いきなり社長銀太郎

ひろみつ,hiromitsu

いきなり社長銀太郎


   1


 ――ああ、憂鬱ゆううつだ……。


 銀太郎は24歳。大学を出てすぐに勤めた編集プロダクションが完全なブラック企業で、三日三晩の徹夜をたびたび味わったのに手取りはひたすら10万円台。2年ともたなかった。今や求職中の身である銀太郎は、意地悪な夏の暑さのなか、公園の日陰のベンチで菓子パンを食べていた。


 ――今さらマシな企業に入社できるわけないしな……。でもブラックなとこは避けたい。二度とあんな思いは味わいたくない。Never again! だからこそ、そこそこの中小企業に絞ったんだが、なかなかうまく行かないな……Oh, holy shit!


 春に退職した銀太郎は、すでに4ヶ月就職活動をしていた。100社以上エントリーして、つい先ほど29社目の面接をした。だが今回も手ごたえはなかった。粗末な昼食のあと、30社目の面接が待っていた。


 ――こんなに汗だくで、髪だってしおれちゃって、スーツも靴もボロボロ。こんなんで面接行ってもなあ。でも、せっかく面接してもらえるしな。


 銀太郎は立ち上がり、すぐ近くのその会社へ向かった。20人ほどの社員が働く、2階建ての小さな自社ビルだ。銀太郎は礼儀正しく挨拶し、受付兼事務らしい女性に導かれ、2階の応接間に通された。

「こちらにお掛けになってお待ちください」

 銀太郎は3人掛けのソファの中央に座って待機した。小さな会社だと、このように応接間で面接をすることがあった。そのソファは上質な革が張ってあるが、腰が沈んで面接らしく姿勢を正すのに苦労しそうだった。銀太郎は渋い表情を浮かべた。


 数分後、50前後らしい二人の男が入ってきた。片方は小太り、片方はのっぽという組み合わせだ。銀太郎は立ち上がり、挨拶した。

「金田銀太郎です。本日はよろしくお願いいたします」

「よろしくお願いします。おかけください」小太りの男が言った。


 面接は淡々と進んだ。面接官は厳しい質問を投げかけもしなければ笑みも見せず、妙な緊張感をもって面接を進めていた。


 ――突っ込まれないけど、俺を採る気ハナッからないんじゃないか?


 銀太郎は半ばあきらめ気分で、無事に終わらせることだけを考え事務的に回答していった。そしてそろそろ面接が終わろうとするころ、小林という小太りの面接官が、ひねり出すように言った。

「え~とね。金田君……だっけ。金田さん。あの~君は、面接をした結果、なかなかの、あ、いや……何ていうのかな、素晴らしい人材だと感じました。ねえ、三浦君」

「そうですね。金田さん。つきましては、ぜひ我々と一緒に働いてほしいです」三浦は落ち着いた様子で言った。

「え? あ、ありがとうございます! えーと、では二次面接もしていただけるということでしょうか?」

「金田さん」小林はようやく笑った。「うちは一回で見抜くから、もう面接はないよ。採用。そう、採用です!」小林は汗をかき、場違いな拍手をした。

「え?」

「採用! もうエントリーシートの時点で素晴らしかったし。で、業務内容とか、詳細は三浦君から」

「はい。――実はですね……」三浦が重々しく言った。「先代の社長がつい先月亡くなったんです」

「そうだったんですか……」銀太郎は固唾を飲んだ。

「急な心臓の病でした。で、我々で緊急会議を開き、次の社長には……」三浦は表情をしかめた。「次の社長には、ウチを志望してくる若き人材が良かろうという結論になりました」

「ええ?」

 銀太郎は、〈そんなんでいいのか?〉という思いを否定できなかった。だが昨今は斬新な人事が流行していることを思い出した。企業のみならず、政治の世界でも若者が要職についている。自分もその流れの中にいるのだろう――。

「ということは……私が、まさか社長ですか!?」

 二人は大きくうなずいた。

「あの……、認めていただいたのはありがたいんですが、私はまだ仕事何も分からないですし――」

「いいのいいの! 僕らが教えるから。やっぱり若い力が欲しいし、会社に勢いもつけたいし……、そういうこと!」小林がお茶目そうに言った。隣の三浦は黙って、何度かうなずいた。


 二人は『万全のサポートを約束する』と強調し、福利厚生はすべて付いていること、月収が50万円であること、有給は年に20日であることなどを説明した。銀太郎はまだ状況が完全には把握できておらず夢見心地だったが、面接は終わり、4日後の来週月曜から出社することになった。


 帰り道を茫然ぼうぜんと歩きつつも心は舞い上がっていた。そして、いきなり社長のポストを与えられたせいだろう、著名な外食チェーン店いきなりステーキを目にすると迷わず入店し、上等なステーキをウェルダンで食べた。


 ――なんか知らねえけど、俺社長になっちまった。いいのかな? いいんだよね! ここまで頑張ってきたご褒美だよね! Well done だけに! ハハハ!


   2


 社長になって最初の週は、小林、三浦とともに得意先への挨拶廻りをした。給料を前借りし、身だしなみに金をかけた。あちこちで驚かれ、祝福された。ビジネスの話が出ると、銀太郎は事前に小林と三浦に教えられたいくつかの返答のうちふさわしそうなものを言い、すぐさま二人がその会話をさらっていくという見事なチームワークで乗り切った。教えられたいくつかの返答とは、「それは難問ですね」、「もっと広い視野をもってとらえるべきだと考えています」、「意外と簡単かもしれません」、「面白いですね」だけだった。そして答えようとしているうちに出しゃばりな部下が喋りだす、というシナリオだった。


 挨拶廻りがひと段落した週末、三浦は銀太郎に、前社長夫人と面会することを勧めた。夫人は実質、筆頭株主だった。予定の時間が近づくと、銀太郎は三浦に声をかけた。

「こちらから出向くことができませんでしたから、せめて外でお出迎えしたいんですが、いいですか三浦さん?」

「もちろんです」

 いきなり社長になったとはいえ、感嘆すべきかな銀太郎は自惚れることもなく、むしろより謙虚な好青年になっていた。幼いころアメリカにいて何気に帰国子女であるため、興奮するとどうしても出てしまっていた英語での感嘆も、妙な奴だと思われて会社の不審を招かぬよう、人前では出さないように気を付けた。その他あらゆる点で健気な努力をし、今や一端いっぱしの若社長らしくなっていた。


 タクシーを降りた夫人は、黒いヴェルヴェットのコートに身を包み、少々派手な化粧をしていた。

「あら、この子なの? かわいいわねえ」

「初めまして、金田銀太郎と申します」


 面会は和やかに進んだ。銀太郎は先代の社長のお墓参りをしたいと申し出、夫人は許可を与えた。

「急に社長にさせられて、しかもあの人とは見ず知らずなのに。悪いわね」

「いえ、先代のおかげで安定した基礎がありますし、素晴らしい方だったと理解しております」

「あの人も喜ぶと思うわ。ありがとう」夫人は目を潤ませた。


 1時間の面会が終わり、二人は夫人の乗ったタクシーを見送った。これで就任に際しての顔見世は終わった。ただしこの最後である夫人との面会に限り、実質ナンバー2の小林は急な出張のため姿がなかった。


   3


 銀太郎が社長になって1年が過ぎた。会社が無事に経営できていることに、銀太郎自身が驚いていた。業績はむしろ上がっていた。重役たちの、会社に活気を起こすための企ては、成功を収めたと言えよう。

 そんななか、先代社長夫人が夫と同様、急性心筋梗塞で亡くなった。会社の者は総出で葬式に参加した。銀太郎は嗚咽おえつを禁じえなかった。そのとき社員たちは、一人のあどけない若者としての一面を見て、新鮮な感銘を受けていた。


 翌日、重役会議があった。銀太郎と部長である小林、三浦の他に、40代の課長が二人いた。

「ま、そういうわけで、奥さんも亡くなりました」進行役の小林が言った。「で、え~とね、社長。どうですか? ちょうど一年ぐらいですが」

「はい。みなさんのおかげで、なんとかやってこれました。たいへん感謝しています」銀太郎は頭を下げた。

 小林は苦笑した。「あのねえ、そりゃ当然ですよ。あなた一人じゃできませんから」

「はい……」銀太郎は小林の様子がいつもと違うことに気付いた。

「若社長、あなた、おかしいと思わなかったんですか?」

「え?」銀太郎は他の3人の顔を見た。みな顔を曇らせ、うつむいていた。

「面接一回で採用、おまけに社長だなんて」

「あのときは……確かにそう思いましたが……」

「おい三浦君、言ってあげなよ。なんでそんなことになったか」

 三浦は口を閉じたまま動かなかった。

「じゃあ誰でもいいからさ」小林は愉快そうに言った。「ああそうか。言いたくないよねえ、やっぱり。あんなバカげたこと」

 応接間では、小林の笑い声だけが乾いた響きをたてていた。

「小林さん、教えてください。なぜだったんですか?」銀太郎は心を鎮めて言った。

「そんなら言いますが、社長、あのですね、ありゃ全部、奥さんの仕業なんですわ」

「奥さんの?」

「そうです。先代の社長が死んで次の社長をどうするかってときに、もともと占いが好きだった奥さんがさらに占いにハマっちゃって、麻布だかの名のある占い師に、『次の社長は、いついつに面接に来た若者にしろ』なんて……、もうホトホト呆れるビジネスのビの字も無視したお告げを授けられちゃったんですわ」

 銀太郎は黙って話の続きを待った。

「そして、それを俺たちに言ってきたんですわ。言われちゃったら無視できません。筆頭株主のお言葉ですから」

「……小林さん、仰りたいことは分かりました」銀太郎は顔を赤くし、涙をこらえた。

「小林さん」三浦が顔を上げて言った。「何とかなりませんか――」

「そりゃ無理な話だよ!」小林は声を荒げた。それから不敵な笑みを浮かべて言った。「若社長も頑張ってくれましたけどね……」


(つづく――彼の人生は)

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