擬人

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擬人

 初めてそれを手に掛けた時のことは、今でも鮮明に思い出せる。


 右肩から左脇腹に掛けて刻まれた、大きな傷。そこから、これでもかというほどに鉄臭い赤が流れ出していた。もうはいっそ千切れていると表現しても差し支えのないほどに取り返しのない状態だった。だが、俺がそれを施したのだという現実感は、カケラほどもなかった。


 取り返しのつかないほどの断裂を負ったは、しかしまだ俺に向かって手を伸ばし、爪の先を俺の胸ポケットに力なく引っ掛け、それもものの1秒として保たず──絶命した。


 指先が冷たく、爪を掛けられた心臓のあたりだけがやけに熱かった。そして鼓動が、五月蝿かった。そしてそれと呼応するように、周囲でが絶叫する。


 俺は夢の中のような、熱に浮かされたようなそんな心地の中、刀を大きく振りかぶって、駆け出した。


 ---

  

 ──擬人は突如として現れた。

 

 直立二足歩行。腕は2本。脚も2本。指はそれぞれに5本付いている。一見して人間の特徴を備えているように思える擬人は、しかし明確に人間とは一線を画する存在だった。存在感だった。


 体長はおよそ3メートル。指から伸びる爪は鉤爪状になっており、腕にも脚にもこれでもかというほどの筋肉が付いているのが見て取れる。そして、何よりも恐ろしいのが、苛烈なまでの人間に対する獰猛性とコミュニケーション手段があること。奴らは人間を視認するとそれを壊すことが自らの存在意義だと言わんばかりに全力をかけて殺しにくる。それも、徒党を組んで。


 人間ほどのコミュニケーション能力と頭脳を持ち合わせていないことが辛うじて救いではあるものの、それはまさしく恐怖の顕現に他ならなかった。


 初めてそれが湧いたのは今からおよそ5年前。当時世界の中心とまで言われた「巨大都市シャンティ」が一夜にして、二体の擬人によって壊滅させられたのは人々の記憶に強く焼き付いている。そしてそこから擬人はさらに拡散、拡散、拡散を繰り返した──。


 しかし、人間もただやられる生き物ではなかった。試行錯誤は人間の専売特許である。なんども擬人と戦い、データを取り、そして人間でいう心臓──核が右肩周辺のどこかにランダムに配置されており、人間が銃火器ではなく手ずから潰すことで絶命させることができると、突き止めたのである。

 

 突き止めた結果は、あんまりな絶望だった。なぜならそれは超常的な“力”を持つ擬人と対面して、刃を突き立てなければならないということだからだ。


 加えて、それを知ったのは人口をかつての15分の1にまで減らしていた、そんな頃。


 失ったものはあまりに大きく、引き返せないところまできてしまっていた。さらにいえば、そのあまりに現実感のない打開策に縋らなければ、俺らは死を待つばかりだということも、当然のことながら確かだった。

 

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 「また無茶したんですか!もう、自分の体は一番自分が大事にしてあげなきゃ!」

 

 先の戦いでの傷を治療してもらっていると、ドタドタという騒々しい音とともに、甲高い声が飛び込んできた。 


 眉を顰めながら俺に人差し指をさしながらプリプリ怒っている少女──シンディ。美しい金髪を男子と見紛うほどのショートカットに切りそろえ、すらっと立っていれば、一見美少年にも見えなくはないが、いかんせん立ち居振る舞いが少女のそれであるので、可愛らしさが先に立つ。


 そんな彼女であっても、ここでは兵士だった。シンディは俺の率いる隊の部下だった。


 「うるさいな。余計なお世話だ」

 「そんなこと言わないでください! 隊長はもっと自分のことを守ったほうがいいです!……なんていうか隊長はひとりで戦っているように見えて……とても、寂しそうです」

 「俺が、寂しい? そんな冗談みたいなことを言っていないで、少しは自分の腕をちゃんと磨いたらどうなんだ? さっきだって俺がいなかったら、あと何人死んでいたかわかったもんじゃない」


 彼女は口を噤む。彼女は優秀であった。剣術の腕は確かだし、機転も効く。だが、未だに擬人を殺すことにためらいがあった。それは無理からぬことではある。彼女はまだ16歳。本来であれば平和な学生生活を送っていて然るべき年齢なのだから。


 しかし現実、彼女は軍人だった。生きていくためにはそうする他なかったという側面と、そして、居ても立っても居られない──そんな想いから、彼女は軍人になることを志した。


 もう彼女に両親はいない。擬人に殺されたからだ。それどころか、このテントの中にいる全員が既に天涯孤独となっていた。世界人口の15分の14が死ぬということは、そういうことだった。


 俺は彼女に背を向けると、刀の手入れをし始める。あの日から、何度も何度も命を屠ってきた愛刀。相手がいかにバケモノであれど、命を屠ることは決して快いことではない。だから、俺は刀に執着するようになった。


 愛刀──朧。俺はを共犯者であると、そう思っていた。そうでないと、やっていけないからだ。俺は朧を磨き上げながら心の中で彼に問いかけた。


 「これしか、これしか道はなかったのだろうか」

 『仕方あるまい。生きるためだ。死なないためだ』


 そう声が聞こえた気がした。


 ---


 戦場では、迷わない。初めこそ擬人を殺した夜に泣きながら吐いていたものだが──慣れとは恐ろしいものだ。今ではただの作業と化している。


 「────シッ!」


 相対する擬人が突き出した左腕を紙一重のところで回避し、空いた右肩から左脇腹に向かって大きく切り落とす。死体と化した擬人が倒れるのを見送る間も無く、捻転し、体制を低く。ちょうど、後ろにいたもう一体が腕を大きく欲に振り抜いたのが見えた。耳元で風が唸る音が聞こえた。


 「っっっっっラァ!!!!」


 その風に抗うように垂直に上に飛び、そのまま擬人の右肩目掛けて真一文字に朧を振り下ろした。擬人の断末魔を聴きながら、朧に付いた血を落として、納刀。そこでようやく部隊が駆けつけた。


 「もう!なんで全部やっちゃうんですか! 絶対連携した方が安全なのに!」

 「そうですそうです!もうちょっと俺らに頼ってくださいよ!」

 

 シンディを初め、部下がガヤガヤと喚く。


 「ああ、すまない。次からはそうするよ」

 「絶対思ってない!」 

 

 「そんなことより……あれ、気にならないか?」

 

 部下たちは、なおも不満そうにしていたが、俺の言葉を聞いてそちらをみて、息を呑んだ。俺が指し示したのは、薄暗い洞窟。なんだか匂う──そう直感が告げていた。きっと部下たちも何かを感じ取ったのだろう。何も言葉を吐かない。


 「行ってみよう」

 

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 3時間後、俺はその決断を後悔していた。否、その決断だけではない。これまでの全ての決断を、後悔した。もう遅い。もう遅い。どうにもならない──そんな言葉が耳奥でこだましていた。


 『運命は、収束する他なかった』


 刃こぼれだらけになった朧も、無機物らしい諦念を吐いた。


 洞窟の中は、擬人の巣だった。正確には巣ではない。根源だった。今までにない量の擬人がそこには跋扈しており、そしてそのどれもがこれまでの擬人と比べ物にならないくらいに強い。


 生き残ったのは、俺だけだった。最奥にたどり着いた時には、部隊は壊滅していた。戻ればよかった──そうではない。戻ることもできなかった。入らなければよかった──違う。“終わり”が早まっただけだった。


 俺は、朧を取り落とした。最奥には、これでもかというほどに擬人がいた。そしてそれらは驚くべきことに、言語を操った。


 「もうたどり着いた奴がいるのか」「だーから不用心だったんだって」「つまんねーの」


 そして何より驚いたのが、その部屋の一番奥にいた人間。人間、では、なかったのだけれど。それを見た瞬間に、俺は膝から崩れ落ちた。圧倒的な存在感が、そこにあった。俺は思い知った。これまで犯してきた罪の大きさを。孤独という驕傲。生活という欺瞞。略奪という暴力。そして──殺害という暴虐を。


 人間の、罪深さを。


 俺は神を前にして、ただ項垂れ、懺悔し、審判を待った。


 そして、死の直前悟る。あぁ、人間という種は拡散し過ぎた種であったのだ、と。そして母数を増やしたことでいい気になって胡座をかいていたのだと。


 人間は、間もなく、絶滅するのだと。


 

 

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