白旗

 恋とはどうやら人間の好み、味覚にかなりの影響を及ぼすものらしい。親友カップルとお昼の弁当を食べていると、つくづくそう思う。いや、そもそも親友というよりも、実はただの友達だったりする。親友ってのは、あっちが勝手にそう思ってるだけ、いちいち何かを言うが面倒だからそのままにしているだけの話なのだけれど。

「島田、卵焼き、おいしい? 」

「ん、サイコー! アミ、料理、上手だよね」

 彼女のアミこと、樋口 アミが作った、砂糖過多で甘過ぎる焦げ卵焼きをサイコーなどと誉める彼氏の島田こと島田コーヘイ。島田、あんたは甘いもの苦手じゃなかったのか、甘い卵焼き、ちょっとでも焦げ色がついた卵焼きは卵焼きじゃないと、この前の調理実習で小姑の如く吠えたのは誰だったのかと言いたい。

(暑苦しい……人目を気にしないの、いや、気にしろ)

卵焼きの甘さなど問題にならぬくらいにいちゃつくアミと島田を「このバカップルがぁ」とハリセンで叩きのめしつつ、そう突っ込みたくなるのをあたしは必死で我慢した。というのも、あたし自身の彼氏、蒼(そう)が脇腹をつついてきたからである。

「……な、何よっ? 」

「あれは……放っておけ。いちいち突っ込んでたら、お前の飯の時間がなくなる」

 蒼はぼそりとそう言い放ち、ちらりと壁に掛かっている時計を見た。休憩時間終了まであと15分、目の前のバカップルに苛ついていたら、あたし自身がお昼を食べ損ねてしまうとでも言いたいのだろう。

「わかってる」

 あたしは自分のお弁当に視線を戻し、もぐもぐと口を動かす。そんなあたしの隣で、蒼は既に食べ終えた弁当箱をさっさと自分のディパックに入れ、よく使い込まれた参考書を取り出し、ぱらぱらとめくり始めた。

(せっかく毎日早起きして作ってるんだからさ、たまには……美味しいとか、そーいうこと、言えってーの)

 あたしはそんな想いを込めてちらちらと蒼を見たが、彼はそんなあたしの視線に一切気づかずに、相変わらず参考書に釘付けのままだった。

「……ああ、大城君。次の英語の小テってどこが範囲だっけぇ? 」

 大城というのは蒼の名字である。蒼が参考書を開いているのに気づいたのか、アミがどこか甘えた声でそう問いかけた。島田はそんなアミの様子にちょっとむっとして、眉間に皺を浮かべつつ、何も言わない。

「時制。50点満点で、8割以下は再試」

(私が訊いたって教えてくれないくせに……)

 私は内心そう悪態をつきながら、デザートのイチゴを口にぽいっと放り込んだ。

「ありがとー。でさ、大城君はぁ、どこが出ると思う? 」

 さっきまでお前は島田といちゃついていただろうと言わんばかりに、アミが蒼に近づいた。島田の眉間の皺が更に深くなる。あたしはさりげなくアミと蒼の間に入り込み、それを阻止した。蒼はそんなあたしの気持ちを知ってか知らずか、相変わらず参考書から顔も上げずにぼそぼそとアミの質問に答える。

「多分、前回復習した所が中心だろうな」

「そっかぁ……ありがとぉ」

「別に……ああ、美紅(みく)、お前、確かさっき近藤に授業前に日誌を運ぶように言われてたよな」  蒼に名前を呼ばれてちょっぴり嬉しかったのも束の間、五月蠅いクラス担任、近藤に全員分の日々日誌を出しにいかなければならなかったのだとと思い出し、あたしの気持ちは一気に萎んだ。

「うわぁ、重そー。頑張ってねぇ、美紅ぅ」

「ああ、頑張れよ」

 棚の上の洗濯カゴの中にある日誌をちらりと見て、アミと島田が薄っぺらい励ましをくれる。そう薄っぺらく励ますくらいなら、手伝うつもりがないのなら、何も言わないで欲しいとあたしは思う。

「ああ、ありがと。じゃ、あたし、行ってくるから」

 あたしがそう言ってカゴを持ち上げた時、悲劇が起こった。日誌の重さに耐え切れなかったのか、プラスチック製のカゴの底がすっぽりと抜け落ちたのだ。

 バサバサバサーッ

 日誌が床に落ちる音にあたしは思わず我が身を呪った。どうして今日に限ってカゴの底が抜けるのか。あたしが何をしたっていうのか、カゴよ、100字以内で簡潔に答えて欲しい。

「あー、壊れちゃったねぇ。ツイてないねぇ」

「壊れたな……早く拾えよ、時間もねーしよぉ」

 アミと島田は拾う手伝いもせず、相変わらずそんなことを言う。あたしはそんな二人を今度こそどついてやろうと思ったが、蒼がさりげなく拾うのを手伝ってくれていたから、その言葉を呑んだ。

「……美紅、行くぞ」

 拾い上げた日誌を蒼はてきぱきと2:1の割合で分けると、日誌の3分の2を手にしながら、あたしに残り3分の1を持つように視線で促した。

「う、うん」

 すると、いきなりアミが甘えた声でこう言った。

「ああ、あたしも手伝うよぉ。美紅、大変だも~ん」

 いや、さっき「頑張ってねぇ」と完全棒読みの同情を言っていたくせに、その豹変ぶりは一体どう判断すればいいのだろう。また、島田の眉間の皺が復活する。

「……大丈夫だよ、樋口。ほら、美紅、さっさと行かねーと5限が始まっちまうぜ。遅刻したら、ジュース奢れよ」

「あ、うん」

 あたしは蒼の言葉に日誌を手にすると、さっさと先を行く彼の背中を慌てて追いかけた。

(ううっ、何か最近、アミってば、やけに蒼にべったりしてるよねぇ)

 あたしが追いかけていることなんて考えもしないで、すたすたと先に行く蒼の背中を追いかけながら、心にもやもやと説明できない、どろどろした黒い澱が現れる。

(それに……蒼、アミには結構優しいんだよね。あたしが訊いても、『それぐらい自分で調べろ』って言うだけだし)

 アミの彼氏は島田、蒼の彼女はあたし。それなのに、何だかその事実がぐずぐずと黒い澱の中に沈んでいくような気がする。

「……ふぐっ! 」

 不意に人気のない階段の踊り場で蒼は急に立ち止まった。あたしは考えごとに夢中になっていたせいで、そんな蒼の背中に無様な声とともに激突した。とっさとはいえ、あまりに無様な声への自己嫌悪を抱え、軽く痛む鼻を押さえつつ、あたしは蒼に謝った。

「ごめん……」

 きっと蒼のことだ、「前方不注意」だの「お前の目はどこについてるだの」と、ぐさりと何か言われるとあたしは覚悟した。しかし、蒼の発言はあたしの予想から遙か斜め上にかっ飛んだ。

「あー……俺の彼女はお前だから。好きだからな」

「え? 」

 蒼の「俺の彼女はお前だから~」発言にあたしはその場でお地蔵さんになった。現在3ヶ月目に入った交際期間の間、蒼は「好き」だの「愛してる」だの、付き合いたてのカップルにありがちの甘い発言をすることが一度もなかった。もちろん、あたしはそれに不満がなかったわけじゃない。でも、元々あたしたちの関係が幼なじみから発展した手前、「まぁ、今さらいちいち言うのも恥ずかしいよね。それに、一応は両想い……だろうから」と半ば諦めていたわけでーー。そんなお地蔵さん状態のあたしに蒼は少しむっとした表情でこう訊いてきた。

「……何、固まってる? 照れてる? 」

「……カタマッテ、ナイヨー。テレテ、ナイヨー」

「嘘こけ。だったら、何で口がアヒルになってる? 」

 自分では分からないけれど、あたしは嘘をつくと、口が尖るらしい。あたしはとっさに日誌を持っていることも忘れ、両手で尖った口を隠した。当然、日誌はバラバラと派手に不愉快な音をたてて床に落ちる。

「……あー、何やらかしてんだ」

 蒼があたしが派手に落とした日誌を拾うために屈みながら、呆れたように言った。

「……そ、そっちこそ、いきなり、何を血迷ったこと、言ってるのよ」

 あたしは口を手で隠したまま、言い返す。今頃になってお地蔵さん状態から、言われた言葉で顔が急に熱くなる。きっとからかわれるくらい、赤くなってるはずだ。お願いだから、このまま蒼には屈んでいて欲しい。

「血迷うって……誰かさんがさっきから百面相してっからだろ。しかも、その表情(かお)見りゃ、何を考えてるかくらい、分かるよ。もう、何年お前を見てると思ってんだよ」

 蒼はまるで数学の公式をさらさらと答えるように、あっさりした口調で、恥ずかしげもなくそんなことを言った。

「…………」

 これ以上何か言うと更にボロが出そうで、あたしは黙っていた。すると、頭上のスピーカーが五限目の始まりを告げ始めた。蒼がふっと顔を上げて、呟いた。

「あーあ、チャイム、鳴っちまったな」

「……ジュ、ジュース、奢るから」

「いや、ジュースじゃなくて……で、いいから」

 チャイムの音ではっきりと声は聞こえなかったけれども、あたしは蒼の唇の動きで彼が何を欲しているのかが分かった。

「……涼しい顔で言うな、そんな恥ずかしいこと! 」

「ん? 素直じゃないな、やっぱり、美紅は」

 とてつもなく恥ずかしいことを言ったのに、蒼は相変わらず涼しい表情で微笑む。 (い、いつか、絶対に、その涼しい表情、崩してやるんだからぁ)

 あたしはそう心の奥で誓いながらも、今回は蒼に白旗を挙げることにした。


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短編・掌編 天野 湊 @minato_amano

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