♯Ⅳ
26 地震 ≠ 自然災害
杏樹が頼まれていた用事というのは、聖堂の側にある倉庫に授業で使った備品を返しに行くことである。相変わらず協調性がないせいでクラスでは浮いているが、クラス委員はそれなりにやっている。
(単なる雑用係だしね……)
ちなみに今日のこれは、昨日の放課後に掃除を押しつけてきた教師の授業で使ったものだ。今日の授業中に名指しで言いつけられた。
(教師が逆恨みってどうなの。いや、教師も人間だからな)
余計なフィルターは取り払うとして。そうすると全面的に腹立たしさが勝つだけなのだが。
誰もいないのをいいことに不機嫌な顔を隠しもせず(別に普段から隠してないという突っ込みは棄却)足早に歩く。向かう場所は週に一度の授業で使う聖堂の側にある倉庫だから、さすがに足取りに迷いはない。だがそれも目的地が見えて来たところまでだった。
(倉庫そのものには入ったことないから……入り口は、)
聖堂も馬鹿でかいとおもっていたが倉庫も大概だった。入り口がひとつではなかったのだ。
「ひ、ひのえ、さんっ」
歩調を緩めどちらに進むか迷っていたら、背後から呼びかけられた。実は杏樹があまり気に入っていない苗字だが、これだけ周囲に誰もいなければさすがに自分に向けられていると気づく。
「……何でしょうか」
足を止めて振り返って、出てきた声は我ながらやっぱり不機嫌だった。今の杏樹は知らない相手に振りまく愛想は持ち合わせていない。
「あ、えっと……っ、白谷先生が、備品ひとつ入れるの忘れたって……緋上さんが持って行ったから追いかけて届けてほしい、って!」
大きく肩を上下させて言うのは杏樹の知らない女子生徒。息も絶え絶えといった感じなのは恐らく杏樹を追って走ったのだろう。
杏樹はやや標準よりも背が高い。そのぶん足の長さもある上、相当な速歩きをしていた自覚もある。まぁ見知らぬ女子を気遣ってやる義理もないわけだが。
「シラタニ?……あぁ、あの先生、」
そんな名前だったんだ、と後半は飲み込む。
制服のスカートを跳ね上げる勢いで駆け寄って来た名前も知らない女子生徒は、手に持っていた小さな包みを杏樹が持っていた箱に入れる。
「そ、それじゃあ呼び止めてごめんねっ……あ、あと左側の入り口のほうから行ったらいいよ!真ん中の入り口は建付けが悪くなってるから」
ドアが重いんだよね、と言って知らない女子生徒は返事も聞かずに再び勢いよく去って行った。あまりの勢いに杏樹もポカンとする。
わざわざ杏樹に備品を届けるためだけに走って来たのだろうか。倉庫に直接持っていけば全力疾走する必要もなかったと思うのだが。
(それかシラタニ先生が嫌がらせし足りなくて改めてわたしの荷物を増やしたとか?まぁ、あの先生ならそのくらいしても驚かないけど)
そのわりには増えたのはなにこれゴミ?と思う程度の手のひらに乗るような大きさの包みひとつで、重くも大きくもなかったが。
やや釈然としないものの、さっさと雑務を終わらせたかった杏樹は教えられた左側の入り口に向かう。
真ん中の入り口のほうが距離は若干近いが大した差ではないし、ここで遠回りになる右側の入り口をわざわざ選ぶほど天の邪鬼ではないつもりだ。
内部進学組は広い学院敷地内でもほとんど迷うことがないらしいが、杏樹は高等部からの外部入学組。自分が特別に方向オンチだと思ったことはないが、入学してから三ヶ月の間に何度か迷子にはなった。
それこそ玲於菜という生粋の内部組と親しくなるまではボッチを貫いていたから、廊下の真ん中でひとり立ち尽くしたこともある。幸いなことに本気で困った時は風の加護がある杏樹を精霊達が導いてくれたのだが。
(その風の精霊の気配が、最近少し遠のいてるからね)
理由は季節的なものだ。梅雨に入ったから湿気が多い。風より水の気が強いのだろう。
もともと生活全体を精霊に頼るなんて真似はしていないからそれは別に構わない。加護の強くない多くの人達と同じになるだけだ。
ただ精霊は外敵からだけでなく杏樹を内面からも護ってくれている。さっきのように不機嫌全開でいたら大抵は注意喚起をしてくれるのだ。
杏樹は内側に爆弾を抱えているようなものだから。
精霊の気配が遠いぶん自分で注意しなければ。杏樹は軽く息を吐き、倉庫のドアに手をかけた。
その瞬間、ぐらりと視界が揺れる。
(地震……?)
揺れたのは正確には足元だった。躰ががくかくと前後に揺さぶられる振動が伝わってくる。
荷物が手から離れ、ばらばらと箱の中身が散らばった。
(地震、ってわりにはこの揺れ何かおかしい……?)
続く振動に違和感があった。だからと言ってどうにかできるわけもなく、ついには足元の地面が崩壊し始める。
ずぼりと地割れの中に足がひき摺り込まれ……
(死因・生き埋めによる窒息死かー)
冷静にそんなことを分析したのは、常に平常心を心がけさせた風の精霊達の教育の賜物かもしれない。
○
ある時、杏樹はたったひとりの家族からこう言われた。
『たった今から、親でも子どもでもありません』
やけに神妙な……と言うより、やけに神妙ぶった芝居がかった顔つきで。
ちなみにこれに対する杏樹の返答はやや後半が上擦った感じに聞こえる『はい?』だった。某有名刑事ドラマの推理力抜群なエリート変人を彷彿させる。
今年の三月。杏樹が星聚学院の高等部に入学する直前のことだ。『はい?』となるのも当然である。
自分が養女であることは知っていた。物心つく頃に育ての親である
『あなたは大切な預かりもの。いつか来るべき時が来たらお返ししなければね』
幼い頃から何度も何度も、それこそ呪文のように義母が言っていたから自然と沁みついている。
ただ義母が何度も言っていた『お返しすべき来るべき時』が今なのかは疑問が残る。入学して三ヶ月あまり、今のところ本当の親とは対面していない。
義母も多くは言わず。
『しばらくは寮と学院で励みなさい』
と厳しく言い含められた。だがその直後、舌の根も乾かないうちに。
『長期休暇で帰って来る時は早めに日程連絡してね。休み取っとくから』
とか宣う愉快な義母が杏樹は大好きである。
『来るべき時』がいつで、『お返ししなければ』ならないのが誰なのか、それは未だわからない。
今さら天使とかやる気ないんで。 篠由 @hrka-s
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