とある夜の話

 パーカーのポケットに両手を突っ込んだまま、誰もいない道を千鳥足で歩いていた。どこぞのキザ野郎が望遠鏡を担いで駆けずり回ったのと同じ午前2時、同じような星空の下。もっとも、その誰かさんと違って俺には追いかけるものなんかないし、小綺麗な感傷のタネになるような思い出もないが。


「っすぅーー……」


 先月までと比べれば幾らかマシな気候にはなったものの、この時間帯はまだまだ冷える。着衣の隙間から流れ込む冷気が肌を刺す感覚に耐えながら、目的地のコンビニへと向かう。

 深夜の住宅地には人影のひとつも見当たらず、ただそこにあるのは暗闇と静寂だけ。いつもより酒が入っているせいか、目に映る風景全てが自分だけのものになったような錯覚に包まれる。


(あの頃は本当に手に入ると思ってたんだよな、何もかも)


 記憶に浮かぶのは、まだ学生だった時の自分の姿。今よりバカで向こう見ずで何もかもデタラメで、そして夢に溢れていた。それがどうしてこうなってしまったのだろうか?いったい何が悪かったのだろうか?……酔ってぼやけた意識でぐるぐると考えていると、いつの間にか見慣れた看板が目の前に現れていた。

 店の入り口がある方に向き直って再び足を踏み出そうとしたその時、俺は強烈な違和感を放つ存在に気付く。


(あれ、誰だ……?)


 そこにいたのは、年齢にして十代後半くらいの少女だった。ツノ付きのキャップに紫のツインテール、肩や脚を露出した明らかに寒そうな服装……漫画かアニメの世界から出てきたかのようなその風貌は、どこからどう見ても異質なものだ。コスプレイヤーか何かだろうかとも思ったが、周囲に撮影者らしい人間も見当たらないし本人もぱっと見た感じカメラなどは持っていない。


 短い逡巡の末、俺は彼女の存在を意識から消すことにした。おかしな場所におかしな奴がいる。そんな時に一番大切なのは、とにかく関わり合いにならないことだ。もしうっかり目を付けられでもしたら大変だからな。

 ……そう思う気持ちとは裏腹に、俺の視線は無意識のうちに少女へ向かってしまう。ダメだダメだ、視線を合わせちゃあいけない。自分に言い聞かせながら駐車場を抜けようとしたその時、俺の視界はぐるりと一回転した。


「クソ……いってぇ……」


 どうやら車止めにつまづいて派手に転んだらしい。地面にぶつけた場所をさすりながら上を見上げると、先程の少女が心配そうにこちらを見つめていた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「その、なんだ……悪いね」

「良かったよ~、大したことなくって」


 少女が笑みを浮かべる。結局、俺は無様に転ぶ姿を見られたばかりか簡単な傷の手当てまで受けてしまった。奇抜な見た目こそしているものの、彼女はどうやら悪い子ではないようだ。つい先程まで不審者の類だと思っていただけに、申し訳ないやら恥ずかしいやらでなんだかばつが悪い。気が付けば、酔いもすっかり覚めていた。


「……その、お礼って訳じゃないんだけどさ。何か飲むかい?」


 店内を指差して尋ねると彼女は「それなら紅茶が良い」と言うので、僕は手早くペットボトルの紅茶を二本購入してその片方を彼女に差し出した。


「そういえば、さ」


 この際なので、彼女についても聞いてみることにする。地方の情報網というのはなかなか侮れないもので、とりわけヒトに関する噂なんてものは下手なマスコミよりも高速でリークされることすらある。にもかかわらず彼女のことはここに住んでいて一度も耳にしたことがない。

 だとすれば、彼女は何処か別の場所からわざわざこんな所へやってきたことになる。しかし、一体どこから?何のために?……彼女の返答は、予想外のものだった。


「トワ様はね、"マカイ"から来たの」

「……まかい?」


 聞きなれない地名だ。ポケットからスマホを出して調べてみても、それらしい場所はヒットしない。もしかすると、中井とか長江の聞き間違いだろうか?


「検索しても出てこないよ。人間界にこっちの情報は流れないようにできてるから」

「…………」

「ちょっと君、聞いてる?」


 ええと、つまるところだ。自身をトワと呼んだこの少女の言う"マカイ"とやらは某赤い魔物なんかが巣食っているあの"魔界"ということらしい……って、そんな訳あってたまるか。反射的に突っ込みそうになったが、口に出すのはやめておいた。なんのつもりなのかは分からないが、それでも恩を受けた相手であることには変わりない。ここは乗ってやるのが大人の対応というものだろう。


「あぁ、うん。で、なんで魔界からこんなクソ田舎に?」

「トワ様は一人前の悪魔になるのが目標だから、そのための修行にね」

「あ、悪魔?……ぷっ、くくっ」

「おい!笑うな!」


 いや、そうは言ってもだ。酔っぱらって転んだ見ず知らずの人間を心配するばかりかその場で手当てするような子に悪魔という単語はその、いくら冗談にしてもミスマッチが過ぎるだろう。頬を膨らませて怒っている様子すら、どちらかと言うと小動物のそれである。


「っていうかさ、そういう君は何しに来たのさ」

「俺かい?俺はあれだよ、その……」


 ちょうどよい言葉が見当たらない。というよりはこれを正直に口にすべきかわからない、と言った方が正しいだろうか。

 仕事で大ポカをやらかして自棄になった俺は、いっそ明日の出勤も放り出すつもりで、いや、なんなら中毒で死んでやるくらいの気持ちでしこたま酒を飲んでいた。しかし人の身体というのは案外丈夫なもので、部屋にあった缶を全て空けても一向にお迎えは訪れなかった。結局、酒で死んでやろうなどとくだらない事を考えた自分さえ馬鹿馬鹿しくなり、飯でも買おうと外に出てきたのである。


「夜食を買いに来たんだよ」


 ……決して嘘はついていない、必要最低限の内容に絞って伝えただけだ。しかし、トワはそんな内心を見透かすようにじっとこちらを見ている。


「いや、あの、どうかした?」

「話したくないなら無理には聞かないけど」


 グリーンの瞳を俺に向けたまま、彼女は続けた。


「例えば君に味方がいなくなっても、トワ様は君の味方だから」


 果たしてなんと返せば良いのかわからなかった。その格好は常人のそれではないし、言動もどこかズレているのに……不意にかけられたその言葉にはもう長いこと感じることのなかった暖かさがあった。

 二人の間に流れるわずかな沈黙、それを破ったのはやはり彼女の方だった。


「……あっ、もうこんな時間。トワ、そろそろ帰るね」

「あ、あぁ、うん」


 唐突に出会った彼女との別れはこれまた唐突なもので、俺は徐々に小さくなる後ろ姿が完全に見えなくなるまでただ目で追いながら、ボトルに残った紅茶を飲み干したのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 それから数ヶ月後、俺は再び例のコンビニへと足を運んでいた。今回は自称悪魔に遭遇することもなければ駐車場で転ぶこともなく、平穏無事な入店を成し遂げる。

 缶チューハイ数本とつまみをカゴに放り込み、さっさとレジを済ませる。時刻を確認すると、時刻はちょうど午前零時。


「やべ、ゲリラかよ。てかもう始まってるじゃん」




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 どうやら祝い酒の支度はだいぶギリギリになってしまったらしい。スマホに届いた通知を見て、俺は小さく駆け出した。

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常闇眷属限界SS アリクイ @black_arikui

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