侵略者

月之 雫

侵略者

 今日も屋上に呼ばれた。学校の屋上を我が部屋のように占拠し、タバコをふかしながら騒いでいる連中に、僕はいつもいいように使われていた。端的に言ってしまえば、いじめられている。カツアゲもされれば暇つぶしに殴られたりもする。抵抗したところで余計に暴行されるだけだ。嫌だと思いながらも受け入れる方がまだマシだった。

 けれどもう限界だ。もう嫌だ。この毎日から抜け出すためなら何だってできる。あいつらさえいなければ、僕は普通に生きていける。解放されたい。

 僕は後ろ手に隠したナイフをしっかりと握り直し、屋上に繋がるドアを押した。

 今日は4人だ。口悪く何かを罵りながら下品に大口を開けて笑っている。

 ナイフ一本で全員やるのは難しいか。ならばやるのはトップの奴だ。それで他も怯めばいいのだがどうだろう。腰巾着みたいな奴はすぐに逃げていくだろうか。

「おっせえな、クソブタ。呼んだらすぐ来いっつってんだろ?」

 なるべくいつも通りに怯えた感じでそろそろと近づいていく。そうして距離を詰め、あと2、3歩で手が届くというところから急に助走をつけナイフを構える。体重を乗せて体をぶつけるようにしてナイフを突き立てた。

 やった、と思った瞬間、水飛沫が飛び散る。血ではない。もっと大量の少し琥珀がかった色の液体だ。そして僕が刺したはずの目の前の人間が消えていた。

(何だ…?)

 巨大な水風船が破れたようなそんなイメージだ。目の前にあった物体が水分となり弾け飛んだ。そんなことあり得るはずがない。人間の水分量は60%だなんて言うけれど、本当にタプタプ水が入っているわけではない。彼の体はいったいどこにいってしまったのだろう。

「クソブタのくせにふざけてんじゃねえよ」

 隣の奴が殴りかかってくる。その腕に向かってがむしゃらにナイフを振り下ろした。後には引けない。

 ざくりとナイフが腕に刺さる感覚は思ったより薄い。再び水飛沫が飛び散り、奴の右腕の肘から先がなくなった。

「くそっ」

 右腕を抑える左手からはさっきのやつと同じ琥珀がかった色の液体が滴る。

 一体何なのだ。僕が戦っているこの相手は本当に人間なのか。僕が知っている常識とは全く違う。

「お、おいてめえ、何しやがった」

 目の前の現象に驚いているのは僕だけではないようで、不良仲間の一人が不審な目で僕を見る。僕が何か特殊なことをしたのだと思われたようだが、僕はただ何の変哲もないナイフで刺しただけだ。

「おい、何してる。見られたんだ、殺せ」

 残る1人は座ったまま眉一つ動かさず冷静に状況を見ていた。普段は腰巾着みたいな奴だったが、本当はこいつが頭だったのかもしれない。そんな雰囲気で当然のように命令を下す。

 右腕を失った奴は、しかし気付けば指先まで再生されていた。当惑している仲間に近づくと新しく出来上がった右手で彼の胸を貫いた。右手が胸に突き刺さる瞬間、刃物のような鋭い形に変形したのが見えた。自在に形状を変えられるのだ。液体でできているから、なのだろうか。しかし硬度もある。僕が知る世界の理から外れている。これは何だ。現実なのか。

 刺された奴ががくりと膝を折る。口から血を吹き出した。赤い血だ。そうだ、これが普通だ。彼は普通の人間だ。他がおかしいのだ。

 確かめてみたわけではないが、座っている奴も液体の奴の仲間だ。4人のうち1人だけが普通の人間だった。

「種を入れろ。1人減ってしまったからな。増やさないと」

 座った奴が命令すると、僕が右腕を切った奴は倒れている仲間の傷口にもう一度手を突っ込む。するとどうだろう、事切れたと思っていた彼が何事もなかったかのように立ち上がったのだ。胸から手を引き抜くと、先程赤黒い血を流していた傷口はきれいになくなり、まるで水面から手を引き抜いたみたいに表面に波紋を描きながらゆっくりと揺れ、やがてすべてが行われる以前と同じ状態に戻った。体の傷どころか服の破れすらない。

 人間だった彼も液体人間になってしまったのだと理解した。

(ヤバイ)

 このままでは僕も彼と同じ運命を辿ることになる。

 僕は身を翻し、屋上から逃げた。階段を落ちているのか飛び降りているのかわからないぐらいの勢いで駆け下り、校舎を出る。放課後のこの時間、校内にまだ人は残っているが、恐らく無差別に襲うようなことはしないだろう。見られたから殺せと言ったのだ。彼らは人間のフリをして人知れず数を増やしていこうとしている。目立つことはきっとしない。

 彼らは人間に取って代わろうとしているのだろうか。

(一体どこまで?)

 人間のフリをしている液体人間はどれぐらいいるのだろう。彼らだけとは考えにくい。たまたまピンポイントで僕がナイフを突き立ててしまったなんていう低確率なことがあり得るだろうか。他にもたくさんいると思った方がいいだろう。

(彼らを見分ける術は?)

 ナイフで切りつければすぐわかる。けれど普通の人間だったらどうする。そんな無差別に人を切りつけられるわけがない。僕が彼らを刺したのはのっぴきならない理由があったからだ。でなければそんなこと怖くてできはしない。本来僕はそんなに攻撃的な人間ではないのだ。そもそもナイフだって逃げる時に捨ててきてしまった。鞄も学校に置いたままだし、僕は何も持っていない。戦う術はもうない。逃げるしかない。

 意外なことに逃げる僕を追ってくる気配はなかった。だけど逃げなくては。逃げなくては。

 奴らは僕の家を知っている。休みの日に家まで押しかけてまでお金を取ったりするからだ。家に帰ったって彼らから逃げることはできない。

 どこへ行けば安全なのか考えて、思いつくところは唯一の友人のところだった。中学まで一緒だった幼なじみで、高校は別の学校に通っているため、あの不良たちとの接点はゼロだ。



 友人宅で風呂を借り、改めて自分の体を見る。僕の体を濡らした液体は思ったよりねっとりと粘度があって気持ちが悪かった。匂いは特にないが、その色のため僕のワイシャツは黄ばんだボロ切れのように汚らしい色に染まっていた。

 体の汚れをきれいに落とし、借り物の服を着て、借り物のタオルを首に掛け、友人の部屋に戻る。

「急にこんなんで悪いな」

「いいよ、別に。俺も久しぶりにお前に会えて嬉しいし」

 中学生の頃まではよくこの部屋で一緒にゲームをしたりして遊んだけれど、お互い別の学校に行ってからはなかなかそんな機会も持てなくなった。高校でいじめられているのもあって、そんな僕を知らない昔の友人にはあまり会いたくなかったのもある。弱い僕を見られたくなかった。

「何があったか聞いてもいいか?」

 僕のそんな感じをもしかしたら彼は気づいていたのかもしれない。

「誰かにやられたのか?」

 自宅でなく友人の家に来たのも、家の人には知られたくない何かがあったのではないかという思いにつながったのかもしれない。

 いじめられていたのは事実だ。だけど今日の出来事はそれとは違った。僕がずぶ濡れになったのは何かをされたわけではなく、逆に僕がした方なのだ。

 何をどう説明したらいいものか悩む。きっと信じてはもらえないだろう。けれど事実を話すしか僕にできることはない。彼にもこの事実と危険性を知ってほしいし、たった一人の友人に嘘をつきたくもなかった。そもそも整合性のつく嘘を思い付かない。どうやっても説明がつかないのだから。

「僕、不良グループの使いっ走りみたいなやつだったんだ。金も取られたし殴られたりもしてた。もう我慢の限界で、やってやったんだ、そいつらを。ナイフでザクッと」

「おまえ…」

 友人は驚きの表情で絶句していた。そんな言葉が出てくるとは思わなかったのだろう。だって僕は、本来温厚な人間なのだ。彼はそれをよく知っている。どれだけ思い詰めていたのかきっとわかってくれるだろう。もっと早く相談していればこんなことにはならなかったかもしれない。けれどあの時はそんな自分を知られることの方が怖かったのだ。今はもう、そんなことを言っている場合ではない。

「信じられないかもしれないけど、僕自身も正直信じられないんだけど、今から話すことはさっき僕の身に起こった事実だから」

 そんな前置きをして、僕は僕が見た全てを彼に語って聞かせた。


 僕の話をじっと聞いていた友人は、そうして僕が今ここに逃げてきたのだというところまで話終わると「なるほどね」と小さく頷いた。信じてくれたのかどうか、その表情からはよくわからなかった。ただ、彼の目が少し暗いというか厳しいというか、あまり見たことのない色をしていることが気になった。

「おまえは知ってしまったんだね、その秘密を」

「そうなんだ。だから殺されるかもしれない。それで僕もあれの仲間にされてしまうかもしれない」

「そうだね。そうした方がよさそうだ」

 そう言うと友人の右手が鋭い刃物に形を変える。

「えっ、おまえ…」

 ぐさりと友人の手が僕の左胸に突き刺さる。心臓をひと突きだ。

 彼も液体人間だったのだ。既にやられた後だった。僕は選択を間違ったのだ。




 かつてこの体だった人間の友人が訪ねてきたときにはまさかと思った。記憶と感情は引き継いでいる。彼が何で濡れているのか、自分にはすぐ分かった。自分の体を形成するものと同じだからだ。

 秘密を知ってしまったからには殺さなければ。そして仲間にすればいい。そうすればまた一緒に遊べるだろう。殺すことに躊躇いはない。種を入れれば元に戻れるとわかっているからだ。

 指先の形状を変え、その胸を一気に突き刺した。なるべく苦しまぬよう一息で。

 目の前で水が弾けた。赤い血を流すはずだった友人の体が消えてなくなり琥珀がかった液体が床を満たした。

「おまえももう仲間だったのか…」

 稀に自覚のないものも生まれるという。

 ぴちゃりとかつて友人だった水たまりに膝をつく。少し琥珀がかった色の涙がこぼれた。人間以外に種は入れられない。

 ひとり、減ってしまった。

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