のことを夢のない女の子だと思っていた。

 特にこれと言ってやりたいこともなりたいものも無い。

 小さな島で生まれ育って、今年で高校2年生。そろそろ進路を考えなければならない年頃だ。都会の大学を受けて、こんな田舎とはおさらばするのだと息巻く同級生も多いけれど、そこまで都会に憬れてもいなければ、この島が嫌いなわけでもなかった。

 島を出て、一人暮らしをしながら学ぶ迷惑を親にかけてまでやりたいことも特にない。

 島内で適当に就職して、適当な時期に結婚して、子どもを産み、育て、おばさんになっていくのだろう。

 それも悪くないと思えるし、結婚するなら若いうちが良いと思っていた。特に器量が良いわけではないので、使える武器と言ったら若さと親戚のつてしかないのだ。何も持たない自分にとって、結婚出来ないということが一番の恐怖だった。

 ドラマチックな人生にも憧れるけど、それに伴うリスクを負うのが嫌だった。人生の中で良い事と悪い事がちょうど半分ずつあるとしたら、山あり谷ありあるよりも、ずっと平坦なまま小さな幸せをかみしめて心穏やかに過ごしていきたいと思っていた。

 だから、その夜家を抜け出したのは、自分にとって驚くべきことだった。


 彗星をしばらく眺めた後、浜辺に目を転じた香弥子は、ふと人が一人立っていることに気付いた。

 20代ぐらいの男性だろうか。わたがしのようなふわふわした髪と、細く長い手足。色白の顔は遠くからでも驚くほど整っているのが分かる。

 そこまで見てとって、香弥子は驚愕した。こんな暗い夜に、この距離からそんな仔細まで見えるはずがないのだ。その男性は、体全体がぼんやりと少し光っていた。

 ありえないことなのに、不思議と目が離せなかった。

 どうしてももう少し近くで見たくなった。天使とか妖精とか、そういった妄想が膨らむ前に、からくりをあばかないと今夜は眠れそうにない。

 一度部屋に戻って薄い上着を羽織ると、庭に出る用のつっかけを履いて、そっと裏から家をでた。

 足音が響かないように早歩きで家を離れ、ほんの少し先の浜辺を見下ろす階段まで歩いて行った。

 浜まで降りて行こうとは考えていなかった。さっきの人に気付かれないようにそっと覗くだけのつもりであった。

 街灯はほとんどないが、今日は月が明るかったので足元の心配はあまりない。ちょっとした探偵気分でそろりと柱の陰から階段下の浜辺をうかがった。

 すると、男性はまだそこにいて、せっせと何かを運んでいるようだった。

 目を離したすきに消えてしまうかもと思ったのは杞憂だった。少しだけ近くで見ると、浮世離れして見えたその人はもう少し現実感を持って見えた。

 海から行ったり来たりしながら、何かをトラクターの牽引する荷台にひたすら積み込んでいるらしい。

 密漁?そんな言葉が頭に浮かんだ。

 こんなに美しい人が犯罪者だなんてがっかりだ。それに、もし本当に密漁だとしたら、覗いていることがばれるとまずいかもしれない。

 香弥子はなるべく気配を立てないようにそっと後ずさりすると、また足音を殺して部屋まで戻った。

 きっちりと窓を閉めて掛け金を下ろす。カーテンもぴっちり閉めて布団にもぐりこんだ。

 しばらく自分の心臓の音がうるさくて寝付けなかった。変なものを見てしまった。家を出たのを少し後悔した。


 次の日の高校からの帰り道。帰宅部の香弥子は一人で家路を歩いていた。昨日浜辺を覗いた階段の前を通りかかる。

「こんにちは」

 突然、柱の陰から出てきた男の人に声をかけられ、香弥子は心臓が飛び出そうなほど驚いた。

 それは昨日の天使のような人だった。

 突然のことに声も出ず、ぱくぱくと金魚のように口を開け閉めする香弥子に、その男性はにこりと笑いかける。

「驚かせてごめんね。怖がらないで、何もしないから」

 もうその発言が怖い。香弥子は思わず後ずさり、駈け出そうとする。

「逃げないで。ちょっとだけ話がしたいだけなんだ」

 困ったような、悲しそうな顔をする美しい顔に、思わず逃げる気力がそがれる。意外とミーハーだなと自分の冷静な部分が自分自身に呆れる。

 それにしても驚くほどの美形だった。芸能人でもこんなに整った顔の人はちょっといないのではないだろうか。思わずぼーっと見つめていると彼は困った顔をして顔をそむけた。

「……あ、すみません」

 不躾な視線を送っていたことに気付いて謝る。

「そんなに変かな、この顔」

「変!?とんでもない!」

 びっくりして思わず大きな声を出してしまう。

「……あまりに綺麗な人だったので……気を悪くしたならすみません」

 香弥子の言葉に彼は少し首を傾げた。

「なるべく平均的な顔になるようにサンプルから要素を抽出したつもりだったんだけど……いっそ特定の個体をコピーしたほうがよかったかな」

「は?」

「いやいや、こちらの話。ところで、昨日僕の事を見ていたのは君だよね?」

 どくん、と心臓が跳ね上がる。やっぱり、昨日見ていたことを知ってて声をかけてきたんだ。何のために?口封じとか?カンカンカンと脳内に警鐘が響き渡る。

「な……何も見てません。彗星を見てたらたまたま見えただけで……」

「別に責めているわけじゃないよ。でもちょっと秘密にしてほしいなと思ってお願いしに来たんだ」

「お願い……」

 それは脅しというのではないのだろうか。

「あとちょっと、異文化交流をと思って」

 にっと笑った彼は、そう言えば日本人離れした顔をしている。色素の薄い顔と髪、すらりと長い手足は、この島には絶対に生まれそうにない。

「が……外国の方ですか?」

「国というか、星というか。異星人というのかな?この場合」

「は?」

 また間抜けな声が出てしまう。

「彗星ヒッチハイカ―って言ってね、太陽系を横断する彗星にくっついて遠い惑星から来たんだよ。また彗星にくっついてくからすぐに帰るけどね」

 全然彼の言う言葉を脳が処理してくれない。なんだろう、この人やばい人なのかな。

「どーーーしてもこの惑星のナマコが欲しくてね。ナマコのキャッチ結合組織って知ってる?論文を読んでこれだっ!て思ったんだよ。我々は擬態を得意としているんだけど、ナマコを擬態出来たらかなり行動の幅が広がると思うんだよね。テレポーテーションも夢じゃないよ!地球は遠いから半ばあきらめてたんだけど、そうしたらたまたま彗星が地球まで行くって言うじゃん?これはチャンスだと――あれ、どうしたの?具合悪い?」

 くらくらと頭痛がした。そうか、宇宙人ってやっぱりワレワレって言うんだなぁ。香弥子は目を閉じてこめかみをぐっと押さえた。

「……それで大量のなまこを持ち帰ろうとしているんですね」

「そうなんだよ。いやぁ、宝の山だよ、まったく。こんなに採ったら問題になるかな?」

「そうですね……。いや、まぁでも昨日の量くらいなら……。せっかく遠くからいらっしゃったんだし」

 自分でも、本気で言っているのか冗談の応酬をしているのか分からなくなってきた。

「そう言ってもらえて安心したよ。僕としても窃盗をしに来たつもりはないんだ。お詫びというか代わりにというか。これを君に託すから大目に見にもらえないかな。生物は生態系を崩すかも知れないから、鉱物にしてみたよ。このあたりの惑星にはないと思うから貴重じゃないかな」

 言って、香弥子の手を取ってそっと手のひらに乗せたものは、宇宙を手のひらに集約したような、透明な、それでいて深い闇を宿す、不思議な黒い石だった。

「綺麗……」

 吸い込まれるようにその石の中の輝きに目を奪われていると、男性はさっと香弥子から離れた。

「さて、そろそろ時間だ。あ、そうそう、僕の名はリヒト。君は?」

「香弥子……」

「カヤコだね。もう会うことはないかもしれないけど、一瞬交わった奇跡を時々思い出すよ。じゃあ、元気で!」

 風のように、彼は去っていった。

 香弥子はその手のひらの石を握りしめてしばらくそこに佇んでいた。

「大学……行こうかな……」

 ごうっと穏やかな空気をかき混ぜるように突風が吹いた。

 小さな島にも春が訪れていた。

(おわり)

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