眠れるヒーロー

羽間慧

眠れるヒーロー

 休みの日がつまらないなんて初めてだ。

 ぼくは頬杖をついていた。チャンネルが麻雀から野球中継に変わっても、機嫌は直らない。

 鳴り物や声援がない、無観客試合。ミットの音とベンチの掛け声が普段よりもよく響く。


 初めは、歓声で消されていた音に興奮した。スポーツ少年団で野球をしている身としては、学ぶことが多くあった。

 だが、そんな特殊な状態も、二週間も続けば飽きてくる。


 諸悪の根源は、世界中で広がる変な病気だ。大人にだけ感染する新型ウイルス。症状は咳でも発熱でもなく、目覚めないことだ。

 感染源や、眠り続ける期間は明らかにされていない。病名が決まらないまま、大流行してしまった。

 ぼくの通う小学校でも感染した先生は大勢いる。国が指定した施設に搬送され、完治しても隔離される状況が続く。


 休校の知らせを聞いたとき、ぼくは少し早い春休みを満喫できると意気込んだ。宿題プリントを終えた時間は、すべて遊びに費やせる。だが、そんな浅はかな考えは、「二十歳以上の商業施設の利用、禁止へ」のニュースによって崩れた。店頭で買い物ができるのは子供だけになったため、夕方の買い出しを任されてしまったのだ。


 大人が自宅待機せざるを得ない状況は分かるが、休日に父さんと外出できないのはつらい。だらしなくソファーに寄りかかる姿は、カッコ悪くて見ていられない。

 考え事をしていると、二者残塁ダブルプレーで攻撃が終わった。親子揃って溜息をつく。


「四番の怖さが戻らんなぁ。元気もそう思うだろ?」


 まだ開幕まで二週間もあるよ。二割に届かない打率を心配しすぎなくてもいいんじゃないかな。


「甘いな~、二週間なんてあっという間だぞ。だって……」

 

 こんなにも先が見えない状況が、二週間も続いているんだ。

 父さんの言いかけた先に気付き、ぼくは悲しくなった。買い物メモを書いていた母さんの、折れた鉛筆をカッターで削る音がさびしく響く。

 早く元の生活に戻れたらいいのに。




 結局、四番が出塁したのはフォアボールの一打席だけだった。苦手のインコースで見逃し三振に打ち取られたとき、悔しすぎて思わず吠えた。去年の苦しい思い出が思い出されたから。だが、あまりにもうるさかったため、リモコンを奪った父さんが麻雀に変えてしまった。

 手持ち無沙汰になったぼくは、夕食の買い出しに行くことにした。

 カートを押して目当てのものを探していると、友達の猛くんに話し掛けられた。


「街を花で埋める運動って知ってるか?」

「いいや。だって街の景色、普段と変わってないじゃん」


 ぼくが首を振ると、猛くんの声に力が入った。


「実は、せっかく花を植えても抜いちゃう奴がいるんだって。もしそういう人を見つけたら、優しく注意喚起をしようってさ」

「誰が言ってたの?」

「おれは健一から聞いたぞ。種を配るお兄さんの話を聞いて、色んなところに蒔く手伝いをしたらしい」


 物好きな人もいるものだ。ぼくは自分に関係のないことだと思い、話を聞き流していた。だが、帰り道で公園を通りかかったとき、猛くんの言っていた人物と遭遇した。

 全身黒色は、管理人にしては怪しすぎる格好だ。ツナギと長靴は清掃員っぽく見えるが、ごついゴーグルと手袋、頭まで覆われたマスクは近寄りがたい雰囲気を出していた。

 怪人はスコップを持ち、花壇の苗を見つめた。紫色の可愛い花。それをためらうことなく掘り出そうとする。

 僕は大きな声を出して駆け寄った。


「駄目だよ。お花さんをいじめないで」

「邪魔をするな!」


 怪人は僕の手を払いのけ、次の花に狙いを定めた。スコップが容赦なく振り下ろされる。


「そこまでだ」


 怪人のものではない声に、僕は振り返った。

 色違いのシルバースーツに身を包んだ五人組がたたずんでいた。夕日に照らされてフルフェイスヘルメットが光る。


「怒涛の勢い、昂進レッド」

「空を翔けるは昂進ブルー」

「風よりの使者、昂進イエロー」

「生命の息吹、昂進グリーン」

「狙い撃つは昂進ピンク」


 彼らは思い思いのポーズを取り、声を揃えた。


「我ら除菌昂進隊、参る!」


 聞いたことがない口上だ。次の戦隊ヒーローの撮影だろうか。

 カメラの存在が確認できないものの、すごい現場に居合わせた気がする。


「くっ。まだ回収できていないのに」


 怪人はヒーローの登場に慌てたのか、ぼくと大きく距離を取った。


「少年、そこでおとなしくしているんだぞ」


 昂進レッドの言葉にぼくは頷く。五人は手を重ね、怪人に照準を合わせた。


「くらえ、昂進ソード!」


 五色の光に切り裂かれた怪人は、粒子になって消えていった。


「怪我はないか?」

「うん。やっつけてくれてありがとう」


 ぼくの目の前に袋が差し出される。


「みんなの笑顔が俺達の力になる。種を蒔いて花を咲かせてくれよな」


 ぼくはこの種を家の庭に蒔いた。じょうろに水を入れて蒔いたところに戻ると、すでに芽をつけていた。「ジャックと豆の木」みたいな成長の速さに楽しくなり、いっぱい水をやった。たくさん咲いた花を摘み、キッチンの花瓶に挿しておいた。




 翌日の朝。九時に起きてしまったが、誰からも怒られなかった。ぼくはパソコンで作業している母さんに話し掛けた。


「朝ごはん、どこ?」

「今、それどころじゃないの!」


 母さんはキーボードを乱暴に叩いた。


「父さんが新型ウイルスに感染したかもしれないの」


 悪い冗談だと思った。ぼくは信じられずに父さんを揺り起こした。だが、どんなに強く引っ張っても、どんなにくすぐっても起きない。


 ねぇ。目を覚ましてよ。

 ぼくが拗ねて外に出たから、父さんが感染しちゃったの?


「まずはどこに連絡したらいいの……」


 母さんも僕以上にうろたえていた。


「うがいと手洗いをこまめにして、アルコール除菌していたのに」


 除菌と聞いて、昨日のヒーローを思い出した。

 母さん、待ってて。ぼくが解決するから。

 すぐに着替え、公園に向かう。

 花壇の近くにはヒーローではなく怪人がうろついていた。今日はスコップを持ってきていない。

 僕は怪人を見て怒りが沸き上がった。


「お前のせいだ! お前のせいで父さんが起きなくなったんだ!」

「待ってくれ。ウイルスを持ち込んだのは僕じゃない」


 怪人はぼくをなだめ、自分について話し出した。


「僕は惑星ナオール出身のヒーローだ。悪の組織、昂進隊による『生物科学兵器R‐Ⅱ作戦』を阻止するために来た」


 ウイルスの種を子供達に渡し、花粉に触れた大人を感染させる計画について聞かされた。花は花粉を放出すると、一日も経たずに枯れてしまうように設計されたらしい。

 ぼくは次第に納得していった。


「だから感染源が分かっていなかったんだ! でも、種を世界中に拡散させるのって、大変じゃない?」

「全体の知能レベルを下げた方が征服しやすいし、爆発させるより遥かに綺麗な土地が手に入る。そんな狡猾な奴らなんだ。僕も手を焼いている」

「そっかぁ」


 悪も意外と頭いいんだな。 

 感心していると、お兄さんは涙声を上げた。


「もうちょっと親身に聞いてよ! あいつらがヒーローっぽい身なりをしているせいで、誰も僕の話を信じてくれないんだよ? おまけに、変身アイテムの充電切れで一般人並みの戦闘力で戦わないといけなくなったし。博士に依頼したR‐Ⅱ撃退散布薬が来るまで、僕はいつまで袋叩きに遭うんだろう」


 ぼくは素朴な疑問を投げ掛ける。


「ほかの仲間はどうしたの?」

「いないよ。博士の実験に耐えるのは僕だけでいいからね」


 現実のヒーロー事情を知り、僕は悲しくなった。


「きみが気にすることはないよ。今日こそ勝利を挙げて、苦しんでいる人を救うから」

「貴様にそれができるのか?」


 ぼくらの前に凶菌昂進隊が現れる。お兄さんは声高らかに叫んだ。


「この防疫スンジャーが清く正しい世界に導く!」


 お兄さんは凶菌昂進隊が放つ光線を避けていく。体力がどこまで持つか心配だ。

 僕は唇を噛む。直接戦えないことが悔しい。

 そのとき、脳裏によぎる言葉があった。去年の大型連敗中のとき、ヒーローインタビューで四番打者が言っていた。ファンの応援も戦力になると。


 声が届かなくても、信じることで掴める未来がある。ぼくは防疫スンジャーを見つめた。

 がんばれ、なんて無責任に言えない。背負うプレッシャーの大きさは、チャンスで空振り三振に終わる自分がよく知っている。だから別の言葉を送った。


「自分を信じて!」

「ありがとう、少年!」


 防疫スンジャーは胸に手を当てた。まばゆい光が全身を包み、水色のレンジャースーツ姿に変身していた。

 上空に現れた飛行物体のプロペラが、カッコイイ効果音となる。攻撃の手を緩めない凶菌昂進隊に、防疫スンジャーはひるまなかった。ベルトから抜いた銃を向る。


「検疫マシンガン、発射! すべてのウイルスを死滅するぜ」


 飛行物体から放たれる煙は、公園にあった紫色の花を枯らしていく。


「特注の薬だ。室内にいる感染者は、今ごろ目を覚ましているはずだ」

「おのれ、防疫スンジャーめ」

 

 一人生き残ったレッドの刃を交わし、防疫スンジャーは冷ややかに言った。


「何度でも防いでやる」


 一閃。弾丸を受けたレッドは跡形もなく消えていった。勝利の余韻に浸る間もなく電子音が響き、防疫スンジャーはふためいていた。


「は、はい。任務完了です。え? 近くの星で援護要請?」


 通話を終えた防疫スンジャーは、ぼくに向き直る。


「ごめんね。もう行かなきゃ」

「ありがとう、防疫スンジャー」


 ヒーローは一瞬だけ名残惜しそうに見つめたが、迷いなく飛び立っていった。

 ぼくもいるべき場所へ戻らなきゃ。

 家に向かって走り出す足は軽かった。

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