たんぽぽの綿毛のおまじない

望月くらげ

たんぽぽの綿毛のおまじない

 子どもの頃、お父さんとお母さんが離婚することになって、そんなことどうしても受け入れたくなくて話を聞いている途中で家を飛び出した私は、近くの河原で座り込んで泣いていた。悲しくて辛くて寂しかった。

 そんな私を追いかけてきてくれたのはお父さんでもお母さんでもなく、隣の家に住むゆーちゃんだった。

「やっと追いついた」

「どうして?」

「窓からさっちゃんが飛び出して行くのが見えたから。大丈夫?」

「大丈夫じゃ、ない」

 抱え込んだ膝をぎゅっと引き寄せるとその隙間に顔を埋めた。太ももを涙が伝い落ちていく。どうして? いつから? いつの間に? そんな疑問が頭の中をぐるぐると回る。

 少なくとも私には仲がよい二人に見えていた。お母さんはいつもニコニコと笑っていたしお父さんは仕事で帰ってこない日もあったけれど、それでも休みの日はいつだって優しかった。

 なのにそれが全て偽りだったのかと思うと胸が痛くて仕方ない。

 カサッという音がして私の隣にゆーちゃんが座ったのがわかった。でも涙でグチャグチャの顔を見られたくなくて、私は顔を上げることができなかった。

「さっちゃん、見て」

「……何」

 でもゆーちゃんは私に顔を上げるように言う。ずっと首を振っていたけれど、何度目かの呼びかけに私は仕方なく顔を上げた。

「見てて」

 そこには真っ白な綿毛を作ったたんぽぽがあった。春の終わりが来るとよく見るそれは、たしか綿毛の先に小さな種がついていて、風で吹き飛びいろんなところで芽を出すと、小学校の生活の時間に習った。でも、それがいったいどうしたのだろう。

 不思議そうに見ている私をよそに、ゆーちゃんが綿毛をふーっと吹くと、小さな綿毛が辺り一面に広がっていった。

「うわぁ……綺麗」

「やっと笑った」

「っ……」

「ね、さっちゃん。たんぽぽの綿毛のおまじない知ってる?」

「おまじない?」

 聞いたことがなかった私は素直に首を振った。そんな私にゆーちゃんは真っ白な綿毛になったたんぽぽを手渡した。

「じゃあ教えてあげる。この綿毛を思いっきりふーっと吹くと嫌なことも悲しいことも全部綿毛と一緒に飛んでっちゃうんだ」

「えー……嘘だぁ。そんなの聞いたことないよ」

「ホントだよ。嘘だと思うなら試してみなよ」

 ゆーちゃんの言葉に、私は訝しげにたんぽぽを見つめた。この綿毛を飛ばしたら嫌なことも悲しいことも全部飛んでいっちゃう? そんなことあるわけない。あるわけない、けど。でも……。

「ふー……」

「もっと強く吹かなきゃ飛んでいかないよ」

「っ……ふーー!」

 思いっきり息を吸い込んで私は綿毛を吹き飛ばした。

 すると、綿毛は風に乗り大空へと舞っていく。

「こんなの……全然……」

「じゃあ、一緒にしよっか」

 もう一度私にたんぽぽを手渡すと、ゆーちゃんは私の開いている方の手をギュッと握りしめてカウントした。

「3,2,1……」

「ふーー!」

 一緒に綿毛を飛ばすと、今度はさっきよりもたくさんの綿毛が空を舞う。何度も何度も繰り返しているうちに、辺りにはたくさんの綿毛が漂っていた。その景色に見とれていると、いつの間にか涙は止まっていた。

「――ね、一緒に帰ろう」

「うん……」

 そう言ったゆーちゃんに手を引かれながら私は自宅へと戻った。お父さんとお母さんは必死に私を探してくれていたようで、帰ってきた私を二人はギュッと抱きしめてくれた。

 ほどなくして二人は離婚をし、お父さんは家を出て行った。それでもあの日抱きしめてくれたぬくもりは今でもよく覚えている。


 そんな思い出の河原に、17歳になった私はいた。涙でぐしゃぐしゃに濡れた顔で何本も何本もたんぽぽをちぎっては綿毛を飛ばす。でも今回の悲しみはなかなか飛んでいかない。そもそも一人で飛ばしているからダメなのかもしれない。あのおまじないはゆーちゃんと二人じゃないと――。

「何やってるの?」

「ゆーちゃん! 遅い!」

「遅いって……失恋するたびに呼び出すのやめてくれない?」

「だって……」

 あの頃よりもずいぶんと背の伸びたゆーちゃんは私の隣に腰を下ろす。あれから10年が経った今でも私が泣くたびにゆーちゃんは私の隣で話を聞いてくれていた。

 たんぽぽの綿毛は春の終わりにしかなかったけど、でも悲しいことがあったときはいつだってあの日ゆーちゃんが飛ばしたたんぽぽの綿毛を思い出した。

 時には花占いよろしく花びらをちぎって川に流したりもした。いつだってゆーちゃんがいてくれたから元気になれた。

「で、今日はなんて言ってフラれたの?」

「……部活に集中したいからって」

「ズルい断り文句。部活のせいにしないでちゃんとフってくれればいいのにね」

「違うもん、先輩は優しいだけだもん」

「あっそ」

 呆れたように言うゆーちゃんの隣で私は新しいたんぽぽを手折る。ゆーちゃんの分も、と思って手を伸ばす。けれど、それよりも早くゆーちゃんが口を開いた。

「それ何本目?」

「……20本目」

「ねえ、もう終わりにしようよ」

「わかってるよ。だからこれで最後! だいたいゆーちゃんが来るのが遅かったから…」

「そうじゃなくて」

 私の手を、たんぽぽごとゆーちゃんは握りしめた。

 あの頃よりもずいぶんと大きくなって、ゴツゴツとした男の人の手。いつの間にこんなにも大きくなったのだろう。

「僕にしときなよ」

 ゆーちゃん――悠斗は私の手の中のたんぽぽの綿毛をふーっと吹き飛ばした。

「僕ならさっちゃんを泣かしたりなんかしないから」

 悠斗が吹いた綿毛は空を舞う。でも、私はそちらを見ることができない。

 瞬きをすれば触れそうなほど近くにあるまつげに、そしていつの間にか触れていた唇に動けなくなる。

「な……」

「このままじゃさっちゃんってば勝手に傷ついて勝手に泣くから。僕のそばにいれば泣かさないよ。ほら――」

 悠斗の手のひらが私の頬に優しく触れると、もう一度ちょんと触れるだけのキスをした。。

「涙、止まったでしょ?」

「っ……バカ悠斗!!」

 荒らげる私を、悠斗は楽しそうに笑う。

「で、どうする? 付き合う?」

「考えとく」

「まあ、考えなくても答えなんて一つに決まってると思うけどね。……って、うわっ」

 自信満々に言う悠斗をあざ笑うかのように、河原を吹き抜けた風にあおられて吹き飛んだたんぽぽの綿毛が襲いかかる。

 慌てる悠斗に思わず吹き出してしまう私を見て、悠斗ももう一度笑った。

「帰ろうか」

「うん」

 どちらともなく私たちは、いつかと同じように手をつなぐと河原をあとにした。隣を歩く悠斗の笑顔に、さっきまで感じていた胸の痛みが、ほんの少しだけ和らぐのを感じる。

 何気なく振り返った私の視界いっぱいに、たくさんの綿毛が空を舞うのが見えた。

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たんぽぽの綿毛のおまじない 望月くらげ @kurage0827

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