とある博士の憂鬱

とし

とある博士の憂鬱

キュブイエ博士は立ちすくんでいた。

そこは重厚な柱と壁が建ち並ぶ豪奢なアメリカ自然史博物館の中だった。誰一人いない生物多様性ホールは水を打ったように静まりかえっている。

黒いダッフルコートを羽織った白髪の博士は青い瞳でホールの床を見つめていた。

その床には一枚の銘板が埋め込まれている。博士はさきほどからそれに書かれた文章を読みため息をもらしていたのだった。そこにはこう書かれていた。


「この地上に複雑な動物が出現してからの五億年で大絶滅が五度起きている」


自然史博物館らしい内容だ。さらに、


「これらの絶滅は地球規模の気候変動、その他の原因によって起きたものだ。そしてこれには地球と地球外の物体との衝突も含まれている」


五度の大絶滅、世に言うビッグ・ファイブの事だ。そして最も新しい事象がユカタン半島沖への巨大隕石の落下が有名である。六千六百万年まで大繁栄を極めていた恐竜はその時を境に地球上から消えていったのは誰もが知るところだ。そしてその後の地球上で生きのびた種はとても小さく弱かった哺乳類だった。

長い長い年月、何万年もかけて少しずつ拡散する種はついに地球の最も主たる生物になった。

博士もその一人だ。動物学者にして古生物研究の第一人者。博士は絶滅した恐竜の骨からその形態を復元するのを得意としていた。

博士がこの銘板の前で立ちつくしため息をもらすのは更に続く文言にある。


「現在、六度目の大絶滅が進行している」


博士はそこで嘘だろと叫んでしまうほど驚いていた。さらに続く。


「今回の原因はひとえに人類が生態系の景観を変えたことにある」


今も地球に大拡散する種は自らの手で滅びを招いているというのだ。しかもその種はこの危険に気づいていて自らに警告しているのだ。それなのにこの人類という種は何をしていたのだろう?

博士はそれを考えると気が滅入ってくるのだった。


博士はホールを出ると展示室を眺めながら上の階へと廻り始めた。それこそ宇宙誕生のビッグバンの時から初めて生物といえるものが誕生した先カンブリア時代の展示室、古生代、中生代、新生代。

時間の流れを体感するようにひと部屋ずつ展示室を廻りながら博士は階段を登っていった。

いくつもの時代があった。いくつもの種が現れ拡散し滅びていった。博士は知っている。その一つ一つの種がどれも美しくその姿かたちには意味があるのだということを。それらがこの地球上に誕生した奇跡に、この地球の豊かさに博士は何にともなく感謝をしてしまうのだった。


博士は上へと展示室を廻るにつれ異様な展示を見るようになってきた。あれほどたくさんあった種の展示はなくなり写真や説明文のボードが並ぶようになっていた。それを見ながら博士はますますため息をついていた。どのボードにも種の絶滅したことが書いてあった。その種類は何万にも及んでいた。自然に滅びたもの、ある種によって乱獲され大量絶滅に追いやられたもの。それはもはや一時代の終焉を意味していた。


展示室が途切れ風が強く吹き抜けてきていた。見ると博物館の窓が開いていた。とっさに博士はその窓を閉めようと思い窓際に寄り外の世界を眺めて目を見張った。

そこには巨大な鋼鉄製のビルが建ち並び灰色に続くアスファルトの道が曲がりくねり縦横無尽に交差していた。殺伐とした灰色の世界には生物の生きていける要素はどこにも見当たらなかった。命を育んだ水も木々も何もない。世界中がこんな光景ならばどうなるか?


「なんてことだ」


博士は驚くとともにあの生物多様性ホールの警告はなんだっのかと嘲笑してやりたくなった。時すでに遅しだったのだろうか。


博士は目の前に広がる殺伐とした光景はまるで砂漠のようだと、化石が眠る地層のようだと思えた。この世界自体が丸ごと生物活動の足跡。専門用語で言う痕跡化石だ。

ある時代に拡散したある種の生活の跡はとても静かにたたずみ骨のように何も語らない。何故滅びたのかと想像するのみだ。

誰もいないこの光景をただ風が吹き抜け少しずつ削っていく様を博士はありありと予測できるのだった。



博士は自分が泣いていることに気がついた。そして、いつも寝るベッドの上にいることも。


「良かった、夢か・・・」


博士は起き上がり一杯の水を飲むといつものように着替えて研究室に入った。

そこにはごく最近発掘された恐竜の骨が置いてあった。大腿骨とおぼしき骨を眺めながらさきほどの夢を思い出していた。


「よく見る夢だった。この骨のように我々も絶滅して誰かの研究対象になるんだろうか?」


皮肉にもあの展示室の最後には人類の絶滅が書かれていた。警告もボードに書く暇もあったのだ。


博士は夢が夢のままであるように祈ってやまないのだった。


———おわり———

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とある博士の憂鬱 とし @toshokanzume

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