何屋が儲かる?

常陸乃ひかる

何屋が儲かる?

『――外では、大風おおかぜが吹いている。

 観たいDVDがあるのでレンタルショップへ行こうとしたが、これではどうにも外出する気になれない。そうだ、こういう時はインターネットでレンタルしよう。

 Webサイトにアクセスして――っと。あぁ、どうやらレンタルには会員登録が必要みたいだ。ついでだし、クレジットカードの情報も登録してしまおう。さて、確かクレジットカードは財布に入っていたはずだが。

 カバンの中? ない。

 昨日着衣していたコートのポケットの中? いや、ない。

 財布は一体どこに――あぁ、よく見たら机の上にあるではないか。あまりにデスクが汚いので、なにがどこにあるかわからなかった。とりあえず、机を整理するか。

 ふぅ、大方終わったが、まだデスク表面が薄汚れているな。雑巾で水拭きをしてっと――よし、これで完了だ。だが、掃除は一度始めると、あっちもこっちもと、汚いところが目についてしまう。ついでだからフローリングも水拭きしよう。

 しかし、いちいち洗面台へ行って雑巾をゆすいで、またリビングへ戻って掃除してというのが億劫だ。こういう時、水をためておける容器があれば良いのだが。

 仕方ない、おけでもポチるか』


   ✽ ✽ ✽


 わたしは小話を読み終えて、溜息をついた。

 浮世は荒れ、世界情勢も荒れ、わたしの自室のパソコン用デスクも荒れ――ふと、右手からペンタブを離し、大きなあくびとともに両手の拳を天井へ突き上げた。息を吐き出したあとの脱力は、この世の終わりと思うくらい――『脱力』だった。

 なにせ、どっかの世界では、あるウィルスが流行っており、桶以外の色々なものが品薄状態なのだ。

 転売屋どもは目先の金しか見えていない愚者ぐしゃなので誰よりも儲からず、真面目に働こうとしても出社するなと言わて儲からない人も居るし――

 だから、桶屋なんてそもそも眼中にない。なにがあっても、儲かるわけがない。


 とはいえ、わたしは騒動とは無関係である。得もしなければ損もしない。なにせ品薄商品は、以前から家にストックしてあったし、勤務先だって小さな会社で、人と触れ合うことの少ない事務員をやっている。通勤は車で、片道約十分。

 加えて家にはテレビがないし、ネットでもゴシップは読まないので、デマは目にも耳にも入ってこない。まあ、たまに事務員のオバサンが話していることがあるけど。

 食生活においても毎日野菜を摂取し、運動面では日々HIITを行っている。要するにわたしは、感染のリスクが少なく、流行にノータッチで居られる人間なのだ。

 あと、マスクなんてここ何年もしていない。手洗いをしっかり行っているお陰か、病気にならない健康体だ。

 外に出れば、マスクをしていない人間の方が稀なくらい誰も彼も顔を隠している。あゝ、心底気持ち悪い。みんなと違うことに恐怖を覚える人間らしい行動である。


 ――ということで今日もさっさと仕事を終え、自宅へ帰り、夕食も入浴も済ませ、趣味で描いているイラストの仕上げに取りかかっていた。

 わたしの絵描き歴は優に十年を超えている。手前味噌ではないが、『漫画家になれば?』なんて、他人の言葉を聞き飽きたレベルだ。

 ただ画風やテーマが時世にマッチしていないのか、わたしの絵はそれほど人気はなかった。アクセス数、コメント数、平生へいぜいから少ない。

 重々承知している。こんなのは、需要と供給だと。


 しかし最近、おかしな事態が起きている。わたしが利用する、イラスト投稿サイトが、『ほぼ』と言っていいほど動いていないのだ。オフラインと疑うほど、これっぽっちも投稿がない。

 まさか、システムが死んだのだろうか? つまり運営がくたばった?

「さすがに、それはないかな……」

 それにしても異様である。ユーザーが、なにかしらの理由で投稿していないと考えるのが妥当だろうか。

「まさか、人気の絵師たちが病気にかかって描けないのかな? いやいや……」

 とりあえず、今日描き終えた分を投稿して――気づけば二十三時だ。あすも早いしさっさと寝よう。


 ――お布団に入って、おおよそ三十分。

 突然、耳の横でスマホが震え出した。眠い目をこすってロックを外すと、メールが届いていた。内容は、

『あなたのイラストが評価されました』

『あなたのイラストにコメントがつきました』

 という、イラスト投稿サイトの通知だった。これは一体? 理解する暇もなく、評価の嵐が、スマホで吹き荒れている。もはや、『荒らし』なのではないか。

 わたしは恐る恐るコメントを確認した途端、眠気が吹っ飛んでしまった。


『素敵な絵です』

『Amazing Picture!!』

『こんな絵師が埋もれていたなんて、やっぱわかんねえな』


 投稿して、たった数十分。想像し得ない賞賛の数々をいただいたのだ。

 ラ・ジャポネーズに影響されて始めた、わたしのイラストは、印象派を模した、淡くぼんやりした、輪郭の少ない風景の中に、イマドキのくっきりとしたデジタルの少女――それも『二次元の、いたって普通の少女』を、ぽつんと配置する絵を主としていた。

 もしかしてこれは、健在のイラストレーターが儲かる流れ? 否、わたしが儲かる流れだ。どうだ見たか、萌え萌えイラストレーターたち。わたしの逆転勝利よ!

「こりゃあ寝てる場合じゃないね! 徹夜で、もっといっぱい描いちゃおう!」

 その夜、わたしは薄着で絵描きに没頭し、次の日――寝不足で死にそうだった。


   ✽ ✽ ✽


 そんな不規則な生活を続けて一週間。とうとう体にガタがきたわたしは、熱を出して会社を休んでしまった。

 私生活を犠牲にして絵を描いていたせいか、外食ばかりし、家では野菜を食べず、運動を疎かにし、手を洗わずにお菓子を間食して、おまけに寝不足で――

 清々しいほどの、自業自得だった。

 しかも、日頃から風邪に縁がなかったため、解熱剤および、おでこに貼る熱さましのシートも切らしている。


 わたしは死に体を引きずって買い物に出たが、あるウィルスの影響で、風邪に関する商品が、なにひとつ置いていなかった。かろうじて、売れ残った湿布ならあるが――そんなモンおでこに貼ったら、秒でリバースする自信がある。

「ダ、ダメだ……今日は家でおとなしくしてよ……。あぁ、そうだ、あれ買っていかないと。タオル冷やすために水を入れておく……えっと、なんか、細長い木をたがで締めたやつ……なんだっけ……おぇ……」

 わたしは死に物狂いで、近くのスーパーに立ち寄り、日用雑貨を取り扱うコーナーで、ラスト一個のそれに手を伸ばした。やけに割高だったが、これがなくては頭を冷やせない。風邪っぴきの必需品だ。

 これで結局、桶屋が――もとい、桶を制作しているどっかの会社が儲かるのね。


                                   了

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