花姫さまは死に至る病
乙島紅
花姫さまは死に至る病
「畑の中に妙な植物が生えたんだ。先生、調べてくれませんか」
「先生」と呼ばれるのは、深い森の中のとある村でたまたま滞在していた青年。
彼の名はジュウイチ・エンドウ。元は現代日本で植物学を学ぶ学生だったが、人を庇って交通事故で死んでしまい、異世界に転生することになった。特別なスキルは何もなく、あるのは元の世界で身につけた知識だけ。それでも彼は未知の幻想植物溢れるこの世界で、第二の人生をそれなりに楽しんでいる。
エンドウは村人からその植物の特徴を聞くと、すぐさま壁にかけてあったコートを羽織った。見た目よりも機能性を重視したそれは、分厚いオーク革で作られていて、観察採取用の道具が入った大きなポケットがいくつもついている。
「引っこ抜かなかったのは賢明な判断です。その場所に案内してください」
畑の周囲には何事かと人だかりができていた。エンドウは黙ってその輪の中をくぐり抜けていき、例の植物の姿を見て確信した。
観葉植物のような濃い緑色の葉に、中央には薄青色の小さな花。そして葉の下には、地面からほんの少し顔を出した大根のように太い茶色の根っこが見える。
「これは……マンドラゴラですね」
マンドラゴラといえば、薬や魔術の材料に使われる希少な植物だ。だが、こういう田舎の農村では迷惑な存在でしかない。引っこ抜けば奇声をあげて人々の気を狂わせるし、放っておけば毒性のある根っこを腐らせて同じ畑の作物を駄目にしてしまう。
ざわめく村人たち。エンドウは落ち着いた口調で言った。
「マンドラゴラを安全に抜く方法が一つあります。……愛の言葉を囁けばいいのです」
生真面目そうな男から放たれた言葉に、村人たちはみな一様にきょとんとする。冗談を言っているのかと訝しむ者もいる。
「それなら先生がやってみてくださいよ」
一人の村人が放った言葉に「そうだそうだ」と同意の声が飛び交った。エンドウはあまり表情は変えないまま、それでも困ったように黒い髪の生えた頭をかいた。
「まいったな。僕は吟遊詩人じゃないんだが……」
仕方ない。これも仕事の一つだ。それに、マンドラゴラが手に入れば薬師に高く売れる。旅資金の足しにはなるだろう。
エンドウはやれやれとマンドラゴラのそばにしゃがみ込む。ただでさえ人の気を良くする言葉などあまり知らない彼だ、愛の言葉というのはずいぶんとハードルが高く感じる。
実のところ、想い人がいないわけではない。
そうだ、彼女のことを思い浮かべてみよう。こんな醜悪な植物と自分を重ねられては、本人は頰をぱんぱんに膨らませて怒るかもしれないが——
「先生! 先生ーーっ!!」
その時、助手の少年が慌てた様子で駆けてきた。
ようやくその気になってきたところだったのに。緩みかけていた唇はすっと元どおりの一文字になり、エンドウは「後にしてくれ」と跳ね除けようとする。
だが、少年は息を切らしながらも言葉を続けた。
「た、大変です! ブローディア王国の花姫さまが、死に至る病だと……!!」
花の王国ブローディア。四季折々の花が一斉に咲き誇る美しい小国で、エンドウが異世界で初めて訪れた場所でもある。
見知らぬ世界で右も左も知らない彼に、心おだやかなブローディアの人々はずいぶんとよくしてくれた。それはもちろん、エンドウの知識がブローディアで起こっていた様々な問題を解決していたからでもあったのだが。
エンドウの評判は次第に王家の耳にも届き、王は彼に王国公認の学者としての称号を与えた。王の娘である花姫ともそれがきっかけで知り合い、一年前に王国を離れた後も時折手紙をやりとりする仲であった。
マンドラゴラのことは助手に任せ、エンドウは急ぎブローディア王国へと馬を走らせた。ちょうど隣国から向かう途中だったので、到着まで一日もかからなかった。
「なんだ、あれは」
目の前の景色に、愕然とする。白い城壁が美しかった王城に、巨大な緑色のつるが蛇のようにぐるぐると巻きついていた。つるは城の上で一本に収束して幹を形成し、そこから天を突き破る勢いで一本の樹が高くそびえ立つ。
「おお、エンドウ先生じゃないか」
その場に立ち尽くすエンドウに、街の人が声をかけてきた。
「もうこの国はおしまいだ。先生も早くここを離れたほうがいい」
「一体何があったんですか」
「数日前、花姫さまがご病気だという噂が流れ出したと思ったら、突然あの樹が生えてきたんだ」
「花姫さまは今どこに?」
「城の中じゃないかねぇ。ただいかんせん、あの樹に誰も近づけないでいる」
「どうしてです」
「あの樹はね、やがて花をつけて種ができる。その種は機が熟すと弾け飛んで毒素を撒き散らすそうなんだ」
エンドウは腕を組んで考え込んだ。確かに生存領域を広げるために種を飛ばす植物はあるが、一緒に毒を撒き散らすものについては聞いたことがない。
「その話は一体誰に聞いたんですか?」
「さて、そういえば誰だったかな。みんな同じような話をしているから、すっかり忘れちまったよ」
エンドウは礼を言うと、他の人々にも話を聞いてみることにした。みな口を揃えてほとんど同じことを言う。ただ、妙なことにそれぞれ少しずつ話がずれていた。
ある者は「あの樹は地面から人の生気を吸う」と言い、ある者は「あの樹に咲く花から悪魔が生まれる」と言い、ある者は「あの樹に触れると全身が腫れてかゆみが止まらなくなる」と言う。
こうもばらばらだと、直接自分で調べてみたくなるのが学者の
だが、エンドウが城の中へと入ろうとすると門兵によって妨げられてしまった。
「いけません。エンドウ先生といえど、今はお通しできないのです」
「なぜですか。この樹のせいで国が大変なことになっているのでしょう? 僕に調べさせてください」
「だめです。陛下から男性の客人は一切お通しするなと命じられております」
む、とエンドウは顔をしかめた。いつの間にそんな規則になったのだろうか。兵士に問うと、樹の調査を口実に興味本位で大陸一の美しさと謳われる花姫を一目見ようとする輩が後を絶たないからだという。
「なら陛下に直接掛け合ってください。陛下なら僕と花姫さまの仲もご存知のはず」
「だからこそです」
兵士は気まずそうに口ごもった後、意を決したように言った。
「花姫さまは今や隣国の侯爵に結婚を申し込まれている大事な身。何かあっては困るのです」
なるほど、そういうことか。
合点がいって、エンドウの熱が冷めていく。
「ちなみに、その侯爵の名は聞いていますか?」
「いえ。手紙の一部が運ばれる途中で汚れてしまったようで、名前は読み取れなかったそうです」
「なら僕が教えてあげましょう」
エンドウは溜息を吐くと、兵士に小声で囁いた。兵士はぎょっとして、あわあわとした様子でエンドウを見た。
「ででででですが、今はきっと花姫さまにはお会いにはなれませんよ? 死に至る病だとか言って、お部屋から一切出てこられないのです。近づけば
「大丈夫です。その病の正体もわかりました」
エンドウは呆れたようにそう言って、城の中へと押し入った。
「エンドウ!?」
部屋の扉を開けると、柔らかそうなクッションを抱きかかえてベッドの上で丸まっていた花姫は、病人とはほど遠い機敏さで飛び起きた。
薔薇の花のように艶やかな深紅の長い髪に、桃の実のように血色のいい頰、クロスグリのように丸く大きな瞳。花姫と呼ばれるにふさわしい彼女。
……ただ、こういうイタズラはいただけない。
部屋の中にある鏡台には植木鉢があり、そこから伸びた緑のつるが窓の外に向かって伸びている。
まったく、どこから突っ込んだらいいのやら。
「死に至る病というのは、病気のことではないですね」
花姫はびくりと肩を震わせた。
彼女のベッドの枕元には一冊の哲学書が置いてある。旅の邪魔になるからと、エンドウが彼女に譲った現世の本のうちの一つだ。
死に至る病とは、すなわち絶望。
彼女はおそらく見知らぬ侯爵から持ちかけられた結婚を嫌がって、自らが病気だという噂を流したのだ。王族のゴシップはたちまちに広がり、王都の外にいたエンドウにまで届いた。なまじ嘘ではないのだから、したたかな姫さまである。
「それに、この樹」
エンドウは鏡台の植木鉢の土の中を探る。そこには七色に輝く豆が埋められていた。
魔法の豆。おとぎ話『ジャックと豆の木』に出てくるあの豆だ。ここブローディアには伝承上の植物も含めてあらゆる植物の種が保管されていて、この豆もそのうちの一つである。
「どうしてこんなもの植えたんです?」
おおごとになることくらい、わかっていただろうに。
花姫はクッションを抱きしめたまま、しゅんと身をかがめてぼそぼそと呟いた。
「だって……そうしたら私の想いが届くかと思って。みんなにも……あなたにも」
恥ずかしさと気まずさで花姫の顔はほんのり赤く染まる。今にもこぼれ落ちそうな涙を浮かべて、まるで朝露を溜めた花弁のようだ。
エンドウは大きく一息ついて、彼女のベッドのそばに
「あなたはこのブローディア王国の大切な姫さまで、僕はしがない植物学者です」
「わかってる。でも、そんなの——」
「だから、あなたにふさわしい身分を得るために、隣国へ渡ったのです」
なぜなら、隣国は功績を挙げた者に爵位を授ける制度があったから。
花姫ははっと息を飲む。
「まさか、隣国の侯爵って……!」
「そう、僕です。花姫さま」
色白な手を取ると、花姫は顔を真っ赤にしてそっぽを向く。そんな彼女を見たエンドウもまた、自らの身体が火照っていくのを感じた。
なるほど、これは確かに近づけば伝染る病である。
「……ずるいわ」
少しだけ頰を膨らませて呟く姫さま。
ふと、マンドラゴラのことを思い出し、エンドウは思わず笑みをこぼす。あの時マンドラゴラに囁きかけた言葉を、もう一度。
「結婚しましょう、愛しの姫さま」
〈おわり〉
花姫さまは死に至る病 乙島紅 @himawa_ri_e
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